【コラム・浅井和幸】人は、上手く事が運ばないと、そのことに対して「自分は向いていないから」と考えて、「自分に向いているもの」を探すふりをするものです。探しているふりをすれば、「自分に向いていない」ことから目をそらすことが出来るし、出来ないのは「そもそも出来ないことをしている」からだ、自分のせいではない―と、短期的には気持ちが癒(いや)されるからです。

あえて「探すふり」と表現したのは、現在進行形で行っていることに対し「向いていない」と感じて口にしている人のほとんどは、「向いている」を探す行動を起こさないからです。むしろ、「向いていない」探しを積極的に行って、現在の場所から動かないのが、人間の悲しい性(さが)ともいえるでしょう。

今の仕事は自分には向いていない、楽器を弾くことは自分に向いていない、パソコンで作業をするのは自分に向いていない、料理は自分に向いていない、スポーツは自分に向いていない、コミュニケーションに自分は向いていない、絵を描くことに自分は向いていない…。

上記のように、生活の中で、生きていく中で何か上手くいかないことがあれば、「向いていない」で片付けることが出来ます。そして、「向いていない」が口癖になっている人は、「向いてない」ままに、「向いてないこと」を続けることを選択します。

初心者が上級者より下手なのは当然

悩み相談で「向いていない」ことの話を聞いていくと、ほとんどの場合は、「楽しみを見つけられない」ことと「技術などが未熟である」ことに行きつきます。もっと簡単な言葉で切ってしまうと、「ちょっと上手くいかない」ことと「初心者である」ことに行きつきます。

物事を長年続けようが、知識や技術を積み重ねなければ初心者と言えるでしょう。初心者が、上級者より上手く物事を運べないのは当然のことですよね。

パソコンをほとんど触ったことがないままで、パソコンが苦手だという人に出会うことはあるのではないでしょうか? パラリンピックに出場する方たちは、ほとんどがスポーツに向いていない部分を持っている人たちではないでしょうか?

子どものころ、ある楽器の体験会に行ったが、(素人の)父親のように上手く弾けずに悔しくて続けていたら、いつの間にプロになっていた楽器奏者がいることを信じられますか?

物事が上手くいかないのは、向いていないからだと、そのままを選択する。自分に向いている別のものを選択する。自分に向いていないものの中に、楽しみを見つけ、上達して、自分に向いているように工夫する道を選択する。

「向いてない」のは仕方ないからと考えを止めて諦めずに、意識して自分の意思で選択してみてはいかがでしょうか?(精神保健福祉士)

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