土曜日, 4月 20, 2024
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宇宙天気キャスター 《食う寝る宇宙》93

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【コラム・玉置晋】9月19日、地球に帰還した宇宙船「クルードラゴン」から降り立った4人は全員が民間人でした。民間人だけで宇宙旅行を行ったのは世界で初めてです。宇宙旅行産業の始まりを告げるものというコメントもあります。後の時代、2021年は宇宙旅行元年と呼ばれるようになるでしょう。そして、宇宙旅行の前にチェックしなければならないのが宇宙天気です。

僕たちが毎日見ているテレビのニュース番組で、お天気について解説する気象キャスター。この気象キャスターに宇宙天気をレポートしてもらいたい。僕がリーダーをしている宇宙ビジネスサロン「ABLab」宇宙天気プロジェクトのミッションの1つです。

宇宙天気キャスターは,宇宙天気情報を一般の方々に分かりやすく伝える未来の職業です。「昨日より太陽活動が活発で、地球周辺の放射線が増加しています。不要不急の宇宙旅行は控えましょう。明日には回復する見込みです」。こういった解説を茶の間で視聴する時代は、意外とすぐかもしれませんよ。

コラム78で紹介した宇宙コミュニティ「宇宙人クラブ」(代表:福海由加里さん)では、まさに宇宙天気キャスターの試験運用を開始しています。毎月1回、宇宙天気概況を説明しています。最近では、NHKニュースの気象コーナでおなじみの斉田季実治さんによるレポートを配信しましたのでご覧ください。こちらまで。

アナウンサーとキャスターの違い

斉田さんに3分宇宙天気を実施していただくにあたり、当初は宇宙天気アナウンサーと紹介される予定だったのですが、「アナウンサー」ではなくて「キャスター」としてくださいと要望させていただきました。

実は、アナウンサーとキャスターには違いがあって、アナウンサーは「原稿の通りに正確に情報を伝える」職業です。そしてキャスターは「原稿に独自の洞察を加え情報を分かりやすく伝える」役割です。

この違いは、ABLab宇宙天気プロジェクトの宇宙天気を独自に解釈できる人材を増やしていき、宇宙天気災害に備えるという目標に関わっていて、僕たちが生み出そうとしているのは、「宇宙天気アナウンサー」というより「宇宙天気キャスター」なのです。(宇宙天気防災研究者)

10年経っても変わらない東電の体質 《邑から日本を見る》96

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朝露に光る彼岸花

【コラム・先崎千尋】学友・北村俊郎さんが今月初めに『原子力村中枢部での体験から10年の葛藤で掴(つか)んだ事故原因』(かもがわ出版)という長いタイトルの本を出した。

彼は1967年に大学を卒業し、現在再稼働が焦点になっている東海第二発電所を持つ日本原子力発電に入社。本社の他、東海発電所、敦賀発電所などの現場勤務を経験、主に労働安全、教育訓練、地域対応などに携わってきた。20年前から東京電力福島原発近くの富岡町に住み、福島第一原発の事故で帰還困難区域に指定されたため、現在も福島県内で避難生活を続けている。

原子力村の中枢にいたと言うのだから、立ち位置は私と真逆だ。しかし本書は、反原発の安斎育郎氏の推薦文にあるように「当事者だからこそ見える原発業界の危うい風景。福島の事故はなぜ防げなかったのか。その内幕を縦横に語る、気骨のある『内からの警告書』といえる。著者が日本原電にいて見たのは、政産官学や地方自治体、地元住民を巻き込んだ巨大な運命共同体が閉鎖的になっていく姿だった。

本書は、「福島原発事故は日本の原子力発電の帰結」「巨大組織は何故事故を起こしたのか」など6章から成る。著者は第1章の冒頭で「福島第一原発事故の背景には長い間に積もり積もった問題が多々存在していたのではないか。事故前に規制当局や原子力業界に定着していた考え方、慣習は事故につながる問題点が多く見られる。最近の柏崎刈羽原発再稼働に関する一連の不祥事も、体質、企業風土の問題がいまだに改善されていない」と指摘し、「東京電力は事故後10年経っても変わらない」と糾弾している。

子どもでもわかる汚染水処理の愚

第4章「処分出来ない汚染水と廃棄物」では、汚染水の処理問題を書いている。2015年に福島県漁連に「関係者の理解なしにはいかなる処分も行わない」と文書で確約しているにも関わらず、国と東電は一方的に海洋放出の方針を決めた。こうした動きに対し、「いくら困ったからといって、約束を破れば誰も東電の言うことを信用しなくなる。何故、こんな悪手を使うのか」とあきれ、「小出しにしてなるべく反発を抑え、後で修正するいつものやり方。こんな姑息(こそく)なやり方は不誠実であり、金の無駄遣い」と厳しく指摘する。

国と東電の方針では、年間の海洋放出は3万トン。しかし汚染水は現在でも年間に5万トン増え続けている。足し算、引き算すればどうなるかは小学生でもわかる。こうしたやり方が汚染水問題の解決にならないことをどうしてやるのか、私にはわからない。

最終章「原発の根本的問題は克服できるのか」では廃棄物の処分先未定、テロの不安増大など7項目を挙げているが、おそらくそのどれもが克服できないと著者は見る。問題の先送りで10年経った。ふるさとを追われた人々は今でも数万人いる。現時点では、菅首相の後に誰がなるかわからないが、誰が首相になっても、東電とその後ろにいる経産省の体質は変わらないのではないか、と私には思える。

本書は四六判239ページ。1800円+税。かもがわ出版に電話(075-672-0034)すれば送料無料。著者は事故後、『原発推進者の無念』(平凡社新書)も出している。(元瓜連町長)

白い靴下 《続・平熱日記》94

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【コラム・斉藤裕之】夏の間ビーサンで過ごした足も少しひんやりとしてきたので、靴下を買いに行った。底が厚手の黒いものを探したが、好みのものが見つからず、黒、白、グレーの3足組を買った。白い靴下を履くのは高校生のとき以来かもしれない。

ホワイトソックスといえば大リーグだが、レッドスキンズのチーム名が差別に当たるとして、名前を変えるというニュースを…。あれはアメフト?

