金曜日, 4月 19, 2024
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東北本線・古河駅が面白い 《茨城鉄道物語》16

【コラム・塚本一也】前回述べた通り、茨城県内で乗車できる鉄道は11路線ありますが、これまでのコラムで、そのうち9路線を制覇しました。残りわずかとなりましたが、今回は東北本線の古河駅へ行ってきました。 古河駅は1885年に茨城県で最初に開業した駅であり、130年以上の歴史があります。建設当時は、利根川に橋を架ける技術が確立されておらず、水戸~東京間は水戸線経由で小山から東北線を利用していたそうです。古河駅を訪れたのは初めてでしたが、3つの点に驚きました。 1つは、古河駅の形態です。鉄道の駅舎は、地下駅、地平駅、橋上駅、高架駅―と、基本この4パターンに分類できますが、古河駅は、茨城県内ではTX(つくばエクスプレス)以外ではあまり例のない、高架駅という形態になります。 これは、例えば武蔵野線の駅舎のように、元々高架橋に線路があって、あとからホームを造る場合などに採用されます。しかし古河駅の場合は、駅舎だけを高架駅にして、その前後は線路が地平に降りてしまうという、ある意味、無駄な造りをしていることが不思議に思いました。 自由通路を優先して造る場合は橋上駅が基本であり、山手線の五反田駅のように、幹線道路が駅近辺を横断する場合には、高架駅が採用されます。しかし、あえて古河駅だけを高架にした理由について、元鉄道建築技術者の私は大変興味を覚えました。 東京駅・新宿駅まで乗り換えなし さらに、改札を抜けてホームへ上がると、始発駅でもないのに2面4線というぜいたくな設備にも驚きましたが、時刻表と行先の電光掲示板を見て一層驚きました。なんと、東京駅にも新宿駅にも乗り換えなしで行けるではないですか。千葉駅でさえ、新宿へ行くには錦糸町で乗り換えなければならないのに、古河駅はどちらへ行くにも乗り換えなしで、およそ75分の乗車時間です。 そして、最後の驚きは、なんと日中の湘南新宿ラインは快速の停車駅になっているではないですか。快速を利用すると、新宿までは約1時間であり、東海道線の駅に例えるならば平塚駅と条件的に等しくなると思われます。また、1日の乗降客数は約26,000人で、常磐線ならば勝田駅とほぼ同じぐらいです。 このように、いつの間にか底知れぬポテンシャルを備えてしまった古河駅ではありますが、駅前のビルは空室が目立ち、駅ビル以外にこれといった商業施設はありません。先月は古河駅に入構している20台ぐらいのタクシー会社が、事業から撤退してしまいました。 古河近辺では、圏央道を利用できる工業団地や企業の誘致に取り組んでいると聞きます。鉄道による都心へのアクセスも非常に便利ですので、2次交通などの整備に取り組めばさらに発展が見込めるのではないでしょうか。(一級建築士)

つくば駅周辺 商業地、住宅地とも7年連続県内1位 21年地価調査

茨城県は21日、2021年の地価調査結果を発表した。県内で最も地価が高かったのは商業地、住宅地いずれもつくば市吾妻のつくば駅周辺で、7年連続1位となった。商業地は上位5位のうち2地点をつくば市内、住宅地は4地点をつくば市内が占めた。 つくば市(調査地点46地点)全体では、全用途平均変動率は前年より0.8%上昇し、0.1%下落となった前年から上昇に転じた。0.8%上昇は、守谷市と並んで県内で最も高い上昇率となる。 市全体の平均価格は1平方メートル当たり8万900円で、前年同様、守谷市に次いで県内で2番目に高い価格となった。 用途別では商業地(7地点)の平均価格は16万9400円で、2.9%上昇(前年は1.2%上昇)、住宅地(36地点)の平均価格は6万8900円で、平均変動率は0.3%上昇(20年は0.3%下落)した。工業地(2地点)は2万2600円で2.8%上昇(同0.7%上昇)した。 商業地は調査地点7地点のうち6地点で地価が上昇した。上昇地点について県は、TX研究学園駅及びつくば駅から徒歩圏内の商業地域に位置しており、研究学園駅から徒歩圏内は、宅地分譲が進展し、背後住宅地の人口が増加していることに加え、新規店舗の立地が見られ、繁華性、集客力が向上していることから土地需要が高まっているとしている。つくば駅から徒歩圏内については、クレオに商業施設がオープンしたほか、駅近隣エリアにマンションが建設中で、背後住宅地人口の増加、繁華性や集客力の向上が見込めることから土地需要の高まりが続いていると分析している。 住宅地は調査地点36地点のうち12地点で地価が上昇した。上昇地点について県は、つくばエクスプレス(TX)沿線の住宅地域で、大規模商業施設や各種店舗、小学校に近く、住環境に優れていることから、従来から土地需要が高いことに加え、新型コロナの感染拡大に伴うテレワークの普及などもあり、都心方面からの需要者層も見られ、新型コロナ感染拡大前の状況よりも土地需要が高まっているとしている。 工業地は調査地点2地点いずれも上昇した。県は、圏央道ICに近接し、研究施設や工場が集積する工業団地に位置しており、圏央道の県内全線開通による交通利便性の向上に伴い、IC周辺で、特定のテナントの要望に応じてオーダーメードで建設され賃貸されるBTS型物流施設の竣工が続くなど、土地需要の高い傾向が続いているとしている。 土浦市は下落幅縮小 土浦市(同34地点)の全用途平均変動率は前年と比べ0.1%下落し、コロナ禍で0.2%下落した20年と比べ下落幅が縮小した。平均価格は1平方メートル当たり3万8400円。 用途別では商業地(8地点)の平均価格は6万1900円で、前年と比べ0.4%下落(前年も0.4%下落)した。住宅地(24地点)の平均価格は3万2200円で、平均変動率は0%と昨年と同じとなった。20年は0.2%下落だったことから今年は横ばいに転じた。工業地(2地点)は1万9000円で0.6%上昇(同0.6%上昇)した。 商業地で上昇した地点はなかった。住宅地は調査地点23地点のうち2地点で上昇した。県は上昇地点について、JR常磐線の土浦駅から概ね徒歩圏内の市街地中心部は上昇しており、旧来からの市街地として根強い人気を誇ると共に、同一需給圏として競合するつくば市、牛久市、取手市などに対する割安感と相まって、土地需要が高まっているとしていると分析している。 工業地は調査地点2地点いずれも上昇した。県は上昇した工業地について、常磐道土浦北ICに近接し、向上や倉庫が集積する工業団地に位置し、より都心に近い千葉県に対する割安感から土地需要が高い状況が続いているとしている。 新型コロナの直接影響大きくない 県全体の全用途平均変動率は0.4%下落となり、前年の0.7%下落と比べ下落幅が縮小した。用途別では住宅地は0.5%下落、商業地は0.2%下落となり、住宅地と商業地の平均変動率は1992年から30年連続で下落となった。一方、コロナ禍で下落幅が拡大した昨年と比べると下落幅は減少した。工業地の平均変動率は0.3%上昇となり、16年から6年連続で上昇しており、昨年と同率の上昇となった。 県は下落幅が縮小した要因について、商業地は、昨年は新型コロナの感染拡大により一時は先行きの不透明感から取引停滞や減退も見られたが、飲食店やホテルなど収益性が大きく低下した業種を除き収益性の悪化は限られ、オフィス街では回復傾向となったと分析している。 住宅地は、昨年は感染拡大で、買い主が内覧等を控えたことで一時的に土地需要が減退したが、オンライン内覧の普及も相まって、土地需要の回復傾向が続いているとしている。 工業地は、昨年は感染拡大による景気の悪化や先行きの不透明感により企業が新たな用地取得や設備投資に慎重になり、地価の上昇傾向が鈍化したが、首都圏に近い県南や県西地区のインターンチェンジに近い工業地域では流通業務用地の需要が依然として高く、地価の上昇が続いているとしている。 県は、リーマンショックによる資金調達環境の急激な悪化や東日本大震災による災害リスクの高い土地の急激な需要減退と比べると、新型コロナが地価に直接的に与える影響は大きくないとしながら、引き続き注視が必要だとしている。 地価調査制度は、適正な地価の形成を図ることを目的に、国土利用計画法に基づき都道府県が7月1日を基準日として県内540点の標準価格を判定している。

