金曜日, 4月 19, 2024
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《食とエトセトラ》10 食べられることのありがたさ

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上段左から、煎り豆腐カレー味、ポテトサラダ、ニンジン・ホウレンソウ・モヤシとハムの和風ナムル。下段、ご飯と味噌汁

【コラム・吉田礼子】昨年11月15日未明、義父が倒れたとの一報。94歳の年齢、いつ何が起きても不思議はない。幸い12日間で退院できたが、毎日、緊張と不安の日々だった。家では、ホームドクターに訪問診療をお願いし、ケアマネージャーとも相談して、訪問入浴と訪問リハビリをしてもらうことにした。近くに住む妹にも助けてもらい、私は主に食事の方を担当することに。

まず義父が好んでいたものの中で消化のよいもの、食べやすいもの、栄養価の高いものを中心に献立を考えていたが、寝たきりで運動不足で便秘が続き、筋力も衰えてきていた。90歳も過ぎると、肉なども食べる量が減ってきていると義母に聞いたが、10年前より痩せて小さくなっていた。

義父の食事プログラム

①筋肉をつくるタンパク質:鶏ムネ肉、豚肉、牛肉の薄切り・ひき肉、大豆、豆腐、卵

②腹の調子を整えるもの:ヨーグルト、みそ、納豆、ゴボウ、キノコ類、白滝、キウイ、葉物類、オリーブオイル、ゴマ油

③5色のいろどり:赤(ニンジン、赤カブ、赤身の魚)、黄(卵、パプリカ、かぼちゃ、かんきつ類)、緑(葉物類、ピーマン、キュウリ、ブロッコリー)、白(ご飯、麺類、カリフラワー、白身の魚)、黒(のり、黒豆、ドライプラム、レーズン、ゴマ)

④調理法:食べやすい大きさ、千切り、柔らかく、熱しすぎず、冷たくなく

⑤薄味:香辛料は辛過ぎず、カレー粉、ショウガ、酢、ゴマ油、レモンなどで味の変化を、できれば昆布とかつお節でだしを取る

⑥その他:冬はとろみをつけると、冷めにくく口当たりもよい、体を冷やさない食材を選ぶ

「うまい! うまかった!」

義父の「うまい!うまかった!」の声も日増しに張りが出て、ベッドの周りを歩けるようになった。本人の元気になりたいとの気力と食欲は無関係とは思えない。介護する側の義母も食欲が出てきた。

先日、医者の検査で骨密度の数値が平均値を上回り、骨粗しょう症の薬が出なかったと、ニコニコしながら帰ってきた。しみじみ食べることの大切さを実感。(料理学校主宰)

《令和楽学ラボ》11 鬼のはなし

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【コラム・川上美智子】漫画、アニメ、映画で超人気作となった「鬼滅の刃」で、鬼が一大ブームになっています。保育園児にとって鬼は恐ろしい存在で、実在すると信じているようです。我が家の2歳半の孫は、イヤイヤ期の真っ只中。親の言うことは一切聞かず、コントロールの切り札は唯一「鬼が来る」です。

よい躾(しつけ)とは思いませんが、子育て家庭では昔から語り継がれてきた手法なのではないかと変に納得しています。子どもたちの多くは、桃太郎の昔話で初めて鬼に出会い、鬼は悪もの、怖いものというイメージをもつようです。

鬼のルーツは中国の「隠(おぬ)」、「陰(おん)」で、姿が見えない妖怪と考えられてきました。「鬼(キ)」という漢字は死体を表す象形文字だそうで、人は死んだら鬼になり、異界(鬼籍)に入ると考えられてきました。日本最古の鬼の記述は『日本書紀』巻第十九で、「亦言鬼魅不敢近之」と、鬼魅(おに)らしきものが佐渡に流れ着いたと記されています。

人の力を超越した恐ろしい出来事、洪水や雷、地震などの自然災害も鬼の仕業と説明されてきました。一方、ネパールのラケーやインドネシアのバリ島で出会ったバロンなどは、鬼の形相をしていますが、守り神として扱われています。また、日本の家屋でも、古く奈良時代から鬼瓦が魔除け・厄除け(雨水の浸入を防ぐ効果もあり)として使われてきました。

インドを発祥とし、中国仏教に取り入れられた風神、雷神も鬼の顔をもちますが、こちらも五穀豊穣のよい神様です。このように、鬼には悪い鬼、よい鬼、神としてあがめられる鬼など、いろいろなタイプがあり、日本の民間伝承として村や家にしっかり入り込んでいます。その流れを、今、私たちが子どもたちに鬼文化として伝えています。

コロナ終息を祈り、心を込めて豆まき

ところで、私が勤務する保育園の地名は、つくば市鬼ヶ窪で、何か鬼に縁があるようです。この地名の由来は分かりませんが、鬼が使われている地名を調べると、鬼伝説があったり、鬼が住んでいそうな災害の多いところが多いようです。近くには谷田川が流れているので、水害があった窪地であったからかもしれません。

鬼怒川には「鬼」の字が使われていますが、鬼が怒ったように暴れる川で、たびたび水害を起こすので,明治9(1876)年に衣川(絹川)から鬼怒川に改名されたと言われています。

保育園では2月2日の節分の準備が始まっています。例年より1日早い節分は124年ぶりだそうですが、子どもたちは豆(魔の目に豆をぶつけて魔を滅する)をまいて、悪い鬼を追い出し、厄を落として無病息災を祈る節分を楽しみにしています。

昔から伝染病が流行るのも悪鬼の仕業とされてきましたので、今年は新型コロナウイルス感染症の終息を祈り、心を込めて子どもたちと豆まきをしたいと思います。(みらいのもり保育園園長、茨城キリスト教大学名誉教授)

《ひょうたんの眼》33 今の唯一のコロナ対策

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【コラム・高橋恵一】日本の役人やサラリーマンの悪い癖は、「やらない理由」を探すことだ。求められる仕事が、正当で必要なことであっても、やらない。バリアの除去を躊躇(ちゅうちょ)するだけでなく、さらなるバリアを見つけ出して、できない理由を強化することもいとわない。

なぜか? 前例がない、予算と計画がない、結果がよくない場合の責任を取れない、他人に指摘されてからやるのは嫌だ―などなど。新型コロナ対策の現状を見ると、小学生に判断してもらった方がよいのではないかと思われるほど、適切な対策の選択ができない。

第3波が来て、緊急事態宣言が出ても、感染者を救うための医療体制も用意できず、治療も受けられないまま、死亡する人もいる。この日本で、だ。

まず、PCR検査を最大化して、今からでも悉皆(しっかい)検査をして、無症状の感染者からの感染拡大を止め、無感染者の行動を開放すべきだ。検査を受けてないために、自分や接触者が感染しているかどうかが分からない。医療従事者、介護施設、学校、保育施設、その他の福祉施設などの従事者や関係者は、検査が陰性なら感染させる心配をせずに従事できるし、児童生徒や利用者は、安心して通学・通園、利用ができる。

医療体制が間に合わないので、検査数を抑えているという情報があるが、本末転倒も甚だしい。医者が多いと病人が増えて、医療費が増えるというのは、日本の厚生行政が堅持している基本姿勢だが、この事態に至って、人命軽視の非情な結末が明らかになっているのだ。

1年前、新型コロナ感染が起こったとき、中国の武漢やヨーロッパ各国では、臨時の大規模病院を設置して、感染者を収容する態勢をつくった。日本でも、帰国者の待機期間を受け入れた千葉県のホテルの英断があったし、オリンピック選手村を利用したり、つくば市にある某財団の広大な敷地を臨時施設用地として提供する提案もあった。

