金曜日, 3月 29, 2024
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土浦一高付属中の人材育成 《令和楽学ラボ》16

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土浦一高付属中の学習風景

【コラム・川上美智子】今年度より中高一貫校となった土浦第一高等学校付属中学校を先日、視察しました。土浦一高は、卒業生の皆様であればよくご存知のように、県南の最難関県立高校であり、このほど設立された付属中も同様に、難関受験を突破した生徒が集う学び舎(や)です。

学校案内には、勉学にいそしみ、友と交流し、高い志と社会の規範となる、自負・自尊・矜持(きょうじ)の「ノブレス・オブリージュ(地位の高い人の義務)の精神」をもって学校生活を送ることが掲げられ、付属中の教育にもこの精神と、目の前のことに全力で挑戦する「一高スタイル」の追求、すなわち6年間を通じて日々の授業、部活動、学校行事をとことんやり抜くことを求めています。

さらに、卒業後、これからの社会が今よりも幸せになるため、日本のどこかで、世界のどこかで、自分が「役立っている」「支えている」「貢献している」と、自ら確信を持てる人材に育つことを願うとしています。

中澤斉(ひとし)校長先生からは、次世代で活躍する礎(いしずえ)をつくるGLP[グローバルラーナーズ(広い視野で学ぶ人)プロジェクト ]の特色ある取り組みについてご説明いただきました。GLPは「知とつながる」「人とつながる」「社会とつながる」の3つの構成から成ります。

「知とつながる」の1つは通常より10分長い60分授業とし、生徒相互で授業内容を振り返る「ピア・レビュータイム」を設け、思考力・判断力・表現力の強化を図るものであり、もう1つは「+English(プラスイングリッシュ)」で全ての教科で自分の考えを英語で表現する英語の発信力を磨くものであります。

「人とつながる」は、生徒主体、生徒が主役の交流活動で、グループで企画する修学旅行や水戸一高付属中との『土水交歓会』などが予定されています。「社会とつながる」は、卒業生との『土一ネットワーク』を活用した探究活動で、プレ海外探究のための国内英語キャンプや、探究活動総まとめの卒業研究発表会のプレゼンなどが企画されています。

授業を楽しむ余裕の生徒

4月に入学したばかりの中学1年生の授業を見学させていただきましたが、社会の授業では、生徒も先生も一体となってICT(情報通信技術)を駆使してグループごとの熱気あふれる真剣な取り組みに、そして英語の授業では短期間の間に立派に英語で自分を表現できるようになった生徒たちの姿に、人材育成の神髄を見た思いがしました。

それでいて、授業を楽しんでいる生徒の余裕の姿も見ることができました。多分野への学びのモチベーションを上げ、学びの質改善に取り組む先生方の熱意にも圧倒されました。

校舎は今までの高等学校の教室をそのまま使用しているため、きれいとは言い難いのが残念でしたが、茨城の全ての子どもたちにこのような学びの機会を与えることができたなら、もっともっと子どもたちの未来は明るくなるだろうなと強く感じました。

最後に、国の重要文化財である旧校舎を見学させていただき、創立124年の歴史の重みも実感し、充実した視察の時間となりました。(茨城県教育委員、茨城キリスト教大学名誉教授)

オッチャンは、芸術家だ 《写真だいすき》2

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【コラム・オダギ秀】そこらへんをただ歩き回っていると、「隣のオッチャン、ハイカイが始まったぜ」なんて言われる。だけど、カメラを持っていると、徘徊(はいかい)でなく、「おっ、おじさん、芸術づいてきたなあ」なんて言われる。

写真を撮るということは、思い出を記録するとか、何かの証明にするとか、その効用を言うことは多い。だけど、写真というかカメラのいいことっていうのは、そんなことだけでなく、もっともっとある。

感性が磨かれ、若くなる

たとえば。少しでもいい写真が撮れないかと、ちょっとしたブラブラ歩きでも、辺りを見回し、おっ、こんな季節になったか、きれいな花が咲いとるなあ、とか、今日の天気は今の季節らしくない、などと、季節感が鋭くなり、それまでは通り過ぎていたものにも眼が向くようになり、感性や気持ちが豊かになる。

たとえば。歩いていると、ほほ~この建物も古くなったな、とか、あれ?ここはこんなに変わってしまったよ、あんな人がいたっけなあ、どうしているかなあ、などと、時の流れや歴史などに興味を深められる。

たとえば。現役を離れたりしていると、どうしても世界が広がり難くなるが、写真を撮る新たな仲間と知り合ったり、興味を持ったり持たれたりすることが多くなり、自然に世界が広がっていく。

たとえば。通りがかりの家の庭にきれいな花が咲いていたり、小さな子が遊んでいたりに出会ってカメラを向けて褒めたりすると、若いママと親しく話せるようになったりする。

たとえば。撮った、できのいい写真をプレゼントしたりすると、すごく喜ばれ、思いがけず、いいことした気分に即なれる。年配になると、気分のいいことしたと思えることなんて、そうザラにはないのに。

たとえば。カメラを持って、いい被写体がないかとウロウロ歩くことで、感性が磨かれ若くなり、体が鍛えられ、心が生き生き元気になる。

たとえば。気に入った写真が一枚撮れるごとに貼っていくアルバムなんか作っていると、そのアルバムに写真が増えるのが楽しみになり、大げさに言うと、目標のある人生の生きがいになる。やがて写真展でも開こうかなんて気持ちが湧いたら、もうワクワクしてたまらないのだ。

「うわぁ、大きなカメラ」

このように、写真を撮る効用は、たくさんある。あなたも、カメラを持って、出かけてみませんか。もっとも、時代は変わっているという経験を先日した。

公園を散歩していたら向こうから5歳くらいの元気な子が来る。で、いつも腰のポーチに入れている小さなコンパクトデジカメを向けた。アマゾンで3,500円で買った中古の小さなカメラだ。それを見たその子がいきなり言った。「うわぁ、大きなカメラ」。そんな時代だ。(写真家、土浦写真家協会会長)

環境省の「自然共生区域」に期待 《宍塚の里山》83

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宍塚大池(左)と竹の粉砕作業

【コラム・佐々木哲美】認定NPO法人「宍塚の自然と歴史の会」は、1989年の設立以来、緑豊かな宍塚の里山を次の世代に引き継ぎたいと活動してきました。私も30年間携わっていますが、振り返ってみると、保全活動が続けられたのは次の3点に集約されます。

1つは、宍塚里山それ自体の魅力です。ここに来ると、何かホッとする空間があります。2つ目は、多くの仲間に恵まれていることです。老若男女、様々な経験と知識がある素晴らしい人たちが活動しています。3つ目は、社会正義です。この素晴らしい場所を短期的な視野で開発させてはいけない、という使命感です。

宍塚里山保全の最大の課題は、その大部分が個人所有地だということです。数百人の土地所有者は、収入を生まない土地を抱え税金を払っています。この場所は幾多の開発計画が持ち上がり、頓挫(とんざ)してきた歴史があります。最近でも、太陽光発電所の建設が始まり、事業者の誘いに心が動く所有者の気持ちもわからないではありません。

