金曜日, 3月 29, 2024
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筑波大学 -検索結果

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作り手から使い手へのメッセージ【つくば建築散歩】4

つくばカピオ つくばカピオは、国際会議場よりも一足早い1996年に完成し、竹園公園エリアにおける公共建築物の意匠や高さなどの規範になった施設だが、小ぶりながらアリーナと演劇場を併せ持ち、「寄席も呼べる」と関係者間で話題になった。稼働率の高さやロケ地などでの露出も多い建物のひとつだ。設計は谷口建築設計研究所による。 緻密な空間の職人芸 【鵜沢隆 筑波大名誉教授コメント】「この巨大なボリュームの建築の魅力は、その規模ではなく、空間配置の合理性と明快さにある。そして、この大きな建築の隅々に至るまで、設計者のデザイン的感性が張り巡らされている。寡黙でありながらも、張り詰めた緊張感がこの建築にはみなぎっている。 谷口吉生のこの作品は、屋内スポーツのためのアリーナと劇場としてのホールという2つの機能を併置させたコンプレックス(複合)建築である。全く異なる機能をひとつの空間にまとめあげているのが、公園に面した北側正面の大きなキャノピー(大庇=おおひさし=)である。 8本の細長い鉄骨柱で支えられたキャノピーの東側6スパン(柱間)がアリーナ部分、西側3スパンがホール部分に対応する。南北の奥行きは全く同じであるため、建築はひとつの巨大なキューブとしてまとまられている。 アリーナとホールの境界には、ふたつの機能を管理するための廊下が南北に貫通する。このバックヤードの廊下は来館者たちの動線とは切り離されているため、ほとんど気づかれないが、その廊下の延長線上に、2階レベルで掛け渡されたブリッジがキャノピーの下から北側に伸び出して、ひとつの建築ボリュームに内在するふたつの機能の分割軸の存在を明確に視覚化している。 全く異なるふたつの機能空間をひとつの建築的ボリュームにまとめ上げることは容易ではない。そうした困難を微塵も見せず、むしろ空間の各所を破綻なくまとめあげている技こそが、谷口吉生の作品の真骨頂である。外壁パネルの割り付けから、様々な目地に至るまで、見事に一体的にコントロールされている。谷口のデザイン技法はそれらを声高に主張するのではなく、あくまでも寡黙なままにまとめ上げる、まさに緻密な空間の職人芸である」 「将来、スキルにつながっていったらいい」 【建築散歩】この施設は、当時の住都公団(現UR都市再生機構)が計画し工事発注を行った。 当時、公団筑波開発局内には「建築課」が一定期間設置されていた。メーンの仕事がカピオだったが、そもそも筑波開発局は学園都市やテクノパークといった都市開発、区画整理部隊で、建築課を置くのは少し異例の出来事だった。 ここに在籍していた若手の建築課長の仕事ぶりが印象的だった。建設工事が開始された後も、執務デスクにかじりついて何かをまとめる作業に没頭していた。何を書いているのかたずねると「建物が出来上がった後の運用マニュアル」という答えが返ってきた。 「こういった公共施設をハードだけ作って監理者や地元に投げてしまうのは不親切だと思うのです。こう使えば建物のどこが役立つ、イベントの規模から施設のどれだけの部屋や設備を効率よく使うか判断できる、そういったソフトウエアも提供していかなければ」 建築課長は「それが将来、つくば市のスキルにつながっていったらいいな」と話してくれた。(鴨志田隆之) 続く ➡つくば建築散歩1 槇文彦、筑波大学大学会館はこちら ➡つくば建築散歩2 鵜沢隆、筑波大学総合研究棟Dはこちら ➡つくば建築散歩3 坂倉建築研究所、つくば国際会議場はこちら ➡つくば建築散歩5 伊東豊雄、南3駐車場はこちら ➡つくば建築散歩6 妹島和世、ひたち野リフレはこちら ➡つくば建築散歩7 磯崎新、つくばセンタービルはこちら (敬称略)

自治体営繕課による意欲作【つくば建築散歩】3

つくば国際会議場 筑波研究学園都市中心部にあるつくば国際会議場(エポカルつくば)は、1999年に開館した。学園地区の公共建築整備のガイドラインの一つであり、周辺の公園や市街地に圧迫感を与えず、街並みと融合するような軒高を与えられている。この施設の建設に当たって民間から、現在つくばセンタービルの改修を手がける坂倉建築研究所が参加したが、設計主体は茨城県土木部営繕課だ。 現実超えた過剰性 【鵜沢隆 筑波大名誉教授コメント】つくば市で坂倉建築研究所が実現した最大の建築空間。国際会議場という特異な施設機能がつくばで成立しうるか否かについては、計画当初から熾烈(しれつ)な議論があった。そうした議論をねじ伏せるかの如く、茨城県が推進したこのプロジェクトを坂倉建築研究所は具体的な空間としてデザインした。この施設の膨大な空間的ボリュームを、都市と調和的に馴染ませる空間配置の設計手法は、成功したかに見える。 しかしながら、既に計画当初から指摘されていたこの施設の特殊性が、竣工直後からすでに問題を顕然化させることとなった。つまり、つくばの地に主要な国際会議が招致できないというジレンマに直面することとなった。茨城県の潤沢な予算を受けて坂倉建築研究所が設計した国際会議場という施設は、街の風景に紛れてはいるが、有効活用されぬままに、つくばの過剰な施設となった。 国際会議場の充実した設備は、繰り返される小規模の集会程度では、完全に消化不良をきたしている。ここでしばしば開催されている、和服の着付け教室やら美容講座など、目を覆いたいほどの現状である。現実を超えたこの施設の過剰性がこの建築の全てであり、茨城バブルの建築的象徴である。 つくば市に坂倉建築研究所が実現した多数の建築群の中でも、その初期の南1駐車場の設計思想と比較すると、この国際会議場には明確な設計理念は認められない。ぜいたくな仕上げ材やほとんど人気のないうつろで巨大なホワイエなどが目立つだけである。つくば市の国際会議場という非日常的な機能を、新たな建築的空間として提示し得なかっただけでなく、単に都市の風景の中に埋没させただけである。 東京都に続き設計競技方式を駆使 【建築散歩】地方自治体による公共建築設計は、80年代に東京都財務局が設置した建築設計候補者選定委員会が、若手建築家の発掘や国際レベルの設計競技を実施し活躍した。この動向に続いたのが茨城県。土木部営繕課が様々な設計協議方式を駆使して、県内の大型建築でそれにふさわしい設計者を選出した。県土木部には内製で設計を手がけるという事例もあり、地方公共団体としては優秀な技能士職員が育っていた。 国際会議場もそのひとつ。この当時、営繕課担当者からうかがったエピソードは「会議場の1階空間を通して、建物内外の壁や窓の感覚的な隔たりを無くしたい」というものだった。その発想が、1階フロアの広々とした間取りと、そこから眺めることのできる竹園公園やつくば公園通りとの連続性をもたらしているが、樹木が成長した現在は、2階フロアからの眺望が、学園都市の緑被率の高さを再認識できる。(鴨志田隆之) 続く ➡つくば建築散歩1 槇文彦、筑波大学大学会館はこちら ➡つくば建築散歩2 鵜沢隆、筑波大学総合研究棟Dはこちら ➡つくば建築散歩4 谷口吉生、つくばカピオはこちら ➡つくば建築散歩5 伊東豊雄、南3駐車場はこちら ➡つくば建築散歩6 妹島和世、ひたち野リフレはこちら ➡つくば建築散歩7 磯崎新、つくばセンタービルはこちら (敬称略)