大量に感染者が出た場合、既存の医療機関だけでは、施設としても、スタッフの面でも足りなくなるのは明らかだったし、悲劇的なケースが大量に生じることも充分に予測できるはずだ。ノーベル賞受賞者の有志からも提案されている。臨時の大規模病院を設置して、基本的に自宅待機、自宅療養は避けるべきだ。

感染者と非感染者を区分せよ

PCR検査の検査方法についても、唾液を使った検査や検体数をまとめて検査するプール方式の検査も、早い時期から提案されている。感染拡大初期に、フランス政府が日本製の自動検査機を使って多数の検査が効率的にできたと感謝されたとの報道もあった。中国や韓国でも、検査を大量に実施している報道がされている。多くの情報があるのに、効率的な検査を実施できないのは、誰かが拒んでいるのか。

大量に、効果的に検査を実施し、感染者と非感染者の区分ができれば、外出制限や飲食店の営業を制限しなくても済むようになる。病院や老人ホームでの家族面接もできるようになる。台湾のように、ほぼ日常生活が復元できるようにすることも可能ではないか? 検査で陽性だった人へのワクチン投与は、後回しにできる。

大きな期待がかかっているワクチン投与についてだが、マイナンバーの利用を検討しているという。ワクチンの供給、移送、冷凍保存などのインフラ整備をしたうえで、投与の実施は市町村に任せるのがよい。多分、住民基本台帳を基に、淡々と投与できるであろう。

取得者が20%弱のマイナンバーカードを組み入れたり、投与事業のシステム設計を外部業者に委託したりしない方がよい。二兎を追うものは一兎を得ず。緊急の時こそ、堅実な方策を採ることが一番早いことは、多くの歴史が教えるところだ。

いずれにしても、ワクチンの投与が国民全体に行き渡るのは、次の秋の感染拡大に間に合うかどうかであろう。先ず、現在の感染の事態を、確実に抑え込むことだ。経済活動の復旧には、それが早道である。(地図好きの土浦人)

《県南の食生活》21 節分 今年は2月2日

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手作り恵方巻き

【コラム・古家晴美】今から20年くらい前のことになるだろうか。コンビニが節分めがけて恵方巻きの全国販売に乗り出した。その年の恵方(歳神が訪れる方角)に向き、家族がそろって、切っていない太巻きずしを丸ごと1本無言で食べると、福を招く、願い事がかなうという触れ込みだ。節分に海苔巻きを食べることは、戦前から、近畿地方の海苔業者、すし屋、あるいは一部の家庭でも見受けられたが、現在は全国的な行事食となっている。

「節分」は立春(2021年は2月3日)の前日に当たる。二十四節気(にじゅうしせっき)では、立春から春に入る(春とは名ばかりで実際は寒のピークであるが…)。つまり、命が芽吹く季節の始まりであることから、節分を「トシコシ」と呼ぶところは茨城県南でも多い(牛久市、土浦市、つくば市など)。そして、節分に年越しそばを食べる。また、風呂の水にも年を取らせないようにと、風呂の水を抜いてから節分の豆まきをする(牛久市、阿見町、つくば市など)。

大声をあげながら豆まきをされた思い出をお持ちの方もいらっしゃるだろう。豆まきには、災いを象徴する鬼を追い払うという意味がある。また、イワシの頭をあぶって豆がらに刺して柊(ヒイラギ)を添え、戸口やナガヤ(作業小屋)、便所、勝手口、カマバに挿しておくこともある。これもイワシの臭気と柊のトゲが同様に魔除(よ)けとなるからだ(牛久市、土浦市、阿見町、つくば市など)。

このほかに、神社のお札を玄関に貼り、トマモリ(戸守り)とし(牛久市、阿見町)、厄年の人が節分に厄除け神に参拝する、わら人形に餅を背負わせ三叉路(さんさろ)に立てるなど、厄払いとの関わりも深い(阿見町、つくば市)。

季節の変わり目に跋扈(ばっこ)する悪鬼から、豆、魚臭さ、柊のとげ、お札などを用いて、自らの身を守り、ついでに自分にかかった厄まで追い払ってしまおう、という算段だ。

豆まきの結びは「福でもってぶっとめろ」

近年の恵方巻研究によれば、商品名に「幸福・招福・七福・開運」などのことほぎの言葉が目立ち、節分行事が商業利用の場において、除災から招福の行事へと変貌を遂げたのではないか、との指摘もある。確かに様々な装置を使用し、除災しようとしてきたことは事実だ。

しかし、豆まきに使う「福豆」は大豆を煎ってから神棚にあげておいたものを夜に使用する。また、まいた後の豆は、「福茶」として茶や梅干しと共に飲む(行方市、牛久市、かすみがうら市、つくば市)。「鬼は外、福は内」を繰り返した後は、「福でもってふ(ぶ)っとめろ<止めろの意>」で結ぶこともある(牛久市、 土浦市、阿見町、つくば市)。

除災が表看板となっている「節分」だが、招福にあやかろうという人々の細やかな願いを感じるのは、筆者だけであろうか。(筑波学院大学教授)

《続・平熱日記》78 愛の不時着、我が家の着地点は…

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【コラム・斉藤裕之】ステイホームは我々夫婦にとってはそう難しいことではない。普段の生活がほぼ自粛生活と言ってもいい。ところでカミさんはテレビ番組がつまらないと言うので、ずいぶん前から有線で海外ドラマや映画を見ていたのだが、最近は目新しいものがないということで、定額で映画やドラマが見放題というネット配信に加入した。

そしてついに見てしまった。今まで何となく敬遠していた「韓流ドラマ」、それもうわさの「愛の不時着」を。

どんなものかと、1話、2話と見てみた。まず竜巻で北朝鮮に飛んでいくという設定は「鴨捕り権兵衛」以来の衝撃だったが、このくらいのブットビ方でないと、とうてい38度線をまたいだドラマは進まない。しかし世間で騒がれるほどの面白さは感じない。と、友人曰く「3話までは我慢してみないとダメらしいよ」というわけで、3話、4話と見てみる。

なるほど、次の展開が気になる筋書きにはなってくる。が、軽すぎるというか、突っ込みどころ満載。しかし、かの国のリアルな現状をイメージしてはこのドラマは成立しない。次々訪れる「マジか?」の場面をスルーして、ただのメロドラマとして鑑賞すべし。

ところで今年は白菜が安い。高いと頭にくるが、安いのを喜んでひと玉を買うと、夫婦2人では持て余す冬の野菜である。先日も、冷蔵庫にはやっと半分食べた白菜があるというのに、夕方、かみさんは大きなひと玉を抱えて帰ってきた。聞けば、知り合いから安く引き取ってきたという。

さて、その日はおいしいパンが食べられるというカフェに。猫が気持ちよさそうに寝ている古民家を改装した店内。ランチが運ばれてくる間に、「これ」と言われてかみさんが差し出した雑誌。そのページには自家製のキムチの漬かった樽の写真が。これを漬けろ?とおっしゃる。

キムチは漬けるより買った方が楽?