市議会が中間報告 市は年度内に土地利用計画策定 旧総合運動公園用地

住民投票で計画が白紙撤回になったつくば市の旧総合運動公園用地(同市大穂、約46ヘクタール)の利活用について調査検討する市議会調査特別委員会(浜中勝美委員長)は25日、利活用に関する中間報告をまとめ、同日開かれた6月議会最終日の本会議で提言した。公的利用か、民間売却か、一部公的利用かなどの具体的な判断は示さなかった。 一方、五十嵐立青市長は2期目スタート直後に一部公的利用を含めた民間活用の方針をいち早く示し、議会の中間報告が出される前に、民間企業などを対象にした利活用の意向調査を実施した。今回、議会が具体的な判断を示さなかったことで、五十嵐氏の民間活用の意向を容認したことになる。 議会の中間報告を受け、五十嵐市長は25日の会見で「年度内に土地利用計画を策定して、議会や市民に説明する」などとした。議会の提言、民間の意向調査結果(6月4日付)などを総合的に判断して、土地利用方針や造成の区割り、周辺道路の整備計画などの方針をまとめるという。 民間活用に向けた公募などは、土地利用計画策定後、来年度にも実施されるとみられる。 五つの役割や機能を提言 市議会の中間報告は、望ましい施設について①つくばならではの資源・特性を十分生かせるもの②市民ニーズに対応し地域活性化に貢献するもの③災害に強いまちづくりに寄与するもの④市民のコミュニティ形成に寄与するもの⑤観光や産業振興に寄与するものーの五つの役割や機能を提言した。 公的利用か民間売却かについては「一括売却ではなく、一部公共もしくは全部公共活用で検討すべきとの結論に至った。ただし民間の提案を妨げるようなものになってはいけないという意見もある」など、両論を併記する形にとどまった。 基本的な方向性として、周辺の大穂地区の市街地や庁舎、医療機関、研究所、商業施設など周辺環境に影響を及ぼさないことという制限を付けた。 同特別委は今後も継続して調査検討を続ける。 今年度中に62億円を返済 旧総合運動公園用地をめぐっては、2019年3月、五十嵐立青市長が、用地を一括売却する方針を出し、66億円で購入された用地を、事業者1社が40億円以上で一括購入し物流倉庫などを建設する案が出された。しかし、住民説明会で異論が噴出、市議会が調査特別委員会を設置し、民間売却案はいったん凍結となった。 その後五十嵐市長は、2期目スタート直後の20年12月、一部を防災倉庫にして残りを民間売却したいとテレビ番組で発言。今年2月、3分の1を防災拠点として公共利用し、残り3分の2を民間活用したい意向を市議会に示した。続けて4、5月には2回目の民間企業意向調査を実施し、12社(団体)から、物流・倉庫施設、産業団地・工業団地、データセンター。太陽光発電施設など17件の利活用申し込みや提案があった(6月4日付)。 一方、土地購入費66億円と利子2億円の計68億円の返済については、市土地開発公社が金融機関から借り入れて購入し、2024年3月が返済期限となることから、市は今年3月補正で約53億円、今年度当初予算で約9億円を計上し、市が公社に無利子貸し付けをして計62億円を今年度中に金融機関に返済する。残り約6億円については22年度と23年度にそれぞれ約3億円ずつ返済し、1年前倒しで完済する方針を今年2月に発表している=2月4日付。(鈴木宏子)

民間企業など12社から17件の活用意向 つくば市旧総合運動公園用地調査

住民投票で計画が白紙撤回となった旧総合運動公園用地(つくば市大穂、約45ヘクタール)の利活用意向調査について、つくば市は3日開かれた市議会特別委員会(浜中勝美委員長)に、民間企業などを対象に4、5月に実施した意向調査(サウンディング型市場調査)結果を報告した。12社(団体)から計17件の利活用申し込みや提案があったという。 同調査は2017年度に実施したの続いて2回目。2017年度も今回とほぼ同じ13社から申し込みが出された。 市公有地利活用推進室によると、12社の内訳は、ゼネコン、物流不動産開発・管理会社が各2社、不動産デベロッパー、倉庫業、物販、スポーツクラブ、用地開発・分譲、金融業が各1社、ほかに不動産会社などの共同企業体が2社。 活用方法17件は、物流・倉庫施設が3件、市が利用する防災倉庫をつくるなどの防災拠点が3件、産業団地・工業団地が各2件、各企業のデジタル情報を処理・保存するサーバーなどを置くデータセンターが2件、太陽光発電施設が2件、日用品などの複合型商業施設が1件、スポーツツーリズム推進拠点1件、電気自動車の開発研究・実験などの複合施設が1件。 同用地の購入を希望する企業と、借地を希望する企業とでほぼ半々。利用面積は、45ヘクタール全部を利用したい意向もあったほか、4分の1以下の利用などさまざまという。 購入や賃借の場合の金額については、特別委でも質問が出されたが、市は「購入価格等は差し控えたい」とした。 特別委は、今回の意向調査結果を参考資料の一つにして、今後、提言をまとめる。市は議会の提言を踏まえ、利活用策を決めるという。提言をまとめる時期は未定という。 旧総合運動公園用地をめぐっては、2019年3月、五十嵐立青市長が、用地を一括売却する方針を出し、66億円で購入された用地を、事業者1社が40億円以上で一括購入し物流倉庫などを建設する案が出された。しかし、住民説明会で異論が噴出、市議会が調査特別委員会を設置し、民間売却案はいったん凍結となった。その後五十嵐市長は、改選直後の20年12月、一部を防災倉庫にして残りを民間売却したいと発言、翌年2月、3分の1を防災拠点として公共利用し、残り3分の2を民間活用したい意向を市議会に示し、4、5月に2回目の民間企業意向調査が実施された。

ボランティアで音楽祭をプロデュース 《塞翁が馬》1

【コラム・三浦一憲】このコラムに参加することになった私は、「まちかど音楽市場」の代表です。2004年から、音楽をテーマにした企画を立て、ボランティア活動をしてきました。なんで?どうして?音楽イベントを開催することになったのか。その歴史や動機などを話していきたいと思います。 つくば市に来たのは1991年 筑波研究学園都市は1963年の閣議了解から建設が始まり、1987年、つくば市が誕生しました。今年で34年という歴史の浅い新しい都市です。私は、両親が1980年にこちらに移住していた関係で、東京からよく遊びに来ました。当時は、富士山や群馬の山並も一望できました。住宅はあまりなく、人も少ない、新興開発地域でした。北風や春風で砂塵が舞い、家の中が砂だらけになることもありました。 1985年につくば科学万博が開催されますが、JR常磐線が唯一の交通手段で、「陸の孤島」とからかわれ、自殺者が話題になっていました。この万博に合わせて、センター地区の複合施設(ホテル、ノバホール、ペデストリアン)が完成し、都市の核になる顔ができました。 私が家族で移って来たのは1991年です。そのころには西武百貨店やダイエーが進出していましたが、センター地区も夜になると寂しいものでした。夜、犬と遊歩道を散歩したときは、誰にも会わないこともあり、これが「学園都市センター地区なのか」と驚きました。 「まちかどに音楽が聞こえる街」 そんな状況を市民レベルで何とかできないものかと思っていたとき、つくば市商工会と市産業振興課が開催したワーキングループに参加、その「まちづくり」部門で、音楽を主体にした地域活性化を提案しました。 その創設チームに、地域まちづくり専門家、筑波大学専門家、音楽専門家、地域スポーツチーム代表などが加わり、「まちかど音楽市場」の前身「つくば・まちかど音楽市場ネットワーク」が誕生、2004年から活動を開始しました。活動テーマ「まちかどに音楽が聞こえる街」がそのまま名前となりました。 つくば市は新しい街なので、試行錯誤を重ねながら、この15年間で113回のライブイベントを開催しました。15年分の膨大な記録や画像を分析・整理し、音楽祭開催のノウハウを次世代につなげられればと考え、今、報告書を作成中です。(まちかど音楽市場代表) 【みうら・かずのり】高校3年生の時に8ミリ映画を自主制作。以来、フリーのフォトグラファー。 電鉄・建築・人物などの撮影のほか、写真館も経営。つくば市市民活動センター・スタッフとして2年間勤務。2004年「まちかど音楽市場」を立ち上げ、代表に就任。現在住んでいる団地内でボランティア環境美化活動(ローズマリーの会)も。1991年、つくば市に移住。1952年、東京都江東区生まれ。 ➡まちかど音楽市場ホームページはこちら

