日曜日, 3月 29, 2026
ホーム暮らし【レンコン歳時記】㊤ 赤い花は咲くなよ 種ハス定植の5月

【レンコン歳時記】㊤ 赤い花は咲くなよ 種ハス定植の5月

【相澤冬樹】ゴールデンウイークの田んぼで、忙しいのは稲作農家ばかりではない。土浦市など霞ケ浦周辺に広がるハス田の水面(みなも)には、腰まで泥に浸かって田舟を引く人の姿が目立ってくる。舟にはころころと太ったレンコンが載っているが、収穫作業ではない。掘り取った長いレンコンの節を三つほどに切り離して種ハスとし、泥田の底に定植しているのだ。

2017年統計で、レンコンの全国作付面積3970ヘクタールのうち、茨城県は最多の1630ヘクタールを占めた。その中心は霞ケ浦周辺で、わが国きっての産地といえる。が、どうやって栽培されているのか、近在にあっても知る機会はほとんどない。だからハスの実から採った種子で育てていると思う者も少なくない。

地下茎であるレンコンは、すぼんだ節のところに根と芽をもっており、春に芽から水面まで届く浮き葉を伸ばして光合成を始める。この後、立ち葉を傘のように広げて、根茎を太らせていく。最後につぼみを持った花芽が出てきて、初夏には大輪の花を咲かせる。咲き終わった花托(かたく)は、手に収まるサイズの半球状の実になる。中に小指の先ほどの種子が入っているが、農家がこれから実生(みしょう)で育てることはない。

泥の中、段々に節を伸ばしたレンコンは、葉の枯れる秋には光合成ができず成長を止めるが、十分に太っており、出荷のタイミングを待つだけとなる。この間の呼吸のため、酸素の通り道になっているがハスの穴だ。出荷は需要のピークを迎える年末を経て、翌年春まで行われるが、農家は1割程度の田は収穫せずに種ハス用に残しておく。これを掘り取って、ハス田に植え替えているのが今の時期、大体5月いっぱい続く。

同じ遺伝子のクローン

すなわち一面のハス田に植わるレンコンは、同じ株の遺伝子を引き継ぐクローンなのである。これによって一定の品質が保たれる。霞ケ浦周辺で代表的なのは金澄(かなすみ)と呼ばれる系統。シャキシャキ感ある食味が消費者に好まれ、よく肥大して多収性なのが生産者に喜ばれる。千葉県の育成農家が系統選抜という手法で品種改良したもので、1985年ごろの「金澄1号」から始まり、最終的には「43号」ぐらいまで作られたそうだ。

徳島や愛知などの産地で栽培されているレンコンは備中種が主で、ほぼ赤い花が咲くのに対し、金澄の系統は白い花になる。うっすらピンクの筋が入っており、「爪紅」(つまべに)という。霞ケ浦周辺のハス田でも赤い花が交じることがあるが、農家はこれを嫌う。前年掘り残したレンコンが地中に残ったときなど、深く潜ったハスから出た花芽に赤い花がつく。突然変異とも先祖返りともみられ、レンコンは細長く変形してしまい、白くふっくらした形状にならない。実生も同様に、品質が保証できないから取り除かれるということだ。

しかし、クローン技術で同一の品種を作り続けていると、レンコンの形状や品質が劣化したり、収量が減少したりする。このため新しい品種や系統の導入が必要になってくる。近年は、レンコンの育種家が減少し、優良品種・系統の選抜や育種の課題に取り組むのは、行政の仕事になった。県農業総合センター生物工学研究所(笠間市)が主に担っている。(続く)

「爪紅」という白い花ばかりつける7月ごろのハス田=土浦市手野

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塗装完了、ライトアップ再開 つくばエキスポセンター H2ロケット

40周年、エメラルドグリーンに つくば駅近くの科学館、つくばエキスポセンター(同市吾妻)のシンボルであるH2ロケット実物大模型の全面塗装工事が25日完了し、約4カ月間の工事を経て、一新された姿が披露された。同日夜にはライトアップも再開され、エメラルドグリーンの光が高さ約50メートルのロケットを照らし出した(25年12月11日付)。 今回の全面塗装は2014年以来、11年ぶり。昨年11月25日から足場の組み立て作業が始まった。1990年に同所にH2ロケット模型が設置されて以来、おおむね10年ごとに、基部から先端部分まで全面的に塗り替えが行われてきた。 ライトアップは工事完了に伴い、25日夜から再開された。今年エキスポセンターは、1986年4月の開館から40周年を迎えることから、ライトの色を、ロゴや看板、横断幕などに使用される40周年記念イメージカラーのエメラルドグリーンとした。これまでも、乳がん啓発月間にはピンク、世界糖尿病デーには青など、イベントに合わせてテーマカラーに変えながら常時、ライトアップを行ってきた。 館内では40周年を記念して、来場者用の記念スタンプや、館内限定で利用できる特設オンラインフォトフレームなどが用意されている。 今回の塗り替えについて、エキスポセンターの中原徹館長は「つくばエキスポセンターのH2ロケットの再塗装が無事終了した。つくばのランドマークであるロケットをきれいな姿で皆様に披露できることをうれしく思っている。是非、新品のようになったロケットを見にきていただけたら」と語った。 エキスポセンターは、1985年に開かれた「科学万博つくば’ 85」の第2会場として建てられ、万博閉幕翌年の1986年に科学館として再オープンした。当時、世界最大だったプラネタリウムをはじめ、万博関連資料が展示されているほか、最先端の科学技術をわかりやすく紹介している。 今回、お色直しされるH2ロケットの模型は、初の純国産大型ロケットとして1994年に1号機が打ち上げられた「H2」を模したもので、1989年の横浜博覧会で展示された模型を1990年6月にエキスポセンター屋外展示場に移設した。(柴田大輔)