実は大学院のときに、上野公園を見下ろす校舎の5階のアトリエをシェアしていたのは韓国からの留学生だった。当時の留学生といえば、国の威信を背負ってやって来たエリート。当然、お金持ちのご令嬢である。彼女の描くダークトーンの抽象的な絵と似て、ご本人もどこか神秘的な女性であったが、博士論文の提出間近ということで、あいさつ程度の会話しかしなかった。

ちょうどその年にカミさんが妊娠した。そのことを彼女に話すと、ある日トウガラシとレシピを手渡された。韓国では妊婦さんの滋養にキムチを食べさせるという。丁寧にお礼を言って、言われた通りキムチを漬けた。残念ながら、カミさんはひどいつわりのせいで食べられなかったと記憶しているが。

「外出自粛」「愛の不時着」「安い白菜」「自家製キムチ」。これが我が家の「冬の着地点」。韓流はもういいだろうと思っていたら、次にカミさんが見始めたのは「トッケビ」。はて、そんな名前の焼き肉屋があったが…。

自家製のキムチが出来上がるころには、楽しく外食ができる世の中になっていればいいが。というか、キムチは漬けるより買った方が楽かも。材料の手配から仕込みまで大仕事だスミダ。(画家)

《邑から日本を見る》80 茨城農業の後進性と闘った山口武秀と山口一門

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『評伝・山口武秀と山口一門』(背景画像は雪入山から高浜入り越しに展望する小美玉・鉾田方面)

【コラム・先﨑千尋】もう「茨城は後進県」という言葉は死語になっているだろうか。本県では、今日まで国の役人が知事になってきたが、唯一の例外は1959年に就任し、4期務めた岩上二郎だった。その岩上県政のスローガンは「後進県からの脱却」。そのころまで茨城は後進県であり、貧しい県だった。特に鹿行地域は「後進の中の後進」と言われてきた。しかし、その地や石岡大地は今や、日本有数の園芸、畜産地帯。首都圏の台所になっている。

その歴史的な転換はなぜ起きたのか。私は山口武秀(以下武秀)と山口一門(以下一門)という2人の山口の果たした役割が極めて大きかったと考えてきた。岩上二郎も同じだが、「歴史が個人を育て、個人が歴史を創る」のだ。私はこのほど、『評伝・山口武秀と山口一門-戦後茨城農業の「後進性」との闘い』と題する本を出した。

武秀は現在の鉾田市に生まれ、戦前から農民運動に関わり、戦後は常東農民組合を組織し、農地改革が進む中で旧地主勢力を撃破し、未墾地解放を実力で成し遂げ、小作農を解放した。その後、反独占農民運動の旗頭として日本の農民運動に金字塔を打ち立てた。

今日、鹿行地域は旧旭村のメロン、鉾田市の各種の野菜類、行方市のカンショ、ミズナ、セリ、神栖市のピーマンなど、多くの生産量日本一を誇っており、同じ茨城でもほかの地域と全く違う農業が営まれている。武秀と常東農民組合は、茨城の最果ての地を農業の最先進地に変えた触媒の役割を果たした。それが私の見立てである。

茨城の特殊性と2人の運動の普遍性

一門は旧玉里村(現小美玉市)のごく小さい玉川農協(組合員が200人余)を根城に、農民が人間らしく生きられるようにと、水田プラスアルファ―方式(基幹作物の米に畜産、野菜などを加えた複合農業)を確立し、一門たちが産み出した営農団地方式は石岡地域に広まり、さらに全国農協中央会の指導方針に採り入れられ、全国に普及した。

一門はそれだけでなく、知事の岩上や農政学者の桜井武雄らと田園都市運動を興し、農民に人並みの、人間らしい暮らしを営めるように、じめじめした暗い農村の住みにくい環境を変えていくことに全力投球した。一門は、経済活動は農協を軸にし、農村集落や農家の生活を内部から変えていく社会文化活動などは田園都市づくりで、というやり方を展開していった。そしてこの運動は県政の柱の一つとなり、県全体に広がっていった。

本書はその2人の足跡を丹念に追い、同時に、茨城の特殊性と2人の運動の普遍性をまとめたものである。2人の著述に関する資料は多いが、今日では2人の活躍を知る人は少なくなってしまった。私はこれまで、茨城の干し芋の歴史や常陸太田市の明治以降の経済史などをまとめてきたが(茨城新聞社刊『ほしいも百年百話』、『前島平と七人組』など)、史料が散逸し、ごく最近のことでもわからないことが多いということを感じてきた。

記録する、記録を正しく残すことが私たちの責務、役割だと考え、今回の本をまとめた。部数が少ないので値段が少し高いが、茨城の姿を知るために、是非手に取って読んでいただきたい。(元瓜連町長)

『評伝・山口武秀と山口一門-戦後茨城農業の「後進性」との闘い』:日本経済評論社発行、四六判288ページ、定価3200円+税、書店へ申し込むか、私のメールtmassaki@sweet.ocn.ne.jpへ

《食う寝る宇宙》78 「3分間宇宙天気」スタートへ

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【コラム・玉置晋】高校生や大学生のとき、興味がある宇宙関係のイベントを見つけては出かけて行ったものです。必要とあれば、泊りがけで行くこともありました。でも社会人になって忙しくなると、なかなか出かけることは難しくなりました。

ところが、昨年から続くコロナ禍で様々なイベントがオンライン化されています。主催者側としては苦肉の策ということが多いようですが、日本中、いや世界中のイベントに気軽に参加できますので大変助かります。

昨年、学会などに自宅から参加できたのは大変新鮮な出来事でありました(例えばコラム71「おうちで宇宙環境シンポに参加」)。そして、イベントに参加するだけでなくて、遠隔地を拠点とするコミュニティーに加入することも可能になりました。自宅から新たな出会いが生まれたのです。

宇宙コミュニティー「宇宙人クラブ」

関西を拠点とする宇宙コミュニティー「宇宙人クラブ」(代表:福海由加里さん)で、宇宙天気防災に関する講演をさせていただく機会がありました。このクラブは、宇宙ビジネス新規事業のタネ創出を目指すコミュニティーです。関西の電気メーカーが中心となり、2018年に設立されました。

福海さんは、「誰でも、いつからでも、自分の未来に挑戦できる。地球上の頑張るすべての人類のそれぞれの人生を応援したくて」、クラブを立ち上げたそうです。だから、社外にも開かれたコミュニティーとしたそうです。今や350人以上の個性的なメンバーが集まっています。

ここでは、月1回の講演と交流を中心としたイベントのほか、アイデアソン、ハッカソンといった新規ビジネス創出を目指した特別イベントが開催されています。昨年は「JAPAN INNOVATION DAY2020」で特許庁の「IP BASE AWARD」を受賞するなど大変な活躍をされています。

僕もオンライン参加でメンバーになり、月1回の交流会で「3分間宇宙天気」というコーナを始めることになりました。今、構想を練っているところです。宇宙天気のオンライン配信は「宇宙人クラブ」、Web掲載は「NEWSつくば」というのも面白いので、試行してみようかしら。(宇宙天気防災研究者)

例えばこんな形

2021年1月前半の宇宙天気は静穏でした。1月2日、1月8日に太陽で発生したコロナ質量放出(CME、ガスの塊)が地球方向に向かってきましたが、地球磁気圏のバリアのために影響はありませんでした。本日(1月19日、執筆時点)の宇宙天気は快晴です。それではよい宇宙旅行を!

《宍塚の里山》73 謎の広場に2匹のタヌキを発見!

