月曜日, 7月 13, 2026
ホーム土浦31日で営業に幕 JRに精通の旅行窓口、びゅうプラザ土浦駅

31日で営業に幕 JRに精通の旅行窓口、びゅうプラザ土浦駅

【橋立多美】JR土浦駅の改札口そばにあるJR東日本の旅行センター「びゅうプラザ土浦駅」が31日、閉店する。オープンしたのは1992年10月1日。27年間の営業に幕を下ろす。

水戸支社総務課広報室は「旅行商品のインターネット予約・販売が主流になるなどのお客様のご利用実態などを総合的に勘案し、閉店を決定した」とする。

同駅には、主にJR東日本の鉄道を利用したパック旅行を取り扱う「びゅうプラザ」、JRの乗車券類を販売している「みどりの窓口」、みどりの窓口とほぼ同じJR券を販売している指定席券売機と近距離の乗車券類を販売する自動券売機が設置されている。「びゅうプラザ」と「みどりの窓口」は一体化した施設で、「びゅうプラザ」は閉鎖されるが「みどりの窓口」は従来通り存続する。

びゅうプラザは最大で180店を数えたが、現在は約3分の1の65店舗まで減少しているという。水戸支社管内の常磐線(藤代駅~福島県の新地駅)ではかつて牛久駅と友部駅に存在した。2010年代に店舗縮小が加速し、15年に日立駅と原ノ町駅、18年にいわき駅から姿を消した。土浦駅のびゅうプラザが閉店し、水戸支社管内では水戸駅のみとなる。

今後は、インターネットやスマホで指定席券を予約する「えきねっと」(www.eki-net.com/travel/)と、電話による申し込み「びゅう予約センター」(0570-04-8928)の対応となる。

「びゅうプラザ」はJR主催の旅行商品を取り扱うだけでなく、旅の相談窓口として旅行愛好者らに親しまれてきた。特にJRについては一番精通して取り扱っている窓口だけに閉店を残念がる人は多い。窓口跡の利活用について同広報室は「駅の状況を見ながら有効活用を検討したい」と話している。

