金曜日, 3月 29, 2024
ホーム ブログ ページ 39

人口減の土浦に夢と元気は如何にして《土着通信部》48

0
暮色の土浦市

【コラム・相澤冬樹】土浦市の「広報つちうら」12月15日号は、かすみがうらマラソン兼国際ブラインドマラソンの来年4月17日開催決定について、フロントページで大々的に報じていた。NEWSつくばには記事がなかったなあ、などと思いながら、ページをめくっていると、「パブリックコメントを実施します」とある一覧表に目が留まった。

3本の計画案について、市民(市内在住・在勤・在学者)の意見も求めるものだが、2本目に「第9次土浦市総合計画について」(案)があがっていて、これは見逃しちゃいけないと思った。総合計画は将来のまちづくりの指針で、22年度から5年間の市政運営の基本方針となる。表には担当は政策企画課、コメントの提出期限は16日から1月12日までとあったが、情報はそれだけともいえ、マラソンの参加者募集に比べたら素っ気ない。

実は、同課には約ひと月前、メールによる問い合わせをしたばかりだ。2020年に行われた国勢調査の結果概要が11月30日に公表され、同市の人口は14万2074人で、前回調査(2015年)から1270人(0.9%)の増加に転じていたのが気になった。増加理由の分析と「下げ止まったと見られるか」を質問した。

回答は、増加傾向に転じた要因として「外国人の技能実習生や留学生等の増加、土浦駅周辺への転入者の増加、土浦協同病院の移転に伴う、おおつ野地区における医療従事者や看護学生等の転入者の増加、宅地造成が市内の複数箇所で進み、分譲が開始されたことによる転入者の増加、老人福祉施設が増設されたことによる入居者の増加」などをあげた。

しかし、「常住人口は、2000年をピークに減少に転じており、住民基本台帳人口においても緩やかな減少が続いていることから、今回の国勢調査の結果をもって、少子高齢化の進行による人口減少に歯止めがかかったとは受け止めておりません」との回答だった。なるほど、市の常住人口は12月1日現在13万7802人、すでに14万人を割り込んでいる。

パブコメ募集中 年を越す課題

で、総合計画である。人口の見通しこそは、計画の根幹をなす。パブコメ向けに市のホームページにアップされている「計画(案)」をのぞくと、人口動態を事細かに分析している統計データを見ることができる。それらから、総合計画の将来目標人口(2031年)は12万8000人とはじき出されていた。

第9次総合計画は「夢のある、元気のある土浦」を将来像に掲げる。しかし、右肩上がりの人口増を見込めないなかで、地域経済やコミュニティー活動に夢や元気が易々と出現するわけもない。実際「人口の社会移動の推移をみると、特に、20歳代後半から30歳代といった若い世代において転出超過の傾向が顕著な状況が継続」しているのが現状といえる。

計画(案)を読み進めていくと、人口の量的拡大が難しいなかで、質的な拡張を意図していることがうかがえる。市外からの来訪者である「交流人口」、さらに地域や地域の人々と多様に関わる「関係人口」を拡大させる必要がある-と説いたりしている。マラソン大会の人集めは大事なのだ。

計画(案)は4つのリーディングプロジェクトを示し、数字をあげて成果指標を示し、具体的な取り組みを書き込んでいる。ただし、読みこなすにはマラソンランナー並みの持久力がいりそうだ。そのうえで、12日までにパブコメ提出するとなると、正月休みはほぼ返上だ。若年人口には取り組めそうにない、年を越す課題である。(ブロガー)

総合運動公園問題 つくば市政の重荷《吾妻カガミ》122

0
つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】今年もいろいろなことを取り上げてきました。最終回はつくば市の総合運動公園用地跡処理問題を話題にします。五十嵐さんを市長に押し上げる強力なテコになった運動公園問題。今では五十嵐市政迷走のシンボルになっています。因果な話です。

用途限定・一括・民間売却

市長5年目の五十嵐さん、このほど用地跡処理の最終案(?)をまとめました、市民の反応を踏まえ、この案に沿った形で「GO !」を出したいようです。その概要と意見聴取の手続きについては、記事「…運動公園用地を一括民間売却へ … 防災拠点は大幅縮小」(11月11日掲載)、同「売却の目安は68億5000万円…」(12月1日掲載)をご覧ください。

ポイントは、事業提案による土地の利用を「工業団地」「物流倉庫」など4分野に絞り、民間にまとめて売却し、敷地内に防災倉庫と防災広場をつくってもらい、それを市が借り上げる―というものです。入札に際しては、用地取得額+借入金利息=68.5億円を念頭に置いてほしいと言っています。

この処理案については様々な声が聞こえてきます。市が保有し続けてスポーツ施設などに活用すべきだ、学園都市らしく研究機関用に残すべきだ―など民間売却に反対する意見。工業団地や物流倉庫は周囲の雰囲気になじまない―など利用形態への異議。市は売り払って財政難対策の足しにしたいと言っているが本当か―など売却の理屈に対する疑問。

反対、異議、疑問はありますが、この「用途限定・一括・民間売却+賃借防災倉庫」案は五十嵐さんの勝負玉と言えるでしょう。

「成功」に潜む「不調」のタネ

五十嵐さんは運動公園問題を上手に利用しました。前市長が立てた計画(UR都市再生機構から買った土地に陸上競技場+総合体育館+サッカー・ラグビー場を整備)に反対する市民運動を盛り上げ、住民投票で計画を葬ったこと。そして、「運動公園問題の完全解決」を目玉公約に掲げ、市長選挙で勝利したこと。大成功です。

ところが、市長就任後は問題解決に苦労しています。主公約の柱「用地返還交渉」は不調に。その後「民間売却」案を示したものの、価格面で市民に反対され頓挫(とんざ)。代わりにまとめた「3分の1・市有防災施設+3分の2・民間売却」も引っ込め、現案を公表。大不調・迷走です。どうしてこんなことになったのでしょうか?

成功の中に不調・迷走のタネが潜んでいたからです。前市長の運動公園計画を撤回に追い込んだことで、自前の計画に陸上競技場などを組み込むのが政治的に難しくなりました。結果、用地利用の選択肢が狭められ、民間売却案の周りをグルグル回っています。成功の高揚感からか、「用地返還」を主公約にしたものの、売買契約上無理とわかり、対UR交渉は失敗に終わりました。結果、公約の信頼性が失われました。(経済ジャーナリスト)

<参考> 総合運動公園用地問題・市民説明会(12月10日、同12日)全記録

相手を理解するとは?《続・気軽にSOS》99

0

【コラム・浅井和幸】「相手を理解する」とは優しく思いやりを持って接することですから、敵や嫌いな相手は理解なんてしたくないものですよね。当たり前のことのようですが、それは必ずしも正しいことではないようです。

理解するという言葉には、「正しく分かる」という意味と「思いやる」という意味があります。「敵を知り、己を知れば、百戦してあやうからず」という孫子の言葉があります。孫子とは中国の春秋時代の武将です。当時の戦争で、相手に負けない方法としての教えであり、現代においてビジネスの場で好まれている考え方です。