我々、保全活動団体の最大の欠点はお金がないことです。そのために、里山の価値を多くの方に理解していただくために、地道なボランティア活動をしています。

太陽光発電所や残土処分場は困る

将来的には、法律で公有地化を図り、土地所有者の利益も守る。維持管理は、公社設立や指定管理者制度を採用、雇用の場を提供する。利用方法は、学識経験者にも関わってもらい、学校教育、市民団体、一般市民の活動の場としてもらうーと、私は勝手に妄想しています。

しかし、現在は保全に関わる法律はなく、所有者の意向で利用方法が決まります。そのため、太陽光発電、集合住宅、残土処分場―などに利用される脅威にさらされています。

そんな中で、少し希望が持てる話が持ち上がりました。2021年6月のサミット(主要7カ国首脳会議)で、生物多様性維持のため、2030年までに国土の陸域と海域の30%を保全・保護することで一致しました。これを受け、環境省は同年までに国土の30%以上を国が指定する自然保護区などとする方針「30by30」を示しました。

そのため、環境省は、従来の制度による区域を拡大するとともに、来年度から民間の土地などを生物多様性保全に貢献する場所として認定する「OECM(Other Effective area-based Conservation Measures、自然共生区域)」制度を試行的に導入するとしています。その対象は、寺や神社、企業が所有する山林・里山だけでなく、棚田のような農地も認定対象になり得るとしています。(宍塚の自然と歴史の会 副理事長)

太陽フレアの情報② 《食う寝る宇宙》98

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【コラム・玉置晋】10月29日0時35分に発生した太陽フレアは、「Xクラス」と呼ばれる大規模なものでした。発生後、日本の宇宙天気研究の中核である情報通信研究機構(NICT)から臨時メールが届き、僕はこの大規模太陽フレアの発生を知ったわけです。

すぐさま、人工衛星から得られた太陽の紫外線画像から、爆発の発生場所をチェック。地球から見て、正面よりやや南側の活動領域で発生したことがわかりました。その位置から、地球周辺に影響を及ぼす可能性があるため、情報収集を開始。朝イチで、僕が働く人工衛星運用現場に伝えられるように準備をしました。世界中の研究者がSNS上で情報発信をしていますので、それを参考にしながら。

この時点で、情報発信しているのは研究者など専門家の方々のみです。太陽フレアに伴い、コロナ質量放出(CME)と呼ばれるガスの塊が地球に接近していることは、一般の人は知るよしもありません。最初に報道が出たのは、発生から12時間後のお昼時でした。大手新聞社のウェブニュースに「太陽フレアの発生」と、一般的な影響が掲載されました。この記事がSNS上でシェアされて、ざわつき始めました。

14時15分、NICTからプレスリリースが出て、報道各社が太陽フレア発生を認識。記事が配信され始めました。そして、夕方の各局のニュースでは、「太陽フレア」の発生や電波障害といった影響、翌日に予想されるオーロラの発生などについて解説されました。多く人が太陽フレアの発生を知ったのは発生から約17時間後でした。

CMEは地球南方の宇宙空間を通過

大規模太陽フレアに伴い発生したCMEが地球周辺に到達したのは、10月31日夜でした。ところがこのCMEは、各国の宇宙天気関連機関が出したCME進路予想に反し、地球の南方の宇宙空間を通過していきました。そのため、地球周辺での影響はほとんどみられず、肩透かしでした。

しかし、これで終わりではありませんでした。11月1日、前回より小さい規模でしたが、新たに2発の太陽フレアが発生。それぞれから地球方向にCMEが放たれたのです。(宇宙天気防災研究者)

わらづと納豆作りに挑戦 《県南の食生活》31

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【コラム・古家晴美】前回取り上げた「こも豆腐」に引き続き、今回も藁(わら)を使った食品を作ろうと思う。そこで「納豆」に挑戦した。他県の人から見た「茨城」のイメージとして、納豆は切っても切れないものかもしれない。

蒸し大豆を藁苞(わらづと)に詰め、納豆菌を繁殖させた「糸引き納豆」は日本独自のものだ。それまでは、中国から伝来した「塩辛納豆(浜納豆)」が寺院を中心に作られていた。糸ひき納豆の由来譚(ゆらいだん)は、八幡太郎義家をはじめ諸説あり、その出生は明らかではない。

しかし、江戸中期の『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』を見ると、たたいて豆腐と蕪(かぶ)青菜の汁に加え、芥子(けし)を放って食べるとおいしい、と記されている。そして、江戸末期になると、納豆売りの行商が盛んになり、醤油をかけて食べる方法も普及した。

茨城の小粒の納豆が注目されるようになったのは、明治22年(1889年)に水戸線が開通して以降のことだ。販売のための流通手段を獲得した水戸の「天狗納豆」は、現在に至る水戸名物としての地位を確立していく。

なんと納豆の糸が引いているではないか!

総務省の家計調査からも、2016~2020年の都道府県別納豆消費量は、「東高西低」傾向が依然見て取れる。2020年消費量は、東北諸県が上位に食い込み、茨城県は惜しくも5位になった。が、現在でも、納豆好きの県民が多いのではなかろうか。

納豆作りは県内全域で行われてきたが、煮た大豆を藁苞に詰め、発酵する時の寝かせ方は様々なようだ。藁苞を俵に詰めむしろを掛ける、藁苞をもみ殻の中に寝かせる、庭に穴を掘って火を焚いて土を温めてからむしろに包んだ藁苞を入れて土を掛ける―などの工夫が凝らされた。

マンション住まいの筆者には、俵ももみ殻も納屋もなく、先日こたつを処分した後だけに、ハードルの高い作業だった。結局、ひざ下にコの字型に立て掛ける学習用暖房パネルと電子レンジの発酵機能で挑戦した。前者は温度調節に毛布を掛けたり外したりを繰り返したが、結局、安全装置が働き、途中で電源が自動的に切れてしまった。後者は24時間継続して発酵機能を稼働させた。

出来上がった納豆は、匂いと舌で感じる酸味は紛れもなく納豆のものだったが、糸を引くには至らなかったので、成功とはいえない。最後に、藁苞だけでは不安だったので、粉末の納豆菌の力を借りたことを告白せねばならない。1回だけの挑戦だったが、現代人としての己の無力を痛感した。しかし、再度挑戦したい。

と、原稿を書き終わって帰宅したら、なんと納豆の糸が引いているではないか。昼間、暖かかったから、室内に放置したのが功を奏したようだ。やったー。(筑波学院大学教授)

いまどきの遊歩 これからの遊歩《遊民通信》29

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【コラム・田口哲郎】

前略

江戸川乱歩がペンネームの元にしたエドガー・アラン・ポーというアメリカの作家がいます。「黒猫」や「モルグ街の殺人」などの推理小説で知られています。ポーは推理小説以外にも小説を書いています。私がバイブルのように思っている作品があります。「群集の人」です。