先日無事に?終わったオリンピック。ジェンダーや宗教上の壁を取り払う努力はスポーツの祭典にふさわしい。難民選手団も頑張った。その一方で、そもそも、いくつかの競技には黒人選手がほとんどいないことに気づく。

例えば、集団で演技をする競技ではほぼ同じ肌の色の選手で演じられる。違う色の足ではいい色のメダルは取れないのか。それから、お金のかかる競技には黒人選手が少なく、逆にお金の稼げる競技には多い。体操や水泳には黒人選手は少なく、野球、バスケ、サッカーには多い。

間もなく始まる冬のオリンピックはもっと極端だ。もちろん貧しい国にはスケートリンクもないだろうし、雪も降らない国も多いが、欧米諸国には多くの黒人が住んでいるにも関わらず、例えば陸上競技の種目によってはほぼ黒人が表彰台を独占しているのに、スピードスケートではその姿をほとんど見かけない。フィギュアスケートは多分お金がかかるし、スキーやホッケーの選手も少ない。

お国柄や風土、歴史によって人気のある競技に偏りがあることを差し引いても、多民族の国家では、競技によって意図的な「色分け」があるような気がするのだが。かつて、「はだいろ」というクレヨンや、黒人の子供を主人公にした童話に誰も違和感を持たなかったように、目には見えにくい差別はまだまだ身の回りに潜んでいる。

茶色はカッコいい

高校の体育祭で柔道部の先輩が教えてくれた。「さいとう、あれが我が校の『茶色い弾丸』じゃ」。目の前を見事な前傾姿勢を保ちながら驚異的なスピードで走り抜ける、真っ黒に日焼けした女子の姿が目に飛び込んだ。女子ハンドボール部だ。当時、我が校のハンドボール部は全国制覇をするほどの実力で、部活対抗のリレーでは陸上部よりも速かった。

「茶色い弾丸」とは、確か、その昔オリンピックの百メートル走を制した黒人選手のニックネームだったと思う。私は素直にその比喩に感動した。つまり茶色はカッコいいと思ったのだ。

ちなみに、昔はユニホームが白だったので、靴下の色でチームがわかるようにしたそうな。レッドソックス然り。そういえば、洗濯した白い靴下がピンクや水色に染まって…。そんなことを思い出しながら、白い靴下を履いてみたが…。おじさんの足には白がまぶしすぎる。恥ずかしいので、部屋履きにすることにした。(画家)

「風立ちぬ」考 その4 《遊民通信》25

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【コラム・田口哲郎】
前略

堀辰雄の『風立ちぬ』は1938年発表ですから正確には「戦後文学」ではありませんが、「戦後文学」がなし得なかったことを果たします。死者の真の思いを生き残った者たちに悟らせるのです。それは生者の死者からの解放です。「生きねば」派は魂を鎮めたい。生者の責務を全うするために。人間誰しも死が怖いし、逃れることはできない。こればかりはどうしようもありません。

しかし、彼らは死そのものの不安から逃れられたでしょうか? 「死者」からは逃れられても、「死」そのもの、「死」がもたらす恐怖や不安からは逃れられません。

「生きめやも」派には「生きねば」派の意図が理解できないかも知れません。「生きねば」派は自分自身の死そのものに向き合うのではなく、身近な人の死から戦争や災害による大量死の犠牲者にいたるまで、他者の鎮魂を重視します。一方、「生きねば」と考える人々からすれば、「生きめやも」はあまりに現実逃避的で軟弱な生活態度だということになります。両者の死に対するスタンスに決定的な違いが浮き彫りとなってきます。そして、アニメ『風立ちぬ』が与えた問いへの答えが導かれます。

「宮崎駿は、この設計者・堀越二郎の物語を、なぜ、堀辰雄の物語に、『強引に』接続したのだろうか」。それは、近代国家たる日本が積み上げてきた死者への鎮魂のためです。今を生きるために。宮崎氏の変奏曲としての『風立ちぬ』は小説と同じ題名を持つがゆえに、私たちを困惑させていました。

では、堀辰雄の『風立ちぬ』が読者に与えるものは、何でしょうか。実質的処女作と言われる『聖家族』を「死があたかも一つの季節を開いたかのようだった」と始めた堀は、死と向き合うはずです。死そのものと向き合うからこそ、「生きねば」ではなく、「生きめやも」なのです。死に対峙(たいじ)した時の浮世離れした躊躇(ためら)いこそが『風立ちぬ』なのです。

立原道造と遠藤周作

そして、小説『風立ちぬ』は「生きめやも」派の新たなふたりを結びつけます。立原道造と遠藤周作です。ふたりは堀辰雄を文学の師と仰ぎ、それぞれ『風立ちぬ』について評論を書きました。立原は1938年に評論「風立ちぬ」を発表し、遠藤は1950年に評論集『堀辰雄』を上梓(じょうし)しました。堀と立原の親密な交際は軽井沢・信濃追分で育まれ、彼らが雑誌「四季」を舞台に四季派として文学活動を行ったのは有名です。

一方、のちにカトリック作家として大成する遠藤は哲学者吉満義彦の紹介で堀との知遇を得たのをきっかけに文学活動に入り、堀に関する評論が作家としての処女作です。立原、遠藤に直接の交友があったわけではないです。でも、『風立ちぬ』が結んだ縁は、入れ違いのように堀の傍に現れたふたりの青年を「生きめやも」派として死を考えさせるのです。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

里山保全活動と安全管理 《宍塚の里山》81

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里山さわやか隊

【コラム・佐々木哲美】今回は里山保全活動の主力チーム「里山さわやか隊」における安全の取り組みを取り上げます。

認定NPO「法人宍塚の自然と歴史の会」は、1989年の設立当初から、自然や歴史の調査や学習だけでなく、森林・小川・池の整備、ごみ拾い、観察路の草刈り、小川の整備、オニバスの復元、休耕田の復田―など、里山保全の実践活動に市民参加で取り組んできました。

特に、1990年2月、宍塚大池湖畔の通称「ゲンベーヤマ」で「雑木林のフレッシュアップ」活動を立ち上げ、山主さんの指導を受けながら、森林の下草刈り、間伐などを開始しました。その後、1998年2月に「里山さわやか隊」と組織化し、月2回の定例活動をはじめ、種々の保全作業を行っています。

里山さわやか隊は、設立当初から「楽しく汗を流すことにより里山の保全に役立つ」をモットーに活動し、大勢の方の参加をいただき、30年以上続いています。

活動が活発化するにつれて参加者も増え、チェーンソーや刈払い機を扱う頻度も増し、ケガの心配が出てきました。ボランティアは労働者ではなく、自主活動ですから、ケガをしても自己責任です。ケガをするときは労働者も悲惨ですが、ボランティアはもっと悲惨です。

チェーンソー作業では民間保険に加入

そこで3つの対策を考えました。

  1. 参加者の安全:ボランティア参加者がケガをしないために、安全教育の開催、ヘルメットなど服装の装備、朝礼・ラジオ体操、ミーティングなど日常安全管理を実施する。
  2. 被災者の補償:万が一ケガをしても補償が受けられるように、ボランティア行事保険、ボランティア活動保険などへの加入。特にチェーンソーを使用する作業はボランティア活動保険の対象外なので、民間の傷害保険やグリーンボランティア保険に加入する。当然、職員やアルバイトを雇用する場合は労災保険に加入する。
  3. 主催者の責任:ボランティア活動における行事主催者は、民事の安全配慮義務違反で訴えられる可能性がある。万一の活動団体に起因する災害や物損事故に備え、傷害賠償保険に加入する。
チェーンソー実技教育

里山さわやか隊の隊員は、おそろいのヘルメット、ビブスを着用し、ほぼ全員がチェーンソーや刈払機の法令に基づく有資格者であり、作業開始前の朝礼・ラジオ体操、ミーティングは定着しています。私たちは、ボランティア参加者が、楽しく、ケガせず、安心して活動できるように努めています。(宍塚の自然と歴史の会 副理事長)