キャンパスの風景変える開放系のファサード【つくば建築散歩】2

筑波大学 総合研究棟D 2000年代初頭、筑波大では部分的なキャンパスリニューアルを進め、次世代研究や授業の拠点となる施設を新築した。中でも、従前の大学施設に見られる茶褐色系の落ちついた意匠から離れ、メタル系の外装とガラスカーテンウオールを駆使した斬新な建物として2004年に完成したのが総合研究棟Dだ。本連載のコメンテーターである筑波大学名誉教授の鵜沢隆さんの設計作品でもある。 視点の移動で表情が変化 【鵜沢名誉教授コメント】「学内を環状に循環するループ幹線道路の南端の敷地に、新たな大学院教育・研究施設を設計するにあたり、道路に沿って湾曲した建築のボリューム計画が、その必然的なスタートラインであった。それに対して大学施設部からは、他の大学施設との連続性から、キュービックなボリュームの建築が強く求められたが、最終的にはデザインに対する全面的な理解と支持を獲得して実現した。 主要な設計意図は、緩くカーブする開放的で、柔らかな外観の表現と、連続的に変化する道路からの視点に応じて表情が変化する、建築の外観の実現にあった。 そこで採用されたファサード(正面の外観)の素材が、開放的なガラスとFRP(繊維強化プラスチック)のグレーチング(格子状の構造材)であった。FRPのグレーチングは、視点の移動による表情の変化が意図されただけでなく、直射日光や西日のコントロールのためにも採用された素材であった。その結果、教育・研究施設としての開放的な空間を実現したばかりか、筑波大学の新しい建築のシンボルとして学内外から受け入れられることにもなった。 建築の外観のみならず、各階のインテリアには様々なデザイン的仕掛けが施されているが、教員や学生たちには、それらのデザインはすでに日常的な風景となっているようだ」 次世代のイメージを実現 【建築散歩】この建築プロジェクトで、名誉教授で建築家の鵜沢隆さんと出会った。 当時、芸術学系教授であった鵜沢さんは、学生が通って快適さを感じる開放的な建物を提案した。建物はキャンパス内をループする周回道路沿いの建設敷地で、周回道路に沿った外観を特徴とするような配置計画を描き、実際の研究棟も道路側ではけやき通りからかえで通りに連なる道の、アールに寄り添うような曲面で建設されている。 このファザードが、今ではスタンダードとなった金属製ルーバー(細長い板を平行に複数並べたもの)による意匠表現を与えられ、研究棟本体がコンクリートの塊である様子を感じさせない。ルーバーの内側はサッシュ(窓枠)を含めたガラスのカーテンウオールが見え隠れしており、質実剛健な印象を与えた他の総合研究棟に対して、並木道と融合した次世代のキャンパスイメージを実現させた。 設計は、東京ビッグサイトの設計で有名な佐藤総合計画が協力している。佐藤総合計画は、土浦市役所旧庁舎(2020年5月17日付)や改修以前の土浦市民会館(20年5月16日付)を手がけた佐藤武夫建築設計事務所が前身だ。(鴨志田隆之) 続く ➡つくば建築散歩1 槇文彦、筑波大学大学会館はこちら  ➡つくば建築散歩3 坂倉建築研究所、つくば国際会議場はこちら ➡つくば建築散歩4 谷口吉生、つくばカピオはこちら ➡つくば建築散歩5 伊東豊雄、南3駐車場はこちら ➡つくば建築散歩6 妹島和世、ひたち野リフレはこちら ➡つくば建築散歩7 磯崎新、つくばセンタービルはこちら (敬称略)

学園都市黎明期の原風景【つくば建築散歩】1

筑波大学 大学会館 2022年は、筑波研究学園都市の開発建設に関する閣議了解、正確には国の省庁・機関を茨城県南部へ移転させる閣議了解(1967年)から55年、国家公務員宿舎の入居開始(1972年)から50年にあたる。半世紀にわたる都市の成長、成熟の中で、建設省(現国土交通省)、住宅・都市整備公団(現UR都市再生機構)などの公的機関が多くの建築物を手がけ、様々な建築家や設計事務所を採用したことで、筑波研究学園都市自体が都市開発と建築物の博物誌を醸成する結果となった。 現存するつくばの名建築を紹介する第1弾として7カ所を紹介する。しかしこれは「つくばでうまいラーメン屋はどこでしょうか」と問われるのとあまり変わりなく、あちらを立てたらこちらもか、建築ごとに好き嫌いの意見も分かれそうだ。 今回、つくば市在住の建築家であり、筑波大学名誉教授の鵜沢隆さんに建築物の紹介をお願いした。写真は、同じくつくば市在住の写真家として活躍する斎藤さだむさんが、書籍「つくば建築フォトファイル」に収録した竣工当時の撮影写真を提供していただいた。同書を出版するNPOつくば建築研究会からも、収録写真の使用について快諾をいただけた。 どこから始めたものかで迷った中、初回は槇総合計画事務所、槇文彦さんの設計による筑波大学大学会館とした。連載のスタイルとして、まず鵜沢名誉教授の建築紹介から始める。 その後の大学の外観意匠決定付ける 【鵜沢名誉教授コメント】「筑波大学開学初期の中心的施設で、その外壁の暗い赤茶色の仕上げとキュービックなボリュームが、その後の各大学施設の外観意匠を決定付けた。大学諸施設に落ち着いた統一感は生まれたものの、全体的に沈鬱(ちんうつ)なキャンパスの印象をつくり出した点も否定できない。 キャンパスの中心的施設でありながら、学内のペデストリアンに対してのみ開かれた建築であるため、大学外部からのアクセスは不明瞭で、孤立した大学施設の印象は否めない。 そうしたネガティブな機能を補完するため、大学会館に接続し、大学の新たな玄関口となる空間の設計を大学本部から私が依頼された。こうして2006年に竣工したのが、開学30周年記念「総合交流会館」(あす2日付で紹介)である。 学内外の交流と大学の情報発信の象徴的な拠点として、大学会館の閉鎖的な空間とは対照的に、開放的な「ガラスボックス」を大学会館に貫入させる意匠となった。この施設の実現によって、学外からの車による直截的なアクセスが視覚化された」 キャンパスの顔 【建築散歩】旧東京教育大学を改称し、1973年に設置された筑波大学は、研究学園都市の研究学園地区内に4つのコアをゾーニングして整備された。そのうち中央コアと呼ばれる、文字通りキャンパスのセンターゾーンに、同じ槇文彦さんが設計し1974年に完成した大学会館が所在する。 中央コアは複数の建物が中庭を囲むように配置されており、学内行事に活用される会館のほか、外来者にも対応したレストランや商業店舗、宿泊機能が網羅されている。80年代に都市整備を所管していた住都公団(UR都市再生機構)の案内でキャンパスを訪ねた折、公団担当者は「東京大学との比較は無意味かもしれませんが、筑波大は、広く世界と交流し、物事を提案する人材育成を目指しています」と語っていた。 大学会館は、学生達がコミュニケーションを図り、内外への情報発信を行う空間であり、研究学園地区を貫くペデストリアンデッキからもキャンパスの「顔」としてたたずむ。用途は開放形だが、会館を含む中央コアの建物群は、さながら要塞のようにも見える。 大学会館と共に槇さんは体芸棟を設計した。壁面がガラスのブロックパネルで構成された体芸棟は、筑波山に向かって大学会館を目指す門の役割を果たす。 槇さんは、ヒルサイドテラス(東京都渋谷区、旧山手通り)、幕張メッセ、同新展示場・北ホール(千葉市)や朱鷺メッセ(新潟市)、横浜アイランドタワー(横浜市)、東京体育館等で知られるが、85年のつくば科学博Aブロック外国展示館、民間企業研究所といった、つくばでの建築も手がけている。(鴨志田隆之) 続く ➡つくば建築散歩2 鵜沢隆、筑波大学総合研究棟Dはこちら ➡つくば建築散歩3 坂倉建築研究所、つくば国際会議場はこちら ➡つくば建築散歩4 谷口吉生、つくばカピオはこちら ➡つくば建築散歩5 伊東豊雄、南3駐車場はこちら ➡つくば建築散歩6 妹島和世、ひたち野リフレはこちら ➡つくば建築散歩7 磯崎新、つくばセンタービルはこちら (敬称略)

