水曜日, 1月 14, 2026
ホームつくばダイエットにフクレミカンの果皮 茨城大学が動物実験で検証

ダイエットにフクレミカンの果皮 茨城大学が動物実験で検証

【相澤冬樹】筑波山麓特産のフクレミカン(福来みかん)の皮に含まれる食品機能性を、初めて動物実験で検証した研究論文がこのほど、茨城大学から発表された。肥満を抑える、ストレスに耐えるなどの食品機能性を消費者向けに打ち出すには、科学的知見に基づく根拠が必要になるため、論文の発表は、地域特産品の健康食品アピールに有力な手掛かりを与えそうだ。

論文は、同大農学部の連携大学院で学ぶ東京農工大学大学院博士課程3年、佐藤瑞穂さん(27)を筆頭著者に発表された。指導に当たった同大農学部の豊田淳教授、井上栄一教授、宮口右二教授らが名を連ねている。2論文あり、1つが未熟フクレミカンの果皮を含む飼料をマウスに与えたところ、体重増加と脂肪蓄積の抑制が認められたとする内容だ。

たわわに実った筑波山麓のフクレミカン=つくば市臼井

未熟のミカンの皮を使ったのは、あらかじめ県産業技術イノベーションセンターの分析で機能性成分量が完熟のものより多いことが分かっていたため。佐藤さんによれば、実験は2014年産ミカンを使って行われた。青いミカンを大量に購入し、研究室全員で皮むきをして乾かせ粉末にした。

動物実験は、体重約20グラムのマウスを2つのグループに分け、24時間明るさを保った環境で4週間飼育するもの。一方のグループには高脂肪食だけを、もう一方には果皮の粉末5%を混ぜた高脂肪食を給餌した。その結果、高脂肪食だけを与えたマウスは体重を6-7グラム増やしたのに対し、果皮の粉末入りを食べたグループは3-4グラムの増加にとどまった。また血中のコレステロール量と中性脂肪レベルについても、果皮の粉末入りのエサを食べたグループの方が低いことが確認された。

このことから、熟する前のフクレミカンの皮には、抗肥満効果やメタボリック症候群の予防効果があることが確かめられた。果肉を食べるよりも、果皮をジャムや香辛料に加工することが多い利用法も適切だったといえる。フクレミカンなどのかんきつ類には、ストレスに対する抵抗性である「レジリエンス」を獲得する作用をもった物質があり、これも動物実験で確認され、第2の研究論文になった。

豊田教授は「フクレミカンの機能性は以前から指摘されてきたが、その効果が動物実験で確認されたことは大きな前進だ。しかも英文による論文は初めてで大きな意義がある」という。フクレミカンの食品機能性は、こうした実証の積み重ねで確立することになる。

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映画「倭文-旅するカジの木」を見て《邑から日本を見る》190

【コラム・先﨑千尋】先月7日、東京都練馬区の大東文化会館で国際シンポジウム「旅するカジの木、旅する神々-静御前と倭文(しづり)」が開かれ、その中で北村皆雄監督の映画「倭文-旅するカジの木」が上映され、北村監督の講演などがあり、筑紫舞、大和高田の白拍子舞などが披露された。 倭文ないしは倭文織は古代の織物の名称で、常陸国風土記や万葉集、日本書紀、延喜式などの古典に登場するが、現物が発見されていないので、“幻の織物”と言われている。その素材はコウゾやカジの木などの自然繊維で、神事に使う幣(ぬさ)、手纏(まとい)、鞍(くら)などに使われていたようだ。 私は那珂市静に鎮座している常陸二の宮静神社のすぐ近くに住んでいることもあって、かなり前からその織物に関心を持って、史料も集めてきた。常陸国風土記には「まだ織物がなかった時代に倭文部(しどりべ)という織物の技能集団が静周辺に来住し、倭文を織った」とある。静神社の主祭神は、織物の神様・建葉槌命(たけはつちのみこと)だ。 「衣食住」という言葉 北村監督は映画上映の前に「衣食住という言葉があるが、衣が最初で、食、住と続く。それはなぜなのか。人が生まれてきて最初に産着(うぶぎ)を着ける。布は第二の皮膚と言われ、人間しか着けない大事なものだ。倭文という謎の織物を手掛かりに、衣の持つ呪術性を探ってみたいと考えて映画を製作した。何もないものを作るのは大変なことで、5年もかかった」と話した。 映画は最初に、日本の原始布が残る徳島県旧木頭村を訪ねるところから始まる。ここではカジの木やコウゾで織る太布(たふ)が現在でも織られている。次に、糸を使わない布、タパが登場する。カジの木の樹皮をたたいて伸ばす。撮影隊は、タパを作っているパプアニューギニアに向かい、人類最古に当たる植物繊維の衣服が今でも作られている有り様を伝える。 カジの木の原産地は中国南部から台湾。そこから4000年にわたってフィリピン、インドネシア、オセアニア、日本などに伝わったという。北村さんらは正確を期するために各地でDNA鑑定を行っている。茨城県内にはコウゾはあるが、カジの木はほとんど見かけない。コウゾはカジの木とヒメコウゾの交配から生まれたものだ。 この映画を作るために、国内の4人の織物作家(山口源兵衛、石川文江、西川はるえ、妹尾直子)が帯や幡(はた)、紙布を作る。その苦労する過程が克明に映し出される。 映画の最後は、日立市の大甕倭文(おおみかしず)神社にある宿魂石上(しゅっこんせきじょう)で、神話に出てくる倭文神「建葉槌命(たけはづちのみこと)」(大和朝廷側)がまつろわぬ星の神「香香背男(かがせお)」を、倭文織を使った呪術的な力で圧倒する場面。この場面だけがフィクションである。 冒頭に戻る。今回のシンポジウムのタイトルに「静御前と倭文」とある。静御前が鎌倉鶴岡八幡宮で歌ったという「しずやしず 倭文の環(おだまき) くりかえし 昔を今になすよしもがな」から採ったと思われるが、静御前と倭文の関係について、今後の研究に期待したい。(元瓜連町長)