里山保全活動と安全管理 《宍塚の里山》81

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里山さわやか隊

【コラム・佐々木哲美】今回は里山保全活動の主力チーム「里山さわやか隊」における安全の取り組みを取り上げます。

認定NPO「法人宍塚の自然と歴史の会」は、1989年の設立当初から、自然や歴史の調査や学習だけでなく、森林・小川・池の整備、ごみ拾い、観察路の草刈り、小川の整備、オニバスの復元、休耕田の復田―など、里山保全の実践活動に市民参加で取り組んできました。

特に、1990年2月、宍塚大池湖畔の通称「ゲンベーヤマ」で「雑木林のフレッシュアップ」活動を立ち上げ、山主さんの指導を受けながら、森林の下草刈り、間伐などを開始しました。その後、1998年2月に「里山さわやか隊」と組織化し、月2回の定例活動をはじめ、種々の保全作業を行っています。

里山さわやか隊は、設立当初から「楽しく汗を流すことにより里山の保全に役立つ」をモットーに活動し、大勢の方の参加をいただき、30年以上続いています。

活動が活発化するにつれて参加者も増え、チェーンソーや刈払い機を扱う頻度も増し、ケガの心配が出てきました。ボランティアは労働者ではなく、自主活動ですから、ケガをしても自己責任です。ケガをするときは労働者も悲惨ですが、ボランティアはもっと悲惨です。

チェーンソー作業では民間保険に加入

そこで3つの対策を考えました。

  1. 参加者の安全:ボランティア参加者がケガをしないために、安全教育の開催、ヘルメットなど服装の装備、朝礼・ラジオ体操、ミーティングなど日常安全管理を実施する。
  2. 被災者の補償:万が一ケガをしても補償が受けられるように、ボランティア行事保険、ボランティア活動保険などへの加入。特にチェーンソーを使用する作業はボランティア活動保険の対象外なので、民間の傷害保険やグリーンボランティア保険に加入する。当然、職員やアルバイトを雇用する場合は労災保険に加入する。
  3. 主催者の責任:ボランティア活動における行事主催者は、民事の安全配慮義務違反で訴えられる可能性がある。万一の活動団体に起因する災害や物損事故に備え、傷害賠償保険に加入する。
チェーンソー実技教育

里山さわやか隊の隊員は、おそろいのヘルメット、ビブスを着用し、ほぼ全員がチェーンソーや刈払機の法令に基づく有資格者であり、作業開始前の朝礼・ラジオ体操、ミーティングは定着しています。私たちは、ボランティア参加者が、楽しく、ケガせず、安心して活動できるように努めています。(宍塚の自然と歴史の会 副理事長)

コロナの次は格差解消だ 《ひょうたんの眼》41

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コロナ忘れる月明かり=土浦・霞ケ浦総合公園

【コラム・高橋恵一】9月15日現在の65歳以上の高齢者人口の推計値が発表され、総人口に占める割合は、29.1%とされた。2位のイタリア(23.6%)、3位のポルトガル(23.1%)を大きく引き離して「金メダル」だ。人類の悲願である長寿のおかげなのだが、どうも世間の雰囲気はマイナーなイメージで捉えているようだ。

首相の引退や総選挙を控えて、コロナ対策からこれからの日本のあり方が議論されている。コロナ禍は、世界中に経済社会の課題を突き付けたが、単にコロナ感染流行の前に戻ればよいというわけではなかろう。コロナ禍で露呈した課題は、感染症対策のお粗末さだけでなく、社会生活のあり方、会社・職場でのあり方、学校生活のあり方、病院や施設のあり方も問われた。

しかも、それぞれの分野での雇用・賃金の格差、休業や休暇制度の格差、非正規雇用など、社会の弱い分野に顕著に現れた。しかも、面倒なことに、地球温暖化やプラスチックごみよる膨大な海洋汚染、国際社会が求めるSDGs、巨大地震や豪雨洪水への備えなど、後回しにできない課題が山積みなのだ。

人間は、どうしても未来に希望を持ちたいので、足元のコロナ禍の見通しも対策も不十分なまま、コロナ後の施策がにぎやかである。

超々高齢社会の社会保障費割合の縮減、デジタル化の推進による経済活力の拡大、規制改革の推進など、華々しく経済再生復興策が提唱されるのだろう。マイナンバーカードの100%保有、キャシュレス決済の推進、ワクチン接種証明のスマホ利用などなど、IT技術を最大限に取り込んだ諸改革が進められようとしているのだ。

日本経済の最弱点は個人消費の弱さ

しかし、大きな疑問が2つある。1つは、デジタル化を利活用する技術能力を政策当局が持っているのかという点である。コロナ対策においても、10万円の給付がマイナンバーと住民基本台帳のリンクがされてないために大幅に遅れ、臨時給付の意味をなくしてしまったこと。休業補償金、コロナ接触確認アプリ(COCOA)など、例示すると切りがないのだ。

要するに、政策当局が自分で考えず、システム設計から運用まで業者に丸投げだったということだろう。日本の公的部門におけるソフト施策の外部委託は数十年前からだが、公的部門が、自らシステム設計をできない事態は、今回は指摘だけにしておくが、深刻な問題なのだ。

2つ目は、キャシュレス決済などデジタル化を前面に出した取引だが、今のままだと、ますます格差拡大になってしまうのではないか。例えば、カードによる決済のシステム管理会社には、個々の取引でほぼ消費税の50%に相当する手数料が入るのだ。この業務をすべて国営で行えば、財源不足は解決してしまうかも知れないのだ。

日本経済の最弱点は個人消費の弱さである。小泉改革以降、改善されない。アベノミクスで企業業績を上げ、もうけを投資や賃金に回すはずだったが、企業の内部留保になってしまった。個人の所得が改善されなければ、日本経済の回復はない。給与の改善ではなく、個人への給付制度を具体化する時だ。(地図好きの土浦人)

秋最大のごちそう 新米 《県南の食生活》29

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【コラム・古家晴美】ようやく猛暑の盛りを過ぎ、実りの季節が到来する。採れたての栗や落花生を目にされた方も多いだろう。今回は秋最大のごちそう、新米を取り上げてみたい。

現在、米といえば新潟県や北海道、秋田県を思い浮かべるが、令和2年の水陸稲収穫量を見ると、茨城県は全国7位で、堂々ベストテン入りしている。県南地域でファンが多い地域ブランド米と言えば、「北条米」だろう。

筑波山麓の桜川沿いに広がる平野には、筑波山の岩石のミネラル分をたっぷり含んだ水も注ぎ込んでいる。つくば市北条、筑波、田井、小田の4地域で生産されているこの米は、適度な粘りと甘み、冷めても照り輝きと旨(うま)味が失われないことから、最上ランキング特Aと評されるのもうなずける。

この地域の明治時代の記録によれば、米は農業産出額の7割以上を占めていた。そして、様々な野菜、果物、畜産が生産経営されている現在でも、つくば市の農業産出額を見ると、2位の野菜を大きく引き離し、米が1位に輝いている。立派な米どころだと言える。(令和元年市町村別農業産出額=推計=)

