金曜日, 3月 29, 2024
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原発は再開すべきか、脱・廃を目指すべきか 《文京町便り》6

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】ここ数カ月で、原発に関して、方向性の異なる判断(いまだ決定には至っていない)が、国内外で続いている。ここでは、「原発再開」と「脱原発」と区分けしておこう。

日本国内における原発に関する裁判も、方向性は異なっている。まずは、最高裁で6月17日に、東日本大震災による福島第1原発事故の避難者の集団訴訟で、国に責任なしとの判決が出た。そもそも東京電力の賠償責任は確定しているが、2審で判断が分かれた国の責任についての審理である。これは、政府の地震調査研究推進本部が2002年7月に示した「長期評価」だけでは国の法的責任は問えない、という判断である。

しかし、この判決には3対1の少数(反対)意見があり、国の社会的・政治的責任にも言及されている。ともあれこれは、条件付きながらも「原発再開」である。

他方「脱原発」は、東電株主代表訴訟で、東電の当時の経営陣5名に対する22兆円の損害賠償責任を問う裁判(東京地裁)では、4名に対して総額13兆円超の損害賠償額を認めた。判決文では、特に「水密化」(電源設備のある敷地・建物・部屋への段階的な防水・浸水対策)が、造船・潜水技術で古くから確立されていたにもかかわらず、かつ、「長期評価」(2002年7月)と、貞観地震(869年)の津波モデルの知見および予見可能性を無視したことなどに瑕疵(かし)を認めている。

EUタクソノミー、気候変動対応オペ

ところで、2022年2月下旬のロシアのウクライナへの軍事侵攻以来、資源エネルギー価格が世界的に上昇している。ロシアは、国際的な経済制裁に対抗すべく、ガスの供給・輸出の締め上げを実際に始めている。それに対抗するにはこの際、原子力の利活用が必要ではないか、という議論が浮上している。「原発再開」の復活である。

そもそも欧州議会では2021年春以降、EUタクソノミー(持続可能なグリーンエネルギーに原発とガスを含める)の事務局原案が公表・議論されてきた。

賛否両論が交錯する中、6月14日の合同委員会(環境委員会と経済金融委員会)では賛成62、反対76だったが、7月6日の本会議では賛成328、反対278、棄権33と逆転し、原発とガスをEUタクソノミーに含めることが決まった。ただし、オーストリアやルクセンブルグは提訴を表明している。ともかく、欧州議会の方針は「原発再開」である。

他方、日銀は、「気候変動対応オペ」を2021年6月以降検討していたが、同年12月、金融機関からの応募を受け付け、24日、資金供給を実施した(複数の地銀への2兆円超)。この制度の期限は2030年度末で、金融機関がこの制度を利用するには、情報開示が条件づけられている。

日銀は、躊躇(ちゅうちょ)しながらも踏み切ったこの政策の狙いを「脱炭素に向けた呼び水」効果だとしている。次回オペのオファーは7月20日である。この政策は、EUタクソノミーに原発、ガスが含まれる以上、結果的には、「原発再開」を推進するだろう。

というわけで、脱炭素と脱原発に向けての政策は、両輪・両立か二律背反かのダッチロール気味である。(専修大学名誉教授)

太陽光発電に侵食される里山 《宍塚の里山》91

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里山の太陽光発電所

【コラム・片山秀策】地球温暖化対策として、二酸化炭素(CO₂)を発生する化石エネルギーから、太陽光や風力など再生可能な自然エネルギーに転換しようとする動きがあります。再生可能エネを利用する動きは、1970年代のオイルショックの後から始まっていますが、日本ではなかなか代替が進んでいませんでした。

ところが、2011年の福島第1原発事故の後、再生可能エネ利用を推し進める再エネ特措法による固定価格買い取り制度(FIT)で弾みがつき、あちこちで太陽光発電の建設が進んでいます。問題は、太陽光発電所は大きな面積が必要となるため、耕作放棄地や未利用地が使われるようになっていることです。

未利用の土地といっても、工場や住宅に使われていないだけで、大気中のCO₂を吸収する樹木が生育していて、多様な生物が生息する場所です。

樹木は10年単位で光合成により大気中のCO₂を固定しています。その樹木を大量伐採して、耐用年数が20年程度の太陽光発電所が建設されています。土浦市内にある大規模太陽光発電所を例に挙げると、約26ヘクタールの平地林を伐採して建設されました。もともとそこにあった林が何十年もかけて固定したCO₂は、燃やされたり廃棄されたりします。

再生可能エネの一つ、太陽光発電施設を造るために、大気中のCO₂を固定する森を破壊することは、本末転倒というか、大きな矛盾をはらみます。

1ヘクタール以上の太陽光発電所の設置は都道府県知事の許可、1ヘクタール未満の場合は市町村長の許可がそれぞれ必要ですが、発電量が50キロワット未満の小規模なものは届け出が要らないので、宅地のミニ開発のように、行政も住民も知らないうちに広がっていくことが心配されています。