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謎の広場で戯れる2匹のタヌキ

【コラム・及川ひろみ】宍塚には不思議な広場がある。雑草がなぎ倒され、ぽっかりと空いた広さ20畳ほどの広場。谷津のくぼ地で、日当たりがよく、周囲は背の高い雑草に覆われ、人が近寄った形跡は全くない。しかも、謎の広場は展望台と呼ばれる高台から丸見え。何のための広場なのか不思議でならなかった。

謎の広場

1月3日の午後3時過ぎ、1匹の丸々と太ったタヌキが広場の隅で寝入る姿があった。日が落ち、寒くなってきたなと思った4時少し前、眠っていたタヌキがやおら起き上がり、広場の縁を歩き始めた。間もなく、草むらから呼び出されたかのように、もう1匹のタヌキが現れた。2匹はしばらくじゃれ合っていた。その後、1匹が近くの穴に入ると、残された1匹も同じ穴に勢いよく飛び込み姿を消した。

2匹は同じような大きさ。番(つがい)のようだ。それにしてもこんな広場、どうやって作ったのだろうか。展望台は五斗蒔谷津(ごとまきやつ)と呼ばれる宍塚大池の南側の先端にあり、散策路から少し入ったところ。ここは谷津が広く見下ろせる見晴らし抜群なことから、野鳥観察のポイント。これまで何度となく訪れた所だが、これまで広場が作られたことはなかった。

それにしても、この広場は日当たりがよく、北側は小高く、北風が遮られ、昼寝には気持ちよさそうなところ。宍塚にはタヌキの成獣を襲う動物がいないからか、その無防備さにちょっと驚く。この時期のタヌキは、疥癬(かいせん、皮膚病)に侵され、やせ細るものも多いが、今回見た2匹のタヌキはとも丸々と太り、色つやもよく元気そうだった。

アライグマ、ハクビシン、キツネもいる

先日、水鳥のオオバンの羽根が、池の縁に散らばっていた。明らかに鷹に襲われ、羽根をむしり取られたものだった。しかし1羽分にしては量が少な過ぎる。さらに進むと、続いて見たのはオオバンが哺乳動物に食われた跡だった。骨には新鮮な血液が付着し、その日の朝の惨劇のようであった。

池からオオバンを引き上げた痕跡が池の縁の草むらにあったことから、池にいたオオバンを鷹が仕留め、陸に引き上げて羽根をむしっているところを、哺乳動物が力ずくで取り上げたようだ。

宍塚の里山には方々に獣道がある。散策路の両側に動物が出入りする草のトンネルが方々で見られる。小川の魚やザリガニを捕らえるためか、小川に上り下りする獣道もみられる。夜になると、4つ足の動物が里山を闊歩(かっぽ)しているに違いない。そんな痕跡を探して散策するのも楽しい。

タヌキのほか、宍塚で見られる中型哺乳類は、アライグマ、ハクビシン、時々キツネがいる。(宍塚の自然と歴史の会 前会長)

《遊民通信》9 霞ケ浦のゆるキャラも自作してみた

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霞ケ浦とカスミガウラニカモン!

【コラム・田口哲郎】

前略

テレビニュースのローカル天気予報では、茨城県の地図が表示され、各エリアにお天気マークがつけられます。その地図を見るたびに思うのです。霞ケ浦の形は鳥のカモに似ているな、と。カモが上を向いて、羽を前に広げているように見えるのです。そう見えると思い込むと、そうにしか見えなくなります。だまし絵と同じ理屈です。

それにしても、茨城県の地図における霞ケ浦の存在感はなかなかのものです。それもそのはず、ご存知の通り、霞ケ浦は琵琶湖に次ぐ面積を持つ、日本第2位の湖なのですから。沿岸自治体は茨城県12の市町村のみならず、千葉県香取市も含まれるのですから、その広さが分かります。

私は幼少期、大阪府に住んでいたことがありますが、琵琶湖の存在感は確固たるものでした。幼稚園のお泊り旅行の際は琵琶湖畔のホテルに泊まり、琵琶湖のすごさを教え込まれました。強風からの荒い波に、なぜか大きなカボチャがもまれていた光景だけが記憶に残っています。

それはともかく、関西の子どもは滋賀の名を覚える前に琵琶湖を覚えるのです。京都大学の前身、旧制三高の寮歌は「琵琶湖周航の歌」です。関西の子どもは立派な青年に成長したら、琵琶湖の美しさを朗々と歌うのです。

その名は「カスミガウラニカモン!」

さて、われらが霞ケ浦はどうでしょうか。残念ながら、琵琶湖ほどの存在感を発揮しているとは思えません。琵琶湖の次に大きいすごい湖が身近にあるというのに。それを喧伝(けんでん)しないのは、茨城ジャン(パリジャンもじり)のつつましさというものでしょうか。

琵琶湖は島の真ん中にあってザ・湖という感じですが、霞ケ浦は島の極東ゆえに海に近く、入り江っぽさがあり、さらに北浦も近くにあるので、湖崩れみたいな印象を与えるからでしょうか。カモっぽい霞ケ浦を見るたびにため息が漏れます。霞ケ浦をもっとアピールできたら…。

そこで「勝手に地域振興協力欲」がふたたび湧いてきます。霞ケ浦のカモっぽさをゆるキャラにしてみたらどうだろう。「ひたちのうしか」(遊民通信8参照)に懲りず、新たなカワイイに出会いたい…。その結果生まれたのが「カスミガウラニカモン!」です。

ここで、カモン!くんを紹介したいと思います。

▽名前:カスミガウラニカモン!

▽生年:721年(『常陸国風土記』成立年)

▽行きたい場所:琵琶湖

▽好きな食べ物:ワカサギ

▽趣味:帆引き船に乗ること

▽親友:つちまるさん、ひたちのうしかさん

▽ひと言:霞ケ浦はすごい湖なんだよ!

新参者のあんたに言われなくても、霞ケ浦のすごさは分かってるんだよと言われそうですが、ご容赦ください。古代ギリシアの神々を生んだような地元愛がカスミガウラニカモン!を生みました。その真情は偽りなきものです。これからは地元復興の時代ですし、もっと霞ケ浦の魅力を知っていきたいです。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

《くずかごの唄》77 のんきでしがらみのない3男の妻

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【コラム・奥井登美子】結婚して土浦の家に来て驚いたのは、本宅と呼ばれていた我が家が親戚中の行事をすべて統括し、まかなっていた。今の業務に例えれば、健康保険、介護保険、年金機構、生命保険に相当する仕事である。昭和の初めまで、それらすべてに相当する仕事を本家が負担していたらしい。

私は、仕事をしている以上、社会保険に入るのが当たり前と思っていたので、奥井薬局として入ることを勧めてみた。

私の主張に対して、親戚の人たちがたくさん押し寄せてきた。昔から本家が中心で、病気のときも本家が面倒をみる。それが奥井家の美徳なのだから、そういうことを言い出す嫁は許せないという。私が親戚の人たちと対立するたびに、誠一兄がすっ飛んで来て、間に入って親戚たちを説得してくれた。その時も、社会保険に無事入ることができた。

兄は親戚の業務を遂行する長男として、次男、三男とは食事の中味まで、特別のものにして大切に育てられたという。こともあろうに、その兄が1967年、45歳の若さで亡くなってしまった。

結婚のときに言われた「のんきでしがらみのない3男の妻」。しばらく土浦にいて東京に帰る予定だった私の予定は、兄の死であっけなくつぶれてしまった。兄の葬式は、仙台での東北大学医学部葬、土浦でのフレンド教会葬。たくさんの人たちが来てくださった。

3人の兄弟の中で、体も一番大きく頑健で、頭もさえていて、東大卒業のときは恩賜の短刀をいただいた兄が、子供を残して先に亡くなるなんて考えられなかった。

奥井家当主の名は「吉右衛門」

親戚の人たちは、主人の名を「吉右衛門」に改名してくれと私にせまる。吉右衛門などという名を知らなかった私は、「歌舞伎役者ではありません」と言ってお断りした。吉右衛門は徳川時代の奥井家当主の名である。

毎日のように仏壇を拝みにくる親戚のおばさんたち。「仏壇掃除評論家」となって、私の掃除の仕方、花の生け方を批判して、不満を私にぶっつけて鬱(うつ)状態を晴らす。医者にかかるほどでないにしろ、一人一人が暗く、私も鬱っぽくなってしまっていた。

本格的な老人性鬱病になってしまったのは舅(しゅうと)。「死にたい。誠一に会いたい」と言い出すと、大変だ。細いひもの類を探してきて、ぐるぐる首に巻き付けてしまう。(随筆家、薬剤師)

《ご飯は世界を救う》31 菜食カフェ・レストラン「りっつん」

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【コラム・川浪せつ子】茨城県独自のコロナ緊急事態宣言も出て、またまたランチに行きにくくなってしまいました。コロナ禍の早い収束のためには、まずは我慢の日々ですね。今回の「りっつん」さん(つくば市上原)には、昨年末に、テラスでのランチを求めました。

「菜食カフェ・レストラン りっつん」という名前の通り、動物性のたんぱく質などは、全く使っていない食事です。そう聞くと、アッサリすぎて物足りないかな?と思うのですが、さすがプロ。いろいろな工夫でおいしく作ってくださっています。

「マクロビオティック」という食事をご存知でしょうか。玄米を主食にして、野菜を中心に、動物性のダシも使わず、有機農産物で調理するものです。アメリカの歌姫マドンナさんも、一時期、日本人のマクロビオティックシェフ、西邨(にしむら)マユミさんにキッチンを任せていたそうです。

テイクアウト?過去の絵アップ?