この「知る」は、「理解する」と言葉を変えてもよいでしょう。命も取られかねない戦争の相手に、思いやりを持って対応しようということではありません。敵にやさしく接していこうという教えではありません。相手の性質を正確に知ることにより、さらに自分の性質を正確に知ることにより、負ける危険がないということです。

友人Aと私の会話

A「嫌な上司がいて困っているんだ。何とかうまい対応の仕方はないかな?」

浅井「どんな上司なの?」

A「自分では新しいアイデアを出せないくせに、人が出した案に対して、重要じゃない小さな部分をネチネチと指摘してくるんだよ」

浅井「それは嫌だねぇ」

A「そうだろ? なんで、あんなつまらない指摘をするんだろうね?」

浅井「ま、物事の優先順位が分からないからだろうね。分からないなりに、良くしようとか、指摘できるところを見せて、自分をよく見せようとしてるんじゃないかな」

A「いやいや、そんな生易しいものじゃなくて、本当に嫌な奴なんだよ」

浅井「そうなんだ」

A「だって、機嫌が悪いときは、怒鳴ったりするやつなんだよ。いい大人が、どうして怒鳴ったりするんだろうか?」

浅井「きっと、キャパシティが小さくて、何か別でもストレスがあるんだろうね。もしかしたら、その上司も別の人から怒鳴られているかもね」

A「は? なんで浅井は、そんなつまらない上司をかばうんだ? 俺の方が悪者だと言いたいのか?」

浅井「いやいや、かばってないし、そもそも善悪の判断をしようとは思っていないよ。むしろ、今の嫌な状況を変えるためには、その上司の性質を理解した方が対応しやすいと思うよ」

A「ふざけるな。そんな上司に対応する必要もないし、悪い奴を理解する必要なんてない。そんな上司の肩を持つような奴とは話しているだけ無駄だ」

自分は悪くない、相手が悪い

問題を解決するときは、嫌な相手を理解し、自分の見たくない部分も理解することは大切なことだと思います。ま、この会話は、問題解決をするという共通認識がないままに進んだ会話であって、問題解決する前に、悪者が誰で善人が誰で、敵が誰か、味方が誰かをはっきりさせることが必要だということになります。

日常では、「問題解決」よりも、「自分は悪くない、相手が悪い」と同感する方が何倍も重要であるという場面は多いものです。(精神保健福祉士)

大好きな霞ケ浦のあれこれ① 《夢実行人》3

0
霞ケ浦の日の出

【コラム・秋元昭臣】霞ケ浦は茨城県南東部に位置し、その先端が利根川に流れ込む、日本第2の面積の淡水湖です。西に土浦・高浜を持つ「西浦」、北に鉾田を持つ「北浦」、それに「常陸利根川」などを併せた総称ですが、一般的には「西浦」を霞ケ浦と呼んでいます。

その管理は、利根川の一部として「国交省関東地方整備局霞ケ浦河川事務所」が行っています。日本1の琵琶湖は国交大臣の委託を受けて滋賀県知事が管理しています。

昔は東京湾の一部で、「流れ海」と言われた時代もあります。海からの塩害防止の「河口堰(かこうぜき)」ができるまでは、汽水湖でした。銚子とは3時間遅れで潮の満ち干の影響があり、シジミや海の魚も獲れました。

そのころは水質もきれいで、湖岸には砂浜や13カ所の「湖水浴場」あり、学校の授業でも使われていました。小魚が泳ぐ姿を見て、子供ながら工夫して釣りを楽しんだものです。大きな黒いタンカイ(淡水域にすむ中型の貝)を足でほじくって遊びましたが、この貝が「貝ボタン」になっていたとは知りませんでした。

湖の干拓:霞ケ浦10%、八郎潟80

昔、霞ケ浦の広さは2位ではなく3位でした。では、2位はどこだったのでしょう。秋田県の八郎潟です。しかし、1956年から1977年にかけ、その80%が干拓事業によって農地になり、現在は18位です。

戦後の食料不足を補う干拓で、霞ケ浦唯一の島だった「浮島」も、本新島干拓(1942~1956年)によって陸につながりました。このように、10%もの水面が干拓されて農地になったものの、霞ケ浦の現在の広さは2位です。ちなみに、3位は北海道のサロマ湖、4位は福島県の猪苗代湖です。

霞ケ浦の流域人口と面積は、茨城県の約3分の1を占めています。琵琶湖の流域面積は滋賀県の79%、流域人口は12%です。

アオコが猛威を振るって湖面が緑色になり、腐敗臭が出たのは1974年ごろで、50年も前になります。最近10年の水質の指標「透明度」(30センチの白い円盤を沈めて見えなくなる深さ)は 50~90センチと、泳げたころの100~150センチには届きませんが、湖心では100センチも珍しくなくなっています。

今欲しいのが砂浜です。国交省では「里浜」造りを進めていますので、霞ケ浦が昔に戻りつつあることはうれしいことです。(元ラクスマリーナ専務)

薬の品切れにふりまわされて《くずかごの唄》99

0
イラストは筆者

【コラム・奧井登美子】来年はトラ年。薬剤師は薬のトラブルを絶対起こしてはいけない職業である。半年前から、どういうわけか、コロナ禍の中で薬の原料の輸入品がストップしてしまったらしい。処方箋調剤薬局は、薬の品切れに悩まされている。60年間、経験しなかったことである。

「すみません。薬の中でビソプロロ―ル・フマル酸塩錠が、今、品切れなのです」
「えっ品切れ、冗談じゃないよ。心臓の薬で、狭心症を予防する薬だから、キチンと飲むように医者から言われている大事な薬だよ」
「ごめんなさい。明日の朝、飲む分はありますか?」
「ないよ」

探してみれば家にあるのに、こういう時、心配で、必ず「ない」と答える人が多い。

「困ったわね。今日中に、何とか手に入れて、お宅までお届けするしかない」
「必ず届けてくれ。なかったら、別の薬局へ行ってみるしかない」
「メーカーが品切れなので、よその薬局も厳しいと思います」
「じあ、どうすればいいんだ」

私が、客を怒らせないように、気を使いながら話をしている間、事務員さんが必死になって知り合いに電話して在庫を探っている。

「ハイ、よかった。ありました。うちのもう1軒の薬局にありました。お届けします。メーカーは違ってしまっても、成分は今までの物と変わりありません。安心してお飲みください」

とんでもない、考えられなかった事態

薬の卸業者、何軒かの取引先に電話してもないとなると、同業者に頼んで分けてもらうしかない。電話して、頭下げて、分けてもらい、取りに行って、患者さんの家にお届けする。

コロナ禍で、不足薬品の調達という、とんでもない、考えられなかった仕事が、処方箋調剤薬局に降りかかっている。(随筆家、薬剤師)

誰も自分と同じ経験をしないために 《電動車いすから見た景色》25

0

【コラム・川端舞】今年は怒涛の1年だった。4月に本サイトで重度障害のあるライターとして取り上げられたのをきっかけに、他メディアからも取材を受けた。しかし私にとって一番大きかったのは、中学時代の出来事を複数のメディアに語ったことだ。

小中学校時代、介助員から支援を受けながら普通学校に通った私は、一時期、介助員との関係がうまくいかないことがあった。その時のことを公に話すと、当時の介助員を批判してしまうことになるため、ずっと話さないでいようと思っていた。