ボランティアで音楽祭をプロデュース 《塞翁が馬》1

【コラム・三浦一憲】このコラムに参加することになった私は、「まちかど音楽市場」の代表です。2004年から、音楽をテーマにした企画を立て、ボランティア活動をしてきました。なんで?どうして?音楽イベントを開催することになったのか。その歴史や動機などを話していきたいと思います。 つくば市に来たのは1991年 筑波研究学園都市は1963年の閣議了解から建設が始まり、1987年、つくば市が誕生しました。今年で34年という歴史の浅い新しい都市です。私は、両親が1980年にこちらに移住していた関係で、東京からよく遊びに来ました。当時は、富士山や群馬の山並も一望できました。住宅はあまりなく、人も少ない、新興開発地域でした。北風や春風で砂塵が舞い、家の中が砂だらけになることもありました。 1985年につくば科学万博が開催されますが、JR常磐線が唯一の交通手段で、「陸の孤島」とからかわれ、自殺者が話題になっていました。この万博に合わせて、センター地区の複合施設(ホテル、ノバホール、ペデストリアン)が完成し、都市の核になる顔ができました。 私が家族で移って来たのは1991年です。そのころには西武百貨店やダイエーが進出していましたが、センター地区も夜になると寂しいものでした。夜、犬と遊歩道を散歩したときは、誰にも会わないこともあり、これが「学園都市センター地区なのか」と驚きました。 「まちかどに音楽が聞こえる街」 そんな状況を市民レベルで何とかできないものかと思っていたとき、つくば市商工会と市産業振興課が開催したワーキングループに参加、その「まちづくり」部門で、音楽を主体にした地域活性化を提案しました。 その創設チームに、地域まちづくり専門家、筑波大学専門家、音楽専門家、地域スポーツチーム代表などが加わり、「まちかど音楽市場」の前身「つくば・まちかど音楽市場ネットワーク」が誕生、2004年から活動を開始しました。活動テーマ「まちかどに音楽が聞こえる街」がそのまま名前となりました。 つくば市は新しい街なので、試行錯誤を重ねながら、この15年間で113回のライブイベントを開催しました。15年分の膨大な記録や画像を分析・整理し、音楽祭開催のノウハウを次世代につなげられればと考え、今、報告書を作成中です。(まちかど音楽市場代表) 【みうら・かずのり】高校3年生の時に8ミリ映画を自主制作。以来、フリーのフォトグラファー。 電鉄・建築・人物などの撮影のほか、写真館も経営。つくば市市民活動センター・スタッフとして2年間勤務。2004年「まちかど音楽市場」を立ち上げ、代表に就任。現在住んでいる団地内でボランティア環境美化活動(ローズマリーの会)も。1991年、つくば市に移住。1952年、東京都江東区生まれ。 ➡まちかど音楽市場ホームページはこちら

市長の手法に異議相次ぐ 防災拠点案でつくば市議会 総合運動公園問題

【鈴木宏子】つくば市の旧総合運動公園用地(同市大穂、約46ヘクタール)の利活用について検討する市議会特別委員会(浜中勝美委員長)が19日開かれ、五十嵐立青市長が、一部を防災拠点として公共利用する案を改めて説明した。一方、議会からは、市長がテレビ番組などで突然、防災拠点案を表明したことなど、市長の手法に対し、異議が相次いだ。 南側13ヘクタールに28億円で整備 五十嵐市長が説明した案によると、防災拠点は、同用地南側の約13ヘクタールに整備する。一方、東大通りや高エネ研に面した32ヘクタールは民間活用する。3割を公共利用、7割を民間活用する案だ。 防災拠点には、防災倉庫、ヘリポートを備えた広場、災害時がれき仮置き場、井戸、トイレなどを整備し、災害物資を備蓄したり、避難者が車中泊できる駐車場を設けたり、仮設住宅建設用地などにする。平常時は筑波山観光の駐車場として活用したり、屋外イベントを開いたり、多目的広場として活用する。造成費は約13億円、防災拠点の建設費は約15億円で整備費は計28億円とした。 一方、民間活用するとした32ヘクタールについては、再度、企業などから意見や提案を集める市場調査を実施するとした。 一部を防災拠点とする理由については、議会から公的利活用を求める意見が多かったこと、市財政に大きな負担とならないこと、2017年に実施した市役所内の公的利活用調査で唯一、危機管理課から多目的防災備蓄倉庫や駐車場、ヘリポートなどの提案があったことなどを考慮したとした。 これに対し議会からは、特別委員会で利活用を検討しているさなか、五十嵐市長がテレビ番組や記者会見などで防災拠点案を表明したことに対し、異議が相次いだ。 五十嵐市長は「決めるのは議会」と述べ、釈明に追われる形となった。 一方、終了後、報道陣の取材に対し五十嵐市長は、民間活用の32ヘクタールについて、企業の意向を聞くサウンディング調査を実施し、議論の材料として議会に示したいとした。 議会特別委の今後の進め方について浜中委員長は、各会派で構成する作業部会を設置し、市長の防災拠点案も含め、改めて利活用方針を調査検討するとしている。 「話のもっていき方、納得いかない」 19日の議会特別委員会でのやり取りの概要は以下の通り。敬称略。 塩田尚市議 ヘリポートは何機ぐらい利活用できるのか。 五十嵐立青市長 離発着は1機だが、待機できる。防災ヘリ自体、県に1機しかない。 塩田 台湾の大手IT企業がつくばに立地する。このような企業にこの場所を取得していただきたい。 市長 台湾のTSMCは世界をリードしている企業。いろいろな可能性があると思うが正式な話としては聞いていない。 塩田 茨城県が20年間凍結していた工業団地をつくばみらい市に造成する。県に買っていただいて、県が工業団地をつくる可能性もあると思う。 山本美和市議 防災拠点は立派だし、公明党は10年前から関東の防災拠点をつくろうと主張してきた。が、(五十嵐市長の)話の持っていき方は納得がいかない。(議会の)委員会で(陸上競技場案を含め)検討しているさなかに(市の)陸上競技場検討会議が立ち上がって、(上郷高校跡地と旧総合運動公園用地を)天秤にかけて結論を出すのはいかがなものか。市長は(市議会の)委員会の意見を聞くと言っていたが、差異がある。(検討会議が陸上競技場の候補地と決定した)上郷高校跡は、造成が済んでいるのですぐに着手できるという前提だが、体育館は使えない、給排水設備を設置しなくてはならない、周辺道路を整備しなくてはならないなど(考慮に入れないで)、この状態で比較していることに疑問を感じる。見える形で、市民のために一番いいものを選択しなくてはならない。 市長 陸上競技場は学校跡地で検討した際に上郷高校跡が最も適しているとされた。議会で高エネ南側未用地(旧総合運動公園用地)も検討すべきという意見があったので、考えを反映させて比較を行った。(上郷高校跡地が候補地というのは)あくまでも検討会議の位置づけなので、議会、市民から意見をいただいて、最終的に市として決定したい。(検討会議を設置した)プロセスに齟齬(そご)があったとは考えていない。 山本 (旧総合運動公園用地の一部を防災拠点にする案について)特別委員会から意見が出たからという話だが、委員会として結論を出していない。1人や数人の委員の意見が議会全体の意見だととらえること自体が間違い。(市議会の)改選があり、特別委員会を開けない中で(検討会議が陸上競技場候補地の)検討をしたことは遺憾だ。 小森谷さやか市議 ヘリポートと仮設住宅は一緒にできるものか。上郷高校体育館の倉庫はどうなるのか。 市長 ヘリが頻繁に動くのは発災直後。仮設住宅と少し時間軸にずれがある。上郷高校の体育館は耐震面が十分ではない。 橋本佳子市議 (五十嵐市長が市議会に)説明したと言っているのは、そもそも(市議会から)要望がある中で説明してきたということ。事前に積極的に(市長から説明したいという)働き掛けがあった記憶はない。報道を見て「えっ」って知り、議会に説明が不足する中で、どんどん市長とずれが生じている。丁寧な説明を考えてほしい。サウンディング調査をすると民間活用に流れていって、そこを進めて、それがまた(市議会の)委員会とずれが出ることを危惧する。とりわけ(総合運動公園用地は)現在、研究・教育施設用地と位置付けられており、研究学園都市の成り立ち、将来性を見すえて足並みをそろえていただかないと、今後も議会とずれが生じてしまう。市長として丁寧なやりとりをどう考えているのか。 市長 今まで以上に丁寧に説明したい。不十分だという指摘は甘んじて受ける。これまでもできる限り丁寧な説明をしてきたつもりだが、すべての議員とコミュニケーションができているかというと、足りないところがある。今後、今まで以上にできるようにしたい。 橋本 (防災拠点とする案は)一市長の考えとして発言したということだが、市長が話すということと、一市民が話すこととは全く意味が異なる。「一市長として発言する」と言うところからして、ずれている。しっかりと連携をとっていかないと、(特別委員会が)無駄な労力になっては困る。 市長 何をするにも決めるのは議会。そのための材料をきちんと提供したい。 山本 市長がいくら一市長の意見だと言っても、市民は、これ(防災拠点案)が市としての(利活用の)イメージだと受け止める。 市長 個人の思い付きでしゃべっているのではなく、市を代表してしゃべっている。市を代表するもう一方は議会。(防災拠点案の)資料ができたので真っ先に議会にお示した。不十分であることについては、もっといろいろな機会をとらえて説明し、今後もより丁寧にやっていきたい。 小村政文市議 防災拠点を整備する位置はなぜ南側なのか。 市長 南側が一番活用しにくいため。 中村重雄市議 (市長から出た防災拠点案は)今まで出た案の一つと考えてよいのか。 浜中委員長 今後の進め方は皆に諮っていきたい。 山中真弓市議 上郷高校跡地に(陸上競技場と共に)防災拠点をつくる案もある。離れていていいのか、いろいろな施設を考える必要がある。陸上競技場の場所が今後、変更になる可能性はあるのか。 市長 最終的に決めるのは議会だが、12月の全員協議会で陸上競技場の説明をした。高エネ研南側(旧総合運動公園用地)を使うべきという話は一つも出てない。質問が出ていないことを踏まえて、上郷高校跡がふさわしいと考えている。 山中 陸上競技場の検討はもともと学校跡地だけで検討した。高エネ研南側未利用地(旧総合運動公園用地)を検討に入れなかったことが分からなかった。今回の防災拠点案にも不信感がある。(五十嵐市長は公約のスローガンで)「共につくる」と言っているのだから、特別委員会と足並みをそろえて検討してくことを要望したい。 鈴木富士雄市議 (総合運動公園用地の利活用について)一般質問してきたが、議会の意見を聞いて進めていくと答弁があった。防災拠点案に特別反対しないが、議会と密にしながら進めていくべき。遅い気がする。 市長 遅いということだが、さっきは早いと怒られた。議会としてどうしてほしいのか、具体的にはっきり出していただければ事業を進めていける。この委員会ではっきり出していただきたい。 鈴木 遅いというのは、議会に説明するのが遅いという意味。一般質問したときは(五十嵐市長は)自分の考えを述べないで、特別委員会に任せているとすり抜けてきた。市長のもっているもの(考え)を出していただきたい。 塚本洋二市議 検討会議でも検討されたように、防災施設を備えた陸上競技場は全国にある。(市議会の)委員会でいろいろなところ見に行っている。陸上競技場や体育館に防災機能を備えた施設があった。そういった(旧総合運動公園用地に防災拠点を併設した陸上競技場をつくるという)イメージ(案)を出していただきたい。(防災拠点を整備するとした同用地の)南側が活用しにくい理由は何か。 市長 アクセス面で、南側は進入路が確保しずらい要素が一番大きい。 塚本 南側の道路は車同士がすれ違うことができないくらい(道幅が狭い)。進入路の活用がしにくい。防災拠点として使った方がいいかというとちょっとずれがある。 市長 (進入路も含めて)精査したい。 鈴木 (避難者が)宿泊できる施設は考えているのか。 市長 防災倉庫に併設することは可能だが、動線を設けたり、費用がかかる。(議会で)議論していただきたい。 久保谷孝夫市議 いろいろあるでしょうけど、作業部会をつくって、しみじみやった方がいい。

