月曜日, 9月 26, 2022
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つくば市、4年連続不交付団体 21年度市町村普通交付税

茨城県は市町村分の2021年度普通交付税決定額を公表した。自治体が普通交付税に頼らず、自前の税収で財政運営を図る不交付団体は、昨年度と同じつくば市、神栖市、東海村の3市村だった。つくば市が不交付団体となるのは2018年度から4年連続。 コロナ禍、税収減り交付額6.9%増 3市村を除く41市町村はすべて交付税額が増加した。増加率が40%以上の市町村は、守谷市(前年度比6.6倍)、ひたちなか市(69.6%増)、五霞町(46.6%)の3市町で、新型コロナの影響により企業や住民の市町村民税などが減少したことが主因という。 市町村分の交付決定額は総額で1522億3200万円で、前年度と比べ6.9%(98億5600万円)増と、3年連続の増加となる。一般財源不足に対処するため発行する地方債である臨時財政対策債(地方交付税の振替としての性格を持ち一般財源と同様に活用できる)への振替額(456億6400万円)を加えた実質的な交付税額は、1978億9600万円と、前年度比15.1%増(259億7000万円増)となった。 市町村分の変動要因について県は、コロナ禍による市町村民税の減により、市町村の財政力を示す基準財政収入額が大きく減少し、基準財政需要額の減少などを上回ったことにより、交付税額が増加した(県市町村課)としている。 一方、茨城県の交付決定額は1866億7800万円で、前年度と比べ4.4%(79億700万円)増となった。臨時財政対策債への振替額(900億4000万円)を加えた実質的な交付税額は2767億2000万円となり、前年度より20.3%(466億4100万円)増加した。主な要因は社会保障関係費の増加や地域デジタル社会推進費の創設、法人関係税の減少によるという。(山崎実)

つくば市などが不交付団体 2020年度普通交付税

【山崎実】超高齢社会の進展や人口減少、コロナ禍によるかつてない減速経済の中、国が交付する2020年度普通交付税の市町村分が県から発表された。総額は、前年度比42億3800万円増の1423億7700万円となり、2年連続の増加となった。 一般財源所要額を税収で賄うことができる不交付団体は、つくば市、神栖市、東海村の3市村。昨年度まで不交付団体だった守谷市は3年ぶりに交付団体になった。神栖市は合併特例の適用で今年度まで旧波崎町分の交付税が交付される。 今回、交付決定額が増加した36市町村のうち、増加率20%以上となったのは守谷市、鹿嶋市、阿見町の3市町。社会福祉費の増加による基準財政需要額の増加に対し、企業の収益源に伴う市町村民税(法人税割)、固定資産税(償却資産)等の減少が影響したとみられる。 一方、交付額が減少したのは神栖、ひたちなか、古河、日立、鉾田、常陸大宮の6市。市町村民税(所得税)や、企業の設備投資にかかわる固定資産税(償却資産)の増加等が要因とされる。 コロナ禍後の財政運営は厳しくなることが予想され、財政基盤をどう維持していくか、市町村の力量が問われる。 県分は2年連続増加

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5位でシーズン終える つくばFC 最終戦は黒星 

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耕作放棄地を黄色く染めたい 染色家らがプロジェクト 筑波山麓

つくば市作谷で染色体験教室「ぷにの家」を開いている飯塚優子さん(50)が提唱する「耕作放棄地をお花畑にして地球を黄色く染めよう」プロジェクトが佳境を迎えている。作谷の耕作地で、このほど第4回「お花畑を空から見てみよう~ドローンで撮影&お花つみ会」が催され、10月2日の「お花つみ&マリーゴールド染め」で最終回を迎える。 プロジェクトは、不登校児童生徒の支援などをするリヴォルヴ学校教育研究所(つくば市二の宮)が運営する地域文化スポーツクラブ「むすび場」との2団体による企画。作谷にある約2000平方メートルの畑地を耕し、6月からマリーゴールドの苗を植え、草取り、花摘み、染色など全5回の行事を積み重ねてきた。 飯塚優子さんは25年のキャリアを持つ染色家(21年10月30日付)。転勤族の親のもと様々な土地で生活してきたが、田舎暮らしへの憧れから、作谷にある祖母の暮らす築300年の家で生活を始めた。「ぷにの家」はその染色工房。「収益のためではなく、教育と地域活動の一環として」の取り組みだそうだ。飯塚さんは旧作岡小学校でPTA会長を務め、ご当地カルタを考案し、コミュニティー活動の下地をつくってきた。 飯塚優子さん 今回は「染色家なのだから、地球も染めてしまおう」と踏み出した。つくば市に13%あるとされる耕作放棄地をお花畑にすることで景観の改善を図りたい、また、持続可能な活動の重要性を子供たちに知ってもらいたいという教育的な意図から、プロジェクトを実施することにした。 しかし、実際にマリーゴールドを育ててみると、花がうまく育たない。消毒をあまりしなかったためか、ネキリムシの被害に遭った。一帯を広く黄色く染めるはずが、出来てみると5分の1の面積にしかならなかった。農薬を使いこなさないと立ち行かない農家の現実を知ることになった。「うまく花が育たないのも、自然のことだと納得した」という。

