【コラム・斉藤裕之】54話で触れた「富士山景クラシック展」で催されたささやかな宴。日ごろ群れることをよしとせずというか、絵を描こうと決めた時点で世の中とは一線を画して生きる覚悟をした連中なので、世間でいうところの同級会的な集まりはこれまでに一度もない。

しかしきっかけはどうあれ、同級生が88人もそろう展覧会は後にも先にもこれが最後かもしれないということで、会期中に同級会なるものを企画してみた。そして集いしはおよそ20名。ちなみに、当時の油画専攻は宝塚並みの倍率を突破した55人。うち現役はたった1人。女子は10人余り。正確に計算したことはないが、平均3浪程度の「やさぐれ」具合で私は4浪組。

「明日の美術界は俺に任せろ!」という目つきの奴らは、まさに個性の塊。在学中の破天荒ぶりに数々の逸話の持ち主たち。その後の生活も実にたくましく、中には卒業以来30年ぶりの再会もあり、話は尽きない。やがて話は当然息子や娘のことになり、案の定、芸大を目指して浪人中のご子息が少なからずいることが判明。中には4浪の娘がいるヤツも。でも自分が5浪だから文句も言えないらしい。

「先生なん浪ですか?」「4浪」「そんなに浪人する価値はあったんですか?」。つい最近も、高校生に聞かれたところだった。意味? 価値? よくわからないけど、なにかに向かっていく喜びや確信はあったような気がする。私の場合、絵描きになるとか芸術云々は後付けだったのかもしれない。そもそも大学の先生方が多浪ぞろいであった。そして、総じて我が道を進む姿は魅力にあふれていた。

ヒョウ柄・銀ラメのマドンナ

美大の浪人は俗に言う浪人とちょっと事情が異なるのかもしれないが、それでも我々のころとは違って多浪は激減しているという。日本では18歳で大学、22歳で会社に、というコースを踏み外さないように教育や制度が設定されている。

海外からみると、とても奇妙に映るこの風習? 実際、フランスで知り合った友人のお父上は元サッカー選手の医者。社会人になってからの学び直しや、理不尽な理系文系分けへの改革など、「人生百年時代」に相応しいもっとたくましく生きるための教育の在り方は必要な気がする。だから高校生が進路のことを口にするとき、「あとで誰かのせいにしないでね」とだけ言うことにしている。

さて展覧会も最終日。突然の一報に一同は色めきだった。同級生の中で唯一の5浪の女性、しかも、マドンナ的存在であったヒロエさんが名古屋から来るという。今年還暦を迎えるはずの彼女は相変わらずお美しく、しかし控えめだった学生のときとは打って変わって、ヒョウ柄の上着に銀ラメのバッグといういで立ちで現れた。「冥途の土産に会いに来ました!」とうそぶく姿に、以前とは違う親しみを覚え、何とも言えない月日の流れを感じた。

次の日の朝。昨夜は走馬灯のように思い出や同級生の顔が回って眠りが浅かった。戸外に出て呼吸をしたとたん、春の香りを感じた。サクラサク春が来るといいね。(画家)

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