ロンドンのとあるカフェにいる語り手は、窓の外にある老人を見つけます。なんとも言えない奇妙な魅力を放つ老人を、語り手は追いかける。老人は当てもなく大都会を歩き回ります。さまよいは延々と続くので、語り手は追跡を諦めるというあらすじです。

何が面白いのかと思われるかもしれませんが、これは街を無目的に歩き回る遊歩者像と人間観察家である遊歩者像をズバリ書いた作品ということで、遊歩愛好家の間では隠れた名作となっています。

題名にもある「群集」は大都市だからこそあるもので、群集では個人が大勢の人に紛れます。田舎では個人は目立って紛れることはない。田園風景に人混みはないし、人が一人一人はっきりと分かりますからね。だから、推理小説は大都市ならではの作品だと言われます。犯人が群集に紛れて逃げることができるからです。

それはさておき、遊歩者を自称する私は群集の一人である老人や語り手を見習って、人間観察や街歩きに励まねばなりません。遊歩者というものは、大都市といういわば一冊の書物のさまざまな物語が繰り広げられる舞台を読み解く者なのですから。

ライブカメラとバーチャル 進化する遊歩

しかし、コロナ禍の昨今、そうそう不要不急なのに、街をうろつくわけにもいきません。そこで、便利な文明の利器が登場します。YouTubeです。

YouTubeには各地のライブカメラチャンネルがあり、それを見れば、世界中の今が映し出されます。我が国が誇る首都、大東京には複数のライブカメラがあります。私がよく見ているのは、渋谷のスクランブル交差点と新宿歌舞伎町のライブカメラです。

渋谷の交差点の角のビル2階にスターバックスカフェがあり、交差点を見下ろしながらコーヒーを飲める絶好の場所があります。でも、茨城から毎日通って、ひねもす群集を眺めるというわけにもいきません。コロナ前は遠い場所だった交差点が、今は自室のテレビに映ります。コーヒーを飲みながら、人波を眺めるのは至福のひとときです。

歌舞伎町は夜が面白い。コロナ禍で「焼け野原」になった歓楽街も、徐々に活気を取り戻しています。紅茶を飲みながら、世知辛い不夜城を行き交う人たちの生き様を垣間見る楽しさはなんともいえません。コロナ禍が大都市を変えようとしています。

Facebookが「メタバース」という巨大な仮想現実空間を構築すると発表しました。将来、大都市はバーチャルに入り込むでしょう。そこを遊歩者が歩き回る日も近いかもしれません。そうすれば遊歩者はリアルとバーチャルを渡り歩くのですね。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

冬の足音 冬支度《続・平熱日記》98

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【コラム・斉藤裕之】春にはタケノコが出なくて、なかなか口に入らなかった。しばらくして、20年間ほとんど花をつけたことがなかった庭のプルーンの木に、小さな白い花が満開となった。夏は道端にアザミが群れをなして咲いていたかと思うと、クズの花をほとんど見かけないまま夏が終わった。秋になって、金木犀(キンモクセイ)は2度もかぐわしい匂いを放ち開花した。

なんとなく草木の異変を気にしつつ、やがて駅前で年末恒例のイルミネーションを設置する季節となった。

いまさらながら、「アマビエ」のオブジェを作るという。どうせなら、牛久なのでカッパの遺伝子を組み込んでみたらどうかという意見が出た。どちらも水の中で暮らしているので相性がいいのか、なかなかキュートな「カッパアマビエちゃん」になった。作ったばかりで気の毒ではあるが、来年はお役御免になっていて欲しいとの願いを込めて、勝手に「トドメちゃん」と呼ぶことにした。

さて、作業を終えて軽トラで帰宅。家の近くの角を曲がると、フェンスいっぱいに薄水色と赤紫の朝顔が上を向いて元気に咲いているのに驚く。もう11月も半ばを過ぎているのに。それから日暮れが早くなったので、足早にハクちゃんの散歩に出かける。すると、今度は足元におびただしい数のドングリが落ちている。

温かいものでも食べよう

「春は訪れ」「夏空は広がり」「秋の気配」、そして「冬の足音」。季節の到来を日本語は実に豊かに表現する。「冬支度」という言葉もいい。

昔の人はこのころの季節になると、漬物をつけたり、柿を干したりして、冬に備えた。英語では「プリペア」という他にないのだろうが、用意や準備とはちょっと違ったニュアンスがある。旅行は準備、旅は支度。外出は準備、お出かけは支度。どうやら支度はひらがなと相性がよさそうだが、今と違って、冬は支度をしなければならない季節だったということだ。

それにしても、「ころころ」ではなく「ゴロゴロ」と落ちているドングリ。恐らく、この辺りだけでなく、あちらこちらのドングリもパラパラと音を立てて落ちているようだ。その上を避けようもなくゴリゴリと踏んで歩く。人も車もドングリをつぶしていく。「全くおかしな年だ!」と言って済ませていいのか。それとも、すでに始まっている天変地異に気づいていながら、知らぬ顔をするのをやめるべき時か。「お池にはまってさあタイヘン…」

見上げると、枯れ葉が舞い木々も冬支度を始めている。ロマンチックにも見えるが、実は新しい芽が役目を終えた葉を追い落としているのだと思うと、わが身と重なり感慨深げになる。日が落ちるとグッと冷えてくる。温かいものでも食べよう。さて夕餉(ゆうげ)の支度をするか。(画家)

いばらき未来会議が1周年集会 《邑から日本を見る》100

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未来会議のパネルディスカッション

【コラム・先﨑千尋】このコラムを書きつづって、今回がちょうど100回になる。いつでも、伝えたいことや書かなければならないことがいくつも頭の中にあり、その中からテーマを選んで、私の思いを読者の皆さんにぶつけてきた。取り上げる課題が何もない時が来ればいいなと思う時もあるが、実際はそうはいかないでいる。今回は、私も関係している「いばらき未来会議」が設立して1年経ち、その集まりで私が話したことなどを伝えたい。

同会議は昨年、県議会で「東海第二原発の再稼働の賛否を問う県民投票条例案」が否決されたのがきっかけで、県内各地の市民団体のネットワークを作ろうと結成された。情報の共有や連携などが目的。

同会議の1周年記念講演会は「農業と原発問題を考える」というテーマで、11月6日に水戸市で開かれた。私の講演のあと、笠間市で「あした有機農園」を主宰する涌井義郎さんも交えたパネルディスカッションがあった。

2011年の東京電力福島第1原発の事故で、多くの福島の人たちは避難生活を余儀なくされ、現在でも原発周辺の人たちはふるさとに戻れないでいる。飯舘村は福島第1原発から30キロ離れており、村民たちは当初、放射能で汚染されていることを知らされずにいた。避難指示が出たのは4月22日。他の人たちが避難を終えたあとだったから、飯舘村の住民たちは条件のよいところを見つけられず、その後の苦しい生活が始まった。

