水曜日, 3月 11, 2026
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サンタになって子どもたちに笑顔を届けたい つくばのボランティア活動

【山口和紀】クリスマスイブの12月24日、サンタクロースにふんして家庭を訪問し子どもたちにプレゼントを手渡す活動がある。クリスマスの楽しい体験を通じて「子供たちに笑顔を」届けるのが狙いだ。サンタにふんして訪問するだけでなく、活動を通して得られた寄付金で貧困家庭や被災地を支援するチャリティー活動も行う。

この活動はNPO法人チャリティーサンタが取り組んでいる。同つくば支部(岸野史男代表)では、今年のクリスマスイブにサンタクロースに訪問して欲しい家庭と、サンタにふんして家庭を訪問し子どもたちにプレゼントを手渡すボランティアを募集中だ。

同法人は「世界中の子どもたちに笑顔を」というコンセプトのもと、幅広い活動を行う。現在26都道府県で活動しており、これまで1万5000人以上の大人たちがサンタとなって3万人を超える子どもたちにプレゼントを届けた。

市内NPOの活動に参加し子どもたちに絵本を渡している様子

同つくば支部は、つくばみらい市内在住の会社員、工藤咲希さん(25)が、つくば市にチャリティーサンタがないことを知り「子どもたちに、とっておきのクリスマスを届けたい」と2017年に立ち上げた。工藤さんは、大学時代からチャリティーサンタの活動に興味があり、いつか参加したいと考えていた。秋田県立大学を卒業後、つくば市に勤務することになり、そこで「つくばにチャリティーサンタがないのはもったいない。ないなら作ればいい」と思いたち、立ち上げを決めた。

子どもの頃、テレビで貧困の中にある世界の子どもたちのことを見た工藤さんは、クリスマスを前に「私のプレゼントはいらないので、世界の困っているこどもたちにプレゼントをあげてください」と手紙を書いて、家の窓際近くの、手紙が入る大きな靴下に入れたという。結局、その年は、英語で書かれた手紙と共にプレゼントが置いてあった。今思えば「お父さんが慣れない筆記体で書いた手紙だった」が、当時は「本当にサンタさんが来た」と、とてもうれしかったことを覚えているそうだ。

現代表の岸野史男さん(41)はフリーランスのライターでつくば市内に住む。つくば駅などで清掃活動を行う団体「グリーンバード」で活動をしている際に工藤さんからチャリティーサンタに誘われた。初年度からともに活動している。工藤さんは「(岸野さんなら)広い視野で、子どもたちのために何ができるか、どういう大人であるべきかを考えられる」と代表を引き継いでもらったという。

チャリティーサンタの主な活動のひとつが「サンタ活動」だ。申し込みがあった子育て家庭の自宅に、サンタの服装をしたボランティアが訪問し、各家庭が用意したプレゼントを届ける。単に手渡すだけではなく、家庭と事前に打ち合わせをし、一人ひとりの名前を呼びつつ、「頑張ったこと」「応援してほしいこと」などのメッセージを届ける。「(サンタ活動は)むしろ、やっているこちらが感動させてもらえる」と岸野さん。「子どもたちに特別な思い出を届けることができたら」と語る。訪問した家庭の子どもたちから、折り紙の裏に絵が書かれた手紙をもらい、「今でも大切にしている」とうれしそうに話す。

同団体では併せて、経済的な問題を抱える家庭を支援する活動「ルドルフ基金」も行う。訪問した各家庭から寄付金3000円を募り、集まった寄付金をもとに貧困家庭の子供たちにプレゼントを届けるなどの事業に活用している。市内で貧困家庭の子供たちを支援するNPOなどとも協力して活動しており、昨年12月にサンタを招いた団体のスタッフは「子どもたち一人ひとりに絵本を下さった。それも、一人ひとりに合った絵本を選んでくれた。とてもいい経験になったと思う」と感謝を述べる。