嘉納治五郎の書を初公開 筑波大体育ギャラリーリニューアル

東京2020まで五輪の系譜たどる 筑波大学(つくば市天王台)体育ギャラリーが31日、リニューアルオープンした。明治時代、日本のオリンピックの礎を築いた同大ゆかりの柔道家、嘉納治五郎直筆の書から、昨年の東京五輪で活躍した筑波大出身アスリート49人の写真パネルまで、五輪にまつわる約90点の資料や記念品を展示し、同大にかかわる五輪の系譜をだとっている。 同ギャラリーは新型コロナ感染拡大防止のため約1年半休館していた。今回、内容を一新して再オープンした。 展示されているのは、初公開となる嘉納直筆の書、昨年7月つくばで開催された東京五輪聖火リレーのトーチ、昨年の東京オリンピック・パラリンピックで活躍した筑波大出身アスリート49人の写真など。 嘉納は筑波大の前身の東京高等師範学校校長で、東洋初の国際オリンピック委員会委員を務め、日本のオリンピック初参加に尽力した。展示を企画した同大体育系の大林太朗助教によると、直筆の書は嘉納が70代の時にしたためた。「天下で大きな成功をなす者は皆、努力をしている。名をなす者は小さな積み重ねを大事にしている」という意味の書で、大林助教は「筑波大アスリートにもつながる人生訓」だと説明する。 聖火リレーのトーチは、昨年つくばの最終ランナーを務めた元体操選手の加藤澤男名誉教授(75)が実際に持って走ったトーチだ。加藤名誉教授は東京教育大出身(現筑波大)で、五輪3大会に出場し8個の金メダルを含む計12個のメダルをとった。31日のリニューアル記念式典に参加した加藤さんは「嘉納先生の活躍から今日までの流れを大事に、これから変容していく中でも、精神を生かしていけるよう願っている」と後輩の筑波大アスリートに言葉を贈る。 写真パネルは縦1.8メートル、横3.7メートルで、昨年の東京オリンピック・パラリンピックで競技した選手たちの躍動する写真が1枚のパネルに貼られている。ギャラリー手前の廊下に展示されており、一般の見学者が筑波大アスリートに向けて、ボードの余白に直接メッセージを書くことができる。 記念式典であいさつに立った永田恭介学長は「力を尽くした人たちがいたことをレガシーとして次の世代に伝え、スポーツがもつ力やスポーツが何をなし得るかを皆で考えていければ」と話した。(鈴木宏子) ◆筑波大学体育ギャラリーは体芸棟(5C棟)2階にあり、平日のみ開館。だれでも無料で見学できる。

B1ロボッツ6連勝ならず つくばでのホーム戦に敗れる

男子プロバスケットボールBリーグ1部(B1)の茨城ロボッツは26日、つくば市竹園のつくばカピオアリーナでサンロッカーズ渋谷と対戦し76-85で敗れた。これで茨城は12勝29敗で東地区10位。 今季B1に舞台を移した茨城は、トップリーグのレベルの高さになかなか勝ち星を伸ばせずにいたが、今月に入って直近5試合は白星続きと波に乗り始めた。対する渋谷は東地区6位にいるものの現在5連敗中と元気がなく、16日の対戦でも95-91と競り勝ってみせたばかり。この日も同様の結果が期待されていた。 試合は茨城のペースで始まった。第1クオーター(Q)はエリック・ジェイコブセンのインサイドシュート、鶴巻啓太の3点シュート、平尾充庸のスチールなどで得点を伸ばし21-16とリード。渋谷は3点シュートやフリースローの成功率が低く、またファウルもかさみチャンスを広げられない。 しかし第2Q、渋谷は石井講祐が3点シュートを3本連続で決め、その後も関野剛平や盛實海翔らが次々とロングシュートを放ち、茨城を突き放していく。平尾は「試合を通してインサイドを守ることは徹底できたが、どうしても外への気持ちが薄れ、相手のリバウンドや3Pへの対応が遅れた。ただ、イージーな3Pは打たせていない。沈めてきた相手をほめたい」と試合後に感想。 第3Qは点の取り合い。渋谷は3Pを要所要所で決めていき、第4Qに入った直後には11点差まで広げられてしまった。ここから茨城は意地を見せ、ジェイコブセンと平尾が立て続けにバスケットカウントを獲得。残り7分の時点で早くも相手を5ファウルに追い込み、会場の雰囲気も最高潮に達するものの、その後の得点につながらない。攻撃では難しいショットを打たされ、守備では相手の外国人選手に押し負けるなど、疲れが見て取れるようになってきた。中村功平とマーク・トラソリーニを負傷で欠き、効果的な選手交代ができなかったことも厳しかった。 「前半は守備をハードにやれ、攻撃もしっかりできた。後半はセカンドチャンスを取られ、差をつけられた。個人的には3点シュートやドライブなど思い切ったプレーができ、徐々に結果に結び付いてきている」と鶴巻のコメント。6連勝できなかったことは悔しいが、すでに明日に向けて切り替えができ、チームの雰囲気は高まっているという。 この日同会場で予定されていた筑波大学アスレチックデパートメントの主催による、筑波大学と青山学院大学の男子バスケットボール部スペシャルマッチは、メンバーの一部に新型コロナの感染が判明し延期された。(池田充雄)

創薬研究に産学連携拠点 筑波大 クライオ電子顕微鏡お披露目

筑波大学生存ダイナミクス研究センター(TARAセンター、つくば市天王台、林純一センター長)は16日、クライオ電子顕微鏡施設のオープニングセレモニーを開いた。競争激化する創薬研究で必須となっている構造解析に不可欠な装置で、セレモニーには研究者ばかりでなく産学官の関係者が集まり、研究の加速、利用の拡大への期待を語った。つくばにおける2号機、3号機となる2台がお披露目された。 クライオ電顕は、液体窒素温度条件下(クライオ)でタンパク質などの生体分子に対して電子線を照射し、試料の観察を行うための装置。タンパク質の立体構造を高分解能で決定する手法として、目覚ましい技術革新を遂げている。2017年その開発に貢献した研究者3人にノーベル化学賞が授与された。以来、日本でも関心が広がり、つくばでは2018年4月に高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所に最初の1台が導入された。 タンパク質の構造解析に威力 TARAセンターには、電子を200キロボルトと300キロボルトにそれぞれ加速する2台の装置が導入され、このほど稼働を開始した。国の2020年第3次補正で総額32億円、全国3拠点に6台のクライオ電顕を措置したうちの2台。新型コロナウイルスや創薬研究のための構造解析に向けた基盤構築を早期に実現するのを目的に、日本医療研究開発機構(AMED)が導入先を選んだ。 導入を指揮した岩崎憲治教授らによれば、クライオ電顕は試料を凍結したまま観察することができるため、タンパク質などの壊れやすい生体高分子、特に分子量の大きなタンパク質複合体の観察に適しているという。創薬研究では治療の標的物質に薬が「くっつくか」の見極めが極めて重要で、特に結晶化というプロセスを介さずにタンパク質の立体的な構造解析が可能なクライオ電顕の可能性は大きい。 装置や撮影技術の高度化の一方、測定試料の事前調製に精緻(せいち)な作業と膨大な労力が必要なのが課題だ。タンパク質の構造決定で自動化が実現すれば、下処理などにかかる回数や時間の大幅な改善が期待できる。遠隔化が可能になればパンデミックのような状況でも研究が継続できると見られている。 本格運用は7月から 今回導入の2台はともに日本電子(本社・昭島市)製。セレモニーであいさつした同社、栗原権右衛門会長は「世界でクライオ電顕を手掛けるメーカーは2社しかない。出遅れていた米国社にようやく追いつき、自動化、リモート化で盛り返してきた。わが社がYOKOGUSHI(ヨコグシ)と呼んでいる産学連携のいっそうの推進を図りたい」とした。 KEKの千田俊哉構造生物学研究センター長は「KEKでも今回、実験棟を新設、クライオ電顕を移設した。筑波大、物質・材料研究機構と組んで立ち上げたTCEF(クライオ電顕フィート)チームで、利用の一体的な体制整備を進めたい」とした。つくば地区に研究所を構える製薬メーカーからは「勘や経験に頼っていた探索にビッグデータやAI(人工知能)を活用する時代。クライオ電顕の共同利用に期待は大きい」との声も聞かれた。 岩崎教授は目標として稼働の50%を企業支援に当てたいとする一方、「大学は教育機関なので、学生やインターン、電子光学を志す専門家の研修にも役立たせていきたい」とした。筑波大では6月ごろまではトライアル期間として、7月以降課金しての本格運用を目指している。(相澤冬樹)

