月曜日, 4月 21, 2025
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ふたたびの徳一大師 土浦の古代仏教研究家が30年ぶり続編

【相澤冬樹】神の山、筑波山にお寺を開いた奈良・平安時代の僧侶、徳一(とくいつ)をご存じだろうか。土浦市在住の古代仏教研究家、内山純子さん(85)が「法相宗(ほっそうしゅう)徳一の教化を中心に」をサブタイトルとする著作『古代東国の仏教』(青史出版)をまとめた。内山さんは1990年にやはり徳一を取り上げた『東国における仏教諸宗派の展開』(そしえて)を上梓しており、ほぼ30年ぶりの続編となった。

筑波山を足場に東国教化

著作によれば、徳一は天平勝宝元年(749)生まれ、承和三年(836)- 九年(842)の間に没している。ほぼ最澄、空海と同時代の宗教家だが、平安密教の担い手としで華々しく活動した両大師に対し、徳一は奈良仏教の再生を願い東国に下向、筑波山に拠って論陣を張った。特に最澄と繰り広げた「三一権実論争」は、わが国における大乗・小乗仏教の宗教論争として知られ、徳一関連で今日に残された数少ない文献となっている。

その足跡は筑波山のほか、福島の会津、いわきに残されている。内山さんはそれらの地域を訪ね歩き、記録を再構成して、今回の著作にまとめあげた。

同書では、徳一を藤原仲麻呂(恵美押勝)の末子と特定した。仲麻呂の乱(764)は徳一16歳のときで、配流を経験したのが東国での布教のきっかけになったという見方を示した。当時の常陸は蝦夷(えぞ)征伐など度重なる出兵に疲弊し、さらには地震や水害に苦しめられていた。大同元年(806)には会津磐梯山が大噴火を起こしている。

徳一はぼろをまとい、粗食をいとわずこれらの地域に入り、救済のため仏法を説き、寺院を建立して回った。その足場としたのが筑波山。当時から神の山として知られていたが、藤原氏の氏神である鹿島神宮の許諾をとる形で筑波山に入ったと見られる。

「古代東国の仏教」表紙写真は徳一座像(月山寺所蔵)

筑波山寺(知足院中禅寺)を開基したのをはじめ、東西南北にそれぞれ菖蒲沢東光寺(石岡市)、椎尾山薬王院(桜川市)、東城寺(土浦市)、小幡薬王院(石岡市)を配した「筑波四面薬師」を教化の主な舞台とした。同書巻末には、徳一伝承寺社が一覧表にまとめられており、茨城県内には42寺社を数える。

さらに会津では恵日寺(磐梯町)、勝常寺(湯川村)、円蔵寺(柳津町)などが徳一の建立と伝わる。これらの寺院は徳一没後、早々に真言宗、天台宗に転じて存続を果たすことになるが、内山さんは「訪ねると、稲敷市の逢善寺など多くのお寺の過去帳に徳一の名が残っている。宗派に関係なく大事にされてきたことが分かる」という。

これらの寺の多くは明治の廃仏毀釈(きしゃく)による被害を免れず、特に徳川幕府の篤い庇護(ひご)を受けた筑波山の中禅寺は徹底的に破壊された。所在地だった筑波山神社周辺を訪ねても、寺跡すら見つけにくく徳一についての手掛かりは皆無に近い。

「そのせいか、筑波の徳一研究はあまり進まなかった」と内山さん。30年の間に、西谷隆義さん(故人)や保立道久さん(東大名誉教授)が論考を著すなどしているが、単発的で会津に比べると体系化されてこなかった。「自動車免許を返納し、歩き回るのが難しくなった機会に今一度資料をまとめ直したかった」という。

知足院中禅寺の流れを汲み、本堂・客殿の新築工事を行ってきた筑波山大御堂(おおみどう)が2020年春には完成の見通しになっている。これを機に徳一評価の機運がふたたび高まることを期待している。

◆内山純子『古代東国の仏教 – 法相宗徳一の教化を中心に』(青史出版刊、四六判、131ページ、本体価格3800円)

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6年間で280件、誤った発信者名で通知 つくば市

福祉事務所長と市長業務の区別誤る つくば市は17日、認可外保育施設に対する指導監査事務と生活保護に関する事務について、法令や市の規則に定められた福祉事務所長が行うべき業務と、市長が行うべき業務の区別を誤り、2019年度から24年度まで6年間で計280件について、誤った発信者名で通知を出していたと発表した。 市社会福祉課によると、認可外保育施設の指導監査については、毎年1回行っている指導監査などの立ち入り調査や調査結果の通知を、23年度は63カ所に対し128件、24年度は54カ所に対し108件、計236件の通知文の発信者名を、つくば市長名で出すべきところ、市福祉事務所長名で発送していた。 児童福祉法に関わる認可外保育施設の指導監査事務については、権限が知事から市に移譲され、さらに市長から市福祉事務所長に委任された。その後22年度末に市の規則が改正されて市福祉事務所長への委任が削除されたことから、つくば市長名で通知を出すべきところ、市福祉事務所長名のままで発送していた。 一方、生活保護行政に関わる事務については、2019年度から24年度までの6年間で計44件の通知文について誤った発信者名で通知していた。具体的には①遺留金品の処分について、金融機関に対し23年度と24年度に計3件、市福祉事務所長名で通知すべきところ市長名で通知を出していた ②医療扶助や介護扶助の損害賠償請求に関しては、保険会社に対し20年度から24年度までの5年間で計5件、市長名で通知を出すべきところ福祉事務所長名で出していた ➂生活保護受給者らへの費用の徴収に関しては、受給者に対し19年度から23年度まで5年間で計36件、市長名で通知文を出すべきところ、市福祉事務所名で出していたという。 生活保護法に関わる生活保護の行政事務については、市の規則により、市長から福祉事務所長に委任されている事務と委任されていない事務があるにもかかわらず、一部の通知文で誤った発信者名で通知していた。 今年4月、社会福祉課内の職員から指摘があり、過去にさかのぼって調査したところ、誤りが分かった。市の規則について、当時の管理職を含む職員の認識不足が原因という。 今後の対応として市は、市ホームページに関係機関に対するお詫びと、通知文の内容は無効でない旨を掲載すると共に、関係機関と関係者に順次、説明と謝罪を行うとしている。 再発防止策として、根拠法令と市の規則を再度確認し、管理職を含む課内職員全員で適切な運用を徹底していくとしている。 福祉事務所は、社会福祉法に規定された福祉に関する事務所で、福祉6法に定められた事務を行う社会福祉行政機関。市役所とは別の行政機関になるが、市役所内にあり、市社会福祉課など市の関係部署の職員で構成されている。福祉事務所長は市福祉部長が務めている。 【14時15分 訂正】認可外保育施設について「指導監督」を「指導監査」に、生活保護について「扶養義務者」を「生活保護受給者ら」に訂正しました。