木曜日, 1月 27, 2022
タグ 戦後75年

Tag: 戦後75年

【語り継ぐ 戦後75年】③ 物言わぬ証言者 予科練生の遺品を収集

予科練戦没者の遺品や遺書を保管、展示する「雄翔館」が、阿見町青宿、陸上自衛隊武器学校内にある。第2次世界大戦中、予科練生を訓練した土浦海軍航空隊があった場所だ。特攻隊員として出撃した少年らを訓練し、約1万9000人の死者を出した。 陸上自衛隊事務官として武器学校に勤務する行方滋子さん(48)は10年ほど前から、インターネットオークションなどで予科練の遺品を自費で収集している。 2009年、武器学校広報援護班に異動となり、雄翔館の案内を担当したことがきっかけ。来館者にきちんと伝えたいと予科練について勉強し、10代後半の予科練生たちがどう生きたのか、真実を正しく伝えたいという思いを強くした。 これまでに収集した遺品は、人間魚雷「回天」の特眼鏡(潜望鏡)、予科練で使用された教科書、日の丸の旗に書かれた寄せ書き、割られた杯(さかずき)、当時のアルバムなど240点に及ぶ。杯は、水杯として出征時に割られ神社境内に埋めたものを、後日、母親が掘り起こして金継ぎし保管していたものだという。「母親は、割った杯を継いで元に戻せば息子が帰ると信じていたのだと思う」と行方さん。 予科練にまつわる全国各地の戦跡を回り、生存者や遺族なども訪ね歩いた。「回天」の訓練基地だった山口県大津島、米軍の機銃掃射を受け貨物船に乗船していた予科練生82人が犠牲になった兵庫県淡路島、特攻隊の出撃基地だった鹿児島県知覧や鹿屋などを訪ねた。 さらに生存者や遺族15人ほどの証言を集めた。初めて証言を聞いた元予科練生は、2013年に96歳で逝去したかすみがうら市の角田和男さんだった。太平洋戦争時、撃墜王と呼ばれた海軍中尉で、戦争末期には特攻機を目的地まで援護する役割の直援機でたびたび出撃した。戦後は開拓農民として農業に従事する傍ら、遺族を訪ねたり、南方で慰霊を行うなどした。

【語り継ぐ 戦後75年】② 北海道発「土浦からの便り」を届ける

【相澤冬樹】松岡義和著「土浦からの便り」という本がある。サブタイトルは「北見出身海軍予科練習生の記録」、1992年に北海道の郷土出版社、北見叢書から刊行になった。土浦市立図書館に照会すると蔵書になく、県立はじめ県内の図書館を検索できるレファレンスサービスでも所蔵を確認できなかった。ネット経由で取り寄せると共に、著者の健在を聞いて、北海道北見市に松岡義和さん(82)を訪ねた。 七つボタンの下は傷だらけ 著作にいう「土浦」は、土浦海軍航空隊、いわゆる「予科練」のこと。1939(昭和14)年、阿見町青宿の霞ケ浦畔に設置され、全国から志願してきた14歳半から17歳までの少年を試験で選抜し、搭乗員としての基礎訓練をした。戦争末期には神風特別攻撃隊(特攻)の主力となった。予科練出身の戦没者は1万8564人を数える。基地は現在、陸上自衛隊土浦駐屯地(武器学校)になっている。 「便り」は、1943年6月に15歳で海軍予科練習生(甲種12期)として入隊、45年4月28日に沖縄戦で特攻死した竹村久志が、北海道訓子府町(くんねっぷちょう)の実家に書き送った25通の軍事郵便と2通の遺書に基づいている。配属された名古屋海軍航空隊で書かれたものや、出撃基地となった鹿児島国分第二基地で書かれたものも含まれるが、「北海道では予科練といえば土浦が代名詞、逆に土浦といえば今も予科練以外のイメージは浮かばない」と松岡さん。同じ時期、北見地方から入隊した予科練生数人の足跡も追っている。 現在、北見市で私設の絵本美術館を運営している松岡さんは名寄短期大学の元学長、劇作家や画家の肩書もある。竹村はその叔父に当たる。松岡さんの母親の実家が竹村家で、12人の兄弟姉妹の長姉、久志が末弟だった。 竹村家に男子は4人いたが、長男(茂)はビルマ、2男(信雄)は北支、3男(実)はシンガポールに出征しており、4男(久志)が軍人になるには志願する以外になかった。家業の雑貨店は戦時中、母親のツタ(1974年没)、妹の佐津子ら残った女性たちで細々と維持していたが、やがて売る品もなく廃業した。兄3人は戦後復員している。