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つくば市二の宮公園前のギャラリーネオ/センシュウで10日、沖縄県出身で大子町在住の美術家、上原耕生(こうお)さん(44)による個展「路上の記憶、滲(にじ)む暮らし2026」が始まった。トタンに特殊加工をして描かれた作品を中心に21点が展示されている。2025年から26年にかけて作られた。描かれているのは、沖縄の「路上」から見える風景だ。明治政府による琉球処分、沖縄戦、戦後の米軍統治、本土復帰―。歴史の大きなうねりに翻弄(ほんろう)されながらも暮らし続けてきた人々の視点を、「路上」という生活者の目線から描き出している。 上原さんは1982年、沖縄県那覇市生まれ。成安造形大学で美術を学び、東京芸術大学大学院への進学を機に茨城に移り、現在も県内を拠点に制作を続ける。2011年からは大子町の精神科病院、袋田病院でのアート活動に携わり、13年からは同病院で患者や利用者の社会参加と地域交流を目的とした「アートフェスタ」の実行委員長を務めている。 戦争と地続きの歴史の中にある沖縄 上原さんが描き続ける「路上」は、自身が幼い頃から見てきた沖縄の日常そのものだ。「日常の中に、80年前の戦争のことが今も続いているのが沖縄」だと話す。その象徴として挙げるのが、不発弾だ。現在も、工事のたびに80年前の不発弾が見つかり、住民は避難を余儀なくされる。 「年間に何百件と起きている。その度に、『爆破処理する何時何分、半径何キロ以内から離れてください』という知らせのビラが配られ、家から離れなければいけなくなる。本土の日常で『不発弾処理だから、ちょっと避難しよう』なんて会話はないですよね。これが、戦後80年以上経つ沖縄の日常です」 戦後生まれの上原さんにとって、自らの故郷をより意識するようになったのは、90年代後半に本土へ進学してからだった。当時は沖縄を舞台としたドラマや県出身の人気歌手らが注目を集めた時期で、沖縄が好意的に受け止められる一方、親や祖父母の世代には差別や偏見の記憶が色濃く残っていたという。 「もっと上の世代は、沖縄の言葉を話さないようにしたり、本土風に名前を変えたりした人もいた。遅れた文化のように紹介されるなどし、コンプレックスを抱える人もいた。僕たちの世代が、そういう歴史も含めて沖縄というものを背負っていくのかなと思っている」 銃剣とブルドーザー、コザ騒動 会場には、米軍による土地の強制接収を描いた作品「銃剣とブルドーザー」も並ぶ。 「第2次大戦後、沖縄がアメリカ統治時代になり朝鮮戦争やベトナム戦争が始まった。当時、米軍の拠点となったのが沖縄だった。軍事基地を拡張していったのが50年代。当時、沖縄の人たちが耕していた土地に米軍が現れて、銃剣を突きつけて、ブルドーザーで一夜にして米軍基地にしてしまうということがあった。それに抵抗する人たちがいた。その一場面を描いたのがこの作品。そこから沖縄の土地闘争、米軍への抵抗、自治の要求が続いている。私たちは、祖父母や親の世代から『この土地は誰の土地なのか』という話を聞いて育った」と話す。 米軍支配に対する沖縄住民の不満が爆発する1970年の「コザ騒動」を題材にした作品も展示する。米兵による事件や事故が繰り返されても、当時の沖縄では十分な法的救済が受けられなかった。「学校では基本的人権や法の下の平等を学ぶのに、沖縄ではそれが適用されない。その矛盾があった。それがコザ暴動の背景でした」 一方で、上原さんの祖父は当時、コザで写真館を営み、ベトナム戦争へ向かう若い米兵たちの記念写真を撮影していた。「出征する前に『死ぬかもしれないから』と記念写真を撮って家族に送った若い兵士たちがいた。死ぬつもりはないけど、みんな写真を撮っていく。そのまま帰ってこない人もいたそう。コザは、そういう町でもあった」という。 普天間、辺野古、「間」に置かれ続けた土地 米軍基地がある普天間や辺野古を描いた作品も並ぶ。基地を囲むフェンスや、爆音を響かせ頭上を軍用機が飛ぶ光景は、上原さんにとって特別なものではなく、幼い頃から路上で見続けてきた日常だった。「上空から落ちてきた部品が家や学校の屋根を突き破ったりということも日常。僕が中学校の時には、小学生の女の子が海兵隊員に暴行される事件も起きた。沖縄に住んでいる人たちはずっと同じなんです」 上原さんは沖縄を、地理的にも政治的にも多様な国や地域の「間」にある場所だと話す。「周囲の環境や時代が変わることで、自分たちが『何人(なんびと)』なのかまで変えられてきた。自分はずっと同じつもりでも、時代によって国籍や見られ方が変わってしまう。そんな宿命を背負っているのが沖縄。そのルーツを考えている」 そして、沖縄に伝わる「クェーヌクサー」という言葉を紹介する。「艦砲射撃の食い残し」を意味する言葉だという。「アメリカとの戦闘で艦砲射撃があって、沖縄の島全体がやられた。その生き残りである人たちが、自分たちのことを『艦砲射撃の食い残し』と皮肉を込めて言う。全部食べられて、断末魔のように何十万人と死んだけど、自分たちは食べ残されて生き残ったんだよ、という意味。民謡にもある言葉」だという。 トタンとサビを作品に 作品は木枠に打ち付けたトタンに、特殊加工を施し広がるサビによって描かれる。米軍資材として普及したトタンは、沖縄の歴史とも重なる素材だ。時間とともにサビが広がり、搬入時とは表情を変える作品もある。 「トタンやサビが持つ無骨な感じが好き。自分のやりたいことと合っていると思っているし、サビは自分でコントロールできないところが面白い。偶然性も作品の一部」 沖縄を離れたことで、自分とは何者なのかを考えるようになったという上原さん。その問いは、沖縄の歴史へとつながっていった。「沖縄に生まれたっていうのは、自分ではどうしようもない。歴史や政治の大きな流れの中で、逃れられない自分のルーツ」 一方で、「作品を見る入口は歴史だけでなくていい」と話す。「作品を見て、『こういう作品があるんだ』と思ってもらって、沖縄でこういう出来事があったんだと知るきっかけになればうれしい」。「まずは絵に興味を持ってほしい。作品の質感に『いいな』『かっこいい』と思ってもらえたら。みんなが歴史に詳しいわけじゃないので、まずは普通にアートとして見てもらえたらうれしい」と語る。(柴田大輔) ◆上原耕生個展「路上の記憶、滲む暮らし2026」は、7月26日(日)まで、つくば市千現1-23-4 101、ギャラリーネオ/センシュウで開催。開館時間は午後1時から午後6時まで。開館は金曜から日曜のみ。月曜から木曜は休館。入場無料。問い合わせはメール(sen.jotarotomoda@gmail.com)で。