《邑から日本を見る》80 茨城農業の後進性と闘った山口武秀と山口一門

【コラム・先﨑千尋】もう「茨城は後進県」という言葉は死語になっているだろうか。本県では、今日まで国の役人が知事になってきたが、唯一の例外は1959年に就任し、4期務めた岩上二郎だった。その岩上県政のスローガンは「後進県からの脱却」。そのころまで茨城は後進県であり、貧しい県だった。特に鹿行地域は「後進の中の後進」と言われてきた。しかし、その地や石岡大地は今や、日本有数の園芸、畜産地帯。首都圏の台所になっている。 その歴史的な転換はなぜ起きたのか。私は山口武秀(以下武秀)と山口一門(以下一門)という2人の山口の果たした役割が極めて大きかったと考えてきた。岩上二郎も同じだが、「歴史が個人を育て、個人が歴史を創る」のだ。私はこのほど、『評伝・山口武秀と山口一門-戦後茨城農業の「後進性」との闘い』と題する本を出した。 武秀は現在の鉾田市に生まれ、戦前から農民運動に関わり、戦後は常東農民組合を組織し、農地改革が進む中で旧地主勢力を撃破し、未墾地解放を実力で成し遂げ、小作農を解放した。その後、反独占農民運動の旗頭として日本の農民運動に金字塔を打ち立てた。 今日、鹿行地域は旧旭村のメロン、鉾田市の各種の野菜類、行方市のカンショ、ミズナ、セリ、神栖市のピーマンなど、多くの生産量日本一を誇っており、同じ茨城でもほかの地域と全く違う農業が営まれている。武秀と常東農民組合は、茨城の最果ての地を農業の最先進地に変えた触媒の役割を果たした。それが私の見立てである。 茨城の特殊性と2人の運動の普遍性 一門は旧玉里村(現小美玉市)のごく小さい玉川農協(組合員が200人余)を根城に、農民が人間らしく生きられるようにと、水田プラスアルファ―方式(基幹作物の米に畜産、野菜などを加えた複合農業)を確立し、一門たちが産み出した営農団地方式は石岡地域に広まり、さらに全国農協中央会の指導方針に採り入れられ、全国に普及した。 一門はそれだけでなく、知事の岩上や農政学者の桜井武雄らと田園都市運動を興し、農民に人並みの、人間らしい暮らしを営めるように、じめじめした暗い農村の住みにくい環境を変えていくことに全力投球した。一門は、経済活動は農協を軸にし、農村集落や農家の生活を内部から変えていく社会文化活動などは田園都市づくりで、というやり方を展開していった。そしてこの運動は県政の柱の一つとなり、県全体に広がっていった。 本書はその2人の足跡を丹念に追い、同時に、茨城の特殊性と2人の運動の普遍性をまとめたものである。2人の著述に関する資料は多いが、今日では2人の活躍を知る人は少なくなってしまった。私はこれまで、茨城の干し芋の歴史や常陸太田市の明治以降の経済史などをまとめてきたが(茨城新聞社刊『ほしいも百年百話』、『前島平と七人組』など)、史料が散逸し、ごく最近のことでもわからないことが多いということを感じてきた。 記録する、記録を正しく残すことが私たちの責務、役割だと考え、今回の本をまとめた。部数が少ないので値段が少し高いが、茨城の姿を知るために、是非手に取って読んでいただきたい。(元瓜連町長) 『評伝・山口武秀と山口一門-戦後茨城農業の「後進性」との闘い』:日本経済評論社発行、四六判288ページ、定価3200円+税、書店へ申し込むか、私のメールtmassaki@sweet.ocn.ne.jpへ

《邑から日本を見る》80 茨城農業の後進性と闘った山口武秀と山口一門

【コラム・先﨑千尋】もう「茨城は後進県」という言葉は死語になっているだろうか。本県では、今日まで国の役人が知事になってきたが、唯一の例外は1959年に就任し、4期務めた岩上二郎だった。その岩上県政のスローガンは「後進県からの脱却」。そのころまで茨城は後進県であり、貧しい県だった。特に鹿行地域は「後進の中の後進」と言われてきた。しかし、その地や石岡大地は今や、日本有数の園芸、畜産地帯。首都圏の台所になっている。 その歴史的な転換はなぜ起きたのか。私は山口武秀(以下武秀)と山口一門(以下一門)という2人の山口の果たした役割が極めて大きかったと考えてきた。岩上二郎も同じだが、「歴史が個人を育て、個人が歴史を創る」のだ。私はこのほど、『評伝・山口武秀と山口一門-戦後茨城農業の「後進性」との闘い』と題する本を出した。 武秀は現在の鉾田市に生まれ、戦前から農民運動に関わり、戦後は常東農民組合を組織し、農地改革が進む中で旧地主勢力を撃破し、未墾地解放を実力で成し遂げ、小作農を解放した。その後、反独占農民運動の旗頭として日本の農民運動に金字塔を打ち立てた。 今日、鹿行地域は旧旭村のメロン、鉾田市の各種の野菜類、行方市のカンショ、ミズナ、セリ、神栖市のピーマンなど、多くの生産量日本一を誇っており、同じ茨城でもほかの地域と全く違う農業が営まれている。武秀と常東農民組合は、茨城の最果ての地を農業の最先進地に変えた触媒の役割を果たした。それが私の見立てである。 茨城の特殊性と2人の運動の普遍性 一門は旧玉里村(現小美玉市)のごく小さい玉川農協(組合員が200人余)を根城に、農民が人間らしく生きられるようにと、水田プラスアルファ―方式(基幹作物の米に畜産、野菜などを加えた複合農業)を確立し、一門たちが産み出した営農団地方式は石岡地域に広まり、さらに全国農協中央会の指導方針に採り入れられ、全国に普及した。 一門はそれだけでなく、知事の岩上や農政学者の桜井武雄らと田園都市運動を興し、農民に人並みの、人間らしい暮らしを営めるように、じめじめした暗い農村の住みにくい環境を変えていくことに全力投球した。一門は、経済活動は農協を軸にし、農村集落や農家の生活を内部から変えていく社会文化活動などは田園都市づくりで、というやり方を展開していった。そしてこの運動は県政の柱の一つとなり、県全体に広がっていった。 本書はその2人の足跡を丹念に追い、同時に、茨城の特殊性と2人の運動の普遍性をまとめたものである。2人の著述に関する資料は多いが、今日では2人の活躍を知る人は少なくなってしまった。私はこれまで、茨城の干し芋の歴史や常陸太田市の明治以降の経済史などをまとめてきたが(茨城新聞社刊『ほしいも百年百話』、『前島平と七人組』など)、史料が散逸し、ごく最近のことでもわからないことが多いということを感じてきた。 記録する、記録を正しく残すことが私たちの責務、役割だと考え、今回の本をまとめた。部数が少ないので値段が少し高いが、茨城の姿を知るために、是非手に取って読んでいただきたい。(元瓜連町長) 『評伝・山口武秀と山口一門-戦後茨城農業の「後進性」との闘い』:日本経済評論社発行、四六判288ページ、定価3200円+税、書店へ申し込むか、私のメールtmassaki@sweet.ocn.ne.jpへ

