【コラム・オダギ秀】人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのようにつづりたいと思っています。

屈託のない笑顔が、この人を包んでいる。小林茂さん、74歳。仕事は既にリタイアしているが、写真を撮ったり、スキーをしたり、以前勤務していた保険会社の仕事を手伝ったり、毎日忙しそうだ。

「人と触れ合うのが楽しくて仕様がないんですよ。私は東京巣鴨の生まれで、育ちも紛れのない都会っ子なんですが、大学が福島で、田舎の寮生活をしました。それが影響してるんだと思いますよ」

どうしてそんなにニコニコなのかと訊ねると、小林さんは語り始めた。

東京で生活していた小林さんなのだが、たまたま福島大学の試験が東京であった。それで、何となく受けちゃったと笑う。

「受かったので、福島に行くことになった。入学式に初めて、親爺と福島に行きましたよ。それから寮に入って4年間、貴重な生活を送ったんです」

東京生まれ育ちの小林さんは、青春の真っただ中に、都会生活とは違う、田舎の団体生活を過ごすことになった。

「1学年140~150名しかいない。田舎ですからね。他に大学なんてないから、地域の人たちも優しくて。何をしても、大学の学生さんがやったんだからって、大目に見てくれる。映画の看板を寮に持って来ちゃったり、酒飲みに行って払わず帰って来ちゃったり。楽しかったなあ。経済学のゼミも、5、6人でしたよ。寮では6畳に3人。着る物も共用してました。ずっとボート部もしてました。太鼓の合図で食事です。早く行かないとなくなっちゃう、なんて生活でした」

だから、と小林さんは真顔で言った。

「自分では何がどう影響しているか判らないんですが、他人と接することには、まったく抵抗がなかった。卒業して営業の仕事に就きましたが、ちっとも苦にならなかった。田舎での団体生活は、善し悪しではなく、私の人生に、たくましさや積極性をもたらしてくれた。最高の財産をくれたのは確かだと思いますよ」

小林さんは、また笑顔を見せた。どんな生活も人も事も、笑顔で見るのが一番ですよ、と言っているように思えた。(写真家)