コロナ対策避難所を検証 つくば 水素燃料バスで電源供給も

つくば市の指定避難所となっている旧筑波東中学校体育館(同市北条)で14日、新型コロナウイルス対策を施した避難所レイアウトの検証が実施された。併せて、災害時の停電を想定した水素燃料電池バスによる電源供給の実証実験も実施された。 つくば市と筑波大、茨城県が共同で実施した。避難所感染症対策の検証は、筑波大医学医療系感染症内科学の鈴木広道教授がアドバイスなどした。水素燃料電池バスによる電源供給は内閣府の戦略的イノベーション創出プログラムの一環で実施された。避難所の新たな電源供給の在り方として今後、同大システム情報系の鈴木健嗣教授らが国に提案などしていくという。 ブルーシート敷き区切る 感染症対策をした避難所のレイアウトとして、体育館1階の床に、単身用、2人家族用、3人家族用と大きさが違うブルーシートを敷いて並べ、それぞれ2メートルまたは1メートルの間隔を空けて区切り、家族ごとにまとまって過ごせるようにする。 感染の疑いがある人が避難してきた場合は、入り口に近い、換気のよい体育館2階に間仕切りテントを設置し、非感染者とは別の場所で、家族ごとに過ごせるようにする。 感染症が専門の鈴木広道教授によると、避難所の感染症対策は、感染の疑いがある避難者と非感染者の動線を分ける、避難所内で感染者が移動する距離を短くする、空気の流れをつくるため2方向の窓を開けて換気する、トイレが1カ所しかない場合、感染者と非感染者で使用時間を区切り、感染者が使用した後は避難所の職員が消毒するーなどがポイントになるという。 ただし感染症対策をした場合、200人が避難できる体育館であっても、収容人数は3分の1ほどの60~70人になってしまう。市は、避難所への避難だけでなく、自家用車による車中避難や被災の恐れのない親戚や友人宅への避難、宿泊施設への避難などさまざまな避難を呼び掛けたいとしている。 一方、感染者専用の避難所を別に設ける予定で、指定避難所に一時滞在した後、自家用車で専用の避難所に移動してもらうことになるとしている。 14日は、避難所に来た後、具合が悪くなった患者役の職員を、非感染者用の1階のスペースから、2階の間仕切りテントに誘導する訓練なども実施され、避難所の職員が対応の方法を確認などした。 専用アプリで残りの電気量把握 停電を想定した避難所への電源供給は、今年1月に開発された小回りのきく水素燃料電池マイクロバスが出動した。同体育館に新たに非常用電源盤を設置して、マイクロバスから電気を供給した。 同体育館の場合、点灯する天井の照明の数などを3分の1ほどに減らせば30時間ほど電源を供給し続けることができるという。専用アプリで、供給可能な残りの電源供給量も把握できることから、残りの電気を確認しながら、避難所でお湯をわかしたり、避難者の携帯電話を充電したりできるという。 人工知能などを研究する鈴木健嗣教授は「バスだけでなく、水素燃料電池の乗用車からも電源供給できるので、住民、市民の力を借りて避難所で電源供給をやっていけるようなことも発信したい」と話している。(鈴木宏子)

それぞれの夢を胸に6人が巣立つ 日本つくば国際語学院で卒業式

つくば文化学園が運営する日本語学校「日本つくば国際語学院」(つくば市松代、東郷治久理事長)の卒業式が11日、行われた。今年度の卒業生は6人で、4人が式典に臨み、恩師や在校生に見守られながら学びやを巣立った。 卒業式は山水亭(つくば市小野崎)を会場に開かれ、卒業生は青いガウンに帽子とマスクを着けて入場、列席者に感謝の意を述べた。卒業生の出身国はメキシコ、タジキスタン、ウズベキスタン、スリランカ、中国、アラブ首長国連邦(UAE)の6カ国。卒業後は大学や専門学校などに進学し、興味のある専門分野を深めるという。 東郷理事長は「将来どのようなことがあるが分からないが、困ったことがあったら母校であるつくば国際語学院を思い出してほしい。教職員があたたかく迎えてくれるでしょう」と話し、卒業証書を一人ひとりに手渡した。授与された卒業生は、それぞれ日本語で学院の思い出を話したり、後輩たちにエールを送ったりした。 卒業生代表でメキシコ出身のアルメイダ・ミチェルさん(23)は、「私たちはかけがえのない経験をし、大きく成長することができました。学びの場と貴重な経験、機会をくださったすべてのみなさまに感謝の気持ちを伝えます。私たちは本当に恵まれていました。今日まで本当にありがとうございました」と答辞を述べた。 アルメイダさんは、中学3年生の時に趣味で日本語を学び始めたのが高じ2017年に来日した。同学院で勉強し、日本語を母語としない人の日本語能力を測定する「日本語能力試験(JLPT=Japanese-Language Proficiency Test)」の最高レベルであるN1とそれに次ぐレベルN2の両方に満点で合格。特にN1は日本人でも満点を取るのが難しいと言われている。卒業後は筑波大学人文・文化学群比較文化学類に進学し、日本文学やジャーナリズムについて勉強するという。 同じく卒業生でタジキスタン出身のキムサノブ・アズィズさん(21)は、東京国際大学国際関係学部に進学する。キムサノブさんは中学と高校で合わせて5年間日本に住んでいた経験がある。来日した当初は日本語が分からず苦労したことから、自分と同じような境遇の外国人に向けた教育について勉強し、教育関係の仕事がしたいと話す。 ウズベキスタン出身のサミタガニエフ・ムスタフォ・トジベクウギリさん(22)は、栃木県にあるビジネスの専門学校に進学予定。「(卒業式で)緊張していますが、卒業できてとても嬉しいです」と話し、日本とウズベキスタンの文化、技術の懸け橋となる仕事をするのが夢だと希望をふくらませた。 同学院の森山英熙本部長によると、新型コロナの水際対策による入国制限で日本に入国できずにいる学院入学予定者が57人いるという。入国を2年待っている人もおり、中には留学を取りやめて就職するというケースもあるため、留学の夢をあきらめることがないようオンラインで課題を配信するなどの対応を行っている。今後の水際対策緩和で、4月から5月末までには新入生が入国し、来年度の新入生受け入れの手続きが進むのではとの見通しだ。(田中めぐみ)

巻き返しのキャンプイン 新監督の下、茨城アストロプラネッツ始動

独立リーグの茨城県民球団、茨城アストロプラネッツ(県南事務所・土浦市)のキャンプが10日、笠間市民球場でスタートした。実戦を想定した練習、対外試合15試合をこなし、開幕前日の4月8日まで行われる。 チームは、ALL OUT(オールアウト、すべてを出し切って)勝利を目指して頑張るーをスローガンに掲げる。松坂賢新監督(30)の下、 新戦力として練習生を含み24人が入団、所属選手は38人となった。昨年東地区22勝8分け35敗と最下位に終わったチームの巻き返しを図る。 松坂監督は「昨シーズンは思うように勝てなかったが次のステージに5選手を送ることが出来たのが収穫」という。昨年NPBドラフト会議で、2選手が育成ドラフト指名されるなどしている。今シーズンは「もっと多く上のステージに発進し、優勝を目標にしていく」と抱負を語った。 霞ケ浦高校出身の2年目、市毛孝宗投手(26)は昨年の背番号1からエースナンバーの18に変わった。「気持ちが引き締まり責任を感じる。結果を出していきたい」と語る。昨年は後半にかけて調子が上がってきたが、「今年はキャンプでしっかり調整し、4月からいい結果を出したい」と意気込む。「球数を少なくして完投目指して2ケタ勝ちたい」の目標を掲げた。 筑波大学から今年入団した野中大輝外野手(22)は、学生野球でプロを意識しはじめた選手だ。「卒業後も野球を続けることが出来たのがうれしい。長打力が持ち味なので力を発揮したい」と語った。 開幕戦は4月9日、栃木県営球場で栃木と戦う。ホームでの開幕は29日に笠間市民球場で栃木と対戦、9月中旬まで62試合の熱戦を繰り広げる。(高橋浩一)