疑似お肉でハンバーグぽいものなどを作ったり、キビなどでケーキまで作ってしまうのです。そんなポリシーでのお食事処、貴重な存在です。

テラス席は屋根がついているので、年末にかかわらず、あまり寒くありませんでした。ワンちゃんとご飯が食べられます!というのが、キャッチフレーズのようです。

それにしてもコロナの猛威。はてさて、このコラムを継続するのに、テイクアウトか?もしくは過去の絵をアップするか? 思案中です。(イラストレーター)

《吾妻カガミ》98 新年会で話題にしたかったこと

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霞ケ浦から朝焼けの筑波

【コラム・坂本栄】コロナ禍で新年会が吹き飛び、このコラムもネタ不足です。というのは、1年前の「土浦とつくばの新年パーティー風景」(昨年1月20日掲載)同様、今回も両市の賀詞交歓会の様子を取り上げようと思っていたのですが、どちらも中止になりました。 そこで今回は、ビール片手の立ち話で話題にしたかったことアレコレです。

安倍~菅政権は対コロナ作戦で失敗

年末から年始にかけてコロナ禍が深刻になり、菅首相は緊急事態宣言の再発出に追い込まれました。安倍~菅政権の失政のひとつは、コロナの小康に油断し、落ち込んだ経済に活を入れようと、コロナの拡散を助長するGO TOトラベル・イート策を導入したことです。第1次非常事態を解除したあと、特別措置法の追加改定(私権制限や収入減補償などの仕組みづくり)を怠ったことも、いただけません。

私は、「善政? つくば市のコロナ対応」(昨年4月6日掲載)の中で、(1)コロナ禍という「戦争事態」には非常事態法の体系で対処せよ(2)それには「人の移動を抑え」「人を群れさせない」ことが大事(3)その結果生ずる経営や家計のマイナスは財政で回してやるべき(4)その資金は「戦時国債」(100~200兆円)で確保したらよい―と述べました。

GO TO策は(2)と真逆であり、今ごろ特措法をいじっているようでは(1)の有事に対する認識に欠けています。コロナ阻止と経済刺激の二兎(2匹のうさぎ)を追ってはいけません。コロナ抑制こそ経済対策ですから、しばらくはコロナ阻止>経済刺激でいくべきです。新年会に顔を出す衆参議員さんとは、両政権の政策センスについて議論しようと思っていたのですが、残念でした。

土浦のサプライズ花火には強い違和感

土浦市は「人を群れさせない」ために、昨秋の全国花火競技大会を取り止めました。常識的な判断だとは思いますが、その埋め合わせとして、打ち上げの日時と場所を事前に予告しない「サプライズ花火」を実施しました。市長の安藤さんは「市民に楽しみを…」と思ったのでしょうが、この代替策には違和感を覚えています。

私にとって、土浦の花火は「大相撲や歌舞伎と同じように桟敷席で重箱のご馳走をつつき飲みながら鑑賞する行事」だからです。サプライズ花火は由緒正しい花火の姿ではありません。それに、市内の商工振興には何の役にも立ちません。仕事がキャンセルされた煙火会社や花火師を支援したいということであれば、収入減を直接補償する方がスマートです。

市長さん、市議さん、県議さんと、サプライズ花火の是非について話せなかったので、ここで持論を述べました。

つくばのコロナ病床施設は再考したら

つくば市の新年会では、昨春、日本財団が市内の研究所跡に設けたいと言ってきた「軽症コロナ患者の病床施設」を話題にしようと思っていました。市長の五十嵐さんが受け入れを事実上拒否したあの案件です。東京が医療崩壊状態に陥っている今、1万7000坪の敷地に複数の大型テントを設置して、9000の病床を用意するというこの壮大な計画、首都(国家)機能維持のために必要性は強まっているのではないでしょうか。

日本財団の打診と市長の対応については、「『大型コロナ病床をつくばに』の是非」(昨年4月20日掲載)をご覧ください。私はこの中で、「つくば市は国との関係で特殊な位置にある自治体」と指摘、コロナ病床を迷惑施設だと断るのではなく、広い視野に立って、協力したらどうかと述べました。国や都に大きな「貸し」をつくれますし、施設の建設と維持に伴う経済効果も大きいと思ったからです。

市長さん、市議さん、県議さん、改めてOKを出したらどうか(もう遅い?)、と提案するつもりでした。(経済ジャーナリスト)

《沃野一望》23 正岡子規『水戸紀行』追歩 (3)

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冬の筑波山麓

【コラム・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼

我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

正岡子規の『水戸紀行』を追歩する令和版珍道中は、取手から国道6号線を北へ向かって歩く。この辺りの国道は、子規が歩いたころとは異なる道筋となる。旧水戸街道は、右手高台下の市街地を抜けていく。旧街道には江戸時代の本陣跡が残っている。そこを、水戸藩九代藩主の斉昭や息子の慶喜が江戸に向かい、子規は北に向かった。

令和版は、現在の6号国道を行く。

緩い坂を下ると、左手前方の平野の彼方に、筑波山の秀麗な紫の鋭角が望める。子規は、ある年の年賀状で、「…富士の山めでたく候。筑波の山めでたく候…」と記している。富士山と筑波山を対等に並べ憧れていた。

坂を下ると、「とりあえず」どころではない、大きなビール工場へ差し掛かる。工場の前に、立派な記念植樹と柵に囲まれた距離表示ポールが設置されている。東京日本橋の道路原標より40キロ地点。

取手を過ぎると田園風景が広がってくる。令和版も急に空腹を覚えてきた。そこまで子規を見習ったわけではないが、今回の我流追歩は、まったくの出たとこ勝負。弁当の用意など、はなから念頭になく歩き出してきた。

藤代のバイパスへ入ってしまうと食事にありつける店の記憶がなく、ここは旧6号を進む。正真正銘の旧水戸街道が右手から合流してから、なおしばらく歩くと、左手にMの字の大きな看板を発見する。ちょうど休憩時間に頃合い。どれ、まあ、ここで仕方ないかと妥協し入店する。

牛久沼は「二股大根」

子規は、藤代近辺で、あまりに不味い鮫(サメ)の煮物に「さめざめと」泣いたと恨めしく駄洒落ているが、令和のMの味も、「まっ、食(く)えるか」というパサパサの味気無さ。『水戸紀行』には、景色よりも食事や宿や街道の人の対応記述が目立つ。それも、繰り返しの不満。食い物の恨みは恐ろしいが、当時の街道筋の貧困な食糧事情の一端がうかがえる。