生産者に敬意を表していただく

ところで、この時期、何段階かで収穫の労をねぎらうご馳走が作られてきた。稲刈り開始にあたり、赤飯や混ぜご飯を食べる(土浦市、つくば市、麻生町)。また、稲刈り完了を祝うのに、赤飯やぼたもちを作り、神棚や仏壇に供え、手伝ってもらった家には重箱に詰めて配る(土浦市、つくば市、牛久市、麻生町)。あるいは、新米で油揚げ、人参、かんぴょうが入ったカリアゲメシを炊き、神棚、仏壇、オカマサマに供えた(つくば市)。

そして、脱穀を済ませた後、新米を臼でひき、オカマノダンゴという団子を作り、オカマ様に供え、近所にも配った。一度にたくさんの団子を作り、毎日ゆで直して餡でくるんで食べた。地域により、あるいは時代的な変化により、これらすべてがそろっているわけではないが、収穫の喜びとそれまでの労苦がうかがえる。

新米を特別に扱うのは、農家だけではない。阿見町大室のOさんは、現在でも新米を人からいただくと、「食べ初め」として、炊いたご飯に、尾頭付きの魚、ヌッペ汁(大根、人参、ゴボウ、里芋)を添え、感謝を込めて神仏に供えてからいただく。

新米で卵掛けご飯も魅力的だが、新米に(無論、生産者の方に対しても)敬意を表していただくと、一段と味わい深いものになるのではなかろうか。(筑波学院大学教授)

また中止された土浦の花火を考える 《吾妻カガミ》116

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土浦の花火(土浦市提供)

【コラム・坂本栄】11月第1土曜日に予定されていた土浦全国花火競技大会が中止になりました。コロナ禍の収束が読めない今、2カ月先の催事にGOは出せないとの判断です。昨年もコロナ禍を受けて中止。2年前と3年前は事故で途中取り止め。花火好きの私にとって、中止はもちろん事故も残念です。大音量スピーカーで来観者に挨拶できない土浦市長もさぞ残念でしょう。

桟敷で観るのが正しい作法

中止に至った経緯については「無念の中止決定 土浦の花火 第90回記念大会」(9月6日掲載)をご覧ください。土浦の花火は、地域住人の秋の娯楽であるとともに、全国の花火ファンに楽しんでもらう観光事業であり、煙火会社の意匠と技術を競うコンテストでもあります。競技花火は、伊勢神宮の花火(三重県伊勢市、8月上旬)、大曲の花火(秋田県大仙市、8月下旬)もありますが、土浦大会に参加する会社が最も多く、競技花火の締め役を担っています。

大相撲や歌舞伎と同じように、私は土浦の花火を家族や知人と桟敷席で観るようにしています。日本酒とウイスキーを持ち込み、重箱に詰めた肴(さかな)をつまみながら、大音をお腹に感じ、大声で讃(さん)を送る。これが正しい作法です。

湖面にも映る霞ケ浦打ち上げ

2回の事故と2回の中止を機に、土浦の花火について少し考えました。コロナ禍はいずれ収束しますから、大事なのは事故対応です。2年連続して、導火不良で破片が落下、それが地上で燃え、ケガ人も出ました。打ち上げ場所が桜川の土手周辺、観る場所もその近くですから、火薬の塊を数多く上げる花火の性格上、事故ゼロは容易でありません。といって、ヘルメットをかぶって観るというのも無粋です。

土浦の花火(同)

そこで、打ち上げ場所と鑑賞場所を少し引き離すため、打ち上げ場所を霞ケ浦に移し、湖岸に桟敷席を設け、そこから鑑賞できるようにしたらどうでしょう。事故防止のために花火と観客の「密」をなくすだけでなく、湖面に映る「逆さ花火」も観られます。

このアイデア、昨年の花火中止を埋め合わせる「サプライズ花火」(日時と場所を明示しない、観てほしいのかそうでないのかわからない、何かおかしなイベント)の形で試行されました。遊覧船がつながれている土浦港付近から約500メート沖に、タテ約10メートル、ヨコ約25メートルの船台を4つ連結して、打ち上げ場所を造ったそうです。時間は30分と正規の5分の1ぐらいでしたが、霞ケ浦まで徒歩10分の私の家からもよく見えました。

秋のほか春夏冬に縮小版を

湖上であれば、不燃片が鑑賞区域に落ちる可能性はほぼゼロですから、安全面では優れています。また、桟敷席を湖畔に設けることも可能です。さらに、霞ケ浦周辺のどこからも観られるメリットもあります。競技花火の審査員が桜川の土手から湖上の船上に移っても、採点に支障はないでしょう。

問題は、常磐線西側(市街地)から同東側(すぐ霞ケ浦)に移すとなると、大会にやって来る車の流れ、打ち上げ場所に向かう人の流れが変わり、交通整理を全面的に見直す必要があることです。そこで提案。秋の花火は事故対策を整えて従来通りとし、将来の場所移転の勉強と練習も兼ねて、縮小版大会を、春、夏、冬、湖上で催したらどうでしょう? 地元住民の楽しみを増やし、全シーズンで観光客を呼び込むために。(経済ジャーナリスト)

<後記> 執筆に際しては沼尻健・土浦市花火対策室長に情報を提供してもらいました。

企業経営で意識しておきたい3つの流れ 《地方創生を考える》20

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ダイヤモンド筑波

【コラム・中尾隆友】これからの企業経営では、3つの大きな流れを抑えておくことが欠かせない。

1つめは、「人口減少」だ。日本のマーケットは縮小に向かうわけだから、そのことを想定してビジネスを展開しなければならない。たとえば、国や地方自治体が将来の人口推計を公表しているので、自社のビジネスにいつごろ、どのような影響が及ぶ可能性があるかをイメージしてほしい。

2つめは、「デジタル化」だ。AIによる自動化と言い換えてもいいかもしれない。図らずもコロナ禍で注目されて加速することになったが、たとえパンデミックがなかったとしても、国や企業の基本方針として着実に進展していくはずだ。

3つめは、「地球温暖化」だ。世界が脱炭素実現へギアを上げる中、企業も環境保全をはじめとする持続可能性を強く意識した経営が求められる。2030年や2050年の具体的な成果に向けて、国内外のルールや法制度も段階的に刷新されていくだろう。

危機は新ビジネスのチャンス

実は、この内容は過去数年、全国の企業経営者の前で話し続けていることだ。コロナ前でもコロナ後でも、企業経営にとって変わらない本質的な話だ。(今年は茨城県経営者協会でも講演させていただいた)

それに加えて、世界的に危機が起こった時は、新しいビジネスが生まれるチャンスでもある。リーマン・ショック時の米国では、Airbnb(エアビーアンドビー)やUber(ウーバー・テクノロジーズ)など新興テック企業が数多く誕生した。

コロナ禍において、人々のライフスタイルや働き方、価値観などに変化が起きている。新しいビジネスチャンスが広がる中で、茨城の企業経営者が次々と新しいアイデアを生み出すことを期待したい。

また、茨城で起業する若者が増えることにも期待したい。総合的に判断して、茨城は起業するのに最も有利な都道府県の一つだと考えているからだ。そういった意味でも、筑波大学や茨城大学には革新的な取組みを求めたい。(経営アドバイザー)