しかし、自分の経験を公表することで、現在、普通学校で介助員から支援を受けている障害児が自分と同じような経験をすることを防げるかもしれない。ずっと心の片隅でそう思っていた私は、今年、複数のメディアから中学時代の介助員との出来事を話す機会をいただき、自分の経験が普通学校で学ぶ障害児の役に立てばと願いながら、メディアで当時のことを話す決意をした。

私は中学時代の介助員を責めるつもりは全くない。当時、私が介助員との関係で悩んでいたといことは、介助員も同様に私との関係で悩んでいたということだろう。

関係がこじれた時、私と介助員双方の話を聞いてくれ、すれ違いを一緒に解決しようとしてくれる大人が近くにいれば、問題が複雑にならないうちに、関係を修復できたかもしれない。障害児の支援を介助員1人だけに任せ、他の教職員は支援に関与しないという状態では、何か問題が起きた時に過度に障害児や介助員を苦しめることになりかねない。

他の障害児者と出会う機会

障害児が必要な支援を受けながら、健常児と同じ学校に通うことは、大人になってから障害者と健常者が共に生きていくためにも大切なことだ。同時に、障害児が普通学校に通っていても、地域に住む他の障害児者と出会い、周囲からどのように支援を受ければいいのかなど、自分と同じような障害のある人に相談できる環境も必要なのかもしれない。

私は高校時代まで自分のような障害者に会ったことがなかった。中学時代、介助員との関係を他の障害者に相談できていたら、解決方法を見つけられたかもしれない。

内閣府によると、令和元年現在、日本の障害者は人口の7.6パーセントを占める。1つの学校に障害児が数人しか通っていないこと自体、不自然なことなのだ。(障害当事者)

アリーズ フレンド カフェ&レストラン《ご飯は地球を救う》42

0

【コラム・川浪せつ子】水彩画を描くのに必要な画材を、JR常磐線荒川沖駅近くのホームセンター「ジョイフル本田」(土浦市中村南)によく買いに行きます。ネットでも買える時代ですが、見てから買いたい、新しい画材などの情報を得たい、と。

ホームセンターは、植物販売や併設スーパーも魅力的です。そして、気になっていたのはケバブ(中東料理)のお店「アリーズ フレンド カフェ&レストラン」。TXつくば駅上の広場で見るあの黄色い車のお店。そこで1回買っておいしかったのが、忘れられなくて。

そこで、入るチャンスを狙っていました。ラミネート加工をしなくては…の時、出来上がるまでの待ち時間でまずはお茶を。チョコレートのお菓子、美味でした。

1年ぶりの友人とお互い近況報告

次回こそケバブと、荒川沖駅近くに事務所がある建築士の友人を誘ってランチ。彼女と会うのは1年ぶりでした。建築士会の活動で以前はたびたび会っていたのですが、コロナ禍で、勉強会のほか見学会までリモート。なんか寂しい、悲しい。

1年ぶりの友人と、お互い近況報告。彼女、そして家族のうれしいサプライズを聞いて、感動。やはり、直接会って話すのって重要ですね。もちろんケバブ、いけてました~♪

ホームセンターの植物コーナーには、たくさんのクリスマスグッズが販売されていました。雪の上に置かれているような雰囲気で。皆さま、良いお年をお迎えくださいね。(イラストレーター)

お代は「鳩サブレー」で! 《続・平熱日記》99

0

【コラム・斉藤裕之】2人の娘も家を出たし、コロナ禍のステイホーム期間に不要なものを処分して、家の中は大分すっきりした。食べるものも着るものも、普段通りのもので充分だ。カミさんも特にぜいたくを言うことはなく、強いて言えば、たまに甘いものを食べるくらいのことだ。

例えば、寒くなるとホームセンターに出店する大判焼きの店。クリームの入ったやつがお気に入り。それから、しばらく前から盛んに「鳩サブレー」が食べたいと言うのだが、ここら辺りでは売っていない。似たようなお菓子ならあると思うのだが、「鳩サブレー」でなければ嫌だという。

さて、平熱日記展も友人知人がぽつりぽつりと足を運んでくれて、無事に終えることができた。その中にある同級生がギャラリーを訪ねてきてくれた。

今思えば、私の通った大学には後に頭角を現す才能豊かなやからがうろうろしていて、この男も当時からオーラを放っていた1人だ。今も、越後妻有(えちごつまり)のトリエンナーレをはじめ、野外を舞台に作家として実にエネルギッシュに活動しているのだが、男気のあるロマンチストで人望も厚い。

そんな彼がわざわざ私のちっぽけな作品を見に来てくれるのには、正直ちと気が引けたが、今年でギャラリーが閉まることもあり、遠路はるばるやって来るという。

母校「大浦食堂」の「扉」

ところが、現れた彼の手には白いギブスが。にぎわうカフェでパスタをほおばりながら、彼は近況を報告。90を超えたご両親の面倒をみていること。これから高校に入る息子さんのこと。道の真ん中に立っていた標識に単車で突っ込んで骨折したこと。次の作品に意欲を燃やしていること。大変なことも楽しいことも淡々と語る彼。話を聞くうちに、痛々しいはずのギブス姿がなぜかたくましく思えてくる。

そんな彼がこのエッセイを毎回楽しみしているという。また私の作品に興味を持ってくれたのがうれしかった。中でも「扉」という作品が気に入ったと言う。それは我が家の玄関の扉を描いた絵なのだが、30年近く前に美術館建設のために取り壊された母校・東京芸大の「大浦食堂」の扉をもらい受けて、我が家に取り付けたものだ。

その後も美術館内で営業を続けていた大浦食堂は学生や教官に愛されていたのだが、多分コロナ禍の影響もあったのだろう、今年、その長い歴史に幕を下ろした。豆腐のバター炒め丼、通称バタ丼という名物があって、彼はいよいよ営業が終了すると聞いてわざわざ食べに行ったらしい(私達夫婦の結婚パーティーもここで開いた)。そんな思いを募らせながら、彼はこの絵を見ていたのだろう。

「おやじたちの晩飯作りに帰らなきゃ!」と言って、名残惜しそうに彼は家路についた。後日、「扉」の作品を彼に送ってやった。宛先の住所は鎌倉。実は彼は生粋の鎌倉人。「お代は鳩サブレーで!」という手紙を添えた。(画家)

私の「生き字引」竹内さん逝く 《邑から日本を見る》101

0
竹内さんの著作の一部

【コラム・先﨑千尋】図書館学の泰斗、竹内悊(さとる)さんが10月に93歳で亡くなったという知らせが届いた。私の生き字引。それこそ「困った時の竹内さん」だった。

竹内さんは米国のフロリダ州立図書館学大学院やピッツバーグ大学図書館情報学大学院で学び、1987年につくば市の図書館情報大学(現筑波大学)副学長に就任した。古今東西の図書館に関する情報に精通し、2001年から2005年まで日本図書館協会理事長を務めた。

図書館に関する著作も『図書館のめざすもの』(編・訳、日本図書館協会)、『図書館のこと、保存のこと』(共著、けやき出版)などがあり、一昨年にはその集大成として『生きるための図書館』(岩波新書)を出版した。