棗とナツメ《続・平熱日記》118

【コラム・斉藤裕之】今年も玄関脇の棗(なつめ)がたわわに実った。身の重さで稲穂のように枝が垂れ下がるほどだ。友人の植木屋さんによれば、うちの棗の実はかなり立派なのだそうである。参鶏湯(サムゲタン)などに使われるとか、漢方薬として体に良いとかいわれる棗だけれど、数年前に加工してビンに保存した実は一度も使ったことがない。 棗との出合いはかなり昔にさかのぼる。夏休みにまだ小さな子供たちと帰省した折、よく訪れていた公衆温泉浴場がある。海水浴に行った後などは、風呂に入れる手間がかからず安価で便利をした。 その浴場の駐車場に涼しげな木があった。それが棗だ。そのことを覚えていて植えてみた。しかし見た目にはわからなかったが、幹や枝にはかなり強烈なトゲを身にまとっていて、かなり厄介だということがわかった。特に若い枝は小さな鋭い棘がいっぱいで、不用意に触ると大変だ。なるほど、棘(とげ)という字と棗という字が似ているのは納得できる。 さて、ここに別のナツメが3つある。茶道で使うお茶の粉を入れるナツメだ。棗の実に似ているので、こう呼ばれるそうだ。これは亡き母のもので、母は茶道の先生の看板を持っていた(茶を入れたところは見たことがない。多分、日々の暮らしが忙しすぎてそれどころではなかったのだろう)。 数年前、実家を処分するときにわずかに持ち出したものの中に、このナツメがあった。恐らく、通販かなんかでシリーズものとして買ったのではないかと思われるのだが、1つは木製で黒と赤の漆が塗ってある。それから白い陶器のもの。これには梅のような花が描いてある。最後は錫(スズ)製のもので植物の蔓(つる)が彫られている。 あの3つのナツメがちょうどいい

土浦「二番橋」解体へ 古レール構造物の文化財価値不明のまま

JR常磐線をまたぎ土浦市富士崎2丁目と小松ケ丘町を結ぶこ線人道橋、通称「二番橋」が26日から通行止めとなり、架け替え工事が始まる。同じく通称「一番橋」の撤去とセットになった工事で、二番橋は22年度に撤去し、23年度の新設を待って、一番橋を24年度に撤去、25年度に工事完了となる。 2橋とも自動車は通行できない自転車歩行者用の橋で、土浦市の管理する市道。2016年の点検で、構造物の機能に支障が生じる可能性があり、早期に措置を講ずべき状態であると位置付けられた。17年度の交通量調査では、主に二番橋を周辺の住民や土浦日大生が利用している状況で、一番橋の利用者は極端に少なかった。同市はJR水戸支社や県などと調整し、二番橋は架け替え、一番橋は撤去で道路橋の統廃合・集約化を行うこととし、両側の地区にも地元説明会で理解を求めた。 工事は協定書を結んでJRの関連会社が行う。5カ年事業で総工事費は約9億9000万円を予定している。道路施設としての橋梁に係る工事費が約7億300万円。夜間工事は行わず、架け替え後も自動車は通行できない。 建設時期めぐるミステリー 二番橋付近に資材置き場が造成され、大型重機が持ち込まれた昨今、周辺の地区からの関心も引くようになった。話題の中心は、2橋の建設時期だ。同市小松の二十三夜講に集まる70代、80代のお年寄りたちに聞くと、地元育ちの全員が子供のときからあった橋だという。「汽車が来ると橋の上で煙を浴びる遊びをした。床板は枕木の廃材利用で隙間が空いていた。床板はコンクリートに変わったが、橋脚や桁(けた)は鉄骨代わりに古レールが使われた構造のままだ」 常磐線の前身、日本鉄道海岸線は1896(明治29)年に土浦・田端間で開通している。これに先立つ工事で、荒川沖駅方向から土浦市街地に抜けるルートとして小松丘陵に切り通しが出来、人道橋が架けられた。線路の敷設はその後になるはずだ。二十三夜講総代の広瀬昭雄さん(83)は「橋の原型は、鉄道建設以前にさかのぼる」と断言する。