東北は原発の「植民地」

私は講演の最初に「東北地方は、大和朝廷にとっては異民族(エミシ)の住む野蛮なところ。そのために、1000年以上も「征夷大将軍」という官職が置かれ、戊辰戦争では奥羽越列藩同盟を結び、明治政府に抵抗した。戦後は福島や新潟に原発が設置され、電力の『植民地』とされた」と話した。

そして「日本一美しい村」と言われた飯舘村の原発事故後の状況や村の人々の対応に触れ、国が進める「強い農業、もうかる農業、スマート農業」ではなく、原発事故後の地域を守っていくには、阿武隈山系の人たちが営んでいる「農地を守り、老若男女合わせて生きがいを求める小規模農業」こそがふさわしい暮らし方だ、と結んだ。

パネルディスカッションで、涌井さんは、水戸市にある鯉渕学園で有機農業を教えてきた後、笠間市で有機農業を志す人のために「あした有機農園」を開き、これまでに30代から50歳までの15組が独立し、県内で充実した生活をしているという報告をした。涌井さんは、そうした人たちが生産した農産物や加工品を販売するため、一昨年秋に「町の駅笠間宿」内にオーガニックの直売所も開いている。

その後の意見交換では、東海村前村長の村上達也さんが、1999年のJCO事故後、村の総合計画を策定した時、農業を衰退させてはならないと考え、福祉、環境、教育と並んで農業も村の柱の一つに入れたと話し、それを受けて涌井さんは「放射能汚染は最大、最悪の環境破壊だ。地球上のすべての生き物が影響を受ける」と語った。(元瓜連町長)

子どものころ 土浦の遊び ② 《夢実行人》2

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霞ヶ浦大橋の先に沈む夕日

【コラム・秋元昭臣】秋になれば、稲刈りやダダダーというエンジン音に誘われて脱穀作業を見たり、道に伸びた枝から柿を失敬したり。松林では、ハツタケ、アミタケ、たまにはマツタケも見つかり、キノコ取りに夢中になりました。

台風など大風の後には、松林に落ち葉、折れた枝を集めに行くことも子どもの仕事でした。学校に石炭ストーブが導入されると、「ストーブ当番」は火付け用に枝を持って行きました。家庭では、石油コンロが普及するまで、火付け材集めや風呂たきは子どもの仕事でした。

そのほかにも、犬、ニワトリ、ウサギのエサやりがありました。悲しいことに、ニワトリは卵を産まなくなると食卓に上がり、ウサギはウサギ屋に引き取られました。アンゴラウサギは毛を刈って加工してもらい、セーターにしたようです。今と違い、夜は犬を放してしまい、朝方に戻ってきました。

秋には模型飛行機大会があり、「A-1ライトプレーン」を飛ばし、みんなで滞空時間を競い合い、先生の作った大型のグライダーに夢をはせました。

運動会では、登校すると、校門の柱が杉の小枝で囲われ、きれいな緑色になっているのに感激しました。一番の呼び物は、小中高青年団が参加する「部落対抗リレー」で、部落総出の応援に盛り上がりました。なんといっても楽しかったのは、家族で食べる昼の弁当でした。

年の暮れには、父親の実家に親戚が集まり、餅をつき、いとこ同士の交流が楽しかったものです。正月用の桐のげたを履いて走り回り、割ってしまったことは悲しい思い出です。

土浦劇場の「ノンちゃん雲に乗る」

冬は、陽当たりのよい傾斜地に洞窟を掘り、大きな木の上に隠れ家を作り、秘密の基地にしました。

子どもの楽しみは「紙芝居」でした。2本の棒でこねると白くなるアメを買って見るのでしたが、毎回とはいかず、「タダ見」させてもらいました。でも、紙芝居のおじさんはニコニコしながら、何も言いませんでした。

「爆弾」も回ってきました。米やトウモロコシを持って行くと、加熱加圧してふたを開くとき、バーンと大きな音がするものでした。

学校では、教室をぶち抜いて暗幕を張り、映画会を開いてくれました。45分ぐらい歩いて市内の土浦劇場に行き、「ノンちゃん雲に乗る」を見たことはよく覚えています。

テレビ出始めのころは、自転車に乗せられて土浦駅まで行き、街頭テレビでプロレスや相撲を見たものでした。ラジオのドラマに耳を傾けた時期でもありました。

冬になると、朝方、土浦港の船が一斉にエンジンを掛け、その「ポポ・ポン・ポン」という音は子供心に夢を抱かせてくれました。凍った田んぼで、竹を割って先を折り曲げた「竹スケート」を作りもしました。小学生のころ、低い竹馬も作りながら、背丈より高い竹馬に乗っている中学生に憧れました。

今、その場に立って見ると、掌(てのひら)に乗るような広さでしかありませんが、子どもの時は無限の広さを感じた世界でした。決して豊かな生活ではありませんでしたが、子どもなりに好奇心旺盛で、仲間と仲良く、社会格差のない、心豊かな時代だったと思います。(ラクスマリーナ前専務)

最初の一歩か 最後の一歩か 《続・気軽にSOS》97

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【コラム・浅井和幸】先日、多様な専門家や地方公共団体の福祉部署の方が集まるネット会合で、講演する機会をいただきました。NPO法人「アストリンク」の代表として、不登校・ひきこもり・ニート問題への対応をお伝えしました。

会合では、悩んで部屋にこもっている方との話を始めるきっかけについて話しました。それは、ケースによって、単純に家を訪問するということもあるし、何年も訪問した後にちょっとした声掛けがきっかけになることもあります。

言葉にすると当たり前なのですが、誰にでも、どのような関係でも、パッと話ができる万能のきっかけづくりはありません。どのようなことでもきっかけになり得るし、必要なのはきっかけとなり得る要素がそろうことです。

そうはいっても、ノウハウが知りたいですよね。私はそれを「ノウハウ」ではなく、「小手先のテクニック」「やり方の具体例」「カタログ」―と表現します。例えば、手紙を書く、飲み物をメモと一緒に置く、ドア越しに話をする、ノックの仕方や声の大きさを変える―など。これらの方法は、小手先のテクニックと軽視できません。

そのうえで、言葉などがどのように届いたか、反応をよく見て、対応することが大切です。つまり、コミュニケーションを大切にすることで、近づきやすくなると考えています。

小刻みに一歩を進む

話ができない人と話せるきっかけというけれど、それは、山登りでいえば、頂上に着く最後の一歩を教えてほしいという意味と同じで、最後の一歩の話よりも、そこにたどり着くまでの一歩一歩が必要であると伝えました。

私の講演の後、グループに分かれ、普段の活動や私の話の振り返りが行われました。そして、各グループから、どのような話が出たか発表がありました。その一つに、「きっかけ」とか「話をする」ということは最初の一歩だと思っていたけれど、山登りの最後の一歩だということに驚いたという意見がありました。

この感想に、私も衝撃を受けましたし、勉強になりました。なかなかできない「きっかけ」づくりが、はじめの一歩と捉えられやすいのです。はじめの一歩が大きすぎるなぁと私は感じます。「スモールステップ」は福祉や医療でよく使われる言葉で、参加者が皆知っている言葉だと思います。目標を小さく分け、達成しやすい一歩ずつを達成していくという考え方です。

