《ひょうたんの眼》4 冬季オリンピック報道


【コラム・高橋恵一】やっぱり、けがを克服した羽生結弦選手が金メダルに輝き、実力を出せた小平奈緒選手がオリンピック新記録で優勝した。感動のエピソードと併せて、銅メダルのフェルナンデス(スペイン)や、銀メダルの李相花(韓国)の演技や滑走も見ることができた。しかし、日本人選手が上位に入れず、メダルから遠い種目の金メダル外国人選手の滑降する勇姿や華麗な演技はほとんど観ることが出来ない。スポーツに疎い私でも、冬のオリンピックといえば「白い恋人たち」のゲレンデに舞うスキーのイメージなのだが、「アルペン」の「滑降」「回転」の金メダルや銀メダル選手のストックを持つ優雅な滑りの姿は見せてもらえない。やっぱり。

オリンピックのような国際スポーツイベントの意義は何なのだろうか?同胞の活躍への期待や感動、見え隠れする国威発揚の場など、様々な要素を抱えているのも現実だが、先ず、メディアの伝えなくてはならないことは何なのか?視聴率を意識しての報道姿勢だとしても、国際的な超一流の勇姿を伝えなくてはいけないのではないか?金メダル選手の滑り、演技は、若い人にとって目標になるだろうし、オリンピックはそれを知ることのできる最高の機会といえるだろう。世界一の選手を紹介して欲しい。

以前にも書いたが、オリンピックは平和を求めるスポーツ祭典でもある。それなのに日本のメディアは、国際平和の希求には関心が薄いように思える。というよりも、我が国の一部に根強く残る「嫌韓」「嫌半島」の意識に悪乗りし、あるいは政権幹部への忖度(そんたく)が働いて、今回のオリンピックの成功を期待したくないのではないかと穿(うが)ってしまうことが随所に見られるように思う。

韓国は、古代からの隣国であり、これからも永遠に続く関係なのはいうまでもない。その国が、極めて複雑な国際情勢の中で、平和の祭典を成功させ、できれば民族の融和にも繋がるようにしたいと思っているとすれば、我が国、わが政府は、それを支援する気持ちこそが必要だと思う。政府は、自らは傷つかない安全圏に身を置きながら強硬姿勢を発信し、メディアは、自国選手のメダル取りだけを追いかける。何か、貧相なものを感じて、空しい。

そのオリンピック騒ぎの陰で、高齢者、非正規労働者、貧困者を顧みない予算措置、金融政策、労働政策が強行されようとし、何も変わらないという「憲法改正=改悪」が進められようとしている。祖父の背後霊に応えるためだけに、一文字だけでも「変えた」という実績を目論む最高権力者。金メダリストにお祝いの電話を掛けるパフォーマンスを、仰々しく報道するメディア。国民をなめ切っているとしか思えない。メディアが本分を忘れ、権力批判の目線を失ったときの不幸は、戦前の日本を思い起こす歴史の教訓である。ますます戦前に近づいていると思う。(元オークラフロンティアホテルつくば社長)