《土着通信部》42 福島第1原発事故から10年が迫る町

【コラム・相澤冬樹】東京電力福島第1原発事故に伴う住民避難が続く福島県双葉町を先月末、約6年ぶりに訪ねた。環境省が現地で開いた「福島再生・未来志向シンポジウム」に参加を申し込んだ。原発の隣接地に設けられた「中間貯蔵施設」への現地見学を希望してのGoToだった。 東日本大震災から10年となる来春に向けての情報収集という意図が働いた。そのせいか、取材メモは数字を書きとる作業に終始しがちだった。 たとえば中間貯蔵施設では、毎日約2800台のダンプトラックを受け入れているという話を聞いた。「ペースカー」と呼ばれる10トントラックには1台6~7個のフレコンバッグが積まれているそうだ。 フレコンバッグには、福島県内の除染に伴い発生した土砂や廃棄物などが詰め込まれている。6年前には地表を剥ぎとられた田畑や原野に、膨大な量の土のう袋が野積みされていた。あの黒い袋の現時点の回収地点が、中間貯蔵施設ということになる。 施設は、原発を取り囲むように、双葉、大熊両町にまたがって6号国道から海側の約1600ヘクタールの地域を占めている。ここに汚染土を最終処分までの間、安全に集中的に貯蔵すべく、環境省が設置、中間貯蔵・環境安全事業(JESCO)が運営する事業が2015年から行われてきた。 輸送対象となる福島県内の汚染土は約1400万立方メートルに達するとされ、11月までに約7割の965万立方メートルが同施設に運びこまれた。21年度中には完了の見通しということである。 こんな数字ばかりをメモしていると、逆に現場にいることのリアリティーを失いかける。目の前では、集めてきた土を、放射線量の最も高い原発隣接地の地面の中に埋め立てるという風変わりな作業が展開されている。しかも、これはあくまで中間処理でしかない。法律では「45年3月12日までに同施設から全ての廃棄物を搬出し、県外最終処分しなければならない」と定められている。地中のアンダーコントロールを、どこまで信じたらいいのか。 まだだれ一人戻っていない 結局、2日間のシンポジウム日程で、一番印象に残った数字は双葉町の伊沢史朗町長による「町にはまだだれ一人戻っていない」だった。 県内自治体で唯一全町避難が続いていた双葉町だが、3月に一部の地域で避難指示が解除された。JR常磐線双葉駅周辺の帰還困難区域と、町北東部の避難指示解除準備区域。ただ、産業団地への企業誘致や住宅整備などを進めるための「先行解除」で、居住は想定していない。 町長は2022年春の特定復興再生拠点の解除を目指し、双葉駅周辺に役場や住宅、商業施設などを集約するコンパクトな町づくりを掲げる。住民が帰還した際の雇用の受け皿になるよう産業団地が整備され、県内外の12件17社と立地協定を結んだ。 3月に常磐双葉インターチェンジが供用開始、常磐線は全線での運転が再開され、町へのアクセスは向上した。9月には解除区域に飲食店が入る産業交流センターや東日本大震災・原子力災害伝承館がオープンした。農地再生を目指し、営農再開に向けた実証実験も始まった。 しかし町長の前には冷たい数字が横たわる。震災・原発事故以前の2011年2月末の人口7100人は、ことし11月30日現在5798人まで減少した。住民意向調査では、「戻りたいと考えている」との回答は約1割にとどまり、「戻らないと決めている」が6割を超える。住民帰還への道のりは険しい。(ブロガー)

《土着通信部》42 福島第1原発事故から10年が迫る町

【コラム・相澤冬樹】東京電力福島第1原発事故に伴う住民避難が続く福島県双葉町を先月末、約6年ぶりに訪ねた。環境省が現地で開いた「福島再生・未来志向シンポジウム」に参加を申し込んだ。原発の隣接地に設けられた「中間貯蔵施設」への現地見学を希望してのGoToだった。 東日本大震災から10年となる来春に向けての情報収集という意図が働いた。そのせいか、取材メモは数字を書きとる作業に終始しがちだった。 たとえば中間貯蔵施設では、毎日約2800台のダンプトラックを受け入れているという話を聞いた。「ペースカー」と呼ばれる10トントラックには1台6~7個のフレコンバッグが積まれているそうだ。 フレコンバッグには、福島県内の除染に伴い発生した土砂や廃棄物などが詰め込まれている。6年前には地表を剥ぎとられた田畑や原野に、膨大な量の土のう袋が野積みされていた。あの黒い袋の現時点の回収地点が、中間貯蔵施設ということになる。 施設は、原発を取り囲むように、双葉、大熊両町にまたがって6号国道から海側の約1600ヘクタールの地域を占めている。ここに汚染土を最終処分までの間、安全に集中的に貯蔵すべく、環境省が設置、中間貯蔵・環境安全事業(JESCO)が運営する事業が2015年から行われてきた。 輸送対象となる福島県内の汚染土は約1400万立方メートルに達するとされ、11月までに約7割の965万立方メートルが同施設に運びこまれた。21年度中には完了の見通しということである。 こんな数字ばかりをメモしていると、逆に現場にいることのリアリティーを失いかける。目の前では、集めてきた土を、放射線量の最も高い原発隣接地の地面の中に埋め立てるという風変わりな作業が展開されている。しかも、これはあくまで中間処理でしかない。法律では「45年3月12日までに同施設から全ての廃棄物を搬出し、県外最終処分しなければならない」と定められている。地中のアンダーコントロールを、どこまで信じたらいいのか。 まだだれ一人戻っていない 結局、2日間のシンポジウム日程で、一番印象に残った数字は双葉町の伊沢史朗町長による「町にはまだだれ一人戻っていない」だった。 県内自治体で唯一全町避難が続いていた双葉町だが、3月に一部の地域で避難指示が解除された。JR常磐線双葉駅周辺の帰還困難区域と、町北東部の避難指示解除準備区域。ただ、産業団地への企業誘致や住宅整備などを進めるための「先行解除」で、居住は想定していない。 町長は2022年春の特定復興再生拠点の解除を目指し、双葉駅周辺に役場や住宅、商業施設などを集約するコンパクトな町づくりを掲げる。住民が帰還した際の雇用の受け皿になるよう産業団地が整備され、県内外の12件17社と立地協定を結んだ。 3月に常磐双葉インターチェンジが供用開始、常磐線は全線での運転が再開され、町へのアクセスは向上した。9月には解除区域に飲食店が入る産業交流センターや東日本大震災・原子力災害伝承館がオープンした。農地再生を目指し、営農再開に向けた実証実験も始まった。 しかし町長の前には冷たい数字が横たわる。震災・原発事故以前の2011年2月末の人口7100人は、ことし11月30日現在5798人まで減少した。住民意向調査では、「戻りたいと考えている」との回答は約1割にとどまり、「戻らないと決めている」が6割を超える。住民帰還への道のりは険しい。(ブロガー)