岸野さんは「活動には実際にやってみないと分からない魅力がある。少しでも興味があったら気軽に参加をして欲しい」と話す。今年度の「サンタ活動」のボランティアや訪問する家庭は募集中だ。

また他の地域のチャリティーサンタは学生が中心となりサークルのような形で行っていることが多いが、最初に始めた工藤さんが社会人だったこともあり、同団体を運営するスタッフは社会人を中心に5人。「筑波大学や筑波学院大学の学生など、若い力を貸して欲しい」と、学生の運営スタッフも同時に募集する。夏には被災地の子どもたちと自然体験ツアーを行うなど、クリスマスだけでなく1年を通じてチャリティーサンタの普及活動をしている。

サンタになりたい人、サンタを呼びたい家庭の申し込みはNPOチャリティーサンタHPへ。

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がん治療で読んでおきたい本《ハチドリ暮らし》59

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「第二の人生」という言葉《続・平熱日記》190

【コラム・斉藤裕之】そろそろ、燃やしても構わない1年分の紙切れをストーブにくべてしまおう。そう思って、封筒やレシートを一応広げてみる。すると、クリアファイルの中からちょっと懐かしいものが出てきた。それはスケッチブックの切れ端に生徒が描いた私の似顔絵。随分古いものもある。描いてくれと頼んだことはないけど、くれたものを捨てずに取っておいた。 大学院のころから続けてきた日雇い先生の仕事がもうすぐ終わる。最低限の生活の糧として止むに止まれず始めた仕事だったが、我ながら随分長い間続いたものだ。 聞かれれば答えるが、学校で自らプライベートな話をすることはない。しかし、最近の子は悪気もなく既婚か否かを聞いてくる(先生もプライベートな話をするらしい)。「孫がいるよ」というと、たいがいの生徒は驚く(年齢のことではなくて独身にしかみえない?)。 妻が数年前に他界したことを言うのが面倒臭いこともあって、そう答える。そうすると、やれどこで知り合っただのクリスマスはどうするだのと聞いてくるから、適当にお茶を濁す。だから、生徒は私が今も夫婦仲良く暮らしているものだと思っている。 私の似顔絵を描いてくれた生徒 人生を逆算して生きるのにはどうも抵抗があったが、両親が届け出の期限ぎりぎりまで思案した末に「馨」というイカした名前を授けられた孫娘が生まれたことで、この子の年齢に今の自分の歳を足して将来をイメージせざるを得なくなった(20歳になるころまではギリ大丈夫か?)。 1人目、2人目と孫が生まれて、すぐに絵を描いて、それは長女の家に飾ってある。さて馨のも描いてやろうと試みたが、どうもうまくいかない。女の子だからちょっとかわいらしくと思うのがいけないのか、生まれて間もない赤子というのは文字通り赤いごろんとしたもので、大人の顔を描くようにはいかない。 「第二の人生」という言葉は、私のようにずっと日雇いで暮らしてきたものには当てはまらない。途中、何度か就職することも考え、試みたこともあったが、それはかなわず家族に苦労ばかりをかけたと思う。それが良かったのか悪かったのかを考えてもしょうがない。 今思えば、どこにも属さず束縛されることなく、今も絵を描き続けられているということと引き換えだったんだろう。そのツッパリも無意味ではなかったのか、有り難いことに、ここにきて私の絵を応援してくれる人たちがいる。第一も二もない私の人生の続きは、いつものように朝牛乳パックのパレットに絵具を出すことから始まる。 日雇いとはいえ、随分たくさんの子供たちと過ごした。〇〇世代とか、今の子供たちは…とか、いつの時代も言われてきたけれど、50年前の私たちと今の子たちは何も変わらない。同じようなことを話し、同じように悩み、同じように笑って。 コロナ禍以降はマスクをしていたせいで、しばらく私の似顔絵を描く子はいなかったが、先日、1人の生徒が、描いたものをうれしそうに渡してくれた。最後の授業が終わったとき、その子に私が独り身であることを打ち明けてもいいかなとも思ったが…。(画家)