パサパサをぐっと飲みこみ、とにかく足を休め腹ごしらえができた。元気を出して、さあ先へ。

子規は、8里(約32キロ)歩いて、藤代に一泊している。「まだ日は高ければ牛久まで行かんと思ひしに我も八里の道にくたびれて藤代の中程なる銚子屋へ一宿す」。藤代は、平成の大合併で取手市藤代となった。その藤代の市街地を抜ける。令和版は、昼食もどきを食べたばかり、宿に落ち着くというわけにはいかない。

文巻(ふみまき)橋で小貝川を渡る。ここから龍ケ崎市。この辺り、古くから逆流洪水多発地帯で、旧水戸街道の痕跡も判然としない。現在の6号国道を直進する。龍ケ崎市駅(長く馴染んできたJR常磐線旧佐貫駅が、令和2年より改名)入り口を右手に見送れば、すぐに左手は牛久沼。

子規の表現によれば、「二股大根の」、「其大根の茎と接する部分を横切り」沼の東岸沿いを行く。地図を取り出せば、なるほど牛久沼は「二股大根」。最盛期より減ってしまったが鰻(うなぎ)屋が多い。うな丼発祥の地と言われている。食い意地の張っている子規の『水戸紀行』に記述がみられないのは、明治20年代にはまだ、鰻屋は開業していなかったのか。

空腹を満たしたばかりの令和版も、何軒かの鰻屋の前を素通りする。(作家)

《続・気軽にSOS》77 そんなの常識でしょ?

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【コラム・浅井和幸】「そんなの常識でしょ?」「それが普通でしょ?」。私ぐらいの変人になると、「へぇ~、あなたや、あなたの周りは、そのように物事を捉えてるんだ~」と気楽に聞き流してしまうか、その人個人や集団の考え方を推し量る目安にさせてもらうかとなります。

しかし善良な一般市民の皆さんは、このような言葉に苦しめられたこと、もしくは現在進行形で苦しめられていることは多いのだと思います。「常識」や「普通」に当てはまらないものはダメな存在なのだ、という思いからなのでしょう。もしかしたら、「普通じゃない弱い自分」を「常識を持った強い人(たち)」が、たたきつぶしに来るという感覚になっているかもしれません。

常識や普通の概念は、「当たり前」であったり「マジョリティ(多数者)」であったりするものです。だから、常識や普通ではないのは、「当たり前じゃない」し「少数派」であるわけで、それは「間違った考え」であり「ダメな存在」と感じるのでしょう。

また戻って「変人浅井」は、「当たり前じゃな」かろうが、「少数派」だろうが、間違いかどうかは別の話。むしろ、不健康なのが「常識」だったり、間違いなのが「普通」だったりすることも多いと考えます。

健康体である人や幸せだと感じる人が少数派であるかもしれません。ならば、不健康が常識で、不幸が普通です。生活習慣病である人が多い場合は、それが普通で、健康が普通じゃない状態です。肥満や不健康は「伝染する」という論文もあるようですよ。

人の脳はだまされやすく作られている

人の脳はだまされやすく作られています。また、人は間違った回答をする人が多数の時に、その多数に引きずられて間違った回答を事実と思いこむ性質があります。だまし絵、目の錯覚、手品などはイメージしやすいでしょう。壁にかかっている絵が明らかに赤い色をモチーフに書かれていても、その絵を見ている人10人が「青い絵だね」と言っていると、自分も青い絵だと言ってしまうそうです。

明らかに間違ったデマが広まることもあります。人が困ってキョロキョロしている場面でも、怪我をして倒れている場面でも、多くの人が通り過ぎていく場面では、いつも声をかけるような親切な人でも声をかけずに通り過ぎてしまいやすいのです。「群集心理学」で検索してみると面白いかもしれません。

さてこの場面では、困っている人がいても、けがをして倒れている人がいても、助けないのが「常識」で「普通」ということになります。自分や周りを見渡してみてください。普段の言葉に「常識」や「普通」を使う人は、自分の価値観に自信がない人、自信がない時なのではないでしょうか。

場面や空間は、状況が異なると、例えば各々の職場や集団によって常識や普通は変わってきます。郷に入っては郷に従えと言われますが、あまりにも事実に反した「常識」「普通」には、十分に気を付けてください。不幸になるため、不健康になるために、一生懸命に努力してしまっているかもしれませんよ。(精神保健福祉士)

《映画探偵団》39 中心市街地はAIそれともaI?

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【コラム・冠木新市】10年前に流行していたまちづくりのキーワードは「コンパクトシティ」だった。それが数年前から「スマートシティ」へと変化。さらに昨年からは「スーパーシティ」となった。次は「ムーンショット計画」だそうである。難しいことは分からないが、要はAI(人工知能)を中軸にしたまちづくりらしい。つくば市は、中心市街地をその象徴にしようと考えている様子がうかがえる。だが本当にそれがふさわしいのだろうか。

つくばセンタービルの出入口付近には4つの奇妙な彫刻物が存在する。オレンジ色のaIの文字で、センタービルと広場を象徴する形になっていて、石の堅固な建築に対しポップな彫刻が温かみを感じさせてくれる。

センタービルはL字形(ただし反転文字)だ。広場の楕円形はO。ホテル内の階段は下から見ると平行なのに上から見おろすとVの形。野外ステージ階段を下から見上げるとEの形。つまりセンタービルと広場にはLOVEの文字が隠されているのだ。だからaIは、アイ(愛)であり、遊歩道をアイアイモールとはよく命名したものである。以前、野外ステージで行われていた結婚式を見たことがあるが、神秘的に映りとても感動させられた。

つくばセンター広場ペデストリアンデッキの彫刻物

オープンハウスで見たイメージ映像

新型コロナウィルス第3波が襲う年末。つくば駅前のBiVi2階イベントスペースで、中心市街地に関するオープンハウスが2週間にわたって開催された。市民はずいぶんと待たされたわけだが、ほとんど誰もやっていることを知らなかったのではないだろうか。会場にはパネルが飾られ、市民の質問に市担当職員2名が答えるシステムだった。中心市街地とセンタービルに愛着を持つ私は3日も通ってしまった。

なぜセンタービルを改造してまで2基のエスカレーターが必要なのか、まちづくり会社は中心市街地をどのような方向にもっていこうとしているのか知りたかったからだ。職員は率直で好感が持てる対応だった。職員の説明によると、エスカレーターを正面につけるのは「動線が悪いから」とのこと。(動線よりも階段を使うのが面倒なだけではないだろうか)。またホテル側につけるのは「カートを持った旅行者が1階に行きやすくするため」だそうだ。30年近くセンターに通ってきたが、そんな声があることをはじめて知った。(旅行者にはホテルのVの字階段を体験させたい)。

そして、改造されたセンタービルのイメージ映像を見た。50万円をかけたという映像はよくできていた。まるで新築の建物に見えたからだ。ホテル側の階段の改造部分はロングになっていてよく分からなかった。(ここが見たかった場面なのだが)。しかし何度も繰り返して見るうちに、映画探偵の私は違和感を持った。それは映像の中で広場を歩く人々は30代から40代の若者がほとんどであり、高齢者や外国人や障害者が1人もいなかったからである。

職員は「広場を歩く人々は制作会社の社員を写真モデルにしたからそうなったのではないか」と語っていた。ちょうど高齢者の母親と来ていた20代の若者が一緒に映像を見ていて、「華やかな大都会みたいで行きづらいね」とつぶやいていた。

D・リンチ監督『ツイン・ピークス』

ゾウに踏まれ奇形となった主人公を描いた名作『エレファト・マン』(1980)のデイヴィッド・リンチ監督には『ツイン・ピークス』(1990)というテレビ映画シリーズがある。アメリカの製材所がある小さな田舎町、FBI捜査官が遺体で発見された若い女性の殺人事件を追いかける話だ。しかしリンチ監督は事件の追及よりも次々と風変わりな町の人々を描き始める。丸太を抱えた婦人、赤い部屋にいる小人と巨人など続々と登場する。