私が瓜連町長の時、小学校を木造で建て替えたが、その際に図書室を理想の姿にしたいと考え、谷貝忍水海道市立図書館長(当時)、寺田章阿見町立図書館長(同)らと一緒に、竹内さんにも相談に乗ってもらった。もう30年も前のことだ。それ以来、竹内さんから、図書館とは何か、図書館をどう活用すればいいのかなどを教えてもらった。

それまでの私は、本は買うもの、資料は集めるものと考え、図書館の利用は、新聞雑誌を見たり小説を借りたりする程度だった。

しかし、自分で郷土茨城の人や事績を書くには図書館を使わざるを得ない。『ほしいも百年百話』『前島平と七人組』(いずれも茨城新聞社)を書くために、ひたちなか市や常陸太田市の図書館に行ったが、それこそ何もない。静岡県内の図書館や鹿児島県枕崎市、函館市の図書館から多くの情報を得た。

「本は人の感覚と思考と行動の記録」

大部分の郷土資料を閉架にして利用者に見せない水戸市立中央図書館とのバトルの時には、竹内さんに「これからの図書館はどうあるべきか、図書館にとって最も大事な仕事はレファレンス」などのことを教えてもらった。その時、幕末から明治にかけて『大日本史』編さんなどに関わった栗田寛の残した麗澤館文庫は現在どうなっているのか、という宿題をいただいた。

県立歴史館、茨城大学図書館、水戸市立図書館などで調べてもらったが、分からずじまい。結局、那珂市立図書館員から「戦前の火事で焼失した」と連絡があり、一件落着した。

わが家にある戦前の右翼の思想家権藤成卿(ごんどう・せいきょう)の扁額の文字と意味がずっと分からなかった。水戸学の大家などに聞いたが、最後は竹内さん。一発で内容が分かった。竹内さんは中国の古典にまで通じていた。

若いころ、図書館は水戸市にしかなかった。しかし今では、どこの市町村にもある身近な存在だ。自分で必要な本をすべて買う経済的余裕はないし、またその必要もない。近くの図書館を利用、活用する。国立国会図書館の文献も地元の図書館で見られるし、コピーもできる。他の市町村の図書も地元の図書館で借りられる。分からないことは調べてもらえる。インターネットで問い合わせもできる。

竹内さんは、最後の著書に添えて「図書館とは人が生きる上で一体なんなのだろうと考え続けてきた結果、本は、人の感覚と思考と行動の記録。人が生きていく上で大きな働きを持つ。多彩な本と人の多様な要求をつなぐために図書館があると考えるようになった」と私に書き送ってくれた。

竹内さんは私に「これからは人に頼るな。自分で道を切り拓(ひら)け」と呼びかけている気がする。「ありがとうございました。そしてさようなら」。竹内さんへの最後の手紙になる。(元瓜連町長)

太陽フレアの情報③ 《食う寝る宇宙》99

0

【コラム・玉置晋】10月29日発生した大規模太陽フレアに関する情報は、SNS上でちょっとした騒ぎになり、夕方のテレビニュースでも放映されました。この太陽フレアにより発せられたガスの塊「コロナ質量放出(CME)」は地球の南方を通過し、地球周辺に影響はほとんどありませんでした。しかし、そのころ、太陽では新たな太陽フレアが発生しました。[以下時間表記はUT(世界時)]

2発の太陽フレアはそれぞれ地球方向にCMEを放っていました。11月1日10時58分:中規模太陽フレア発生。11月2日10時52分:中規模太陽フレア発生。日欧米の研究機関も、数日後に強い磁気嵐が発生するとの予報を出していました。地球から150万キロの距離にある監視衛星がCMEの到来を検知したのは、11月4日4時半ごろです。

一般的には、大きな速度のCMEが南向き磁場をもってと到来すると、大きな磁気嵐を引き起す傾向にあります。3日未満での到来は予報よりも早く、速度の異なる2発のCMEは地球に向かう過程で玉突き事故を起こしたために、早い到来となった可能性があります。

この件については、研究サイドの成果を待っているところです。そして、11月4日6時ごろから11月5日0時ごろにかけて、強い磁気嵐が発生しました。2015年3月にも似たようなイベントがあって、大きな磁気嵐を発生させたことがありました。だから、複数のCMEが発生した場合は注意が必要なのです。

宇宙天気情報の拡散は報道に依存

一撃目の太陽フレアの影響がほとんどなかったことから、人々の関心は薄れてしまったのか、新たな2発の太陽フレアの話題は、日本語の報道、SNS上ではほとんどありませんでした。そして、磁気嵐が強まったのが、日本では昼間であったこともポイントです。

そのころ欧米は夜。普段はオーロラが見えない地域でも、オーロラが見えたという話題が英語圏のSNSに出ていました。北海道と地理緯度が同じ米国カリフォルニア州サクラメントからも、赤色のオーロラがみえたそうです。今回は社会インフラへの影響は聞こえてきませんでしたが、過去の例からみると、あと一段階上のレベルになると、影響の兆候が見えはじめます。

この場合、オーロラが出た時点で社会インフラには影響が出てきていますので、現状の宇宙天気情報の扱いはちょっと危ういなと感じています。

今回の太陽フレアで分かったことは、情報の伝達は現象の社会に与える大きさ・リスクではなく、情報発信力の大きな報道担当者に依存していることが分かりました。一撃目の太陽フレアでは大手メディアがネット上で記事を発信したことで、SNS上に一気に情報が拡散しました。

このことから、宇宙天気情報を適切に社会に発信するためには、報道機関の中に宇宙天気に精通した人材が増えることが重要だと思いました。(宇宙天気防災研究者)

「3密族」のシンボル利用 《映画探偵団》50

0

【コラム・冠木新市】つくばセンタービルができる3年前、日露戦争を描いた3時間の大作、東映『二百三高地』(1980)が公開された。当時は戦争を美化する作品との批判もあったが、今では反戦映画の名作との評価が定まっている。

『二百三高地』の丹波哲郎

幾つもの名場面がある作品だが、料亭の一室で伊藤博文(森繁久彌)と児玉源太郎(丹波哲郎)が、勝ち目のないロシアとの開戦を決めるシーンが印象深い。というのも、私はこの場面の撮影を間近で見ていたからだ。撮影終了後、緊張感から解放された丹波さんが、「飯だ、飯だ」とセットから勢いよく出て行った姿を記憶している。つくばセンタービル改造問題に関わって1年半。なぜか、時折このシーンを思い出す。

現在「つくばセンタービル謎解きツアー」を開催中だ。参加者は、11月3日10人、同13日8人、同23日23人、12月4日5人―だった。12日は8人の予約がある。子どもも何人か参加し、どこが面白いのか、また来たいと言っている。建築専門家でない私は、いろいろな資料を再確認しながら、ツアーの準備をしている。

センタービル関係の資料は少ない。主なものは、「建築のパフォーマンス」(1985)、「磯崎新のディテール」(1986)、「現代思想 磯崎新」(2020)などだ。目を通した中では、「磯崎新の『都庁』」(2008)がとても参考になった。

センタービル完成後の1985年、都庁コンペの過程を記録したもので、建築界の大御所・丹下健三に、弱小組織・磯崎新チームが挑戦する話だ。当時の磯崎とスタッフの様子が手に取るように分かる。磯崎はアイデアをスタッフに投げ、その理由を説明せず、読み解かせる。謎解きを要求するわけだ。センタービルのことも想像でき、面白かった。