県産農産物輸出に頑張る人たち《邑から日本を見る》196

【コラム・先﨑千尋】6月、茨城県営業戦略部は、昨年度の県産の農産物・加工食品の輸出実績が前年比127%増え、120億円を突破したと発表した。内訳は、農産物が48億円(青果物など33%増、米24%増、畜産物43%増)、加工食品が73億円で、いずれも過去最高。中でも甘藷(かんしょ)のアジア向けが堅調に増加し、常陸牛は3倍以上に伸びた。 私は、同月に「農業協同組合新聞」が水戸市で行った輸出関係者の座談会を傍聴し、苦労話などを聞く機会を得たので、そのエキス部分をお伝えする。出席者は、なめがたしおさい農協の金田富夫組合長(甘藷)、北つくば農協の川津修組合長(米)、県常陸牛振興協会の谷口勇事務局長、進行は県農協中央会農業政策アドバイザーの萩谷茂さん。 金田組合長は、なめがた農協職員の時、甘藷の需要を伸ばすためにスーパーの店頭で焼き芋販売を始めた。その苦労が実り、今では4000を超えるスーパーの店舗で通年販売している。海外進出を本格的に始めたのは2016年。東南アジアやカナダなどへ年間1000トン、約3億円を輸出している。2017年に農林水産祭での大賞、天皇杯を受賞したので、日本の食文化を海外に発信しようと考えた。 国内販売用の「焼き芋の話」というマニュアルを英語に翻訳し、品種の特性や焼き方、貯蔵の仕方などを現地の人に説明している。国際基準に対応した品質管理が求められるため、アジアGAP(農業生産の各工程の実施、記録、点検、評価を行い、食品の安全性向上、環境の保全などに役立てるためのガイドライン)を取得。生産者はその基準に沿った作付けをしている。 「国内では売れないから海外へという考えではなく、産地として日本の代表というプライドと自信を持って輸出することが大事」と金田組合長は強調した。 北つくば農協は、いち早く農家からの米の全量買い取りを始めたことで知られている。2014年に卸業者から米輸出の話があり、14トン輸出したのが始まりで、海外の日本食ブームにより和食の店が増えてきたことから輸出に力を入れてきた。農協では、生産者が継続し、責任を持って取り組むグループとして米輸出協議会を組織し、出荷者は200人を超え、2025年には2200トンを輸出した。 人気ある日本のお米 「海外ではジャパンライスはおいしいという評価が定着している。インバウンドで日本に来ておいしいおにぎりを食べ、回転寿司も人気がある。日本に来て、和食のおいしさが分かった人にはジャパン産の米を食べたい需要がある。またその土地、その地域、国民性に合った食べ方も含めて一緒に輸出することが必要だ」と話した。 常陸牛は牛肉の世界では後発のブランドだ。15年前の生産頭数は5000頭くらいだったが、昨年度は1万2000頭を超え、和牛に占めるシェアも上がってきている。牛肉の輸出は2014年にベトナムへの400キロがスタート。ベトナム、タイ、シンガポールを中心に輸出を始め、現在ではイスラム圏やアメリカ、カナダへと販路を拡大している。 谷口事務局長は「国内での必要な生産量を確保し、海外へは付加価値を付けて、生産者の経営が安定するような輸出をする。現在でも海外輸出の価格は国内の流通価格よりも高くしている」と今後の方向を示した。(元瓜連町長)