さらに、ドーナツやコーヒーの話やモンローとケネディの関係、UFOをめぐる話など脱線に脱線を続ける。どんどん物語はふくらみ、一体なんの話なのか分からなくなってしまうのだ。けれども、それと比例してなんの変哲もない町が妙におもしろく見えてきて、行ってみたい場所に思えてくるのだ。(事実、世界的な観光名所となった)。

30年前つくば市に移転して来たとき、まるで『ツイン・ピークス』の舞台だと思ってわくわくした。つくばには色んな計画が飛びかっていたが、自然を背景にした歴史物語は今も生きていた。そして、魔術師を連想させるユニークな博士たち、豊富な知識を持つ農家の人々など、魅力的な人が多くいる。結局はプロジェクト計画よりも人だと思った。

オープンハウスの帰り際、中心市街地に30年以上住んでいる職員はaIの彫刻を削る計画があることを教えてくれた。もちろんaIを削る計画には反対だが、それをあっけらかんと語る職員には興味を抱く。それにしても、つくば市はAIを目指しaIを削っていくのだろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

《電動車いすから見た景色》14 好きな時に好きな場所に行ける自由

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【コラム・川端舞】年が明けてから、県内の新型コロナ感染者が急増し、緊張感が高まっている。私自身は、身体障害はあるが、内科的な疾患は持っていないため、重症化はしないだろうと楽観視したくなる。でも、呼吸器や痰吸引など、普段から医療的ケアが必要な障害者は、感染すると重症化する危険性が高い。そのような仲間の切実な声を聞くと、背筋が正される。

私が軽率な行動で新型コロナに感染し、介助者を媒介として、他の仲間にうつしてしまったら責任重大である。少なくとも、県内に外出自粛要請が出ている期間は、通院や買い物など、最低限の外出しかしないつもりだ。

1月12日現在、茨城も東京も全域に外出自粛要請が出ているはずなのに、テレビに映る街中には、たくさんの人が歩いているように見える。「仕事などで外出しなければならない人もいるだろう」「ずっと自粛していたら疲れちゃうよね」と、街を歩いている人にも事情があるのだろうと想像してみるが、それでも羨ましく思ってしまう自分がいる。「自粛警察」と呼ばれる行動に出てしまう人の気持ちも分かるような気もする。

新型コロナが出てくる前、私は介助者にサポートしてもらいながら、好きな時に行きたい場所に行けることが当たり前に思っていた。しかし、ずっと施設の中で生活している障害のある人にとっては、施設から外出許可をもらわないと、気軽に買い物にも行けないことが、新型コロナが出てくる前から当たり前だった。そのような生活は息が詰まるに違いない。

頭では分かっているつもりだったが、実際に自分が気軽に好きなところに出かけられない状況になることで、自分は何も悪いことをしていないのに、そして他の人は外出しているのに、外出できないつらさが初めて分かった。施設で生活している人たちは、今までテレビなどから伝わってくる、気軽に買い物に行ったり遊びに行ったりしていた人々のことをどう思っていたのだろう。その気持ちを以前より想像できるようになった気がする。

コロナ後の世界

コロナ禍で、誰もが少なからず行きたいところに自由に行けない気持ちを味わっただろう。でも、車椅子ユーザーの私は、コロナがあってもなくても、段差があるお店には入れない。そして、施設で生活している障害のある人は、バリアフリーなお店でも気軽に立ち寄ることができない。

新型コロナのために、行きたいところに自由に行けないという経験を世界中の人が共有したからこそ、アフター・コロナの世界は、どんな障害があっても、好きな時に好きな場所に行けるような社会になっている。そう信じながら、このような状況でも毎日の生活をサポートし続けてくれる介助者に感謝しつつ、家で静かに過ごす今日このごろだ。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

《つくば法律日記》14 時代の変化を楽しむ

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堀越氏の弁護士事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】正月に小学3年生のおいっ子が実家に遊びに来て、乗るだけで腹筋が鍛えられる機械で遊んでいた。古き時代の野球部だった僕は、若いうちから楽して腹筋を鍛えていいのだろうかと、一瞬思った。しかし、僕らの時代にも、つらく苦しい「うさぎ跳び」はやらない方がいいと言われていた。最近は、僕らが教わった腹筋の鍛え方も否定する意見があるらしい。

昔は、正月に親戚の子どもが集まれば、かるたやトランプをしていたが、最近はやらないし、小3のおいっ子も携帯のゲーム機に夢中である。そこで、僕は部屋に閉じこもり、昔は当たり前だったが今は否定されているものを、できる限り思い出してみた。

まず聖徳太子。小学生のころ、絵まで描かされ、あれだけすごい人物だったと教えられたのに、今は、実在しなかったわけではないが、教科書で教えられたように、いろいろなことを成し遂げた事実はないということになっている。1万円札や5千円札になったことも、誤解に基づく結果ということなのだろうか。

歴史つながりで言うと、大河ドラマにこれから出て来る本能寺の変は、僕らが教科書で習った事実とは違うような見解が主張されている。まだ何が真実か明らかになっているわけではないが、教科書には、はっきりと明智光秀が本能寺の変を起こして、織田信長を討った旨の記載がある。光秀に大勢が味方して信長を討ち、その後、豊臣秀吉に大勢が味方して光秀を討つという、昔教わった人間関係がイメージしにくいので、早く真実が明らかにならないかと思っている。

債権法・相続法も大幅改正

今でもたまに話題になる未確認飛行物体(UFO)。昔は、UFOを呼べますという人が現れ、民放テレビのゴールデンタイムにUFOを呼ぶ番組があった。しかも、番組の最後に本当に呼べたかのような場面もあり、今そのような放送をしたらまずいことになるのではないかというくらい、UFOは人気のコンテンツだった。

最近、UFOが取り上げられることが減ったのは、科学が発達し、人間が宇宙に頻繁に行くようになり、さすがにないのではと思われるようになったのだろう。僕も、空を見ている時間が長い天文学者や気象予報士に、UFOを見たと言っている方がほとんどいないと知り、UFOはないのではないかと思ってしまう。

やっと法律の話になりますが、法律も学生時代に習ったものから別のものに移りゆくもので、最近、民法の債権法と相続法が大幅に改正された。成人の年齢も変わることになっている。そして、判例も変更される。古い判例を理由に裁判を起こしたら、大変なことになる。

僕が司法試験の勉強をしていたころに比べ、世の中が変化するスピードはますます速くなっている。そんなことを思い、時代の変化に前向きについていこうと、買いあさった本の山に囲まれ、明智勢に包囲された信長のように、是非に及ばずと思いつつ、今年の計画を立てる令和3年1月。(弁護士)

《続・平熱日記》77 初夢考 還暦を迎える年に

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【コラム・斉藤裕之】私は毎晩夢を見る。昨夜も見た。それほど面白い夢ではなかった。最近はそうでもないが、若いころはとても愉快な夢を見ることがあった。時には腹がよじれるほどゲラゲラ笑う。とにかく本人は面白おかしくてたまらないのだが、暗闇に響き渡る笑い声は家族にしてみれば不気味であったそうだ。

そんな夢見がちな私であるが、初夢というものを見た記憶がない。あれだけ連日連夜オールナイトで上映される夢が、正月だけはなぜか休館となる。そこで、来年こそは初夢を見てやろうと思う。ここまで2020年の師走に記す。