賞賛、賞賛、賞賛、内密、秘密、隠密

ツアーでは、これまで見過してきた発見がいろいろあった。午後になると、2階階段付近に飾られた月桂樹の彫刻が、反対側1階の壁にシルエットになって幻想的に映る。壁がスクリーン機能となっていたのだ。

また、ボランティアの方の清掃活動で、水路の稲田石の黒い模様がよみがえり、階段からエスカレータで壊される予定だった壁にまでつながっていたことも分かった。黒い模様の石の配置がパズルのように組み合わせられている。

広場に屋根やエスカレータを取り付けたり、階段を削って車を進入しやすくしたり、外壁を壊して窓ガラスにしたり、テントを張るためにタープをつける穴を開けようとしたり―。この1年半、こういったことを計画した人の心理が理解できなかった。けれども、その謎もだんだん解けてきた。

つくばには、何もない広場を3密(密集、密接、密閉)化しようと考えている「3密族」がいるのだ。にぎわいを作り出そうとしているのなら分かる。だがそうではない。3密族には、センター地区の意匠もプリツカー賞も眼中にない。ただただ、人が集まり、その人たちから賞賛を浴びたいだけなのだ。

賞賛、賞賛、賞賛…。しかも改修の進め方は、内密、秘密、隠密…。つくばのシンボルであるセンタービルはそのために利用されている。3密族の闇は深い。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

<新春つくばセンタービル謎解きツアー>
▽内容:隠された建築の謎を解きながらビルを回る
▽日時:第6回=1 月16日(日) 、第7回=同30日(日)、13時から約1時間
▽定員:10人(小中高生大歓迎)、参加費無料
▽予約:090-5579-5726 (冠木)

歴史と伝統の水戸駅《茨城鉄道物語》18

0
水戸駅

【コラム・塚本一也】県内の鉄道路線巡りは全て終了したので、今回から駅舎について少し語ってみようかと思います。その初回は、何と言っても水戸駅を取り上げなければならないでしょう。

常磐線水戸駅は1889年(明治22年)1月に開業しました。歴代の水戸駅の写真がJR水戸駅の駅長室に飾られているのですが、開業当時の写真を見ると、水戸駅南口のすぐ前には千波湖の湖畔が迫っているのがわかります。つまり、現在の水戸駅南口は、ほぼ千波湖だったのです。

明治22年の初代水戸駅の写真

私は1996年から98年までJR水戸支社に勤務しており、水戸駅周辺の工事に携わっておりました。当時、南口はまだ開発途中であり、造成工事の最中だったのですが、そこかしこから地下水が湧き出ていました。

また、当時私が担当していた工事で、水戸駅北口の東京方面に駅ビルを増築するプロジェクトがありました。腐葉土のような軟弱地盤を相手に、地盤改良工事に悪戦苦闘した思い出があります。入社5年目でまだ駆け出しの私にとって、様々なアクシデントを乗り越えた試練の現場でした。

「おもてなしの心」を感じる駅

そんな水戸駅ですが、1985年のつくば科学万博を機に橋上化し、「EXCEL(エクセル)」という名称で駅ビルもオープンしました。現在でも、水戸線を含めたJR線が3路線と私鉄では鹿島臨海鉄道線が乗り入れており、地方都市のターミナル駅を形成しています。また乗降客数も県内最多であり、JRだけでなく県内全ての路線と比較しても、その格付けはNO.1の駅です。

私の知人でつくば市を訪れた県外の方が、次に水戸市を訪れた時に、「つくば市にはない雰囲気だ」と、感想を述べられたことがあります。

水戸市にあるものとは何でしょうか? やはり「歴史と伝統」の香りではないでしょうか。水戸芸術館や県民文化センター、また建設中の市民会館などもそうですが、文化を発信しようという意気込みが感じられます。

鉄道駅舎も同様であり、茨城県を訪れたお客様をお迎えする「おもてなしの心」を水戸駅に感じます。ただ単に旅客をさばくだけでなく、にぎわいを創出したり県産品を販売したり、そういった気遣いは他の駅にはありません。これからも県都の顔として、その存在感を示してもらいたいと思います。(一級建築士)

「マー姉ちゃん」再放送に思う 《遊民通信》30

0

【コラム・田口哲郎】

前略

連続テレビ小説「マー姉ちゃん」の再放送が始まりました。昭和54年4月2日から9月29日に初放送されましたから、42年前のドラマです。原作は「サザエさん」の作者として知られる長谷川町子さんの自伝「サザエさんうちあけ話」。長谷川町子さんの半生を姉である長谷川毬子さん(マー姉ちゃん)に焦点を当ててドラマ化したものです。波瀾(はらん)万丈の人生を明るく生き抜く姿に励まされます。

「うちあけ話」は愛読書のひとつです。中学生の時から繰り返して読んでいます。もちろん、「サザエさん」「意地悪ばあさん」など漫画の方も読み込んでいます。「サザエさん」は4コマ漫画ですが、1コマ目を見せてもらえば、2コマ以降が思い浮かびます。

かつて、東京サザエさん学会なる団体がサザエさん研究を行い、『磯野家の謎-「サザエさん」に隠された69の驚き』が出版され、1993年のベストセラーになりました。当然読んで、漫画が研究できるんだ!と感動したのを覚えています。

よく読んでいる「サザエさん」

さて、その東京サザエさん学会の代表を、当時慶應義塾大学の教授・岩松研吉郎先生が務められていました。私が1度目の大学院生の時、とある教授の退官祝賀パーティーで、憧れの岩松先生を見つけました。立食パーティーでしたので、駆け寄って、著書のファンであると告げると、先生は快く雑談に応じてくださいました。

私は読書で気づいたことを矢継ぎ早にお話ししました。マスオさんは早稲田大学出身らしいけれども、長谷川町子さんの周囲の人には東京大学の人が多いからか、サザエさんには慶應色がありませんね、とか。サザエさんは庶民派と言われますけど、時代が進んで世田谷が武蔵野の田舎から高級住宅地になるにつれて、サザエさん一家の周りは庶民っぽくなくなりますね、とか。「君、ずいぶんよく読んでるんだね」と言われ、私はにんまりとしました。

「よく読んでるんだね」という言葉は、今思い出してもうれしいのです。字の本は読むのが遅くてはかどらないけれど、4コマ漫画はとても楽しいので、いくらでも読めます。読み返すたびに、新たな発見や気づきがあります。大学院生として字の本を読む重圧にへこんでいた時に、まったく畑違いのところで褒められた(?)ことが砂漠にわいた泉のように心を癒やしてくれました。

長谷川町子さんの師匠は「のらくろ」の田河水泡(たがわ すいほう)さんです。田河さんは全国の勤労少年を励まそうと、野良犬が上等兵になっていく「のらくろ」を描いたそうです。長谷川さんはその精神を引き継いだのでしょう。「マー姉ちゃん」でも語られていました。おかげで疲れ果てた院生をも励ましてくれました。これからも長谷川漫画は愛読書です。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