プライドと劣等感 《続・気軽にSOS》93

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【コラム・浅井和幸】①周りを低く見る言動をする。②自分は素晴らしいという評価を周りに押し付ける。ちょっとでも悪く言うと怒りだして、①や②の言動で周りを攻撃してくる。程度の差はあれ、誰にでもある性質です。ささいなことならば、子どもっぽくてかわいいで済みますが、程度がひどく、繰り返す場合は、厄介な人で、できれば関わりたくない人ですね。

関わらずに済むのなら簡単な話ですが、それが家庭、教室、職場でいつも顔を合わす人だと大変。気を使いすぎて、抑うつ状態になって、相談室を訪れる人もいるぐらいです。

DV、児童虐待、いじめ、パワハラなど、「自分のことをきちんと評価してほしい」という願望の持ち主(加害者)によって、弱者が苦しめられるという構図がしばしばあります。

「自分のことをきちんと評価してほしい」という願望は、「周りの評価が気になる」という性質と、「自分は正当な評価を受けていない」という気持ちが強ければ強いほど、大きくなります。これらの性質は、つまりは劣等感だと言うことです。

パワハラ上司と付き合う方法

自分とパワハラ上司という関係で考えてみてください。「自信満々で、自分のことを責めてくる上司が、劣等感を持っているなんて信じられない。大きな声で怒鳴られて、縮こまって苦しんでいる自分の方が劣等感の塊だ」と考えますよね。

上下関係で上から力で押さえつけられるわけですから、力が強い上司が劣等感を持っているはずがないと考えても当然です。しかし、力で押さえつけてくる上司は、誰にでも同じ態度をとっているでしょうか。もしかしたら、その上司にも頭の上がらない人がいて、小さくなっている場面があるかもしれません。

その上司が、誰かに悪い評価を受けることを怖がっていて、それを受け入れられないから、より弱いあなたを見つけて、強さを誇示することで高い評価を得ていると感じようとする動きとも考えられます。怒り出すのは、キャパシティいっぱいで、パニック状態なのかもしれません。

対抗するには、ひたすら謝ったり、こびへつらい続けたりしなければいけないのでしょうか。そのような方法も取らなければいけないこともあるでしょう。しかし、それ以外にも自分自身が本当に上司のことを尊敬できるところ(ちょっとは褒めてやろうかと思えるところ)を探して、伝えてみるとよいでしょう。どんな人でもよいところの一つや二つはあるものです。

もう一つは、そのような上司と面と向かうときに、こちらが緊張しすぎないことです。緊張が劣等感を持つ上司にも伝わり、上司を不安にします。不安になった上司は、自分が悪くみられているという気持ちになり、評価を上げようとパワハラをしてくるのです。しかも、無意識だから質が悪い。

完全にリラックスした最高の笑顔で接しろとは言いません。ひどい言動をする上司は劣等感に追い詰められて大きな声を出すのだなと考えて、ほんのちょっとだけ余裕を持つことを意識するところから始めましょう。(精神保健福祉士)

コロナ禍での認知症 《くずかごの唄》94

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【コラム・奥井登美子】

「コロナが心配で、心配で、朝まで眠れないんだ。睡眠薬5ミリではだめなので、今度10ミリにしてもらった」

近所に住むAさんが処方箋を持ってやってきた。ゾルビデム5ミリグラムが10ミリグラムなっている。この薬は向精神(こうせいしん)薬で、認知症を促進するデータがあるといわれている薬である。Aさんと高校時代からの同級生で仲良しのBさんに聞いてみた。

「このごろ、2人で散歩していないわね。けんかでもしたの?」

「けんかなんかしていないよ。けれど、A君このごろ、ちと、おかしい。いつもと同じ道を歩いているのに、違う道だ、なんて言うんだ」

「困るわね」

「散歩に誘っても来ないし、僕も心配しているんだ」

薬なしで眠れる方法をトライ

認知症でない人が、コロナで外に出ない。人と会話ができないなど、日常生活での刺激がなくなって、認知症になってしまうケースも多いと聞く。もし、認知症になってしまったら、一番苦労するのは家族である。

Aさんが、もし認知症になってしまったら一番困るのは、Aさんの奥さん。ご近所だから、ゴミ出しの時などお世話になっている人である。私は、NHKテキスト「きょうの健康」8月号の「コロナ禍での認知症」特集のコピーを持って家に行ってみた。

「ご主人の睡眠薬マイスリーが5ミリから10ミリになっているの。どうして増えてしまったのかしら? 認知症になってしまってからでは遅いわ。奥さんが、ご主人をだまし、だまし、誘導して、認知症予防をしなければ大変よ」

「眠れない、眠れないって、大騒ぎなの。眠れないと、夜中に公園に行ってしまうの。真っ暗だから、もし転んで倒れても、誰も助けてくれない。どうしたらいいのかわからないので、医者に行って、もう少し効く薬出してもらいなさい、なんて、私が言ってしまったの」

「薬に頼り過ぎるのよ。薬なしで眠れる方法を、2人でトライしてみたら?」

昼間、重労働して身体を動かせば、夜は否応なしに眠くなってしまう。眠れないというのは贅沢だ。自動化、機械化が、人間をいつのまにか、むしばんでしまっている。(随筆家、薬剤師)

障害者の権利のために闘ったリーダー 《電動車いすから見た景色》22

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つくば市に寄贈した「わたしが人間であるために-障害者の公民権運動を闘った『私たち』の物語」

【コラム・川端舞】今月、障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」がつくば市の中学校等に寄贈した「わたしが人間であるために—障害者の公民権運動を闘った『私たち』の物語」(現代書館)。アメリカの障害者リーダーであるジュディス・ヒューマンの自伝本だ。

アメリカは、障害児が最大限に可能な範囲で、障害のない子どもとともに教育を受けることを原則としている。しかし、ともに学ぶことを法律で規定するまでには、障害者たちの長い闘いがあった。

幼少期から車椅子で生活していたジュディスは、障害児だけが通う学校で学び、自分はアメリカの一般の教育制度から排除された存在であることを自覚していく。同じ学校に通う障害のある仲間たちと、なぜ自分たちは障害のない子どもたちと異なる扱いを受けているのか話し合うこともあった。

大学入学後は、階段がある校舎に入れないなど、障害のために不利益を被ることがあっても、同じ経験をする障害学生同士で話し合ことで、障害という問題の原因は自分たちにあるのではなく、自分たちを受け入れない社会にあるのだと考えるようになった。

障害者が他の人と同じように学校や社会に参加できないのは、社会の在り方に問題があるという考え方を「障害の社会モデル」という。私は障害者運動に関わる中でこの考え方を学んだが、その後も無意識に障害のある自分が悪いと思ってしまう癖が残っている。社会モデルの考え方を自分の経験から導き出したジュディスたちの聡明さを見習いたい。

悩みながら戦い続ける

ジュディスは上院議員のアシスタントとして、障害児が障害のない子どもとともに教育を受けることを保障する法案の起草にも関わった。幼少期に障害のない友達と同じ学校に行けない悔しさを味わったジュディスは、「傷だらけの経験を、子どもたちの人生を変える法律の立案に役立てられることにワクワクした」と書いている。