みどりの南小の予定地を移転 小中併設校へ つくば市

【鈴木宏子】つくば市が、人口が急増するつくばエクスプレス(TX)みどりの地区に新設予定のみどりの南小学校(仮称)の建設予定地を約600メートル南に移転し、小中学校の併設校を建設することが分かった。もともとの南小予定地には学校用の屋内プールを建設する。 南小は、みどりの義務教育学校の児童・生徒数が増加し、校舎を増築しても足りなくなることから、同義務教育学校から分離新設する。開校は2024年4月の予定。 もともとの予定地は同義務教育学校から1キロほど南の約2.5ヘクタールの県有地だった。今年度当初予算で用地購入費約8億5000万円などが計上され、3月議会で可決されていた。中学校はさらに南に600メートルほど離れた別の場所に新設する予定だった。 市教育局教育施設課によると、小中一貫の義務教育学校から分離新設して学校を新設することから、小学校と中学校を別々に建設すると学習環境が大きく変わってしまい子供たちの負担が大きくなるとして、学習環境を大きく変えないため、南小の予定地を中学校の予定地に移転し、小中学校併設校とする。 新しい予定地は、常磐道とゴルフ場(つくばみらい市)などにはさまれた県有地で、準工業用地。小中併設のため面積を拡張し計約6.1ヘクタールとする。規模は特別支援学級を含め、小学校が6学年で40学級、中学校は3学年で10学級を予定している。開校時期に変更はない。土地購入費は約18億7000万円。9日開会の6月議会に提案する。 プールは市民にも開放、会議室併設 一方、もともとの予定地2.5ヘクタールは、市が予定通り県から用地を購入し、屋内プールを建設する。みどりの南小中学校のほか、近く開校しプールが設置されない香取台小学校(仮称)、研究学園小中学校(仮称)など他校の児童生徒も利用する。学校の利用がない夜間や土・日曜などは一般市民に開放する。会議室なども設置される予定で、市民が利用できるという。 プールも、みどりの南小中学校と同じ24年4月までのオープンを目指す。 産廃施設近く議会から懸念 南小のもともとの予定地は、つくばエクスプレスの線路をはさんでつくばみどりの工業団地に隣接している。産業廃棄物処理施設が近くに立地しており、予算を審議した市議会3月議会では「小学校用地は産廃施設が目の前にあること、高圧電線の下に位置する場所であるため、地元からは教育環境として問題があるのではという心配の声が上がっている」などとして、環境調査や有害物質の有無についての検査を実施し、地元住民が安心して子供たちを学校に通わせられる教育環境を整備するよう求める意見が一部議員から出ていた。 すでに立地している産廃処理施設の近くに学校を新設する場合、規制はない。一方、県廃棄物処理施設設置の事前審査要領では、今回とは逆の廃棄物処理施設を後から設置する場合、住民説明会の開催や敷地境界から300メートル以内の土地所有者の同意などが必要とされている。 もともとの南小予定地が産廃施設に近いことについて市は、今回の移転とは関係ないとしている。

自治会運営㊦ アナログ業務をIT化し効率的な運営代行 つくばのNPO法人

【橋立多美】退職後のシニア世代が担ってきた自治会(区会)が超高齢社会の到来で曲がり角にきた。催事や集金業務などへの負担や近所付き合いを煩わしく思う人も増えて加入率は低くなり、一部では「不要論」もささやかれている。 こうした自治会運営に一石を投じるのがTX沿線の若いまち、みどりのに誕生したNPO法人「みどりーむプロジェクト」だ。手間のかかる区会業務を代行することで、核家族で共働きの現役世代を中心とした住民の負担をなくしている。 同プロジェクトをけん引するのは理事長の渡邉周一さん(46)。外資系IT企業に勤務し、11年前にみどりのに新居を構えた。入居間もなく近隣の工業団地に産業廃棄物処理工場の建設計画が持ち上がった。渡邉さんは「みどりの第一区会」を立ち上げ、地域住民の署名を集めて建設計画を白紙に戻させた。 以後、同区会の会長として経験を積む中で、業務を整理して委託できるものは外部の代行業者に託し、区会本来の「住みよい地域づくり」を重点にした活動が望ましいと考えるようになった。 区会の仲間らと地域主体のまちづくりについて検討を重ね、継続して取り組むための「みどりーむ憲章」を掲げる一方で、NPO法人みどりーむプロジェクトを2013年3月に設立した。区会の創設と運営、みどりの駅前緑化、同駅前イルミネーション運営支援3本が事業の柱だ。 NPO設立当時、住宅街やマンションを建設する開発業者に区会運営を働きかけて同意を得た。業者の「自治会運営はNPOに委託します」に入居者たちから反対の声が上がることはなかった。渡邉さんは「自治会活動を経験した年配者に喜ばれ、委託の価値が分かっていると思った」と言う。 6つの区会(合計約300世帯)の運営を請け負い、主に行政情報などの提供とごみ集積所の管理、行政機関への要望書作成と提出を代行している。情報は電子化して送信。これによって仕分けしたり一戸ずつ配布する手間と時間を省き、受け取る側も必要な情報に目を通せば事足りる。 誤ったごみ出しが住民トラブルを招くことから、ごみ集積所の利用はルールを決めて順守を呼びかける。ごみ収集後の衛生管理は清掃会社に委託している。区会からの委託料と、各世帯が負担するごみ集積所の管理費と区会費はNPOが管理する区会の口座に入金される。集金担当者の重荷になる従来の集金スタイルが一掃され、時代に即した効率的な運営を実現している。渡邉さんが会長を務めるみどりの第一区会も同様のシステムで運営され、役員選出でもめたことはないそうだ。 渡邉さんは「まちには高齢者や認知症の人もいる。やがて足腰が弱くなってごみ出しも大変になるだろう。どう対処していくかがこれからの課題」と話した。 住んで良かったと思える安心、安全なまちづくりのために、みどりの第一区会の有志約20人が毎月1回街中を徒歩でパトロールしている。顔見知りの住民が増えてまちの安全を見守る輪が広がっているそうだ。 ➡自治会運営㊤はこちら

自治会運営㊤ 脱会増加と担い手不足 高齢化したつくばのニュータウン

【橋立多美】地域住民の親睦や環境美化、防犯・防災活動などの場として存続してきた自治会(区会)。東日本大震災以後は災害時の互助組織として見直す動きもある。だが、担い手が高齢化している自治会は多く、運営維持は各地で大きな課題となっている。 つくば市南端の茎崎地区にある森の里自治会もその一つ。高齢化による活力の低下と加入者の減少、活動をけん引する役員の担い手不足に直面している。森の里は40年前に「ニュータウン」として開発された住宅地。住民約2900人(1300世帯)の半数が65歳以上だ。 例年、150人以上が集まる同自治会の総会は団地に隣接する市立茎崎第三小学校の体育館で開催してきたが、新型コロナウイルスの影響で体育館使用を断念。今月22日、出席者を新旧役員約50人に絞り、団地内の森の里自治会公会堂で開催した。 「女性会員から要望があった公会堂の厨房(ちゅうぼう)拡張整備のめどがたち、他の人に任せるのは無責任と思い、今年も私がやることになりました」と自治会会長の倉本茂樹さん(78)は言う。住民全体が老いた今、誰も役員にはなりたがらない。任期は1年だが、毎年他に候補者がおらず、2020年度も会長を続投することが決まった。会長職は今年で8年になる。 自治会には1040世帯が加入(加入率74%)し、99の街区がある。街区ごとに1年交代の街区委員がおり、月2回の行政情報や回覧物の配布、自治会費の徴収をする。数年前から年をとって街区委員の任務が辛くなったと退会する世帯が目立つようになった。 昨年度から街区委員の負担を減らそうと、一律3カ月分の自治会費の納入を半年または1年分まとめて納入できるようにした。しかし、高齢による体の衰えや家族の介護などを理由に昨年1年間で19世帯が退会した。街区委員免除も試みたが「人様に迷惑はかけられない」と辞退された。 同自治会は夏まつりをはじめとするレクリエーションや環境美化、防災活動などの他、高齢者の引きこもり防止の交流サロンやごみ出しなどの日常生活支援にも取り組んでいる。一方、団地造成から40年を経て道路や公園などインフラの老朽化が著しく、行政機関への修復要請に追われるという。 倉本さんは総会の就任あいさつで「継続してきた夏まつりや餅つき大会などは会員相互の親睦のために可能な限り実施したいが、高齢化が進んでこれまで通りにはいかない状況にある」と話した上で「役員や街区委員の負担を軽減していきたい」とも。 こうした中、区会運営を引き受けて住民の負担軽減に取り組むNPOがある。(つづく)