人生100年時代のマネープラン 《ハチドリ暮らし》8

0
庭のミカンの木

【コラム・山口京子】「人生100年時代のマネープラン」というテーマでセミナーを依頼されました。そのとき、2019年に話題になった「老後2000万円問題」のことが頭をよぎりました。金融庁の金融審議会報告書に載っていた、「老後の30年間で2000万円不足する」というデータ元は総務省の2017年家計調査報告でした。

それによると、月当たりの高齢夫婦無職世帯の収入は21万円台、支出は26万円台で、ざっくり5.5万円の赤字となり、それが30年続くと計算して出した数字です。また、この家計調査によると、高齢夫婦無職世帯の貯蓄は2484万円程度となっていました。

統計数字の平均はお金持ちが「かさ上げ」するので、実態を表してはおらず、注意が必要です。また、どこの機関が、いつどんな目的で、どんな方法で、どういった対象に向けて、どのくらいのサンプル数で、調査をしたのかによって、出てくる数字は変わってきます。

ですので、セミナーでは統計数字を参考にはしても、大事なのは我が家の家計であり、我が家の暮らし方、考え方、価値観に基づいて、お金の管理や生活設計をしましょうとお伝えします。

ちなみに、2019年の家計調査では、月当たり収入が23万円台、支出が27万円台で、ざっくり3.3万円の不足。2020年は収支とも25万円台で、ほぼ赤字は解消されています。解消された理由としては、コロナ禍で特別定額給付金などにより収入が増えたこと、外出制限などで支出が減ったことなどが挙げられます。

健康寿命・働く寿命・資産寿命を延ばす

老後の収入の基本となるものは公的年金ですが、それを補完するために働く人が増えています。政府も、高齢者の就労促進のための取り組みや法律改正を続けています。人生100年時代のポイントは、健康寿命・働く寿命・資産寿命3つを延ばすことです。資産寿命についていえば、生活を支える経済的基盤の見通しを立てることです。

そのために、①足元を確認するために資産の一覧表を作成する、②生活費とライフイベントにかかる大きなお金を見積もり予算化する、③年間の収入額と支出額を出して黒字か赤字を確認しその原因を分析する、④将来を予想するキャッシュフロー表をつくり100歳になるまでのお金の流れをイメージする―ことが大事です。そうして1年ごとに家計を確定し点検してほしいとお願いします。

庭のミカンが色づき始めました。毎年、肥料もやらず手入れもしないのに実がなります。ミカンの木にもお日様にも感謝です。(消費生活アドバイザー)

グローバリゼーションに新ルール 《雑記録》30

0

【コラム・瀧田薫】ダニ・ロドリック氏が「グローバリゼーション・バラドクス(The Globalization Paradox)」(2011年)を出版してから、今年でちょうど10年になります。この間、「グローバリゼーション」に関する論文・著作が数多く発表・発行される中で、この本の存在感はまだ失われていません。

この書物が発行された当時、著者は世界経済の「政治的トリレンマ」(民主主義、国家主権、グローバリゼーション)を同時にバランスよく追求することは不可能で、旗色の悪くなった国家主権と民主主義を守るために、グローバリゼーションをある程度制限することもやむを得ないと主張しました。

この主張を経済学の観点から見れば、いわゆる新自由主義的論理が市場と政府は対立関係にあると考えるのに対して、金融、労働、社会保障など、国家がコントロールする諸制度が補完しない限り、あるいは政府による再分配やマクロ経済管理が機能しない限り、市場はうまく回らず、秩序あるいは社会的安定も確保できないとする考え方と言えるでしょう。

政治学においても、国家の統治能力の向上なしに持続的な経済発展は望めないとの見方が有力ですし、ロドリック氏の考えは正鵠(せいこく)を射たものと思われます。

主権国家が新たな規制枠を用意

ちなみに、10月13日、主要20カ国・地域(G20)が、先に経済開発協力機構(OECD)がまとめた新しい国際課税ルールについて支持を表明しました。

内容は、法人税の国際的な課税最低税率を15パーセントとするほか、巨大IT多国籍企業を対象にした「デジタル課税」を導入することです。なお、G20は2023年の新ルール導入に向け各国それぞれに努力するよう求めています。

この新ルールは歴史的と評されていますが、その理由は2つあります。1つは、1980年代から続いてきた法人税率引き下げ競争の方向性を逆転させようとしていること、もう1つはGAFAM(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル、マイクロソフト)に代表される巨大多国籍企業への課税強化の機運を高めたことです。

これらの企業は、これまで国際的な租税回避策により利益をためこんできました。今回のルールが導入されれば、主権国家の公的サービスが財源確保に向けて大きく前進します。つまり、主権国家の側がグローバル化に対する新たな規制枠を用意することで、大きくなりすぎた富の格差を是正する分配政策への道を開いたということです。

ただし、2023年に新ルールが導入できるかどうか、懸念材料もあります。たとえば、来年のアメリカ中間選挙で、バイデン与党が大敗するとの予想があります。そうなると、アメリカにおいて新ルールの導入はまず実現しません。トランプ前大統領の「アメリカ第一主義」の復活です。

現在、バイデン政権の支持率は低迷し、与党民主党のコントロールさえままならないとの報道もあります。結局、グローバル化とアメリカの国家主権、それにアメリカの民主主義、この3要素が織りなすトリレンマに、まだしばらく付き合うしかなさそうです。(茨城キリスト教大学名誉教授)

市民グループがつくば市長を追撃 《吾妻カガミ》121

0
つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】今年5月に市民グループから「センタービル再生事業」の進め方がおかしいと指摘された五十嵐つくば市長。今度は「1期目退職金22円」はおかしいとその政治スタンスが追及されています。センタービル問題(監査請求→住民訴訟)に続く退職金問題(監査請求)。五十嵐さんの周辺がまた騒々しくなってきました。

22円市長は624万円を賠償せよ!

市に対する新たな監査請求は、五十嵐さんが2016年の市長選挙で掲げた公約「市長特権の退職金廃止」をめぐるものです。実際は、退職金ゼロは制度上無理と分かり、議会で特例条例を通してもらい(2020年9月18日)、最少額の22円を受け取りました。市民グループ(代表=酒井泉さん)は「自分を犠牲にして市民のために尽くす市長」像を市民の間に広げることを狙った選挙戦術と批判。公職選挙法上も問題があると主張しています。

退職金問題の監査を求めて、市に出された文書(11月16日付)のポイントはいくつかあります。その内容を紹介する前に、議論になっている数字を押さえておきます。退職金受け取りに備えて市が自治体職員退職金プール組合に払い込んだ金額=624万円、規定による1期分の市長退職金=2040万円―です。

ポイント1は、市長は22円しか受け取らず、市が払い込んだ624万円はムダになったのだから、市は市長に624万円の損害賠償を求めよ―。その2は、退職金制度では2040万円もらえることになっていたのに、受け取らなかったのだから、市は退職金プール組合に払い込んだ624万円を返してもらえ―。その3は、そもそも22円条例が問題なのだから、市は同条例が違法であることを認めよ―。いずれも面白い視点です。

順番が逆になりましたが、ポイント3の違法性は、公職の候補者は寄付行為をしてはいけないとしている公選法199条3に照らして、22円退職金は市に対する寄付(金額は624万円マイナス22円)に当たるから違法だ、という主張です。監査結果はどうなるでしょう? センタービル問題の方は、コラム113「五十嵐つくば市長 今度は被告席に」(8月16日掲載)をご覧ください。

つくば市民は市長に軽く見られた?