私も通常学校で学んだ障害者として、障害児教育をよりよくしたいと思っているが、障害児教育に関わることは、自分の辛かった経験とも向き合い続けることになり、痛みを伴う。

しかし、障害者が他の人と平等に生きる権利を獲得するために政府などと闘い続けたジュディスも、差別を受けた時は動揺したり、政府と闘う前日まで自分は正しいのか悩んでいた。私も悩みながら、インクルーシブ(障がいのあるものとない者が共に学ぶ)教育を実現するために自分のできることをやり続けたい。(つくば自立生活センターほにゃらメンバー)

エキスポセンター「ほしまるカフェ」 《ご飯は地球を救う》39

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【コラム・川浪せつ子】つくばエキスポセンター(つくば市吾妻)は、科学万博つくば’85のとき、万博の第2会場として建設されました。その後も科学館として運営されています。H-Ⅱロケットの模型は、つくば市の象徴の一つでもありますね。

だいぶ前、レストランがあったのですが、閉鎖。とても残念でした。それが、今年夏、1カ月ちょっと、カフェがオープンしているとのこと。施設に入らずとも食事ができるというので、早々に行ってみました。

さすが科学館のカフェ。料理を注文するのはQRコード。配膳してくれるのは「SERVI」(サービー)というロボットです。QRコードでの注文は、スマホで時々使っていたので、どうにかアクセスできましたが、サイトに飛んでからがうまくいきません。仕方がなく店員さんを呼んで、教えてもらいながら入力。無事に配膳され、食べることができました。

「IT時代、ついて行けないわ」

最近のネットの進化は、私などがついて行けないぐらいのスピード。茨城県のコロナ対策のお店に行ったら、QRコードで登録ぐらいはできますが…。

3月からスマホで「P」という支払い方法を使っています。半年でポイントが2000円たまりました。また、店独自のポイントがたまるカード(現金支払いOK)で、ポイントを使い、おセンベイを2袋買いました。「買う」というよりも「もらった!」という感じですね。

100万円貯金しても年10円ぐらいしか利息がつかない時代。ポイントってすごい。と言っても、お金を使わないとたまらないのですが…。スーパーで他の方が使っているお店独自のカードを調べたのですが、ネットからの申し込み方がわからずに断念。デジタル庁が発足したようですが、「IT時代、ついて行けないわ」です。

「ほしまるカフェ」は人気で、9月10日から、土日限定のリニューアルオープンになるそうです。(イラストレーター)

新型コロナとは-西村秀一さんの本から 《邑から日本を見る》95

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県北の谷津田でも進む稲刈り

【コラム・先﨑千尋】前回のコラム(8月23日掲載)で、「菅総理は即刻お辞めください」と書いた。間に合ってよかったと思っている。菅さんは、内実は居残りのために策を弄(ろう)したが、万策尽きて天を仰ぐことになった。安倍さんも菅さんも「コロナに打ち勝つ」と言っていたが、結局コロナに負けたのだ。菅さんが辞意を表明したら、東京都の新たな感染者が減り続けている。

そんな時、コロナウイルスに関する興味深い本を手にした。国立病院機構仙台医療センターウイルスセンター長・西村秀一さんの『もうだまされない新型コロナの大誤解』(幻冬舎、1300円+税)だ。帯に「従来株も変異株(デルタ株)も空気感染。飲食店のアクリル板などは、ウイルスが滞留してかえって危険。テーブルや椅子、ドアノブの消毒なんて無意味。家庭内感染は手洗いでは防げない。ご遺体を密封するなんてまったく必要ない。不織布マスクと換気とうがい、予防策はそれしかない」とある。

奥付の著者紹介には、西村さんの専門は呼吸器系ウイルス感染症、特にインフルエンザ。呼吸器系感染症研究の日本における中心人物のひとり、とある。

コロナウイルスは空気感染とか、不織布マスクと換気が予防策という知識はあったが、「飲食店や郵便局、銀行窓口、店舗のレジなどにあるアクリル板、よく見かけるファイスシールドなどでは何も防げず、手のアルコール消毒は無意味」などの西村説はまったく知らなかった。

本書を手にした方も多いと思うが、西村さんは「はじめに」で、「新型コロナウイルス感染症はやっかいな病気。人体に悪影響を及ぼすウイルスによる感染症を怖がることは必要だが、過剰な対策で不必要な不自由が生じている。身を守るためには、やらなくともいい対策を冷静に判断し、やらない、あるいは拒否していく必要がある」と書いている。

新型コロナは空気感染

本書は「新型コロナは空気感染だと知れ」「手洗いよりうがいのすすめ」「PCR検査をただ増やせば良いという大誤解」「ウイルスに勝つマスクの達人になる」「こうすれば飲食店も営業できる」「ウイルスと細菌は違います」「新型コロナはいつ終息するのか」の7章から成っている。それぞれの章にまとめがあり、私はそれをコピーして友人、知人に配っている。その中からいくつかを紹介しよう。

「ウイルスは皮膚からは感染しないので、接触感染は気にしなくて良い。手洗いよりもうがいの方が大切。緑茶を飲む。PCR検査だけを増やしても、陽性者を受け入れる体制が整っていなければパニックになる。ウレタンマスクは、効果はほぼゼロ。風が吹いていて、人が密になっていない戸外ではマスクは不要。バイキングや大皿料理は問題ない。食べ物からコロナウイルスは感染しない。レジのお金の受け渡しに感染リスクはない」など。

最後に、「新型コロナは、治療法が確立されることはあっても、ウイルスそのものを撲滅することはまずできない」とある。コロナに打ち勝つことはありえないとすれば、正しい知識を身に付け、理屈に合った対策を取っていくことが必要だ。そのために本書は役に立つ。(元瓜連町長)

夏の終わる朝に 《続・平熱日記》93

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【コラム・斉藤裕之】夜明けが大分遅くなってきた。近くの公園に犬と散歩に出かける。低く刈り込まれたサルスベリの赤い垣根が満開でほのかに匂う。まだ薄暗い中でヒグラシの鳴き声が物悲しい。そういえば、夕方にこの公園を散歩していていた時に面白い場面に出会った。

公園の奥の方には、以前は田んぼだったと思われる貯水池のような広大な窪(くぼ)地が広がっている。その周りを囲む遊歩道の足元数メートル下、歩道と直交するように人が通れるほどの大きな土管が埋まっている場所がある。その土管の右側の湿地からウシガエルの鳴き声が聞こえる。するとそれに応えるかのように、今度は土管の左側の草むらからやや低めのウシガエルが鳴く。その2匹の声が土管にエコーして低音の金管楽器の演奏さながらで、しばらく聞き入った。

余談だが、ウシガエルは長い竹の先につるした三本針にたんぽぽの花を餌にして釣った。名人の小池君は針だけで引っ掛けた。「太ももの黄色いカエルがおいしいんよ」と小池君は言っていたが、実際に食べていたかは定かではない。

家の近くまで帰って来ると、今度はムクドリの大群が現れて電線に止まる。騒音に近いさえずり声だが、見ていると明らかに隣同士で会話をしている。そのうち誰かが号令でもかけるのか、大きな羽音を立てて一斉に飛び立った。それにしても、鳥といいセミといいあの小さな体でよくもあんな大音量を出せるものだと感心する。