【語り継ぐ 戦後75年】① 6日から土浦で「2020原爆と人間展」

【田中めぐみ】広島市の高校生が描いた原爆の絵30点や写真パネルを展示し、戦争の悲惨さや核兵器根絶を訴える「2020原爆と人間展」が6日から、土浦市大和町の茨城県県南生涯学習センターで開かれる。9日まで、入場無料。 同展は被爆から60年の2005年から始まり、今年で16回目。主催する土浦平和の会の事務局長で、県平和委員会常任理事の近藤輝男さん(79)は、「展示を通し、核兵器の問題についてもっと多くの人に関心を持ってほしい」と話す。近藤さんに平和活動への思いを聞いた。 土浦平和の会の事務局長近藤輝男さん 戦中・戦後、ひもじかった原体験 近藤さんは1941年、長野県飯綱町で生まれた。叔父は戦争で亡くなったという。親からも戦時中苦労した話を聞いていた。物心ついた頃は食べる物が少なく、ひもじい思いをした。田舎だったので、都会の人が着物を食べ物と交換しにくる様子もよく見たという。よく食べていたのはじゃがいもとご飯を混ぜた芋めしや、麦の割合が多い麦めし。

Most Read

内臓脂肪に機能性成分 農研機構開発ミールセット、3月発売へ

超高齢社会に向け、健康維持に配慮した食事を摂ってもらいたいと農研機構(NARO、つくば市)の設計したミールセットが近く、売り出される。26日、お披露目されたのは「NARO Style PLUS(ナロスタイルプラス)」。特に内臓脂肪の低減が期待される献立になっている。 ミールセットは50%もち麦ごはん、おかず4種類、緑茶粉末から構成される。β-グルカンを含むもち麦「キラリモチ」、カテキン豊富なお茶「べにふうき」など機能性成分を盛り込んで10メニューを用意した。 機能性表示食品制度の始まった2015年から、農研機構はその科学的根拠を確認する研究を推進してきた。陣頭指揮に当たったのが食品研究部門の山本万里エグゼクティブリサーチャーで、機能性成分を多く含む農産物を使用した弁当メニューの「NARO Style」を設計。18年からは肥満傾向にある被験者を対象にヒト介入試験を行い、平日の日中1食を一定期間継続して食べることで、内臓脂肪面積の減少が認められたと報告した。特に女性がもち⻨ごはんを摂取すると、他の機能性農産物より顕著に内臓脂肪が低下した結果が得られたという。 ヒト介入試験(2017)の結果 試験開始内臓脂肪面積が100〜127㎠の被験者や女性被験者が50%もち麦ごはんを摂取すると、他の機能性農産物群より顕著に内臓脂肪面積が低下した=農研機構提供 今回の「- PLUS」は製造、販売にフローウィング(本社・兵庫県姫路市)の参画を得て、量産体制を整えた。献立は、おかずを弁当の3種類から4種類に増やした。酢鶏などをメーンに豆類を素材とした副菜を追加している。管理栄養士によれば、10メニュー平均で1食当たり584キロカロリー、たんぱく質28グラム、脂質17グラムと栄養バランスを整えた。食塩相当量は1.35グラム、通常販売されているお弁当の約2.5グラムと比べ大幅な低塩分を実現した。