この問題についてはコラム91「つくば市長の退職金辞退に違和感」(2020年10月5日掲載)でも取り上げ、「五十嵐さんは選挙での『受け』を意識して、2016年の市長選で市長退職金廃止を公約、20年の市長選を前に公約を実行に移したのでしょう。廃止公約が市長選ではプラスに働き、公約を守らないとマイナスに作用すると判断したようです」と指摘しました。言い方は違いますが、市民グループの先の受け止め方と同じです。

退職金辞退は一種のポピュリズム(大衆迎合的な政治スタンス)であり、つくば市民は五十嵐さんから軽く見られたのではないでしょうか?

ある市長からこんな話を聞きました。五十嵐さんが22円退職金について記者発表(2020年6月5日)する直前、SNSの県南市長情報交換欄にその旨通告があったが、他の市長からは「賛」はもちろん「否」のコメントも出ず、白けムードが漂ったというのです。皆さん、対抗馬にこんな公約を出されたら、施策を競うべき選挙が歪(ゆが)んでしまうと思ったようです。(経済ジャーナリスト)

やっかいな「完璧主義」《続・気軽にSOS》98

0

【コラム・浅井和幸】心理相談をしていて、頻繁に出てくる自己評価に「完璧主義」というものがあります。「自分が苦しいのは完璧主義だからです。それが悪いのは分かっているのですが、やめられないんです」という感じですね。

きっと元気なころは、完璧に仕上がるようにやり抜こうという強い意志で、様々な物事に対処してきたのでしょう。そして、それがうまく機能していた。しかし、そうそう完璧に物事をやり遂げられることが続くとは限りません。

そのうち、完璧じゃなくても物事を先に進めなければいけない場面に出くわすでしょう。それは、締め切りなのか、体力なのか、技術なのか、認識なのか―何かしら有限の壁にぶつかります。

何とかできる範囲で仕上げようと、適当なところで切り上げられればよいのですが、できないと心身ともに疲労が蓄積されていきます。その疲労のため、完璧にやり遂げようではなく、完璧にできないのであればやらないという考えや行動につながります。心身のストッパーが効いて、考えや行動ができなくなる状態です。

「なんとかなるさ」「適当に行こう」

それを、さらに無理して動いたり考えたり、完璧を目指すと、疲労は限界を超えます。過ぎた完璧主義は、オーバーワークになりやすいといえるでしょう。そうすると、心身にダメージを負い、適応障害やうつ病などの病を発症するかもしれません。

オーバーワークを一要因としてパニック障害となり、パニック発作を起こすかもしれません。パニック発作には、動悸(どうき)、手足の震え、発汗、息苦しさ、吐き気などが生じ、時には死んでしまうかもしれないという恐怖に襲われることもあります。

これらはある特定の場面で起こることがあり、人によって、飛行機に乗ること、車の運転をすること、テスト、舞台やプレゼンなどで緊張する場面で起こります。

それが繰り返されると、その場面を思い起こすことで発作が出ることもあります。明日仕事で飛行機に乗らなければいけないと考えるだけで、動悸が激しくなり、過呼吸を起こし、死んでしまうのではないかという恐怖に包まれるという状態です。

これらは自分1人で直そうと思えば思うほど、症状が悪化しやすいものです。適切な薬物療法と精神療法を受けるようにしてください。1000人に6~9人の人がパニック障害になるともいわれていますので、珍しい病気ではありません。

恥ずかしがらず、そして怖がり過ぎずに、病院や保健所、精神保健福祉センターなどに相談してみてください。茨城県には無料相談所があります。パニック障害は厚労省のページが分かりやすいと思います。

そして、次の呪文を唱えてみてください。「大丈夫、なんとかなるさ」「大したことない、適当に行こう」。(精神保健福祉士)

小春日和は「小野の里山」散歩 《ポタリング日記》3

0
小町の館(左)とそば焼酎「土浦小町」

【コラム・入沢弘子】畑の小道に自転車を止めて山の稜線(りょうせん)を眺めていると、パラグライダーの鮮やかなキャノピーが降りてきました。黄金色に輝くイチョウの大木。枯れ葉色の田畑でひときわ鮮やかな枝に残る柿の朱色。時間の流れがゆっくりと感じられます。土浦市小野地区は、小野小町伝説の残る地域。なだらかな山に囲まれた日本の原風景のような眺めです。

車は観光施設「小町の館」に止め、トランクから愛車「BROMPTOM(ブロンプトン)」を取り出します。館でいただいた周辺案内マップを片手に出発です。まずは先ほど見えた大イチョウを目指しましょう。

大きな水車の横の道をハイキング姿の方々に混ざって進みます。木の下にはたくさんの石碑がありました。文字や仏像が彫られたものが並んでいます。高い石に記されたのは十九夜塔の文字。道に戻り、腰掛石・朝日峠展望公園の看板に沿って進みます。木道で沢を渡ると石が現れました。小野小町が山越えの途中でひと休みしたと言われる腰掛石。三段の階段状の平坦な石は座り心地がよさそうです。

一気に坂を下り集落沿いの道を進むと、また石碑が目につきました。二十三夜塔と記されています。道の奥に見える拝殿に近づくと、日枝(ひえ)神社でした。どうやら裏口から入ってしまったようです。以前に流鏑馬(やぶさめ)を見に来たことを思い出しました。日枝神社の流鏑馬は長い参道で行われます。満開の桜の下、鮮やかな衣装で白馬に跨る射手。走りながらではなく、立ち止まって射る姿も印象的でした。

そば焼酎「土浦小町」を購入

次は坂東三十三観音第26番札所の清瀧寺(きよたきじ)を目指します。県道199号を筑波山方面に渡り、分かれ道を清滝寺の看板方向へ行くと大きな石碑が現れました。大きくカーブする道の右側に石碑群。文字を刻んだものに加え、仏像も見られます。風化して丸みを帯びて優しい表情。薄暗い坂を上っていくと、重厚感のある山門が見えてきました。

自転車を止め石段を上ります。静寂の中で本堂に参拝。大師堂の弘法大師石像は浸食もなく、はっきりとしたお顔立ちです。戻る途中に見つけた、翠巌山向上庵(すいがんさんこうじょうあん)の石碑方向に細い坂道を行くと古い石段が出現。檀家以外の入山は遠慮くださいとの貼り紙があり、引き返します。

小町の館に戻り、そば焼酎「土浦小町」を購入。今年初めて土浦市産の常陸秋そばで醸造され、新そばの時期に発売になったばかりだそうです。石仏が気になったので調べてみたら、「土浦の石仏-新治地区編-」の図録が市立博物館と考古資料館で販売されていることが分かり、帰りがけに入手しました。

2014年発行の図録によると、小野を含む新治地区には682基の石仏が確認されたそうです。石仏の所在がわかる地区別の地図や形状の説明や写真も掲載されています。来年は、新治の里の石仏を訪ねるポタリングもいいかもしれません。