まだ周りに家も少なかったころ、家から1キロ以上離れたところにある田んぼから、カエルの声が聞こえることに驚いたことを思い出した。声はさほど大きくないのに。

今年はクズの花を見かけない

早朝とはいえ少し汗ばんだ。コーヒーを飲みながら開いた新聞には、地球の温度上昇の予測の記事が出ている。「食べなければ痩せる」という一番簡単な答えはわかっているのに、悩んでいるダイエッターのようだと思った。

先日は散歩の途中でカミさんと虹を見た。蛙(カエル)という字は虫偏だが、虹も昔は虫の仕業ということで虫偏らしい。確かに虹を見つけると少しうれしくなるが、虹の向こうに夢をはせるロマンチックな時代は終わるのか。というのも、この夏は虹をよく見かけた。つまりゲリラ豪雨が多かったという証しだ。

生まれ育った瀬戸内は「雨が少なく温暖な気候」と習うのだが、今は線状降水帯の天気図を見るたびに事なきを祈るばかりだ。

その実家の2階には桃の木が手の届きそうなところにあって、夏の朝はこの木に群がるクマゼミの大合唱で目が覚めたことを思い出す。温暖化と共に箱根の関を超えたというが、ここら辺りではあのシャンシャンという声(故郷ではシャム=蝉=と呼んでいた)はまだ耳にしない。あのころはクーラーもなく、じっとりと寝汗をかいたのが懐かしい。

不思議なことに、今年はクズの花を全く見かけない。今年はクズの花の絵を描こうと思っていたのに…。ビーサンの鼻緒の痕もぼんやりとした夏が終わる。(画家)

宇宙天気を朝ドラに出すぞ! 《食う寝る宇宙》93

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【コラム・玉置晋】僕がコラム54で「求ム!宇宙天気防災カリスマリーダー」と、看板人物の募集を出したのは2020年1月でした。その後、同年4月に宇宙ビジネスサロン「ABLab」で宇宙天気プロジェクトを設立しました。そこに加入してくださったのが、気象予報士の斉田季実治さんでした。

斉田さんはNHKの「ニュースウオッチ9」で気象キャスターを担当されており、ご存知の方も多いと思います。そんな斉田さんですが、将来、宇宙天気キャスターを目指しており、プロジェクトマネジャーになってもらえないかというお願いを聞いてくださり、ABLab宇宙天気事業の顔となっていただきました。

今年4月、斉田さんから相談があって、気象考証を担当するNHKの朝の連続テレビ小説で宇宙天気を話題にしてみないか、というものでした。このコラムでは宇宙天気という言葉を当たり前のように使っていますが、世の中の認知度はまだまだです。

朝ドラで宇宙天気が話題に出れば、たくさんの方に知っていただけるに違いない。というわけで、斉田さんとプランを練り始めました。物語の流れとしては、主人公は気象予報士で、その職場の民間気象会社で新規事業を提案するコンペが開催されます。その中で、ボツになる提案の中に宇宙天気を取り込むというものでした。

「面白いね、最高! 才能あるよ」

9月7日、ついにオンエアー。お笑いの「もう中学生」さん演じるプレゼンターが、得意の段ボール工作で「宇宙天気プロジェクト」を猛アピール。社長さんに「面白いね、最高! 才能あるよ」と褒められるも、「宇宙天気を観測する衛星を打上げるには何百億円もかかる」「宇宙天気はまだまだ大きな利益は見えにくい。今の暮らしに役立たなきゃ、我々の仕事じゃない。なので、却下」と言われてしまいました。

これ、僕がこの10年間、民間会社でずっと言われてきたことで、斉田さんにシナリオ提案の際に組み込んでもらったものでした。ドラマでは却下になってしまいましたが、僕たちは本気で宇宙天気の普及を進めようとしています。仲間も増えてきました。今後に備え、仕込みもいろいろ進めているところです。(宇宙天気防災研究者)

窓の内側から見たセンター広場 《映画探偵団》47

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】昔見た映画を今見ると印象が変わる場合がある。アルフレッド・ヒッチコック監督の『裏窓』(1954)がそれだった。

J・スチュアート主演の『裏窓』

報道カメラマンの主人公ジェフ(ジェームズ・スチュアート)がケガをし、ギプスで身動きが取れずにいて、窓から正面アパートの住人たちの暮らしを観察する。そのうちジェフは、セールスマンが寝たきりがちな口うるさい妻を殺害したことに気付く。

眼下の小さな庭を囲むビル。アパートには「独身で売れない作曲家」「肌の露出を気にしない若いダンサー」「子犬を子どものように熱愛する中年夫婦」「夫も恋人もなく寂しさを感じている上品な婦人」「現代アート風な彫刻を作る老婦人」ら、窓の内側で暮らす人たちの人間模様がそれぞれ1本の映画のように描かれている。

今見ると、セールスマンの殺人よりもこちらの方にインパクトがあった。新型コロナ感染拡大の状況下で、巣ごもりを強いられた現代と似た景色に見えたからだ。さらに、建物に囲まれた庭がどことなくセンター広場と重なったからかもしれない。

秘かに「妻の遺体を切り刻み」処理

センター広場も、外で眺めるのと窓の内側から見るのとでは印象が変わる。ホテルの眼の形をした11Fから見下すと、小さく見える広場は地球ではなく、どこか遠い惑星かのように錯覚させられる。

だが、吾妻地域交流センター5Fの和室から見ると、意外に庶民的な空間に映る。また、ノバホール3Fの三角窓から眺めると、エキスポセンターから一直線の秩序的な道が階段を降りると混沌(こんとん)とした広場となり、対比をなしていてとても面白い。私のお気に入りは、市民活動センター1Fの印刷室から見た広場の噴水だ。窓枠が額縁となり静謐(せいひつ)な絵となっている。

半年前、「広報つくば」3月1日号に、センタービルのリニューアル計画が初めて発表された。しかしそこには、ノバホール脇の階段が削られ急なスロープになることも、正面玄関の白壁が無くなることも、市民活動センターの窓ガラスが壊され取り替えられることも、何一つ説明は出ていなかった。

これでは、秘かに妻の遺体をバラバラに切り刻み少しずつ処理していく、『裏窓』の犯人と同じ方法といっても過言ではないのではなかろうか。

だから、何か発見あるのではと思って、久しぶりに『裏窓』を見てみたのだが、今回はそんな「犯人」よりも、窓の内側で暮らす「作曲家」「ダンサー」「彫刻家」たちの方が気になった。

改造計画発表後、これまでセンタービルや広場を利用してきたアーチストの声が、賛否を含めてほとんど聞こえてこない。「つくばセンター研究会」のメンバーから、アーチストは市や関係者とのしがらみがあり弱い立場なので、何も言えないのではないかとの声も聞かれた。すでに自由な空気は失われ、匿名の世界でしか発言できない状況なのだろうか。

『つくばセンタービル謎解きツアー』

『つくばセンタービル謎解きツアー』という企画を、メンバーから提案があり「アイラブつくばまちづくり補助金募集」に応募することとなった。センタービルの状況を内側から知るよい機会だと思った。