関東にも降灰の影響 巨大噴火火砕流の分布図公開 産総研

南太平洋の島国、トンガで起きた海底火山の噴火で津波が日本まで押し寄せ、大規模噴火の影響が広範囲に及ぶことを示した。日本には過去10万年でトンガの噴火の100~10000倍もの爆発を起こした火山が数多く存在する。それらの巨大噴火により火砕流がどれくらい広がったのかを示す図が「大規模火砕流分布図」として産総研活断層・火山研究部門(つくば市東)からシリーズで刊行されることになり、第1号として約3万年前の姶良(あいら)カルデラ(鹿児島)の巨大噴火により噴出した入戸(いと)火砕流の分布図が25日に公開された。 姶良カルデラの巨大噴火は火山爆発指数7で、トンガの噴火の約100倍(体積比)も大きかった(上図)。シリーズ刊行に当たり新たなボーリング試料や海底での火砕流分布のシミュレーション結果も検討した結果、入戸火砕流と火山灰の総噴出量800〜900立方キロメートルであることが明らかとなった。これは従来の推定値より約1.5倍大きい。図幅では火砕流に伴う降灰分布も示しており、関東地方では10センチ程度積もったと推定されている。 関東地方では姶良カルデラ以外にも、巨大噴火による火山灰が積もっている(下図)。 関東地方に降灰をもたらした噴火と推定降下範囲。ピンク色が入戸火砕流にともなう姶良Tn火山灰、緑色が阿蘇4火砕流に伴う火山灰、青色が鬼界カルデラ起源の幸屋火砕流にともなうアカホヤ火山灰、オレンジ色が阿多火砕流に伴う火山灰の分布=同 姶良カルデラは約3万年前の噴火しか確認されていないが、鬼界カルデラ(鹿児島)は約7000年前と約9万5000年前の2回、阿多カルデラ(鹿児島)は約10万年前と約24万年前の2回、阿蘇カルデラ(熊本)は約27万年前、約14万年前、約13万年前、約9万年前の4回の巨大噴火が確認されており、いずれも火山爆発指数は7、約9万年前の阿蘇カルデラの噴火の火山爆発指数は8と推定されている。これらの火山についても順次、大規模火砕流分布図が公開される予定で、関東地方に具体的にどれくらい降灰があったかについても最新の知見が公開される。 下司信夫研究グループ長は「降下火山灰の対策については難しいところがあるが、どうやって除去するかが大きな課題になる」としている。(如月啓)

洞峰公園の薔薇とイギリス文化の香り《遊民通信》33

【コラム・田口哲郎】前略 初夏のころ、つくば市にある洞峰公園のプール棟前には薔薇(バラ)の花が溢(あふ)れます。ローズガーデンさながらの種類と本数です。この薔薇園を特に入場料を払わずに鑑賞できるのは、とてもありがたいと思います。色とりどり、鮮やかさなど、さまざま楽しめるのはもちろん、香りがとてもよいのです。あまり強くなく、かすかですが、ふわっと心地よく、非日常に連れていってくれるような匂い。デパートに売っている高級な香水を思わせます。 さて、私は夢中で写真を撮ったのですが、ある写真を見返して思わずつぶやきました。「こりゃ、イングリッシュだな」と。マリーナという品種が、プール棟のレンガ風外壁とガラス屋根を背景に濃いオレンジ色に咲きほこっています。 西洋の伝統を感じさせるレンガと近代を物語るガラスに薔薇とくれば、水戸偕楽園の好文亭に梅林といったおもむき。イングリッシュの本体もそばにありました。クィーン・エリザベス。「われらが女王陛下のために」と、どこかで聞いたことがある言葉が思い浮かぶほど、その薔薇は我こそ薔薇なりと言わんばかりに堂々と咲いていました。 クィーン・エリザベスで思い浮かんだ言葉は、シャーロック・ホームズのセリフだった気がします。19世紀、大英帝国華やかなりし時代の物語です。シャーロックは犯罪者を推理のすえ、いよいよ追いつめようと、相棒のワトスン君とベーカー街の部屋を飛び出すときにそう言います。そういえば、NHK BSでイギリスのグラナダテレビジョン制作の「シャーロック・ホームズの冒険」が絶賛再放送中です。

雪の降った日に 《続・平熱日記》102

【コラム・斉藤裕之】新年早々降り始めた雪。たまたま初売りで買った長靴がこんなに早い出番を迎えるとは…。犬のハクは散歩が待ちきれない様子。歌にあるように、犬は雪の中でテンションが上がることは間違いない。ただ喜んでいるのかどうかは分からない。とにかく白い雪の中を狂ったように走り回る。 白い犬だからハクという名前なのだが、真っ白い雪の中にいると白くもなんともない。むしろ小汚くさえ見える。 白という色を初めて意識したのは…。自分の才能も顧みず、親や先生の忠告を無視して絵を描こうと決めた高3の夏。門をたたいた絵画教室で私を待ち受けていたのは、石膏(せこう)像と呼ばれる白い胸像たち。そもそも、黒い木炭で白い物を描くという時点でお手上げなのだが、朝から日没までひたすら石膏像を描く日々。 そして、絵を褒められることはついぞなかったが、「斉藤はがんばっちょる」という先生の一言で夏は終わった。 それからどのくらいたったのだろうか。白い石膏像が美しいと思えたのは、黒い木炭が影を自在に描く道具だと分かり、しかもその影は暗いのではなく仄(ほの)明るいと分かったとき。石膏像は柔らかな白だと分かったとき。なるほど「日」と「白」という漢字は関係があるような気がする。 群れてしまうと灰色になる?