焼酎のお湯割りのグラスからは、ふくよかな香りが立ちのぼっています。仏像の穏やかなお顔が思い出され、ふわっと、温かい気持ちになってきました。(広報コンサルタント)

外国語を学ぶコツ⑥ 《ことばのおはなし》40

0

コラム・山口絹記】「ところで、前回予告した通り、今回は発話における言語的な正しさ、なんてものについて話すていくンですが。まずはぢめに、あんた、この記事読んでンじゃん、今。それ、日本語を使用すること、可能ってことっしょ。ま、ネイティブなンだから全然すごいもなーんともないですネ」

コラム記事としては不適切な文章を書いてみたのだが、いかがだろう。国語学や日本語学の知識を動員するまでもない。おかしな日本語だ。文法的におかしい、語彙(ごい)の使い方が誤っている。TPOを考慮すればありえない言葉遣いだ。しかし、大まかな意味と意図は伝わってしまっているのではないだろうか。

さて、前置きが長くなったが本題に入る。

私を含めた多くの言語学習者にとって、正しい文法、正しい発音、というあいまいな概念は、発話する勇気をそぐ大きな要因になっている。しかし、上にも書いた通り、かなりおかしな言葉遣いでも相手に大まかな意味と意図を伝えるのには十分であることが多い。

今回の連載における目標はあくまで英語の上達だ。だからあえて言い切ろう。言語における「正しさ」という基準がもしも存在するとしたら、それは唯一「意図が伝わるかどうか」だけだ。

念のため断っておくが、「意味」が伝われば何でもよい、ということではない。先に書いた「意図」には、表面上の「意味」だけでなく、仲良くなりたい、理解しあいたい、などの意思も含まれるととらえていただきたい。

相手に敬意を示すためには、どうすれば失礼な物言いができるかを知っておいた方がよいし、好意を示したければ、敵意を示す方法を知っておいた方が身のためだ。さらに難解なことに、人間というのは、お互いの理解や親睦を深めるために、あえてナンセンスで誤った情報や常識を、誤ったものとして共有することを求める性質を持つ。いわゆる、冗談、ジョークというものだ。

意図を伝えるために最善を尽くす

こういったことを一番効率よく学ぶ方法こそが、今までの連載でも述べてきた、英単語の多義性や歴史、文化などを学ぶことなのだが、どちらかと言えば、机上でいくら学習しても十分でないと知ることの方がよほど大切だ。

正しいと言われる表現さえしていれば問題が起こらないなら、誰だって苦労はしない。売り言葉に買い言葉をしたことのない者はいないだろう。そのいさかいの原因は、果たして文法上の問題だっただろうか。違うだろう。母語ですらしょせんその程度なのだから、外国語を特別扱いする必要などないことは自明である。

何より大切なのは、「意図を伝えるために、どこまでも最善を尽くす」ということに他ならない。一言で伝わらなければ、時間をかけて、場合によっては一生すら賭して、辛抱強くことばを重ねる。これは母語でも同じである。いかがだろう。私の意図は伝わっているだろうか。

四の五の言わずに話し始めよう。ということだ。(言語研究者)

吾妻鑑に見る常陸守護、八田知家 《ひょうたんの眼》43

0
庭のモミジ

【コラム・高橋恵一】都道府県魅力度最下位・茨城県の地元ひいきの立場からすると、鎌倉時代から戦国末期まで、筑波地方を支配した小田氏の祖、八田知家(はった・ともいえ)の知名度を上げる必要があると思う。

知家の茨城での評価は、出自不明で旧来の支配者、大掾多気(だいじょうたけ)氏をだまして領地を奪ったなどとする評価がつきまとっている。知家の親は、宇都宮座主(ざす)の八田宗綱(むねつな)で、領域南端の五行川と小貝川が合流する手前(旧下館市)の「八田」に居館(きょかん)を置き本拠の地としていた。

源義朝(みなもとのよしとも)が下野守(しもつけのかみ)であったこともあり、八田宗綱や小山政光(おやま・まさみつ)と源義朝とのつながりは深く、小山政光の妻(寒河尼=さむかわのあま=八田知家の姉)は、頼朝の乳母になっており、知家は、保元の乱で源義朝に従って少年武者として戦闘に参加している。頼朝(よりとも)の挙兵に、小山一族や宇都宮一族がいち早く駆け付け、頼朝から信頼される御家人となった。宇都宮・八田氏一族と小山氏一族は連携して、鎌倉幕府を支える強力な勢力を保った。

頼朝は、富士川の戦いに勝利すると、まず、関東を抑えることを優先した。当時、常陸国は平氏の知行国であり、大掾多気氏を本宗(ほんそう)とする常陸平氏一族と那珂川以北を治める佐竹氏は、平家の家人として頼朝追討の指示を受けており、反頼朝あるいは日和見の立場にあった。

頼朝は、常陸国の国府まで出向いて、佐竹氏を降伏させ、鎌倉への帰途に「八田館」に立ち寄った。吾妻鑑(あずまかがみ)には、「小栗重成(おぐり・しげなり)の小栗御厨(おぐりのみくりや)の八田の館」とあるが、御厨の荘官が小栗氏であり、御厨エリアの中にある八田氏の舘を指していると読むのではないか。小栗氏は小栗に館を持っており、極めて近い八田に別の舘を持たないであろう。源頼朝が立ち寄ったのは信頼度の高い八田氏の居館とするのが自然だろう。

奥州攻めの東海道大将軍に

佐竹攻めの3カ月後に志田義広(しだ・よしひろ)の乱がおこり、小山一族が主体となり、八田知家も戦功を挙げた。志田義広の旧領の内、知家は、信太荘(しだのしょう)、南野荘を与えられ、国府を挟んだ南郡の地は、下河辺氏(小山朝政=おやま・ともまさ=の弟)に与えられた。

南野荘西端に小田があり、知家は、ここに居館を構えた。常陸平氏は、奥州藤原氏とのつながりも深かったので、下河辺(益戸=ますど)氏が国府を望む志築に居館を構えたことと併せ、頼朝政権が常陸国府、鹿島社と下野国府、小山一族の拠点、旧常陸平氏の本拠地をつなぐ交通路の拠点を抑えたということであろう。

知家は、奥州攻めの東海道大将軍となり、大掾多気氏を含む常陸の武士を率いて参戦した。また、知家は常陸の国の守護職にもなっているが、大掾多気氏との関係は、緊張が続いていた。有名な曽我兄弟の仇討の時、頼朝警護の動員がかかり、多気義幹(たけ・よしもと)は、うその動員と思い込んで参陣せず、謀反を疑われて没落した。知家の陰謀とされるが、事態の日数からすると、多気義幹の失態と考えられる。

鎌倉幕府が確立する過程で、知家の京の作法に通じた見識は、頼朝に頼られる存在であり、軍事面だけでなく、大江広元(おおえのひろもと)や三善康信(みよしのやすのぶ)などと共に幕政の中枢に存在した。知家の後も嫡子知重(ともしげ)、養子中條家長(ちゅうじょう・いえなが)、小山政光の子、結城朝光(ゆうき・ともみつ)などが幕政に参画し、主要な御家人が、北条氏などとの確執で滅ぼされた中で、政権の中枢にあり続けたのだ。(地図好きの土浦人)