科学のまち つくばで教養について考える 《遊民通信》36

【コラム・田口哲郎】 前略 つくば駅前の中央公園を散歩していたら、男性と猫が並んで歩く銅像が目に留まりました。近づいてみると、それは「朝永振一郎博士と愛猫」像でした。ノーベル物理学賞を受賞した博士は筑波大学の前身、東京教育大学の学長でした。朝永博士はつくば市に住んだことはなさそうですが、研究学園都市・つくばに縁がある偉人ということになるのでしょう。 つくば市は科学のまちで、科学をウリにできるのは素晴らしいことです。科学技術は社会の発展に実際に役立ちますから、たたえられるのは当然ですね。 それに引き換え、文学は飯を食えるようになった後、暇があったらやるような、趣味の世界のことと思われがちですから、社会的地位を科学技術に譲らざるを得ないのは仕方ないのかもしれません。 でも、人類は石けんを発明するよりもずっと前に詩を作っていた―なんて言葉もありますから、科学技術も文学、どちらも必要なのは間違いないようです。 ホメロス『イリアス』を朗誦する英首相 先日、You Tubeで面白い動画を見つけました。英国のボリス・ジョンソン首相がロンドン市長時代、あるトークショーに出演したものです。ジョンソン氏はウィットに富んだ話で会場や司会者を笑わせます。 そして、ふいに「メーニナエイデテアペーイアデオーアキレイオス」と唱え始めます。それは古典ギリシア語で、ホメロスの叙事詩『イリアス』の冒頭なのです。その後の40行を3分間、ろうろうと朗唱します。2700年ほど前の詩を原語で。ジョンソン氏の強弱の付け方が独特なので、会場からはまた笑い声が起こる。 シェイクスピア作『ジュリアス・シーザー』のセリフに「it was Greek to me」というのがあり、直訳は「それは私にとってギリシア語だった」ですが、慣用句的に「それは私にはちんぷんかんぷんだった」という意味になります。 古典ギリシア語の文法はとても複雑で難しく、西洋人にとってもラテン語と並んで難しい言葉なのです。タモリがでたらめの外国語のマネをして、人を笑わせる芸に近い感じです。しかし、ジョンソン氏のギリシア語はでたらめどころか、教養の正統中の正統なのです。 古代ギリシア文化はヨーロッパ文化の根源のひとつです。ですから、ヨーロッパの人々は古典ギリシア語を学ぶことを重視して、ギリシアの哲学・文学を読む古典学が生まれました。古典学は中等教育にも取り入れられ、近年まで教養の基本になっていました。 この古典学をリードしてきたのは、独ボン大学、仏ソルボンヌ大学、英オックスフォード大学です。ジョンソン氏はそのオックスフォード大学で古典学を修めました。 過激な言動で世間を騒がせ、トランプ前米大統領の同類のように映るジョンソン氏。おどけたり失言したりするのはただのフリなんじゃないと思わせるほど、『イリアス』朗唱はすごさを感じさせます。教養とは何なのかを改めて考えさせられる動画でした。ごきげんよう。 草々(散歩好きの文明批評家)

科学のまち つくばで教養について考える 《遊民通信》36

【コラム・田口哲郎】前略 つくば駅前の中央公園を散歩していたら、男性と猫が並んで歩く銅像が目に留まりました。近づいてみると、それは「朝永振一郎博士と愛猫」像でした。ノーベル物理学賞を受賞した博士は筑波大学の前身、東京教育大学の学長でした。朝永博士はつくば市に住んだことはなさそうですが、研究学園都市・つくばに縁がある偉人ということになるのでしょう。 つくば市は科学のまちで、科学をウリにできるのは素晴らしいことです。科学技術は社会の発展に実際に役立ちますから、たたえられるのは当然ですね。 それに引き換え、文学は飯を食えるようになった後、暇があったらやるような、趣味の世界のことと思われがちですから、社会的地位を科学技術に譲らざるを得ないのは仕方ないのかもしれません。 でも、人類は石けんを発明するよりもずっと前に詩を作っていた―なんて言葉もありますから、科学技術も文学、どちらも必要なのは間違いないようです。 ホメロス『イリアス』を朗誦する英首相 先日、You Tubeで面白い動画を見つけました。英国のボリス・ジョンソン首相がロンドン市長時代、あるトークショーに出演したものです。ジョンソン氏はウィットに富んだ話で会場や司会者を笑わせます。 そして、ふいに「メーニナエイデテアペーイアデオーアキレイオス」と唱え始めます。それは古典ギリシア語で、ホメロスの叙事詩『イリアス』の冒頭なのです。その後の40行を3分間、ろうろうと朗唱します。2700年ほど前の詩を原語で。ジョンソン氏の強弱の付け方が独特なので、会場からはまた笑い声が起こる。 シェイクスピア作『ジュリアス・シーザー』のセリフに「it was Greek to me」というのがあり、直訳は「それは私にとってギリシア語だった」ですが、慣用句的に「それは私にはちんぷんかんぷんだった」という意味になります。 古典ギリシア語の文法はとても複雑で難しく、西洋人にとってもラテン語と並んで難しい言葉なのです。タモリがでたらめの外国語のマネをして、人を笑わせる芸に近い感じです。しかし、ジョンソン氏のギリシア語はでたらめどころか、教養の正統中の正統なのです。 古代ギリシア文化はヨーロッパ文化の根源のひとつです。ですから、ヨーロッパの人々は古典ギリシア語を学ぶことを重視して、ギリシアの哲学・文学を読む古典学が生まれました。古典学は中等教育にも取り入れられ、近年まで教養の基本になっていました。 この古典学をリードしてきたのは、独ボン大学、仏ソルボンヌ大学、英オックスフォード大学です。ジョンソン氏はそのオックスフォード大学で古典学を修めました。 過激な言動で世間を騒がせ、トランプ前米大統領の同類のように映るジョンソン氏。おどけたり失言したりするのはただのフリなんじゃないと思わせるほど、『イリアス』朗唱はすごさを感じさせます。教養とは何なのかを改めて考えさせられる動画でした。ごきげんよう。 草々(散歩好きの文明批評家)

テイクアウトのモバイルオーダーをスタート 百香亭

店内飲食もスマホから注文可能に 県南を中心に全8店舗を展開している中国家庭料理の店「百香亭」(ひゃっこうてい、本店・つくば市東平塚)が2月から、待たずに持ち帰りができるテイクアウト予約のモバイルオーダーシステムをスタートさせた。コロナ禍、昨年から同店は、弁当や一品メニューの持ち帰り販売に力を入れている。 スマートフォンでQRコードを読み取って注文する形式で、受け取りの時間を10分刻みで指定できる。現在、筑波大学店(つくば市天久保)では初回から3回目までの注文が割り引きになるテイクアウト専用割引券を配布中で、今後さらにテイクアウト利用客を増やしていきたい考えだ。テイクアウトで人気なのは500円(消費税込み)のワンコイン弁当のほか、店内飲食でも人気の看板メニュー黒酢豚に、炒飯や焼きそばだという。 店内飲食での感染リスクも減らそうと、店内でのモバイルオーダーもスタートした。席に着いた客が自分のスマートフォンで店内にあるQRコードを読み込み、メニューを選ぶと店側の端末に注文が届いて配膳される仕組み。伝票も必要なく、スマートフォンの画面をレジで提示して会計を行う。紙のメニューの消毒がしづらいことなどからメニューを触る必要なく衛生的と導入を決めた。アプリケーションのダウンロードが必要なく簡単で、若い客だけでなく、50代、60代にも好評だという。 統括マネージャーの許徳生(きょとくせい)さんは「お客さんは(テイクアウト用の)チラシをもらってもなくしてしまうし、注文したい時にどのようなメニューがあるか、そのメニューが持ち帰りできるのかどうかも分からない。感染リスクを抑えて安全に注文しやすい方法をと考え、モバイルオーダーシステムを導入した」と話す。 歓送迎会の予約はゼロ 一昨年はコロナ禍で売り上げが半分に減少。その後回復したものの店舗全体での売り上げはコロナ禍以前の7割ほどとなっている。昨年4月にデリバリー部門を新設してから1日50食ほどの弁当を主に官公庁に配達しており、売り上げ全体のおよそ3割をテイクアウトとデリバリーが占めている。 筑波大学の学生や教職員などの利用が多い筑波大学店では、コロナ禍以前、歓送迎会のある3月、4月には月の売り上げが1000万円ほどあった。しかし今年は歓送迎会の予約はゼロ。新システムの導入でテイクアウト部門を強化し、店舗への客足も増やしたい狙いがある。 モバイルオーダーシステムはコミュニケーションアプリLINEを利用したもので、「百香亭筑波学園店」はLINE公式アカウントから店舗情報などを随時配信している。同店のシステム担当者は「(百香亭筑波学園店が)公式アカウントを開設してから1週間で300人のフォロワーが付き驚いた」と話す。現在は2100人以上のフォロワーがおり、今後の集客効果に期待を寄せている。 「百香亭」は医食同源をコンセプトにした中国家庭料理の店として2001年にオープン。特につくば本店、筑波大学店はつくば市民を中心に親しまれている。牛久など合わせて7店舗があり、いずれの店舗もテイクアウトサービスを実施している。(田中めぐみ) ◆筑波大学店のテイクアウトについて詳しくは電話029-858-4360(百香亭筑波大学店)

