この3月まで常陽新聞に「気軽にSOS 街の相談屋 上手に悩んで楽しく生きる」を連載させていただきました。週1回を2年半ほど続けることが出来て、とても良い体験ができたと思っています。この度、感じたことや悩み相談をお届けできる機会をNEWSつくばにいただけたことを嬉しく思っています。

半年前の私と、今の私の分かりやすい違いは、髪の長さですね。私は、髪の毛を後ろ側半分だけ伸ばしていて、今、肩甲骨が隠れるぐらいの長さになっています。前から見ると普通の男性の髪形に見えますが、後ろから見ると女性の髪形のような、変てこりんな髪形をしています。

自分でも認識している、変てこりんな髪形。周りの人が変だなと感じるのは当たり前だと思いますが、それでも、私の周りには、変だという人は皆無です。全く困らない状況どころか、いろいろとプラスに働くことがあるぐらいです。

それでも、先日、その髪型を快く感じられないので変えて欲しいという人に出会いました。そんな髪型では周りの人から良く見られないし、相談という仕事をしている以上、マイナスにしか働かないはずだということです。

私自身は、この髪型で損をしたことはありませんよ。むしろ、得をしているぐらいですと実例を出して説明しても、何のために髪を伸ばしているかを説明しても、全く納得してくれませんでした。

この方の意見は私を思って言ってくれたことですし、変な意見ではありません。それどころか、とても常識的な、良識的な意見だと思います。ですが、その常識的で、良識的な感覚が世間にあることが、実は、私が髪を伸ばしている理由にもつながります。

つまり、このような理論です。
1)日本人には、その年代や性別に合った髪型というものがある。サラリーマンらしい髪型、アーティストらしい髪型、ラーメン屋らしい髪型、女性らしい髪型、男性らしい髪型。

2)そして、もちろん子どもらしい髪型というものがある。(余談ですが、私の時代の男子中学生らしい髪型は、坊主頭でした。今では非常識ですか?)

3)「らしい髪型」でないのは、おかしなことである。

4)髪の毛がないのは、子どもらしい髪型でなく、その子どもはおかしい髪型である。

大人の感覚は、子どもに伝わり、そして大人より子供の方が行動化を起こしやすいものです。

髪の毛が無い子どもはいじめられる可能性があるということです。いじめられなくても、髪のない子どもは、自分の姿を恥じ、縮こまっていくことでしょう。

そして、実際に小児がんのため抗がん剤を服用することだったり、他の病気だったりが原因で髪の毛を失ってしまう子供たちが存在します。

その子たちにウィッグを提供する活動、それに髪を寄付するために、私は髪を1年ほど伸ばしているのです。ヘアドネーションというらしく、私は、あともう少しで30㎝を提供できるぐらいに伸びています。

つまり、男の私が長髪であることがおかしいと思う空気があればあるほど、私は髪を伸ばし続け、提供し続けるということでしょう。誰もがおかしいと感じない世界であれば、ヘアドネーションは必要のない世界になるでしょうね。

常識的な、良識的な言動が、もしかしたら偏見を助長し、誰かが傷ついているかもしれないという感覚は大切なことだと思います。(浅井和幸)

【あさい・かずゆき】石岡一高卒。1991年科学技術庁無機材質研究所(総理府事務官)入庁。精神障害者福祉施設勤務を経て、2002年浅井心理相談室開業。NPO法人若年者社会参加支援普及協会アストリンク理事長。NPO法人青少年の自立を支える会シオン副理事長。NPO法人とらい理事。ボランティア活動「浅色の雲の会」主宰。