話をすることが難しいのならば、やっぱり大きすぎる一歩です。小刻みに一歩を進む必要があるでしょう。そして、話せるようになるという山を登ることができたのであれば、さらに別の山、高い山に、小さな最初の一歩を刻むことの繰り返しが必要でしょう。(精神保健福祉士)

私の隣にいるのは介助者です 《電動車いすから見た景色》24

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【コラム・川端舞】先日、インフルエンザの予防接種を受けに病院に行った時、同行していた介助者を見て、受付の人が「ご家族の方ですか?」と聞いてきた。いつものことだったため、特に気にせず、「いいえ。介助者です」と答えたが。

介助者(ヘルパー)と一緒に外出する障害者なら、似たような経験をしている人も多いだろう。介助者と一緒に来ているのに、なぜか家族だと思われてしまう。同行している介助者が私と同年代なのに、「お母さんですか」と言われてしまい、あとで介助者が「私、そんな年齢に見えるのかな」とつぶやいた時は、おかしいような、気まずいような気持ちになる。

なぜ、障害者の外出に同行している人は家族だと思われてしまうのだろう。確かに、介助者と一緒に外出する障害者よりも、家族と外出する障害者の方が多いのは事実かもしれない。しかし、障害者の介助は家族がするのが当たり前だという考え方を多くの人が持っていて、本当は介助者と外出している障害者を見かけても、「きっとそばにいるのは家族なんだろう」と思われてしまうこともあるように感じる。

「介助者と外出するのが当たり前」の社会

障害のない人であれば、たいてい大人になったら、実家を離れて、1人暮らしをしたり、パートナーと一緒に暮らすだろう。親も子育てから卒業し、仕事や趣味に時間を使う。しかし障害者となると、大人になっても親が介助するのが当たり前だと思われてしまう。本来なら、障害者の親になっても、子育てが終わったら、子離れして、親自身の人生を楽しむ権利があるはずなのに。

もちろん、障害者の介助をずっと家族に任せてしまう背景には、介助者という職業の人手不足という問題もあるだろう。しかし、障害のある家族と外出するたびに「ご家族の方ですか?」と言われてしまうと、「やっぱり障害者は家族が介助しないといけないんだ」と思ってしまい、介助を家族以外の人に交代してもらうという選択肢を思いつかなくなってしまうこともあるかもしれない。

私のような障害者が介助者と一緒にどんどん外出し、「ご家族の方ですか?」と言われるたびに「介助者です」と答えることで、家族ではなく介助者と一緒に外出する障害者もいることを多くの人に知ってもらい、「介助が必要な障害者は介助者と外出するのが当たり前」と思ってもらえるような社会をつくっていきたい。(障害当事者)

筑波山の「つつじヶ丘レストハウス」 《ご飯は世界を救う》41

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】久しぶりに、筑波山のつつじヶ丘から女体山に登りました。10月半ば過ぎのよいお天気の日。ロープウエーはコロナ禍だというのに満員電車並み。ちょっとだけですが、山頂まで山登り。山頂も混雑していて、押し合いへし合い状態。ですが、山頂も、中腹からの展望も、ロープウエー行き帰りの風景も、素晴らしいものでした。

ちょうどお昼だったので、ロープウエーの乗り場横の「レストハウス」でランチ。お昼より少し早かったので、お店はあまりお客さんがいません。おいしいかしら?私の好きなメニュー「親子丼」。外食で親子丼を食べたことがないので、チャレンジ。それが!おいしかった~。

11月半ば。今度は男体山の紅葉を見ようと出かけたら、筑波山の入口のかなり手前から車の大渋滞。諦めてUターン。そのあと、市内の「松見公園」「かつらぎ公園」「松代公園」と、紅葉真っ盛りの公園巡り。すべて池があり、紅葉が映り込む姿がステキです。

見晴らしのよい男体山の上で、親子丼を食べる夢はおあずけでしたが、3つの公園の紅葉観賞というプレゼントをもらえました。(イラストレーター)

絵本「うんこはごちそう」 《くずかごの唄》98

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】本屋さんで、「うんこはごちそう」(伊沢正名著、農文協刊)という絵本を見つけ、飛びついて買ってしまった。伊沢さんは、日本一のきのこ写真家である。「きのこ」(山と溪谷社刊)には、日本の1155種類のきのこの写真が収録されている。発行時、その多さが学会でも話題になった。一つ一つが、伊沢流の、個性的な、愛情あふれたきのこの写真なのである。

伊沢さんと最初に会ったのは彼が高校生の時であった。「土浦の自然を守る会」で西丸震哉氏の講演会を行ったことがある。次の日、西丸氏も参加して北筑波稜線(りょうせん)林道予定地の見学会があった。当時、大規模林道開発の波を受け、筑波山上曽峠から北筑波稜線林道が計画され、山の中にコンクリートの立派な道路が造ろうとしていた。開発の前に現地を見てみようと、67人が参加してくれた。

西丸氏は大叔父が島崎藤村で、当時、評論家としても自然保護作家としてもモテモテの人。見学会参加者の中に、現地真壁町に住む目のキラキラした高校生が1人混じっていた。彼を連れてきたオジサンの話によると、町の歯科医院の息子。不登校なので、父親が心配して、西丸先生に学校へ行くよう説得してほしいと言われ、連れてきたのだという。

きのこの仲間になりきって撮影

西丸先生はどんな言葉で説得するのだろうか。私は聞き耳を立てて西丸先生と高校生の会話を聞いていた。

「高校が面白くないのか?」
「ハイ、行きたくありません」
「行きたくないところに行くことないよ。友達はいるの?」
「いません」
「じゃあ、無理して行くことないよ。その代わり、自分のしたいことを一つ、何が何でも一つだけ見つけて、そこへ飛び込んでごらん。面白いよ」

彼が飛び込んだのが、きのこの世界だった。

山の中で撮影しているところを見せてもらったことがある。泥だらけの地面をはって行って、きのこの仲間になりきってしまってから、シャッターを押す。誰もができるという仕事ではないのだ。(随筆家、薬剤師)

センタービルと『大菩薩峠』《映画探偵団》49

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【コラム・冠木新市】11月3日(文化の日)、第1回 「つくばセンタービル謎解きツアー」を開催した。参加者は20~80代の10名。案内役は私が務め、ノバホール入口から2階センターの周囲をめぐって1階に降り、「中心」「異界」「水の精」「反転」「廃墟」「にわ」「鋸(のこぎり)状の柱」「モンロー」をキーワードに8つの光景を語り歩いた。

野外劇場の「廃墟」では、30年間、TVのSFヒーローが戦ってきたことを説明。すると、そばで戦隊ヒーロー物の撮影が行われていて、こちらが用意したゲストのようだった。8地点の「不連続の連続」ともいえる光景を語るうちに、ああこれは『大菩薩峠』の世界に似ているなと思った。