桜は満開 人垣できず静かな花見 土浦、つくば

【鈴木宏子】土浦、つくばで28日、桜が満開になった。例年なら桜の名所は満開を迎える週末、多く花見客でにぎわうが、28日はほとんどの名所で人垣ができず、マスクをして静かに花見をする家族連れなどが見られた。 都の外出自粛で花見気分無くなった? 名所の一つ、土浦市城北町の新川で同日、手漕ぎの花見貸しボートを出したラクスマリーナの秋元昭臣専務は「28日は天気がよくなかったこともあるが、新型コロナウイルスの関係で東京都が不要不急の外出自粛を要請しているので、県民も花見に出歩く気分で無くなったのかもしれない」と話す。桜の季節はフナなどが産卵のため浅い支流に上ってくる「のっこみ」と重なり、新川は例年、釣り人も多いが、この日は釣りをする人の姿も少なかった。 亀城公園、乙戸沼公園、桜川堤、新川堤など市内にたくさんの桜の名所がある土浦市では今年初めて、生田町付近の桜川堤と城北町付近の新川堤で歩行者天国を実施したが、28日の花見客は例年ほどではなかった。同市観光協会は「天気が雨模様だったのが一番(の原因)。新型コロナと両方ある」と話す。29日は悪天候のため歩行者天国は実施しない。 同市中村西根の乙戸沼公園は桜の下で飲食ができる公園だ。例年なら、園内の芝生に花見客のシートが所狭しと並び、露店が立ち並ぶ。今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため宴会や露店を規制した。来園者はマスクなどをして写真を撮ったり公園内を散策、花見の様子は例年と様変わりした。 同市真鍋、市立真鍋小学校の真鍋の桜は樹齢100年を超え天然記念物に指定されている。例年、地元住民や卒業生らが集まって手作りのイベント「真鍋の桜を楽しむ集い」を開催し桜をめでるが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため集いを中止した。今年はさらに一般車の立ち入りを規制したこともあって人影はまばらだった。 つくば市の桜の名所、筑波農林研究団地のさくら通り(同市観音台)は約1.5キロにわたってソメイヨシノや八重桜、山桜など500本の桜並木が続く。28日午前は、多くの花見客でにぎわい、通りを散策したり写真撮影する姿が目立った。 筑波山麓の北条大池(同市北条)の周囲では250本以上のソメイヨシノが満開となったが、花見客は例年ほどではなかった。 ➡桜の過去記事「読者発マイ桜」はこちら、「桜花爛漫」はこちら

《ご飯は世界を救う》21 ママ友と「8代葵カフェ つくば学園店」へ

【コラム・川浪せつ子】とても迷惑なウイルスが猛威を振るっていますね。2月は私の誕生日月ということもあり、まだこんな厳戒体制前でしたので、「珈琲8代葵カフェ」までママ友とランチに行きました。彼女Iさんとは、34年のお付き合いです。 出会いは、初めての子供がお腹にいた時、保健センターの「マタニティー教室」でした。ここは、お味噌汁を持っていき、日々の食生活を通して妊娠中の減塩方法や、赤ちゃんがお腹にいる時の注意点を、初産の人を集めて指導してくれる教室でした。 そのようなお勉強もためになりましたが、一番良かったのは、近所の同年代のママさん予備軍の方々と知り合いになれることでした。同じ時期に出産するので、生まれてからもママ友として親しく長くお付き合いすることになりました。 Iさんとは、たまたま団地の向かい側という立地。そして、同性の男の子を出産したので、特に仲良しになりました。子供が大きくなると、生活ペースが違ってきて、ママ友は疎遠になることもあります。ですが、Iさんとは交友関係が続き34年に。子供同士は、今は疎遠ですけどね。 老猫ミャーちゃんの大往生 そんなIさん、最近は母親と老猫ミャーちゃんの介護に大変でした。ミャーちゃんはボケてしまい、ご飯は食べるものの垂れ流し。部屋の一部を区切り、ペットシートを敷き詰めての介護でした。私は10年前にアルツハイマーだった父を看取っています。ミャーちゃんの話を聞いて、猫も人間も哺乳類だからでしょうか、ボケ方が同じなのだと思いました。 献身的なIさんの介護で、ミャーちゃんはボケてからも1年近く生きて、22歳で天国に。食欲旺盛だったのが、前々日から食べなくなり、いつもはあまり膝に乗ってこないのに、ずっと乗っていて、Iさんは夜中から明け方まで抱いていたそうです。 ゴミの日なので、ゴミ出ししようと膝から降ろしたら、ミャーちゃんはノビノビをして、フゥーという感じで、お空に行ったそうです。まさに、大往生ですね。ちなみにIさんのお母様は、まだらボケはあるものの、どうにか過ごされているそうです。 30数年もの時間、少し離れたところで生活していても、何かあった時、お互いに「良く頑張ったね。大変だったね」。そんなことを、美味しいランチをしながら話せる友人がいるのは本当に幸せです。(イラストレーター) ➡川浪せつ子さんの過去のコラムはこちら

親子2代で県内最大に つくばのナメコ生産者

【大山茂】みそ汁で豆腐と相性バツグンの具材、ナメコに魅せられて、親子2代にわたり栽培を続けている人がつくば市にいる。同市中別府の鈴木きのこ園代表、鈴木繁男さん(41)。気が付けば県内最大規模の生産者になっていた。 ファームは市西部、東光台団地から上郷方面を結ぶアグリロード沿いにある。ファームにお邪魔すると、頑丈な鉄骨組みの建物が目に飛び込む。内部には空調が管理された培養室や作業室がそろう。原木栽培ではなく、菌床を使った施設空調型の栽培ハウスだ。 きのこ園では広葉樹のおがくずを菌床として瓶に詰めて、高温、高圧殺菌する。瓶に詰めたり、殺菌するなどの工程は専用の機械が行う。殺菌後に種菌(たねきん)を植え込み、培養室で一定の温度と湿度を保ちながら管理すると、2カ月で収穫できる。 同園に種菌を納入する宮城県の業者によると、自然林のナメコ菌を育種したもので、ぬめりが強く傘が大きいのが特徴という。 培養室には菌床が詰め込まれた800ccのプラスチックボトルが棚に無数に並べられ、口元からナメコがぎっしりと顔を出している。別室では4、5人のパート従業員たちが、はさみを手に大きく育ったナメコを器用な手つきで切り落としている。処理する数は1日に平均4500個。四季を通じて収穫している。切り落とされたナメコはその場でふるいにかけられ、サイズ別に袋詰めされていく。 出荷先は全国で宅配を展開する生活協同組合パルシステム。出荷量の約8割を占めており、残りを地元の野菜直売所やスーパーの産直コーナーで販売している。パスシステムの話ではナメコはJAつくば市谷田部の倉庫を経由して新治と岩槻(埼玉)、相模原(神奈川)の物流センターに運ばれ、関東一円に宅配されるという。 冬の副業、気付いたら1人 県林政課のデータによれば2018年度のナメコ生産量は163トン。県内には栽培農家が20戸あるが、ほとんどが県北地域で、県南地域は鈴木きのこ園だけ。しかもその県内生産量の9割を占めている。 そもそも、ナメコ栽培は父親の栄さん(66)が40年前に農家の冬期の副業として知人ら数人と始めた。しかし発泡スチロールにオガクズを敷いただけの栽培方法では病気に侵されたり、大きく育たないなど困難に直面。気付いたら栄さん1人になっていた。 パルシステムから契約栽培の話が持ち込まれたのは20年前。設備投資が高額だったことから悩んだが、当時20歳の繁男さんが「一緒にやろう」と背中を押してくれたことで一歩を踏み出した。繁男さんはJA産直部会のエコファーマー認定取得者。「安全でおいしいなめこを今後も食卓に届けていきたい」と話している。

