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古写真につづる千の言葉 「つくばアーカイブス」再構成し刊行

【相澤冬樹】それは「A picture is worth a thousand words(1枚の写真は千の言葉の価値がある)を合い言葉に始まった」と総合科学研究機構(CROSS、土浦市)研究員の木村滋さん(79)。2007年から10年にかけ、同機構のつくばアーカイブス研究会で集めた昭和期の写真を中心にした記録約500点を再構成し、「目で見るつくばの歴史」にまとめて刊行した。

記録集「目で見るつくばの歴史」書籍と添付されるCD

刊行物はA4判232ページの書誌と画像収録のCDで構成され、「つくばアーカイブス大賞記録集」のサブタイトルがついている。農水省蚕糸試験場(現農研機構)で所長を務めるなどした木村さんは、退職後籍を置いた同機構で、副理事長だった高橋嘉右さんから相談を受けた。

「アメリカにA picture is worth a thousand wordsってことわざがあるが、実は社会運動のスローガンになっている。つくばでアーカイブ事業をやれないか」。写真を中心に、地域から失われつつある記録、消えそうな記憶を集めて未来に伝える。折しもつくばエクスプレス(TX)開業(2006年)直後で、つくばの変貌が加速する時代だった。筑波研究学園都市建設の閣議了解(1963年)から50年が迫っていた。

記憶集めに自腹と手弁当

アーカイブス研究会は、同機構に関わる役員や委員などの任意活動としてスタートした。報酬や経費の支給はなく、手弁当で記録収集に当たった。代表に就任した高橋さんは毎年自腹を切ってポスターを作成するなどし、募集の先頭に立ったという。

集められた写真は審査して、2007年から4回にわたりつくばアーカイブス大賞を選定するなどした。日本植物分類学の泰斗、牧野富太郎博士が筑波山に登り、蝶ネクタイ姿で収まっている記念写真(1939年撮影)などが選ばれている。しかし公募では次第に点数が集まらなくなり、つてをたどって地域の名士の家々などを訪ね歩き、採集するスタイルになった。

この取材の中心にいたのが木村さん。土浦市在住のカメラマン、御供文範さんと連れだって、古写真や図版類を複写して回った。「やってみて分かったのは、写真を手に入れても、それだけじゃあ何なのか実は分からない。持ち主や家族の話を聞いてやっと、そういうことかと氷解できることがある」

取材先はつくばにとどまらず、膨大な写真を収めた「浮島村改良養蚕組合写真帳」(1927年)の発見から、現在の稲敷市の保管先に行き当たる。何回か訪ねるうちに、養蚕農家が昭和初期に取り組んだカイコ飼育の技術革新を突き止めて、カイコ研究者だった木村さんは因縁を感じることになる。「千の言葉が必要になるときもある」と感じたという。

失われた郷土愛のありか

1914(大正3)年の筑波鉄道株式会社の設立総会時に撮られた集合写真が出てきたときも、これだけだと写っているのが誰か分からない。持ち主を訪ねて話を聞くうち、当時の株券やら絵はがきやらが出てくる。「筑波鉄道、のちの関東鉄道筑波線は1987年に廃線となる運命をたどる。経営的にはどうにも立ちいかなかったけれど、株券まで大事に残してるってことは金儲けをしようとこの鉄道を作ったんじゃない。郷土愛ってものが感じられるんだ」と木村さん。「それこそ今失われてしまったものだねえ」というのだ。

事業は4年間で収束したが、当時の資料提供者や関係者へ「きちんとお礼も報告もしていない」のが気になった。平成の終わる前に、と再点検に乗り出した。未整理の文献もあり、それらを建設・景観、民俗・祭事などのテーマごとにまとめ直してみると、時代に埋もれたきれぎれの記憶の断片が、体系化できるのに気づいた。

そんな思いをこめて、今回の書籍も自費出版。自分でワープロを打ち、版下を作って印刷所に持ち込んだ。独力で日本図書コードを取得して300部を刷ったが、あくまで関係先への「お礼」の部数。市販するには負担も大きく、今回は非売品扱い。書誌に収めきれなかった写真も含めて制作した添付CDならば、頒布も可能だが、提供方法は検討中ということだ。

◆総合科学研究機構(CROSS)土浦市上高津1601、電話:029-826-6251

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江戸時代後期につくばで活躍した発明家、飯塚伊賀七(いいづか・いがしち)が建てた「五角堂」のかやぶき屋根を修理する材料にしようと、ススキが自生する近隣の原っぱで12日、カヤ刈りイベントが開催され、地元の親子連れなど小学生から70代まで約70人が、刈り取ったススキを集めて束にするなどの作業を体験した。 伊賀七は当時の谷田部新町村の名主で、からくりの和時計、測量器具、地図、農業機械の自動脱穀機などを発明した。五角堂は伊賀七の生家に建てられた。何のために建てたのか分かってないが、床面が正五角形と当時は建築が難しく、独自の構造で建てられている。1958年に県指定史跡になり、89年に解体修理されたが、かやぶき屋根の傷みがひどくなり、五角堂を管理する同市が昨年、屋根の一部を修理した。残りの部分を、今回刈り取ったススキで修理する予定だ。 カヤ刈りイベントは、石岡市を拠点にかやぶき屋根の保存活動に取り組む市民団体「やさと茅葺き屋根保存会」(萩原寿盈会長)とつくば市教育委員会が共催した。場所はつくばエクスプレス(TX)みどりの駅近くの市立みどりの義務教育学校に隣接する未利用の原っぱの一部約200平方メートルで、市民ボランティアを募って実施した。 学校脇の原っぱにススキが茂っていることを知った市内に住む同保存会事務局の仲村健さん(44)が同校と市教委などに働き掛け、昨年、同保存会が同所でカヤ刈りを実施し、石岡市内のかやぶき屋根を修理する材料にした。その後、地元に住む谷田部地区活性化協議会の牧野秀宣会長(70)から「地元のカヤで五角堂を屋根を修理してはどうか」と提案があり、イベント開催に至ったという。 12日は午前中に同保存会が仮払い機でススキを刈り、午後に親子連れ約70人が刈り取られたススキを拾い集めて、ひもで縛り、束にした。2時間ほどの作業で121束が出来上がった。 刈り取ったカヤは、同保存会の会員が自宅の風通しのよい場所で保存する。さらにワークショップを開催し、屋根で作業しやすいようカヤの長さをそろえて束にする「かやごしらえ」を実施する予定だ。 母親と参加した近くに住む小学3年の戸田結斗さんは「学校でちらしをもらって参加した。カヤの束を積み上げた上に座って楽しかった」と話し、家族で参加した近くの会社員、藤尾友彦さん(42)は「毎日犬の散歩で通るところなので、普段できない経験をしたいと参加した」と語り、長女で小学3年の晴香さんは「ススキを束ねてぎゅっと結ぶのが難しかった」と話していた。 同保存会の仲村さんは「カヤ刈りを通して身近な歴史や文化を知り、それが現在や未来につながるものだということを感じてもらえたらうれしい」と話し、同活性化協議会の牧野会長は「地元のものを地元の材料で修理すると、親しみができる。小学生も参加し、自分たちが取り組んだもので修理できれば地元の歴史にもっと親しみがわくと思う。すごくありがたいし、子供たちがいっぱい参加してくれてよかった」と語っていた。 市文化財課によると、刈り取ったカヤは同保存会に約1年間保存してもらい、2027年度に五角堂の残りのかやぶき屋根の修理を実施する予定という。(鈴木宏子)