片岡千恵蔵主演『大菩薩峠』

小学1年の時、東映の片岡千恵蔵主演『大菩薩峠』(1957)を見て、主人公たちの善悪を超えた妖しい雰囲気が記憶に残った。中学1年の時、国語の女性教師が「私は中里介山著の『大菩薩峠』だけは最後まで読み切れなかったのよね」と言った。

その日、早速古本屋に行き、角川文庫版の原作を買い読み始めた。全巻読破と意気込んだが、11巻で挫折した。大学のころ、春陽堂文庫版が出た時も挑戦してみたが、駄目だった。代わりに解説評論本を何冊も読み、話の展開はあらかた予想がついた。映画で描かれていたのは前半部分のみである。

物語は、机竜之助が大菩薩峠で老巡礼を切り捨てる理由なき殺人から始まる。そして御岳神社の奉納試合で相手を打ち殺し、その妻お浜を連れ江戸へ出奔する。試合相手の弟は兄の仇の竜之助を追う。つまり、最初は仇討ち物語なのだが、徐々に竜之助の場面は減少し、脇役と思われた登場人物たちが活躍する群像劇になってくる。

さらに物語が進むと、旗本の駒井甚三郎が蒸気船を建造し南海の孤島に乗り出し、植民地をつくる話。顔に大やけどを負ったお大尽の娘お銀様が胆吹(いぶき)山麓に王国を建設する話。与八という無垢な男が寺子屋をつくり子どもたちを教育する話。幇間の金助が外国人向けに日本の芸能文化を見せる「帝国芸娼院」をつくる話など、海・山・里・町のユートピアづくりの物語へと変容していく。

そのうえ、後半では夢と現実が入り乱れ摩訶不思議な世界となる。幻想の小動物ピグミーが突然現れたり、歴史上の人物が時空を超え出現したり、一度死んだ男が幽霊とも現実ともつかぬ姿で出てきたりする。また、作者の介山が百姓弥之助として顔を出し、『大菩薩峠』の解説をする。夢と現実の比重は一体となって、いつの時代の話だか曖昧模糊(あいまいもこ)となり、幻想小説と化してしまうのだ。

今年、3年半かかり新聞小説を読むように、ちくま文庫版全20巻を読了した。そして、これまで読了できなかった原因が理解できた。それは主人公や物語の中心を探る読み方をしていたからだ。当初の主人公竜之助は最後には亡霊の存在となる。つまり、この物語は誰もが主人公で、中心が不在の伽藍堂(がらんどう)のような小説なのである。

「長編小説にも似た複雑な構成」

「この建物の場合は、直接的で、ほとんど具象的な引用で終始しているのは、長編小説にも似た複雑な構成をもつために、細部すなわち断片が、勝手に強い喚起力を発してもらう必要があったからである」(磯崎新編著『建築のパフォーマンス』)

謎解きツアーで一番受けたのは、ホテル最上階の「目のデザイン」がノバホール入口の三角窓に映り込み、キリスト教三位一体の父と子と聖霊を表す「プロビデンスの目」になることを紹介したときだった。この神の目はセンター広場の何もない空間を見つめている。仕掛けに満ちたセンタービルは、私にとって読みごたえのある長編小説なのである。サイコドン ハ トコヤンサノ。(脚本家)

<つくばセンタービル謎解きツアー参加者募集>
▽内容:センタービルに隠された建築の謎を解きながらビルを回る
▽日時:第3回 11月23日(火)ゲストと取材あり、第4回12月4日(土)、第5回12月12日(日)、各回午後1時から約1時間、参加費無料
▽定員:10名、小中高生大歓迎
▽要予約:090-5579-5726(冠木)

五十嵐つくば市長 批判封じに新手 《吾妻カガミ》120

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】ミニ新聞の記事に名誉を傷付けられたとして、五十嵐つくば市長が発行人の亀山元市議を名誉毀損(きそん)で訴えたことについては、本欄でも何度か取り上げました。この裁判は進行中ですが、事情通によると、名誉毀損のほか、公職選挙法上も問題だと、ダブルで発行人を追求するそうです。市政批判記事を「ボツ」にしたい五十嵐さん、焦りが見えてきました。

ミニ新聞提訴は2本立てに

公選法によるものは、ミニ紙発行人が「当選を得させない目的をもって公職の候補者又は公職の候補になろうとする者に関し虚偽の事項を公にし、又は事実をゆがめて公にした」(235条第2項)から、亀山さんを罰せよという組み立てと聞いています。

要するに、五十嵐市政を厳しく検証した記事は、市長再選を妨害するための虚偽の記事だったという主張です。記事が虚偽(フェイク)なのか事実(ファクト)なのかを争う点では名誉毀損係争と同じですが、公選法違反を追加することで、市政批判封じを強化する作戦のようです。どこかの非民主国を想起させるような動きで、学園都市も変な街になってきました。

知り合いの弁護士に感想を求めたところ、「市民による市政批判に対しては、言論で対抗するとか、市民との対話によって理解を求めるのが、民主主義の基本。強い力を持つ市長が、市民の言論活動を罰せよと裁判に持ち込めば、市民の自由な活動を萎縮させる。言語道断」ということでした。権力監視を編集方針に掲げる本サイトの執筆者としても、このコメントに100パーセント同意します。

笑える提訴取り下げの動き

名誉毀損関係でも変な動きがありました。コラム111「つくば市長の名誉毀損提訴、取り下げ?」(7月19日掲載)で、提訴を取り下げるのではないかとの見方が流れていると書きましたが、このうわさ話は本当でした。事情通によると、裁判が自分にマイナスに作用すると思い直したのか、それとも勝てないと思うようになったのか、条件付き取り下げ案を亀山さんに示してきたというのです(取り下げには同意が必要)。

その条件を聞いて笑いました。コッソリ取り下げたいので、記者会見などで詳しく喋らないと約束してほしいという内容だったそうです。裁判をウヤムヤに終わらせるのは許せないと、亀山さんは条件付き取り下げを拒否。無条件ではアレコレ論評されと思ったのか、五十嵐さんは取り下げそのものを見送ったようです。

先の弁護士は、名誉毀損の取り下げに失敗したので、裁判を強面(こわもて)に演出するため、公選法関係を加えてきたのではないか、と読んでいます。センタービル問題での五十嵐さんの迷走については前回コラム(11月1日掲載)で触れましたが、提訴を引っ込めようとしたり付け加えたりと、こちらの迷走も喜劇風になってきました。(経済ジャーナリスト)

参考「つくば市民の声新聞」記事の事実検証コラム
▽101「つくば市長の名誉毀損提訴を笑う」(3月1日掲載
▽103「つくば市長の名誉毀損提訴を検証する」(4月5日掲載
▽105「つくば市長の名誉毀損提訴、近く裁判開始」(5月3日掲載

太陽フレアの情報① 《食う寝る宇宙》97

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【コラム・玉置晋】日本時間で10月29日の真夜中、太陽で大規模な爆発が起き、人工衛星の観測でX線や放射線が増加したという通知に起こされました。比較的大きな太陽フレア(爆発現象)が発生すると、情報通信研究機構から以下のようなメールを受信できるサービスに登録しているからです。

▽太陽フレアに関する臨時情報(10月29日01時40分JST=日本標準時):10月28日15時35分(UT=世界時)に、太陽面でX1.0フレアが発生しました。SDO(太陽観測)衛星の極端紫外線画像(AIA094)によると、このフレアは活動領域2887(S28W01)で発生したと推定されます。

▽プロトン(太陽からの高エネルギー陽子到来)現象に関する臨時情報(10月29日04時00分JST):GOES(静止気象)衛星の観測によると、静止軌道の10MeV以上のプロトン粒子フラックスは10月28日16時00分(UT)ごろから上昇を始め、28日17時40分(UT)に10PFUを越えて、プロトン現象が発生し、現在も継続中です。この現象は、活動領域2887で28日15時35分(UT)に発生したX1.0フレアに伴うものと推測されます。

情報はどのように伝わるか?

