【コラム・奥井登美子】スーパーの食品売り場をウロウロしていたら、「市田柿」を見つけてうれしくなって買ってしまった。私が小学校6年生のときに疎開した長野県山吹村の隣村が市田村だった。天竜川に沿って飯田線が走っている。木曽山脈と赤石山脈に挟まれた急斜面の地域にいくつか村があって、その中の一つの村である。

駅や役場、小学校は天竜川に近い所にあるが、父が友達のまた友達を頼んでお借りした家は、村の中で一番山に近い部落。高度が高いので寒さもひときわ厳しかった。

なんでもすぐに凍ってしまう。リンゴを薄く切って干しておいただけで、きれいな白い干しリンゴができてしまう。渋柿の皮をむいて種を取って、丸ごとつるして干し柿にする。気温が極端に低いこの地方の干し柿は、柿の中のブドウ糖が表面に抽出されて、きれいな白い粉をまとった姿になる。この白い干し柿を「市田柿」と呼んでいた。

先端が鋭角になるウンコ塔

汲(く)み取り式のトイレに、冬だけ野球のバットを小さくしたような棒が置いてある。

「何の棒だろう?」

「さあ」

隠居所として使っていた別荘風の、この家を貸してくれた日本酒の醸造家二金酒店のオジサンが説明に来てくれた。

「寒い日、ウンコをしたら、必ずこの棒でたたいておいてください。そうしないと、どんどん高くなって、お尻に刺さったりしたら大変だから」

「前にやった人の分のウンコも、見つけたらたたいて低くしておかないと、冬はドンドン、塔のようになってしまうんだに」

「まさか、まさか」

最初は本気にしなかったが、昭和20年の1月は本当に寒かった。油断をすると、ウンコ塔は先端が鋭角になってしまう。やはりオジサンが言っていた通り、棒で早いうちにたたくことが大事だったのだ。

家も雪の山道も、まるで冷凍庫の中。ツルツルに凍りついている。慣れない雪の山道を朝は下りなので、30分歩いて通学。帰りは登りなので、40分かかってしまう。

今出回っている市田柿は、全部冷凍庫の中で温度を調整して作るにちがいないが、当時は自然の寒さの中で作っていたのだ。(随筆家、薬剤師)