市民参加の文化財保護へアプリ開発 つくば平沢遺跡で3Dスキャン実証実験

スマホで遺跡を多方向からスキャンして3次元データを集め、市民参加の文化財保護に組み立てるという実証実験が26日、つくば市平沢の平沢官衙(かんが)遺跡で行われた。同市のSociety(ソサエティー)5.0社会実装トライアル支援事業の採択案件の一つで、筑波大学が遺跡管理を行うアプリ開発を目指して取り組んできた成果を五十嵐立青市長、森田充教育長らと市民一般に公開した。 実験は3Dスキャンアプリを使って遺跡のモニタリングをするトライアル。奈良・平安時代の筑波郡の役所跡で、国の史跡に指定されている平沢遺跡に復元された高床式倉庫など3棟の建物が対象になった。 スマホからミリ波レーザーを照射し、対象に当たって跳ね返ってくる時間をとらえ、スキャンデータを取得、撮影画像と合わせて3次元イメージに加工する。今回は、建築に使われている市販のアプリを使い、専門業者による詳細な計測データを集約することで、遺跡の最新状態を把握した。 参加者は、対象物を一筆書きでなぞるようにスキャニングする手順の説明を受け、貸与されたアプリ内蔵のスマホで思い思いのポジションで撮影に取り組んだ。平面の土地から高床式倉庫を見上げるように撮影しても、柱が垂直に並んで立ち上がる様子が立体的にとらえられた。 筑波大学芸術系の黒田乃生教授によれば、こうして多方面からスキャンされたデータを集積していくと、VR(バーチャルリアリティー)の形で多くが共有できる。文化財の保存状態の確認や新たな発見による書き変えが継続してできるという。 市民向けの公開に帯同した研究室メンバーは「遺跡の見方が『見物』から『観察』に切り替わり、楽しみ方も変わってくることで参加意欲も湧いてくるようだ」と手応えを語る。 五十嵐市長は「文化財をどう維持管理するかはコストも労力も大変だ。その作業に市民が参加する意義は大きい。市民の意識も変わってくるなら、どうかアプリ開発を加速させてほしい」と感想を述べた。 同市による今年度の支援事業はこれで一旦終了する。筑波大学側はこの先、アプリ開発を継続して進めるための実施主体と資金調達に見通しのついたものではないとしている。(相澤冬樹)

エッセンシャルワーカー向けPCR検査所 県がつくばに開設

濃厚接触者の早期職場復帰へ 新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、濃厚接触者となったエッセンシャルワーカー(社会機能維持者)を対象とした県の無料PCR検査所がつくば市山木、つくばウェルネスパーク駐車場内に開設され、2月1日からドライブスルー方式による検査が実施されている。 自宅待機5日目以降で無症状の医療従事者、保育園や幼稚園職員、警察官、消防士や救急隊員、高齢者や障害者施設の職員などが対象。検査で陰性が確認されれば、早くてその日から安心して職場復帰できる。開設はつくば市1カ所のみで、県内全市町村のエッセンシャルワーカーが対象になる。 筑波大の水素燃料電池バスが出動 抗原検査キットが手に入らなかったりPCR検査が受けられないなど、検査体制のひっ迫が続いていることから、県の要請を受けて、現場で精密なPCR検査ができる筑波大学の水素燃料電池バスが出動し、臨時の検査所が開設された。 現在は1日3時間受け付け、1日最大240人分の検査ができる。2月末まで開設し、平日に検査を受け付ける。検査体制のひっ迫が続けば、3月以降も延長される予定だという。 前日までにインターネットで予約することが必要。会場では、自家用車の車内でだ液を採取し、担当職員に検体を手渡せば、5分程度で終了となる。検体は、会場に駐車してある水素燃料電池バスの車内で1検体ずつ検査され、40分から1時間後に本人のメールに結果が通知される。一般の検査センターでPCR検査を実施する場合に比べ、半日ほど早く本人に結果が届くという。 筑波大によると、2月1日からこれまで、1日平均100人程度、最大で1日169人が検査を実施した。濃厚接触者の場合、自宅待機5日目では1割程度が陽性になるとされるが、筑波大の検査でも169人中11%が陽性だったという。陽性の場合はさらに6日間、自宅待機が必要となる。 16日は午前11時に検査がスタートし、事前予約していたエッセンシャルワーカーの車が次々にやってきて、検体を手渡す姿が見られた。 同大医学医療系感染内科学の鈴木広道教授は「医療従事者などエッセンシャルワーカーの早期職場復帰や、施設内でのクラスター発生防止に協力できれば」などと話している。(鈴木宏子)

つくば生まれのHAL 病院導入にはずみ 4月からの診療報酬改定で

装着型ロボットスーツ開発のサイバーダイン(つくば市学園南、山海嘉之社長)の主力製品である「医療用HAL下肢タイプ」が4月から、筋萎縮性側索硬化症(ALS)や筋ジストロフィーなどの難病で入院する患者への治療に用いられた場合、診療報酬として出来高評価で加算できることになった。診療報酬の増点もあり、病院がHALを導入しやすくなる条件が整った。 9日開催の中央社会保険医療協議会 (中医協)総会で、2022年度診療報酬改定の答申書が承認された。この中で医療用HALによる入院患者への治療については、DPC包括評価の対象外項目(出来高算定項目)に追加された。 DPCは急性期入院医療を対象とした診療報酬の包括評価制度で、1日当たりの定額(包括)の医療費で計算をする方式。投薬、注射、検査などが包括されている対象項目は別々には算定できない。今回の改定案で医療用HALは、包括評価から出来高算定項目に切り替わり、外来患者同様、診療報酬算定ができるようになった。 同時に診療報酬点数の基本点数が900点から1100点に増点され、難病加算や導入加算を加えると4月以降、1回あたりの出来高評価は4000点となる。サイバーダイン社によれば、診療報酬は1回4万円となり、HALを装着して入院中に週2回月9回、各1時間程度の歩行機能改善を行った場合、36万円が出来高分に算入できるという。 難病入院の患者に治療機会 中医協の答申を踏まえ、厚生労働省は3月までに診療報酬の算定方法の改正に関わる告示・通知を発出する見込み。DPC対象病院は難病指定病院の約8割を占める。これまでHALを使った治療を実施しても、診療報酬として加算されなかったDPC対象病院には導入への大きな動機付けになる。 同社の宇賀伸二CFO(最高財務責任者)は「DPC対象は現在全国に約2000病院あるが、導入先は現行60病院にとどまる。これを当面200病院に拡大して、難病患者の治療機会の確保に努めたい」としている。 HALは筑波大学ベンチャーによって開発された装着型サイボーグ。脳から出る生体電位信号を利用して、身体機能を改善・補助・拡張・再生することができる。下肢などの機能回復を促す医療用のほか、作業支援用、介護支援用がある。 HAL医療用下肢タイプは、筋萎縮性側索硬化症や脊髄性筋萎縮症(SMA)、球脊髄性筋萎縮症(SBMA)など8つの緩徐進行性の神経・筋疾患を対象に、2015年11月に新医療機器として薬事承認され、医薬品医療機器法(薬機法)に基づき、5年間にわたり有効性や安全性の確認を目的とした使用成績調査が実施されてきた。その結果、他に有効な治療方法が確立していない緩徐進行性の患者に対して、既承認薬も含め前例のない顕著な機能改善効果が確認された。さらに安全な治療法であることを証明する「医療技術評価提案書」が日本神経治療学会から提出され、今回の改定案答申に至った。(相澤冬樹)