J:COM茨城が「JCOMマーケティング茨城支社」に 4月から

茨城県南を中心に事業展開するJ:COM茨城(登記名は土浦ケーブルテレビ、本社土浦市真鍋)の名称が4月から「JCOMマーケティング茨城支社」に変わる。親会社JCOM(本社東京千代田区)のグループ組織再編に伴うもので、J:COM茨城は存続会社ジェイコム東京(4月からJCOMマーケティング)の地方部門になる。サービス内容は変わらないという。 土浦ケーブルテレビは1983年、土浦市や地元有力者の出資で設立された。元々は有線によるテレビ番組を提供する会社だったが、現在では、通信ケーブルや光ファイバーケーブルを使い、多チャンネルテレビ、インターネット接続、固定電話サービスのほか、ネット防犯カメラ、太陽光発電パネル設置なども扱う会社になった。 事業拡大の過程で、住友商事が出資するJCOMの傘下に入ったが、登記上の社名は「土浦ケーブルテレビ」を維持してきた。ところが親会社のJCOM(現在はKDDIも折半出資)が大規模な組織再編を実施。全国展開するケーブルテレビ子会社9社のうち、ジェイコム東京が存続会社になり、J:COM茨城など残り8社を吸収合併することになった。 県央にも進出へ J:COM茨城の海老澤孝一社長(4月から支社長)は再編の利点について ①契約者が東京などに引っ越した場合、そのエリアに支社(3月までは系列会社)があれば契約が社内の手続きで済むので、契約者には便利になる ②現在のサービス地域を広げる場合、同じ社内の人事で要員確保が可能になるので、スムーズに事業展開ができる―などを挙げた。 J:COM茨城の現サービ地域は、かすみがうら、つくばみらい、つくば市の一部(茎崎地域など)、阿見町、美浦村、牛久、取手、守谷、常総、石岡、土浦市、利根町、龍ケ崎市。2月末の加入世帯は、ケーブルテレビ5万3000件、インターネット5万900件、固定電話4万5400件、モバイル8638件。 同社は「茨城はケーブル事業者が少なく、県庁所在地に事業者がない唯一の県。すでに事業者が存在する日立、県西、つくばの各エリアには出ないが、今後、県央、県北、鹿行には、他社ケーブルを借りる形で出て行く」(海老澤氏)と話す。特に水戸エリアを重視している。(坂本栄)

友達を定義できるか《土浦一高哲学部「放課後の哲学」》5

【コラム・1年 月山望】 「今日友達がさぁ」 こんなふうに話すとき、「友達」という言葉はどのような人を指すだろうか。本当に親しい人、よく話をする人、果てはただのクラスメートまで。このように、友達という単語にはあまりにも多くの意味がある。 私は昔から、親や先生がクラスメートを友達と同じ意味で使うことに反感を抱いていた。よく話をする人と話さない人、気が合う人と合わない人、クラスメートの中にもいろいろいる。これらの人々をすべて友達とするのは、私には無理がある。 「クラスメートなどというものは、しょせん同じ空間にいるだけの他人であり、友達というに値しない」。そんなふうに考えたこともある。しかし、世の中にはクラスメートは全員友達である、という価値観の人もいる。(おそらくクラスLINEを作るのはこのようなタイプの人間だと、私は思う)。この違いは一体なんだろう。友達とは、いったいどこからいえるのだろうか。 私には、たまにしか会わないが、信じられないほど馬が合う友達がいる。それは一体どういうことなのかを考えてみると、その友達は、会わない時間など気にならないくらいに、気軽に話せる気の合う人だ。だとすると、私にとって友達と言える人の条件は「会わない時間が気にならないくらい、性格の相性が良い人」ということなのだろう。 しかし「クラスメートはみんな友達」という理論の持ち主は、おそらく私と全く異なる価値観で友達を考えているのだと思う。そのような人は、何をもって他者を友達と考えるのだろうか。おそらく「一緒の空間にいる(いた)こと」ではないかと私は考えている。例えば一緒のクラス、一緒の部活などが考えられる。「クラスメートはみんな友達」という理論の持ち主は、同じ空間を共有している(いた)人に、気軽に声を掛けることができるタイプの人たちなのではないか。であれば、クラスメート全員を友達と認識していてもおかしくない。 そこで問題になるのは、感情が一方通行であることだ。相手の意思とは関係なく、自分が友達だと思えればいいという考えだといえる。それは、私が考える友達とは異なるものだ。一方で、私にとっての友達の条件が、クラスの全員に当てはまることもないだろう。私が考える友達の条件も、私だけのものなのかもしれない。 ここで改めて今回のテーマである、友達を定義できるか考えてみよう。ここまで見てきたように、私と他の人の考える友達の条件は、全く異なるものであり、私と私の友達の間ですら、もしかすると異なった認識でいるかもしれない。友達に対する価値観は、それぞれ異なるものであり、あやふやなものだと言える。どこからが友達と言えるのか。そんなものは自分の主観でしか決められないのだ。しかし、だからこそ、私たちは他者と友達になることができるのではないだろうか。定められた友達という型に、他人を、自分を無理やり押し込めるのは、あまりに難しい。なんとなく話しかけてみる、距離を縮めてみる。それは、定義された友達を目指すことよりずっと簡単なことだ。 定める必要などなく、ふと気がついたらそうなっている。友達とはそんなものなのかもしれない。そうなると、友達を定義できるか?に対する私の答えは「定義できない」だ。