8月11日、ヒアリング審査がつくば市役所で開かれた。企画内容を説明しようとしたら、すぐ止められ、いきなり質疑応答になった。ところが、議長が促しても質問が出ず、議長から「予算が出なくてもやりますか?」と聞かれ、「やります」と答えた。(その後2名から短い質問があった)

8月12日付で10万円の交付が決定した。センタービルでの活動なので、市の担当部署は中心市街地振興課と思っていたら市民活動課だった。

アイアイモール(これも半分の狭さになる)によって囲まれた、一見何もないように見えるセンター広場には、あるエネルギーが流れているように思える。その正体は何なのか? 『つくばセンタービル謎解きツアー』で解答を示すつもりである。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

ヨーロッパは負けない 五輪閉会式パリ紹介動画に思う 《遊民通信》24

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【コラム・田口哲郎】
前略

TOKYO2020オリンピック・パラリンピックが紆余曲折(うよきょくせつ)を経て開催され、閉会しました。今回はオリンピック閉会式で印象的だったことを書きたいと思います。

次の五輪開催地はフランス共和国の首都パリです。東京都知事小池百合子氏からパリ市長のアンヌ・イダルゴ氏に大会旗が手渡される際に、パリ大会の紹介動画が流れました。オーケストラが、パリの名所を背景に、フランス国歌のラ・マルセイエーズを奏でます。これは何の変哲もない紹介動画として受け流すこともできますし、かつて世界の首都を誇った古都がクラシック音楽にのせられて映し出されることに違和感を覚える必要はないでしょう。

しかし、私は驚きました。口をついてでた言葉は「なぜ?」です。パリはかつての勢いを失っているなどと言われますが、大国フランスの首都であり、ヨーロッパ有数の巨大都市に変わりはありません。パリは古いと同時に新しい。いまだにファッション、ポップカルチャーの発信地でもあります。世界的に文化はサブカル化しています。日本のアニメ、ゲーム、そしてKawaiiは世界を席巻している。正統ではなく亜流がウケる時代のはず。

現に東京五輪への引き継ぎ式のために、安倍前首相はリオデジャネイロでNintendoのマリオに扮して土管から飛び出したではありませんか。ポップ化する世界。当然パリもポップな先進性を強調する動画を流すと思っていました。

しかし、フランス人はクラシック音楽で首都を飾ったのです。背景にはルーブル美術館にある「サモトラケのニケ」の像も移っていました。これは古代ギリシアの彫刻。つまり、ヨーロッパ人はギリシア・ローマ人の末裔(まつえい)であり、古典的文化を継承しているという主張です。古代中国文明圏にありながら近代化した日本はアジア的大らかさを持っている。和を重んずる性善説の人々です。よそ様が喜ぶとなれば、浮かれてコスプレもする。

でも、我々に近代化を迫った欧州人は、浮かれたようなふりをして実は大真面目に自文化を堅守している。決しておどけたりしない。このコンセプトで行くならば、安倍氏は羽織袴(はかま)を着て、琴・三味線を引き連れて「六段の調」をBGMに旗をもらうべきです。

コロナ禍に勝ったヨーロッパ

そして、コロナ禍にも関わらずトロカデロ広場に密集する群衆が映り、エッフェル塔展望台のマクロン大統領は「共に!」と叫びました。「了解」と私はつぶやきました。ヨーロッパはコロナ禍に打ち勝ったという主張を受信したからです。ヨーロッパは負けません。むしろ勝とうとします。

彼らは確固たるルーツと世界に誇る古典文化を持ち、「教化」しようとします。コロナ禍後の新生活様式により、グローバル化はますます進展します。ヨーロッパ・スタンダードは国のみならず個人に直接働きかけるでしょう。明治以来の日本の近代化はまだ継続中で、我々は欧州に対抗する自覚を持つべきです。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

講演「現在の日本の立ち位置と再生の基軸」 《ハチドリ暮らし》5

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ナスの収穫とニンジンの間引き

【コラム・山口京子】日本コーポレート・ガバナンス・ネットワークの特別プロジェクト「失われた30年 どうする日本」のシリーズ第2回(8月24日)で、寺島実郎氏のオンライン講演を視聴しました。今回は、寺島氏の「現在の日本の立ち位置と再生の基軸」の内容を紹介します。

今の日本で本気に問題にすることは何か? ディベロップメント(開発)を実現させつつ、サステナブル(持続可能)であることではないか。知っておくべきファクトは、埋没する日本を直視すること。「健全な危機感」が問われているとして、世界に占める日本のGDP(国内総生産)の推移を示した。1950年3%、1964年4.5%、1994年17.9%、2000年14%、2010年7%、2020年6%、2030年予想4%―。GDPの額で見ると、日本は2008年来、ほぼ実質ゼロ成長という現実。

アベノミクスを総括すると、三本の矢の一つ目の異次元金融緩和、二つ目の財政出動で調整インフレ政策がとられたものの、資金需要はなく、貸し出しは増えなかった。他方、ジャブジャブマネーは株高と円安に向い、円安は輸出産業の競争のハードルを下げた。しかし、産業構造で食とエネルギーを海外に依存するこの国では、マイナスの面を持つとして、工業生産力モデルにとって円安が望ましいという固定観念には異議を向ける。

アベノミクスは、資本主義の競争を通じて切磋琢磨(せっさたくま)するということより、マネーゲームでラクをして生きる方向に舵(かじ)を切らせたのではないか。株式市場についていえば、公的資金も株高を支えている。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)や日本銀行のETF(上場投資信託)買いなどで85兆円も注入されており、そのため実力以上の株価になっているのは、「自堕落な資本主義」だと釘(くぎ)を刺す。

「食料自給率は現在の38%から70%に」

そして、日本再生の基軸として、脱工業生産力を提起する。今までの「豊かさを実現すれば、平和と幸せはついてくる」というコンセプトから、「国民の安全と安定」(経世済民)と「持続可能な成長」(SDGs)にシフトさせる。ファンダメンタルズは、原点回帰の産業基盤強化で、食と農・医療・防災に取り組む。イノベーションは、DX(デジタルトランスフォーメーション)、グリーン(環境、脱炭素エネルギー)で対応する。

また、食料自給率をカロリーベースで現在の38%から70%に上げる。食と農についていえば、生産・加工・流通・調理のサイクルを強化し、イノベーションを利用し付加価値を高める。医療では臨床研究を重視し、防災は道の駅を防災拠点とする構想を掲げる。

ファンダメンタルズとイノベーションは両方が大切としたうえで、ファンダメンタルズを立て直さないと、日本の安全と安定は図れないと強調する。「戦後、工業生産力モデルでひた走り、忘れてきたことを立て直すことが求められている」という言葉の意味するところは深い。

自分がどこにいるのか、どういう社会に暮らしたいのかを考えるきっかけとなる貴重な講演でした。実家では、ナスの収穫とニンジンの間引き、次の野菜づくりのために土地を耕しました。見渡すと、手入れをする人がいなくなった畑や田んぼの荒れた様子が目立ちます。(消費生活アドバイザー)