カエル像36体の物語 つくばテクノパーク桜 住民ら絵本づくり

つくば市桜のまちづくり団体、テクノパーク桜まちづくりを考える会(水谷浩子代表)がこのほど、地区内のあちこちに36体あるカエルの石像を主人公に、絵本『36ぴきのかえるちゃん』(A4判、20ページ)を制作、発行した。同会の古場容史子(よしこ)さんが朗読を担当し、YouTubeでも読み聞かせ動画を配信している。 36体のカエルの石像が会議をし、音楽のあるまちづくりをしていく物語。代表の水谷さんを中心に会員らが考え、筑波大学卒業生の高橋理恵子さんが絵本のイラストを描いた。 テクノパーク桜は1997年に、土地区画整理事業により完成した。筑波大学の東に隣接し、商業施設や住宅、研究施設が立ち並ぶ。同会は2009年に地域の良好な環境を守り、まちの活性と交流を目指すことを理念として発足。桜まつりや街角音楽会などさまざまなイベントを実施してきた。 地区内には事業の完了時点で、さまざまなポーズの36体のカエル像が設置されていた。腕を組んだり、ほおづえをついたり、一体一体ポーズが異なる。 代表の水谷さんは1998年からテクノパーク桜に住んでいる。当時はカエル像を気に留めていなかったが、ある時、数を数えたら36体あることが分かり、また1体ずつポーズが違っていることから興味を持ち始めたという。絵本の制作について「コロナ禍で会の活動がなかなかできなかったので、カエルの本を作ってお店に置いてもらったら街のことを知ってもらえるのではないかと思った」そう。 当時、石像を製作したのは桜川市に住む岩瀬照夫さん(72)だ。岩瀬さんは「ずいぶん前のことで記憶があいまいだが、注文を受けて制作した。カエルのデザインについては一任されていた」と話す。両国国技館(東京・墨田区)前に設置する四つに組んだ力士の像を手掛け、その制作のすぐ後にテクノパーク桜のカエル制作を始めたため、力士の姿をしたカエル像を思いついたという。 同会ではカエル像を皆に知ってもらい、地域の宝にしたいと、2019年に「カエルまっぷ」を制作した。一体ずつポーズの異なる像を「まねきカエル」「かたつむりカエル」「まんぷくカエル」などと名付けた。相撲のまわしを付けてポーズをとるカエル像は「はっけよいカエル」と名付けて、イラストを付けて36体をマップで紹介した。イラストは絵本と同じ高橋さんが描いた。 36体のカエル像をモチーフにした、マップに続く第2弾の取り組みとなる。カエル像は歩道に車が入ってこないようにする車止めの役割を果たしているものもあるが、36体作られた理由や配置については謎のまま残された。 「テクノパーク桜は新しい街なので伝統がないけれど、ここで育つ子どもたちが絵本を見てふるさとを思い出せるよう、ふるさとへの愛着を持てるようにしたい。テクノパーク桜にあるお店の人たちにも愛着を持ってもらいたい」と水谷さん。 絵本は500冊制作し、地区内の商店に置いてもらうほか、保育園などの施設にも配布するという。 動画の朗読を担当した古場さんは「絵本を見ることで、こんなカエルがあるんだよとみなさんに知ってもらいたい。春になって暖かくなったらみんなでカエルを巡り散歩して、楽しみながら興味を持ってもらえたら。とにかくカエルちゃんのしぐさがいい。カエルは他の場所にはない貴重な存在」と話している。(田中めぐみ) YouTube『36ぴきのかえるちゃん』読み聞かせはこちら

追悼、里内龍史さん 障害者の権利獲得目指し闘い続けた

障害者の当事者団体「茨城青い芝の会」会長の里内龍史さん(土浦市神立)が9日、亡くなった。66歳だった。障害者の権利獲得を目指して闘い続けた。脳性まひがあり、車いすで市民運動の闘いの現場に出掛け、文字入力音声読み上げ装置を使って発言した。昨年6月には「茨城青い芝の会」60周年記念誌(21年7月29日付)を発行したばかりだった。 滋賀県の浄土真宗の寺に生まれた。1980年、かすみがうら市の閑居山(かんきょざん)にあった障害者のコロニー「マハラバ村」に移り住んだ。滋賀の共同作業所で働いていた頃、同僚から「作業所で働いて善人ぶってもしょうがない。現代の親鸞のような面白い人が茨城にいる。浄土真宗だから、その人のところへ行って、親鸞の悪人正機の思想を学べ」と言われたのがきっかけだった。 マハラバ村は64年、閑居山の麓にあった願成寺(がんじょうじ)住職の大仏空(おさらぎあきら)=故人=がつくった。後にマハラバ村を出た障害者が全国各地で「青い芝の会」を結成し、70年代に先鋭的な社会運動を起こした。マハラバ村自体は長続きせず、ほとんどの障害者が数年で村を出た。残る人が少なくなった状況の中、里内さんはマハラバ村に移住し、最後の大仏門下生となった。 その後、大仏住職は死去し、84年12月、里内さんは村を出て、土浦市神立で自立生活を始めた。 「きれいな目をしている大人」 1人暮らしをする里内さんを長年、介助し、支えた土浦市の天海(てんかい)国男さん(79)は、大仏住職と知り合い、マハラバ村に行くようになり、里内さんと出会った。「ある日、和尚に呼ばれてマハラバ村に行った。車いすの若い男の人に声を掛けられて、政治のこととか何か議論するようなことを言われた。大仏和尚にそのことを話すと『あれは滋賀県のお寺の坊主だ』と言われた。それが里内さんとの最初」と話す。 天海さんは「里内君と初めて会ったとき、子どものようにきれいな目をしている大人だと思った。そこから付き合いが始まった」と当時を振り返った。 里内さんは生前、天海さんとの出会いについて「閑居山に来る人の中に天海(てんかい)さんがいた。大仏和尚が亡くなる1カ月前に天海さんを閑居山の手伝いに呼んだ。大仏和尚は自分の死期を悟って天海さんに閑居山に残した私を託したかった」と茨城青い芝の60周年記念誌に書いている。 天海さんは「(マハラバ村を出た後)どうしているかと気に掛かり、里内君の家を訪れるようになった。当時は介助という制度があったわけではなかったが『介護をやってくれ』ということになり、やるようになった」と話す。 「塩辛を食べること」が掟 記者が筑波大学に在籍していた2021年年3月、里内さんのお宅に伺い、話を聞く機会があった。ちょうど「青い芝の会」をテーマに卒業論文を書いたこともあり、当時アルバイトをしていた介助事業所の関係者がつないでくれた。 里内さんは、マハラバ村での暮らしのこと、茨城青い芝の会の活動のことを、文字入力装置に打ち込み、伝えてくれた。「大仏和尚は塩辛が好きで、塩辛を食べることが村の掟(おきて)だった。掟を破ると村から追い出された」という話が記者の印象に残った。当時のことをなつかしそうに話す里内さんの姿から、最後の大仏門下生の生き様の一旦が、少しだけ分かった気がした。 87年には、脳性まひ者の折本昭子さん=故人=と大仏住職らが創設した「茨城青い芝の会」の会長に就任し、JR土浦駅のスロープ闘争、障害者だけの国立大学として設置が構想された筑波技術短期大学設置反対闘争、知的障害者に対する暴行事件である水戸パッケージ事件の糾弾闘争など、障害者の権利獲得のための闘いを続けた。 近年は、地元、土浦市のバリアフリーのまちづくりにも尽力した。バリアフリー新法が策定され、住民提案制度が創設されたのを機に2007年、里内さんは、市民団体「バリアフリー新法にもとづく基本構想の策定を実現させる会」の一員として全国で初めて、土浦駅周辺のバリアフリー化などを求める基本構想策定を土浦市に住民提案し、市が実施する道路や施設の整備にあたっては、障害がある当事者が計画策定に関わるという仕組みづくりを実現させた。 当時、里内さんと共に市に住民提案した市民団体「アクセス・ジャパン」(東京都板橋区)代表の今福義明さん(63)=当時はDPI日本会議常任委員=は「里内さんは基本構想策定のときに一緒に取り組んだ仲間。里内さんが当時からおっしゃっていた、神立駅近くの危険な踏切問題はまだ解決していない」とし「昨年以降、コロナでお会いすることもなかったが、NEWSつくばで茨城青い芝の会60周年の記念誌が発行されたのを知り、シェアした。訃報を知り、本当にショック」だと話した。(山口和紀)