《吾妻カガミ》72 土浦とつくばの新年パーティー風景

【コラム・坂本栄】新年早々、土浦市では7日夜、つくば市では10日昼、それぞれの市内にあるホテルで賀詞交歓会が開かれました。このところ医者に酒を抑えるようアドバイスされていることもあり、今年の新春パーティーでは飲むのを控え、参加者の話に耳を傾けるよう心掛けました。 市長の話よりも衆院議員の話 土浦の賀詞交歓会は、商工会議所、観光協会、商店街連合会の主催(事務局は商工会議所)で、市長は招待されるという形になっています。市は主催側でありませんから、少し遠慮があるのは仕方がないとしても、市長2カ月の安藤真理子さんの挨拶が原稿棒読みだったのが気になります。 その内容も、市の特徴(地理、文化、産業)をおさらいして、最後に「今年は市制施行80周年に当たる。新たな未来に向け邁進(まいしん)したい」と結ぶ、シンプルなもの(3分)でした。皆さん、新市長のメッセージに期待していたのに、です。 控えめな市長に比べると、茨城6区(土浦を含む選挙区)選出の衆院議員2人の挨拶は、メッセージ性に富んでいました。国光文乃さん(自由民主)は、老朽化した霞ケ浦医療センター(土浦市内の旧国立病院)の建て替えに言及、参加者の関心を引きました。青山大人さん(国民民主、比例)の挨拶は、自分は新年宮中参賀をしたが、議員が少ないのには驚いた―と、野党議員にしては保守層を意識した内容でした。 国光さんも青山さんも、解散総選挙が近いと読んでいるようです。私の永田町情報ソースは新年メールで、①通常国会冒頭=1月下旬②予算成立後=3~4月③通常国会期末=6月④都知事選とダブル=7月⑤東京五輪後の秋=11月―と、想定される解散時期を列挙。⑤が有力と知らせてきました。 持続可能なまちづくりの現実 つくばの賀詞交歓会は、市、商工会、学園都市交流協議会、筑波大学、JA谷田部、金融団、工業団地協議会、筑波都市整備が実行委員会に名を連ね、市が事務局を担当しています。こういった運営上の力学も働いたのか、今秋1期目終了の市長、五十嵐立青さんのスピーチ(8分)は力が入っていました。 五十嵐さんはうれしいことが2つあるとして、まず、周辺市街地8地区活性化の取り組みに芽が出てきたと述べました。もうひとつ、「世界経済フォーラム」に、つくば市が「仕事をするのに素敵なまち」として取り上げられたことを紹介しました。 さらに、「持続可能なまちづくり」のために、食べ残し(フードロス)をなくそうと、立食の料理は量を少なくし、美味しいものを並べる(質を重視する)ようホテルに頼んだことを披露。このメッセージが効いたのか、懇談タイムに入ると参加者は料理に殺到。短時間でロスの心配はなくなりました。 話し込んで食事を忘れたのか、旧知の某VIPが「食べるもの、なんにもないー」と、大皿料理の敷物に使う「せんべい」をバリバリ食べているのには、思わず笑いました。どうやら、今秋の市長選についてのヒソヒソ話(候補は?得票は?)に熱中していたようです。(経済ジャーナリスト) ➡坂本栄の過去のコラムはこちら

【民生委員】㊦ 災害の時代を超えて 取り組みと見守り

【橋立多美】「続けるからこそ横のつながりができ、地域のことがよく分かった」。11月末で茎崎地区の民生委員を退任したつくば市あしび野の稲川誠一さん(75)はそう語る。 子らの環境守った除染活動 4期12年の活動で忘れられないのが、2011年3月11日に発生した大地震に伴う福島第一原発の事故で、放射性物質に汚染されたあしび野児童公園の除染だという。 国は同年12月、被ばく線量が年間1ミリシーベルト以上の地域がある8県102市町村を、除染の財政支援が受けられる「汚染状況重点調査地域」に指定した。指定を受けた市が「放射線対策室」を設置。毎時0.23マイクロシーベルトを超える21区域の除染実施計画を公表した。 その中にあしび野が含まれ、住民たちに動揺が走った。当時民生委員兼自治会長だった稲川さんは、自治会主催で放射線物質の専門家による勉強会を開催し、あしび野自治会館は保護者や住民でいっぱいになった。 一方、同対策室から線量計2台を借りて自治会館や団地内道路、公園など5カ所の空間放射線量を測定した。稲川さんは測定を担当したり立ち会って数値に目を凝らした。「どうか(数値が)下がってくれと祈るような思いだった」。 8月22日の時点で、児童公園だけが毎時0.249マイクロシーベルトと数値が高いことが分かった。市は子どもたちが長時間滞在する幼保や小中学校の除染は行ったが、公園の除染は実施しなかった。 10月、子どもたちの被ばく線量低減のために自治会役員と保護者らの協力で児童公園の除染に取り組んだ。作業は対策室の助言を受けて進め、安全を確保するためにマスクと長袖、手袋、長靴を着用した。 砂場は砂を入れ替え、ブランコ周辺のくぼみは土盛りをした。さらに公園内に植えられていたヒマラヤ杉6本のうち4本を伐採。残る2本は枝木を剪定した。ヒマラヤ杉は放射線物質が葉に溜り、降雨で地表の放射線量が高くなりやすいとされるためだ。 ヒマラヤ杉周辺の表土は放射線物質濃度を測定しながら掘り進め、芝生は深く刈り込んだ。汚染土は何重にも重ねた放射線遮へいポリ袋に入れ、公園内の土中深く埋めた。 除染作業の結果、11月中旬に児童公園の放射線量は基準値を下回った。 大震災から8年9カ月ー。残った2本のヒマラヤ杉は大きくなった。目に見えぬ放射性物質におびえ、子どもたちの健康被害を食い止めようと住民が1つになったと稲川さんは振り返る。 「地域の福祉を担う民生委員は、住民の生活を守るのも仕事のうち。予想外の自然災害が発生する昨今、民生委員には臨機応変の判断が求められる」と話した。 30年やってよかった 10期30年間、桜地区の民生委員として地域を見守ってきた中川発子さんも先月末で退任した。 市から引き受けてくれないかと声がかかり、民生委員として活動を始めたのは45歳のとき。「自分にできるか」という不安を「なんとかできそう」に変えたのが、先輩委員が言った「民生委員は目立ってはいけない」だった。 「そっと見守って困り事の悩みや寂しい気持ちを理解することで、人へのいたわりを持ち続けることができた。自分のためにも続けてきてよかった」と満足そうに振り返った。(おわり)

【民生委員】㊤ 担い手不足と高齢化 つくば

【橋立多美】住民の生活相談に応じて行政に橋渡しをする民生委員が今月、3年ぶりに全国一斉に改選された。困ったときの地域の「見守り役」だが、高齢の単身世帯や高齢者のみの世帯が増える一方、なり手不足などによる高齢化で「老老見守り」が進む。 今月の改選で2期目に入った50代女性は、担当区域で身寄りのない高齢男性の孤立死を経験した。 最初に訪問した時はパジャマ姿で現れ、「民生委員なんかの世話にはならない」と怒鳴られた。恐る恐る訪問するうちに玄関の椅子を勧めてくれてパジャマは洋服になった。 次の訪問で終活の相談に乗ることになっていたが、その日を待たずに亡くなった。「もっと早く訪問すればよかった」と今も自分を責める。 オートロックに阻まれて 女性によれば訪問はおおむね月1回、認知症の発症が疑われるなど目配りが必要なケースは毎週。さりげない地道な見守りは毎日のことだという。 訪問をかたくなに拒んだり、居留守を使う人もいる。ある委員は「民生委員に相談していることを知られたくない人の家には暗くなってから訪問する。それが民生委員の常識」と明かしてくれた。 「マンション1階玄関のオートロックに阻まれて会うことすら難しい」と話すのは田中邦宏さん(79)。TX沿線開発で誕生した高層マンションが林立する研究学園地区担当で、約860世帯を受け持つ。 まれに1階の共有スペースに降りてきてくれる人もいるが、インターホン越しでは会話は成立しない。「近所付き合いが面倒でマンションを購入した人が多く、一歩一歩やっていく」と話す。 茎崎地区で4期民生委員を務める片岡三郎さん(76)は、ほぼ毎夕、宝陽台団地の単身高齢者34世帯を見守るパトロールを続けている。昨日と違っているところはないか、電灯が付いているか、と注意を払う。 これまでに急に手足がしびれ、車庫で動けなくなった高齢者を見つけたり、徘徊する女性を見つけ、牛久の家族の元に帰したことがある。 改選のたびに適任と思う何人かに頼んでみたが「仕事が忙しい」「向いていない」と断られた。使命感から続けてきたが、ようやく60代の後任者が見つかった。「今期3年を悔いのないように努めたい」。 60代、70代で9割占める 民生委員は市町村の推薦で厚生労働相が委嘱する非常勤の地方公務員。任期は3年(再任可)で全国に約23万人、県内には約5千人いる。月1万円程度の活動費が支給されるだけで報酬はない。守秘義務があり、児童や妊産婦を支援する児童委員も兼ねる。 市社会福祉課によると、今月の改選時の定数271人に対し欠員は7人。再任は206人で新たに58人が推薦を受けた。30~80歳代で構成されているが60歳代が5割(133人)、70歳代が4割(110人)を占め、75歳以上の後期高齢者は21人いる。 国は「民生委員は原則75歳未満」としていたが、なり手不足を受けて2007年に年齢基準を緩和した。多くの自治体が国の通知に沿って選任したことで高齢化が進んだ。同課の木本係長は「75歳を目安として地域の事情に詳しく健康な人を推薦している」と話す。 担い手がさらに不足しかねない動きがある。国が進める高齢者の就業拡大だ。安田課長は「共働きや定年後も働く人が増え、支援が必要な人を支える分母の人数が減っている」と表情を曇らせた。 2018年度中に民生委員が受けた相談件数は7528件で年々増加している。介護保険や生活困窮の相談をはじめ、家族形態の変化に伴って家や墓の後継者問題など困難化しているという。安田課長は「日常的に地域に目を配り、相談に乗って支援することは行政には難しく、民生委員に助けられている」と話してくれた。(つづく)

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