太陽フレアが発生した場所が地球から見て正面だったので、地球周辺に影響を及ぼす可能性があるため、眠い目をこすって、朝イチで僕が働く人工衛星運用現場に伝えられるように情報収集を開始しました。宇宙開発の現場においても、宇宙天気情報は十分に認知されておらず、情報を展開しても「暖簾(のれん)に腕押し」な感はあるのですが、近い将来、この活動実績が重要になるという確信があるので、めげずにやっています。

現在はSNSが普及していて、世界中の人たちの発信情報を見ることができます。太陽フレアの発生直後から、世界中の宇宙天気専門家のみなさんがクイック評価の情報をつぶやきはじめて、それを横目に見ながら、実際の観測データをチェックする作業をしました。

日本では夜中だったので、地上の望遠鏡で「観測できなかった」と悔しがるつぶやきを見て、クスっと笑いながら…。

太陽フレアの発生から4時間が経過した時点で、世界中の宇宙天気専門家や宇宙天気の影響を憂慮する一部の人々は情報収集を開始しましたが、太陽フレアが発生したという情報は一般にはまだ知られていません。これから、太陽フレア情報がどのように人々に伝わるのかを見ていきたいと思います。(宇宙天気防災研究者)

150周年、たまには新治県のことも思い出してあげて《土着通信部》46

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「ここに新治県庁があった」と野田さん。左の茨城県地図が1871(明治4)年の県域を示す=土浦市立博物館

【コラム・相澤冬樹】13日、茨城県政が150周年を迎えるのだそうだ。「県民の日」は1871(明治4)年11月13日、初めて「茨城県」という県名が用いられたのにちなんでいる。

県歴史館資料などによれば、1871年7月の廃藩置県によって、現在の茨城県の領域には常陸国14県(水戸県・土浦県ほか)、下総国3県(結城県・古河県ほか)などが成立した。さらに、同年10月末~11月に府県の統廃合が実施され、全国に3府72県が成立する。11月に実施された関東地方の統廃合によって、茨城県が誕生した。

この誕生日は11月13日とも14日ともいわれる。県庁に問い合わせると、13日としたのは、初代茨城県知事(当時は参事)、山岡鉄太郎(鉄舟)への任命書に基づくとの回答だった。末尾に「明治四年辛未十一月十三日」と記されていた。旧暦の日付だから、新暦に改めると同年12月24日になる。

第1次府県統合の関東地方への布告は旧暦14日付。真壁郡・茨城郡・那珂郡・久慈郡・多賀郡が茨城県の、新治郡・筑波郡・河内郡・信太郡・行方郡・鹿島郡が新治県の、それぞれ管轄となった。新治県には旧下総国の香取郡・匝瑳郡・海上郡が統合され、利根川を跨ぐ形で設置された。

つまり150年前の茨城県に、つくば・土浦はなかったことになる。佐原や銚子までを県域とする新治県、その県庁は土浦城本丸御殿を改装して設けられた。知事(当時、権令)には池田種徳が、やはり13日付けで任命されている。

新治県は(以下新暦表記)、1871年12月25日から1875年5月7日まで存続している。1875年の第2次府県統合により、新治県は利根川を境に分割され、利根川以北は茨城県に、利根川以南は千葉県に、それぞれ編入された。つくば・土浦の「茨城県歴」はまだ146年というわけだ。

1896(明治29)年の郡制施行時、新治郡は土浦・石岡など5町30村からなり、このときの郡役所も、改築した土浦城本丸御殿に置かれた。平成の大合併で新治村が土浦市に合併され、新治郡も消滅したのは2006(平成18)年のことである。

わずか3年半しか存在しなかった新治県庁。その形跡を現代にたどるのは難しい。秋季展示を開催中の土浦市立博物館を訪ねると、学芸員の野田礼子さんが「縣廳」と表記された「新治県庁」の所在を地図パネルで教えてくれた。目を皿にして探し回らないと見つからない。新治県庁・郡役所となった土浦城本丸御殿は、100分の1模型を2階展示室で目に出来る。

後の新治県庁、新治郡役所になった土浦城本丸御殿の100分の1模型=同

博物館に隣接する土浦城址西櫓(やぐら)脇に、捨て置かれたように厚い石板が寝かされている。これこそ、県庁玄関の扉を留めていた石壁の一部だと郷土史研究家はいうのだが、「残っているのはこれぐらい」とも。150年という歳月は長い。

それよりはるか昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、新治(にひばり)筑波を過ぎて幾夜か寝つる(新治、筑波を過ぎて、幾夜寝たことであろうか)と問いかける歌を詠んでいる。この古代の「新治国」は新治県とは別の領域。現在の笠間市、筑西市、桜川市あたりの県西部で、筑西市の「新治廃寺」は奈良時代につくられた寺院跡だ。こちらはJR水戸線に新治駅の名が残っている。(ブロガー)

JR鹿島線は素晴らしかった 《茨城鉄道物語》17

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鹿島線の車両=香取駅

【コラム・塚本一也】県内鉄道の体験乗車報告も、いよいよ最終路線のJR鹿島線の番になりました。「鹿島線」は、その名称が廃線となった「鹿島鉄道」や以前取り上げた「鹿島臨海鉄道」などに似ており紛らわしいのですが、れっきとしたJR東日本の旅客営業路線です。香取駅から鹿島サッカースタジアム駅(臨時駅)まで6駅あり、営業キロ17.4キロの単線直流電化路線です。

ちなみに、県内の直流電化路線は、この鹿島線と古河駅から乗車する東北線(宇都宮線)しかありません。

私は土曜日の昼間に香取駅から乗車しました。ダイヤは2時間に1本という超ローカル路線であり、駅は無人駅ですが、Suicaが使えたことはさすがJR東日本と、少しうれしくなりました。乗客も、学生や親子連れなどが乗車しており、車両も都市近郊の通勤電車仕様ということもあって、車内には都会の空気が漂っていました。

鹿島線には目玉が2つあります。1つは、平日の始発電車が2時間ちょっとで総武線経由で東京駅へ直接乗り付けており、土曜と休日は3時間で大船まで乗り入れていることです。いずれも8時10分台に東京駅に到着しており、この1本があるということは沿線地域にとっては大きなメリットです。