コロナ急拡大、感染対策プラス警備も強化 大学共通テスト始まる

大学入学共通テストが15日、始まった。茨城県内では、7つの大学が会場となり、昨年とほぼ同数の1万2864人が志願した。2日間で6450人が受験予定の筑波大学(つくば市天王台)では午前8時ごろから、受験生が続々と集まり始めた。新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の感染が急速に広がる中、本格的な大学入試シーズンが幕を開けた。 「自分の力を出し切りたい」 試験会場の入り口付近では、冬晴れの空の下で学生服にコートを羽織り、ギリギリまで参考書に目を通す受験生も見られた。入室時間を待つ筑西市出身の高校3年生、高橋悠希さんは「人が集まるのでコロナ感染が心配ですが、ここまでしっかり勉強してきました。自分の力を出し切りたいです」と緊張の面持ちで、言葉に力を込めた。 笠間市在住の山本義則さんは、試験にのぞむ娘さんを大学構内の駐車場まで送り届けた。スマホを向けて記念の写真を撮ると、肩に手をやり「がんばれ」と声をかけ、会場へ向かう後ろ姿をいつまでも見送った。 初日のこの日は地理歴史、公民、国語、英語(リーディング・リスニング)、ドイツ語・フランス語・中国語・韓国語の外国語(筆記)の各試験があった。16日は午前9時30分から理科1・2、数学1・2の試験が開始される。 感染対策として試験室では、合間に出入り口や窓を開けるなどの換気がなされた上で、空調のほかに扇風機とサーキュレーターが設置された。受験生はマスク着用の上で手の消毒をし、健康管理として、試験2週間前からその日の体温と体調を書き込む「健康観察記録」の提出が求められた。 当日、発熱・咳等の症状など体調不良がある受験生に対して、試験実施機関である大学入試センターは、無理をせず、必要な手続きをした上での追試験受験を勧めている。茨城県での追試験は、今月29、30の両日に筑波大学第3試験場で行われる予定だ。 東京での事件を受け警備強化 共通テスト初日の朝、東京大学(東京都文京区)の近くの路上で、受験生ら3人が刺された事件を受け、末松文部科学相は、全国の会場で警備態勢を強化する方針を明らかにした。つくば警察署では、通常よりも巡回警備にあたる車両台数を増やし大学周辺の警備体制を強化、明日も同様の体制を継続するとNEWSつくばの取材に回答した。(柴田大輔)

コロナ禍にかみしめる成人式 つくば・土浦で2年ぶり開催

つくば市、土浦市で9日、成人式が開かれた。昨年は新型コロナウィルス感染拡大防止のため中止となり、両市共に開催は2年ぶり。今年は感染拡大防止対策として、つくば市は式典を9日、10日の2日間に分け、それぞれ午前・午後の2部制とし、計4回の各式典への参加者数を絞っての開催となった。入場に際しては、17日に発表された知事からの要請に基づき、ワクチン2回接種済証、もしくは陰性確認の検査済証の提示が義務付けられた。 「君が生きていたなら…」歌詞の一節贈る つくば 式典開始30分前、会場のつくばカピオ前には晴れ着に身を包む数百人の新成人が集まっていた。大穂出身の飯島直人さん(19)は、「成人式が近づく中で、コロナ感染が急激に拡大し、開催できるか不安だった。無事開催できて安心した。久しぶりの友人達との再会がとても嬉しかった」と喜びを表現した。 会場脇のスペースには、筑波大学が昨年開発した、PCR検査ができる国内初の災害医療用水素燃料電池バスが、検査を受ける新成人に応対した。車両開発を担った筑波大学、鈴木広道教授が現場に立ち合い、「今春ごろに予定していた最初の社会実装を繰り上げての実装機会となった」と話す。 式典には、市内の出身中学校を3~5校ずつに分け、参加者を各回500人程度に制限した。参加者は入場時に氏名、住所、電話番号とその日の体温などをあらかじめ記入した入場券を提出し、ワクチン2回接種済証か、陰性確認の検査済証を提示し入場した。 式では新成人代表の高橋創さんが、コロナ禍を振り返りつつ「大人としての責任と社会の一員としての自覚をもち、これからの人生を歩んでいきたい」と今後への誓いの言葉を述べた。五十嵐立青市長は、厳しい状況で成人を祝えた喜びを伝えると共に、重い病や障害など、さまざまな理由でこの場に立ち会えない若者がいることに触れながら、「君が生きていたならそれでいい」という、「命に嫌われている」(作詞:カンザキイオリ)の一節を新成人におくった。 式の最後にはアトラクションとして、つくば市を拠点に活動する男女のボーカルユニット「森と林」がオリジナル曲を3曲熱唱し、新成人の背中を押した。(柴田大輔) 「ピンチをチャンスに変える力持っている」土浦 土浦市は9日、同市東真鍋町、クラフトシビックホール土浦(市民会館)で式典を催した。出身中学校を3~5校ずつ2グループに分け、午前・午後の2部制とし、振り袖やスーツ姿の新成人が合わせて921人出席した。 今年はコロナ対策として会場の敷地境界に規制線を設け、市の担当者が入り口で新成人全員の検温を実施し、ワクチン接種の有無を口頭で確認した。未接種者のため抗原検査ができるスペースを用意したが、出席者はワクチン2回接種を済ませており、午前、午後いずれも抗原検査を実施した新成人はいなかった。新成人は受付でさらに、あらかじめ氏名、住所、電話番号などを記入した入場券を提出して入場した。 午前の部の式典では、安藤真理子市長が「皆さんは高校を卒業するころからたくさんの影響が出て、進学先の学校では入学式ができなかったり、就職しても入社式ができなかったり、学校に行けなかったり、オンラインで仕事をしたりした人たちもたくさんいた。皆さんはコロナで誰よりも家族や友達に直接会える大切さを感じていると思う。コロナで急速にIT化が進んだように、ピンチをチャンスに変える力を皆さんはどの世代よりも持っている」などと呼び掛けた。 新成人を代表して大学2年の富田龍心さん(20)が「私は高校の時の恩師から言われた『人間的成長なくして技術の進歩なし』という言葉をモットーに、人の見本となれるようにと日々努力することで成長した。これからも一生懸命、目標や夢に向かって前向きに歩んでいきたい」などと誓いの言葉を述べた。 式典は市長による贈る言葉、新成人の謝辞のほか、来賓の紹介のみで30分ほどで終了した。 4月からコンピューターシステムを運用する都内の会社でエンジニアとして働く専門学校2年の千田衣良(ちだ・そら)さんは「式典は思ったより短かかったけど、成人式が開催できて良かった」などと述べた。スポーツインストラクターを目指している都内の大学2年の坂本絢美さん(20)は「大学に広島出身の友人がいて(まん延防止重点措置が適用され)広島では急に成人式が延期になった。友人からは土浦はうらやましいと言われている。開催できて良かった」などと話していた。 会場には警察官が出動し警備に当たったが、今年は酒を持ち込んだり、大騒ぎをする新成人はなかった。参加した新成人は式典が終わってもしばらく会場に残り、数年ぶりに会った友人らと名残惜しくおしゃべりをして旧交を温めていた。(鈴木宏子)

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