初夢に封切大作映画なし

さて、2021年1月2日早朝これを記す。ついに初夢を見た。目が覚める寸前に「おーっと、これが初夢なら覚えておかなければ」と思い忘れないうちにノートに書いた。どうもパッとしない内容だ。断片的に覚えている場面もあるのだが、確実に覚えているのは目覚める前に見ていた場面。漬物の桶(おけ)のふたのような丸い形の木の板で、胸の前と背中にプロテクターを作って、それを一生懸命装着して…。

2日後、山の中腹にある焼却炉のような施設を舞台にした近未来的な夢を見た。外国人もキャスティングされていた。アボリジニは夢の中の世界をもう一つの人生だと考えていたそうだが、夢の元ネタはその人を取り巻く現実の世界。彼らといえども、今の世界は複雑過ぎてカンガルーとかコアラとかはキャスティングされにくいだろう。

だから、初夢に富士山はまだしも、鷹やナスが夢に出てくる方は相当牧歌的な日常を送っているということか。考えてみれば毎日毎晩、世界の何十億という人の見る夢に意味があったら大変だ。結論、初夢に封切大作映画なし。夢は取るに足らない脈絡のないナンセンス劇場だからよいのであって、逆に、これほど意味不明な脚本を毎晩書ける脳は大したもんだと改めて感心した。

2回り目の航海へ出発!

閑話休題。2021年に還暦を迎える。しかし還暦とはよく言ったもので、なんとなく一回りした感がある。成人式も厄年も四十肩や五十腰も無縁に生きてきた私の場合、高い山を目指したわけでもなく、どうにかこうにか小舟で「還暦島」に辿り着いたという感じ。

五十になったときにやっと成人できたかなと思ったのだが、大きな勘違いであった。六十こそ成人だ。十二進法万歳!ということで、いざ、2回り目の航海へ出発するとしよう。さて今宵(こよい)の夢は? 七福神に宝船?(画家)

《邑から日本を見る》79  秋田からの「いぶりがっこ」を食べながら

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麦畑と前方後円墳=那珂市静

【コラム・先﨑千尋】30年来の秋田の知友から手作りの「いぶりがっこ」が届いた。添えられた手紙には「昔は金が無くても暮らせる世の中だった。バスにも乗らず、飲み物は水。食堂に入らず、宿は親戚や知り合いの家。オリンピックの総費用1兆5000億円以上、参加選手約15,000人。選手1人あたり1億円。何かおかしい」とある。そうだそうだとうなずきながら、いぶりがっこをかみしめる。

その秋田は大雪で、救助のために自衛隊が出動している。横手市立栄小学校は30年前に木造校舎を建てたが、雪に埋もれ、雪をかきだす様子をテレビで見た。そのモデルとなったのは私が住んでいる瓜連小学校の木造校舎だったので、関心が人一倍だ。これでは子供たちが「かまくら」を作って楽しむどころではないなと、かの地に思いをはせた。

昨年から地球を襲っている新型コロナウイルスの脅威。テレビでは朝から晩までこのニュース。コメンテーターや医療専門家たちがそれぞれ自分の主張をしているが、一向に事態はよくならない。菅首相は小池東京都知事らから背中を押されて、7日にやっと緊急事態宣言を出したが、世論調査の数字やテレビで聞くちまたの声からもわかるように、遅すぎたという声が圧倒的だ。

私もそう思う。医療崩壊が始まっているのが一番怖い。「Go Toトラベル」などにうつつを抜かしているよりも、そのカネを医療現場に注ぎ込み、PCR検査を大幅に増やし、人の動きを止める、休業要請をした業者には損害補償をきちんとする。私はそのことが最低限必要だと考えている。

「今だけ、カネだけ、自分だけ」

そして菅総理大臣や西村担当大臣、政党幹部らが医療現場に足を運び、現場で懸命に努力している人たちの声を聴く。そしてコロナを止めるという覚悟を決める。政治家として当たり前のことがどうしてできないのか不思議だ。経済を回すこと(カネ)よりも命最優先ではないか。「命あっての物種」という言葉もある。

国民の共感と協力を得るためには、手元の紙に目を落として読み上げるのではなく、ドイツのメルケル首相などのように、メリハリのある自分の言葉で強く訴えることが大事だと思っている。

平時なら優秀なスタッフがいるから、首相、知事、首長は、極端な言い方をすれば誰にでもできる。しかし今は国民すべてが戦場にいる。事態がどうなっていくのかわからない。瞬時に情勢を判断し、的確な指示を出す。それがトップの役割だ。それができないのなら、辞めてもらうしかあるまい。週刊誌やネット情報では、すでに次の首相選びが始まっている。

東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故からまもなく10年になる。経済の仕組み、人としての生き方など、震災と事故によって国民と政治家の考え方が変わると期待していたが、その後の世相を見ていると、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という考え方は変わっていないようだ。コロナ騒ぎがあっても同じだと思える。私たち日本の人々は、どうして同じ轍(てつ)を踏むのだろうか。(元瓜連町長)

《茨城鉄道物語》8 試乗記「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」

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大洗鹿島線鹿島神宮駅

【コラム・塚本一也】正月休みを利用して、以前から気になっていた県内の鉄道に乗車しようと思い、大洗鹿島線に乗ってきた。私は鉄道マニア「てっちゃん」ではないが、鉄道会社の社員であったという血が騒ぐのか、わざわざ九州新幹線や島原鉄道の体験乗車にも行ったことがある。今回は水戸へ行くたびに気になっていた大洗鹿島線に試乗した。

大洗鹿島線は、茨城県などが出資する第3セクター鹿島臨海鉄道株式会社が運営する、営業距離が53キロの単線鉄道である。電化はされておらず、始発の水戸駅から終点の鹿島サッカースタジアム駅まで、2両編成の気動車がひた走っている。特筆すべきは、ローカル線としては異例ともいえる、線路のおよそ6割(私の目見当)が高架で、残りも掘割(切土)であったりするため踏み切りがほとんどない点である。

水戸駅を出発すると、すぐに常磐線や水郡線と共用の踏切が2箇所あるが、そこを過ぎて高架に昇ると、残りのおよそ52キロは終点まで踏み切りが一切ない。それゆえに、スピードアップも図れるため、最高速度は時速95キロという設定の鉄道である。そういった構造だから、線形もほぼ直進になっており、この2点はつくばエクスプレス(TX)と同じ特徴といえる。

建設した鉄道技術者の意気込みを感じる

高架から望む涸沼の夕日や、車窓の彼方まで延々と続く田園風景は、どこか昭和を感じさせ、ノスタルジックな雰囲気にさせてくれる。あまり乗り心地の良くない気動車の振動も、何となく心を穏やかにしてくれるマッサージチェアのように思えてくるから不思議である。さらに途中で交差する道路は全て立体交差であり、建設当時の鉄道技術者の意気込みが感じられる。

そういえば、開業時である1985年はつくば科学万博開催の年であり、茨城県にとってもバブル経済に向かって最も勢いのあった時代だったのではないだろうか。

大洗鹿島線は日本国有鉄道(現JR)の路線として計画されたが、建設が始まったころには国鉄の膨大な赤字が問題となり、その後の分割民営化に向けて地方ローカル線を分離しなければならなくなった。それゆえに、大洗鹿島線は完成しても経営主体が無いという事態に陥り、それを茨城県が全国に先駆けて第3セクター方式で開業させるという、数奇な運命をたどった路線である。

近年では、ガルパンをプリントしたデザイン車両を導入したり、サイクルツーリズムに参加すべく、自転車を車内に持ち込めるように実証実験に取り組んだり、新しい試みにもチャレンジしている。地方ローカル線が消えゆく中で、頑張っている部類に入るのではないだろうか。茨城県の財産として、大事にしていかなければならないものの一つであろう。(一級建築士)