全長1200メートルの北浦鉄橋

香取駅を出発してすぐに踏み切りがありますが、そのあとはオール高架で高規格路線となっています。さらに、全長1200メートルにも及ぶ北浦鉄橋からの景観は、鉄道ファンならずとも一度は体験する価値があろうかと思います。真っ直ぐに伸びる鉄橋を渡る電車の車窓からは、遠くに筑波山を望み、湖面は電車の振動に共鳴しているかのようにさざ波が立っていました。

北浦鉄橋

これで県内の全鉄道をリポートしましたが、約20分の乗車時間がこんなにすがすがしかったのは初めてです。私は「乗り鉄」でも「撮り鉄」でもありませんが、帰りにはどうしても北浦鉄橋を走る鹿島線の雄姿を脳裏とスマホに焼き付けたくなり、撮影スポットに寄り道しました。ダイヤの関係上、電車は撮影できませんでしたが、とても印象的なひと時を過ごすことができました。

鹿島線にはJR東日本が誇る周遊型臨時寝台列車「四季島」が乗り入れて、鹿島神宮駅で下車するコースがあります。同じく四季島と関連の深い笠間市(車内で使われているぐい飲みが笠間焼、食材でも笠間の栗を使用)ではこのほど、JR東日本とコラボして道の駅をオープンさせました。鹿島線沿線も、自信をもって観光開発に取り組んでいただきたいと思います。(一級建築士)

J:COMの「いいじゃん!」終了は残念 《遊民通信》28

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「いいじゃん!」のメーンMC(J:COM茨城提供)

【コラム・田口哲郎】

前略

J:COM茨城で放送されていた地域密着型バラエティ「いいじゃん!」が10月31日をもって最終回を迎えました。当初は半年間という計画だったそうですが、12年近く続いたというのはすごいことだと思います。オジンオズボーンの高松さんと鈴木涼子さんがメーンMCで、山城功児さん、河邑ミクさん、酒井瞳さんたちが番組に彩りを添えていました。

コロナ禍の影響でスタジオ収録ができない、取材に行けないなど、ご苦労が多かったようです。コロナ禍が明けそうな、今からふたたび!という時に終了とは、残念です。開始当初から視聴し、毎回楽しみにしていました。普段住んでいても知らない場所やお店は結構あるもので、番組で見たのをきっかけに行ってみたというところも多いです。

東京キー局の番組では報じられない、身近な情報が満載なところが魅力でした。例えば、カフェやお菓子屋さんなどは、大手チェーンだと勝手がよくわかっているのでなんなく入れますが、個人経営のお店は最初入るかどうか迷ってしまったりすることがあります。でも、「いいじゃん!」で紹介されたのを見ると、なじみの店のように思えてすんなり入れるのです。

10月で終了した番組がもうひとつあります。「いばらき人図鑑」です。地域で活躍する地元の方々を紹介するトーク番組として、こちらも楽しく視聴していました。

しかし、やはりコロナ禍の影響か、残念ながら終了です。ウィズ・コロナ時代は地元重視ですから、「身近な人」に焦点を当てて紹介するコンセプトはこれからも大切だと思います。地域の生活を支える方々、文化を担う方々の自信にあふれる表情を再び見たいです。

やはりトーク番組が見たい

今後はどのような番組が望まれるのでしょうか? 視聴者の興味・関心が多様化してとらえるのが難しく、各メディアが苦戦している時代、答えはそう簡単には出ないでしょう。そこでいろいろな事情を考えないで、何か番組を作ってみろと言われたとして、何を作るだろうかと妄想してみます。

私が好きな番組はテレビ朝日「徹子の部屋」、NHK「ドキュメント72時間」といった「人の話を聞く」番組です。相手が有名でも無名でも、その人が語る物語には重みがあります。ですから、やはり県南人をゲストに呼んで、トークをする番組を作りたいと思うでしょう。ゲストは「笑っていいとも」のテレフォンショッキングみたいに、県内出身・在住のお友達紹介でつなぐのです。

こういう職業だから、役職だから出演してくださいというオファーも面白いですが、例えば、次のゲストは今回ご出演のスズキさんのお隣のサトウさんで農業をされておられます、というのもありだと思います。ゲストの「物語」をうかがい、語りからいろいろ知り、学ぶ。番組名は「いばらき県南みんなの物語」?

妄想はさておき、今後も情報の地産地消の番組を楽しみにしています。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

選挙制度を考える 《つくば法律日記》18

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つくばセンタービル 手前はノバホール 奥はホテル日航つくば

【コラム・堀越智也】選挙に行き、さらに選挙速報を見て結果を確認するという経験をすると、今の選挙制度がなんとなく体で分かります。僕が学校で選挙制度について教わったころは、現行制度のように候補者用と政党用の別々の投票用紙に書くような複雑な選挙制度ではありませんでした。

教科書には、小選挙区制度と大選挙区制度、比例代表制がメインで記載されており、加えて、日本独自の呼び方である中選挙区制度の説明があるという感じだったと思います。

小選挙区制度は1つの選挙区から1人当選する制度のことで、2位以下の票が完全に反映されなくなり、いわゆる死票が多くなることや、多様な民意が反映されにくいというデメリットがあります。その代わり、1つの選挙区が狭いので選挙費用がかさまないで済みます。

大選挙区制度は1つの選挙区から2人以上当選する制度のことで、死票が少なくなることや、2位以下でも当選するので、多様な民意が反映されやすいことがメリットになります。その反面、選挙区が広くなり、選挙費用がかさむなどのデメリットがあります。

比例代表制は得票数に応じて各政党の議席が決まるので、死票が少なくなるのと、政党に関する範囲で民意が反映されやすくなります。

現在の義務教育でどのような教え方をしているかは知りませんが、そんな基本にさかのぼると、現在の小選挙区比例代表制も少しは理解しやすくなると思います。

小選挙区比例代表並立制

現在の衆議院議員選挙の小選挙区比例代表並立制は、小選挙区制度と比例代表制のメリットを併せたものとされています。もちろんデメリットがないわけではありません。しかし、デメリットが全くない完璧な選挙制度はこの世に存在しないと言われています。でも、時代や社会の変化に応じて、もっとも適正な制度にしていくべきだろうと思います。

プロ野球が2リーグになったり、クライマックスシリーズができたり、試行錯誤して移り変わるのと似ていると思います。

こうして選挙制度について考えていて、思ったことがあります。小選挙区で1位にならなかった候補者が比例区で当選することを復活と言われます。まるで棚からぼた餅のように言われますが、小選挙区比例代表並立制で予定されている当選者の枠にルール通り入っただけで、選挙で当選したことに変わりません。 ただ、開票の順番から、復活したように見えるだけです。そう考えると、復活という表現をするのは正しくないように思えます。そこが、プロ野球のクライマックスシリーズで、3位のチームが1位と2位のチームを差し置いて、日本シリーズに出る可能性があるのと違うところです。(弁護士)