土浦湖北、伊奈を8回コールド【高校野球茨城’26】

第108回全国高校野球選手権茨城大会は7日目の12日、2回戦が行われた。J:COMスタジアム土浦の第1試合では土浦湖北が伊奈と対戦。手堅く試合を進めた土浦湖北が8回コールドで伊奈を下した。 12日 2回戦 J:COMスタジアム土浦 第1試合土浦湖北 20012012 8伊  奈 00000100 1 土浦湖北が初回からペースを握った。1番・杉村大雅と2番・来栖快理の連打から、3番・真家大和が送って1死二・三塁とし、4番・豊﨑匠朗の中前適時打で2点を先制。「下級生がつないでつくってくれたチャンス。1点でもいいから報いたいと、浮いたスライダーに対しコンパクトにバットを振っていった。ゴロで捕られるかと思ったが、案外鋭い打球だったようで内野の間を抜けてくれた」と豊﨑の振り返り。 2・3回の土浦湖北は得点こそ成らなかったが、下位打線がファールや待球で粘り、相手投手に球数を使わせた。その甲斐あってか4回には追加点。5番・守井蒼人が死球で出塁、7番・中島壱成の右前打で1死一・三塁とし、8番・長谷川颯大の二ゴロの間に守井が生還した。また5回にも来栖快、真家、豊﨑の3連打で2点を加えた。 土浦湖北のマウンドを守ったのは2年生エースの来栖鳳雅。「相手打線はスイングが速く、負けないよう一生懸命腕を振っていった」と話す。初回はスライダーが低めに外れカウントを悪くしたが徐々に調子を上げ、5回まで2安打1三振1四球に抑えた。最大のピンチは6回、2安打と1死球で1死満塁。マウンドに集まった仲間からは「点差はあるので大丈夫。難しく考えすぎず、一つずつ確実にアウトを取っていこう」と励まされた。内野ゴロで1点を失い、さらに満塁とされるが、最後は三振でこの回を乗り切った。 これで流れは再び土浦湖北へ。7回表、先頭の来栖快は「アウトコースに張っていて、どんぴしゃの球が来た」と会心の当たり。打球は右翼への長打で来栖快は三塁へ滑り込んだが、右翼手の送球の乱れを見て立ち上がり、そのまま本塁へ突入した。続く8回表も、先頭の中島が四球を選び、杉村の左前打で生還、さらに来栖快の左前打で杉村も生還し、この回2点を加えた。 「11安打と打線がつながり、失策ゼロとよく守ってくれた。特に1回と5回の豊﨑のバッティングが大きく、好機に迷いなく振り抜いてくれた」と片岡良祐監督。3年生が3人しかいないチームで、主将で正捕手、4番打者といくつもの役割を兼ねる豊﨑の存在は非常に大きいという。投手の来栖鳳については「一生懸命投げ、いいゲームを作ってくれた。苦しい場面は必ず来るよと話していたが、よくぞ乗り切ってくれた」、この日5打数4安打と大暴れの来栖快については「打って走って最終回はダブルプレーの起点にもなり、攻守ともに頑張ってくれた」と、それぞれ讃えた。 土浦湖北の次戦は15日、ノーブルホームスタジアム水戸の第1試合で、水戸葵陵と対戦する。(池田充雄)

土浦一、接戦の末 シード校 境に敗れる【高校野球茨城’26】

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