行政への働きかけや監視を強める

実際、宍塚の里山周辺でも発電規模49.5キロワットという、規制の抜け穴を使った発電所が、地域住民も知らないうちに数ケ所できてしまいました。県や市町村によっては、乱開発を防ぐために、届け出が必要な発電所の規模を10キロワット以上としたり、住民説明会を開かせるといった規制強化の動きが出ていますが、土浦市ではまだそうなっていません。

森や林は、光合成で大気中のCO₂を固定するだけでなく、多様な生物がすむ場所となっています。その環境は、一度破壊されると元に戻すことが困難になります。

多様な自然環境に恵まれ、絶滅危惧生物が数多く生息する、宍塚の里山周辺の雑木林でも、木々を伐採して太陽光発電所の建設が始まっています。今後、里山の環境破壊を伴う乱開発を防ごうと、私たちの会は、行政への働きかけや監視を強めています。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

国蝶オオムラサキの不思議 《くずかごの唄》112

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【コラム・奥井登美子】「どんぐり山」は、2003年に霞ケ浦の水の浄化を願って、かすみがうら市の加茂に、皆で、どんぐりを蒔(ま)いた森である。1500本のクヌギ苗を植えたが、森林総合研究所の指導で、次の年には間引いて500本にした、

しかし、下草刈りが大変だった。東京の台東区の人達にも手伝ってもらって草刈りをした。ご近所の農家の人たちから、農薬を使うことを勧められたが、使わなかったのは、カブト虫など森の昆虫たちに期待したからである。農薬を使わなかったおかげで、いろいろな昆虫が発生し、2007年にはオオムラサキがクヌギの甘い汁を求めてやってくるようになった。

オオムラサキはエノキの木にタマゴを生み、4回も変身して冬を越し、かわいい角を掲げた幼虫が、その後2回も変身してチョウになる。昔は、エノキが一里塚として方々に残っていたらしいが、エノキの木も少なくなってしまった。エノキの木を、どこで、どう、ほかの木と区別してタマゴを生むのか、よくわからない。幼虫はエノキの葉だけを食べて大きくなる。

雄のチョウの、紫色のだんだら模様の色の美しさは、個性的で、芸術的。さすが、日本を象徴する国蝶(こくちょう)だと、納得する。

山の観察会では虫をムシしない

2008年から昆虫観察会が始まった。子供たちを集めてどんぐり山で昆虫を手でつかまえる。木にしがみつくカブトムシを、木からはがして、暴れる虫をゲットするときの、手の感覚と気持ちの高まりは味わった人しかわからない。パソコンやゲームで遊んでばかりの今の子供たちに、自然の虫と木の皮膚感覚を味わってほしいのだ。

観察会での私は救急の係。2~3日前に現地に行って、森の下見をしておく。マムシとヤマカガシはいるかいないか確認。マムシはそっとしておくと逃げてくれるけれど、ヤマカガシは個性的なヘビで、木の上にいたので突いたら、顔に飛びついてきたりする。

ハチも、子供たちが刺されたら困るので確認。さわらないように注意する。注意しているのに刺されてしまう子もいる。

山へ行く時に欠かせないのが冷たい滅菌水。私は日本薬局方の精製水を冷やして救急箱に入れておく。虫に刺されたら、すぐにジャブジャブ洗って、泥を流し、虫の刺口の液を、ぎゅうぎゅう洗ってしまう。そこに強ステロイドのクリーム、または液をすり込む。

軟こうは効くまで時間がかかるので、救急には向かない。1時間ぐらいたって、まだ赤くて腫れていたら、もう一度ステロイドを塗って、様子をみる。山の観察会には虫をムシしない救急係が必要なのだと思う。(随筆家、薬剤師)

茨城にあるすばらしい里山へのあこがれ 《遊民通信》45

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石岡の里山

【コラム・田口哲郎】

前略

先日、石岡の辺りを車で通ったら、梅雨空が晴れて、深い緑の里山が明るくなりました。その光景があまりにもきれいなので、助手席から写真を撮りました。茨城県は魅力度最下位などと言われますが、こんなにきれいな里山があるのはすばらしいと思います。里山なんて日本の田舎にはどこにでもあるよ、と言われそうですが、どこにもあるなら、こうした里山をわざわざ京都の大原に見にいかなくてもよいわけで、「灯台下暗しはよくないな」と反省しました。

里山は日本の原風景だと言われます。江戸は大都市でしたが、パリのような近代的な西洋型の大都市がいまの形になったのは、19世紀の後半ですので、明治初期に重なります。要するに、パリ、ロンドン、東京のような、みんながすぐに思い浮かべる大都会ができたのは、たかだか150年前で、日本人が長い間住み、命をつないできたのは、里山のような農村だったと言えます。

私は転勤族の核家族家庭で育ちましたので、いわゆる新興住宅地しか知りません。ですから、里山のようなところにあこがれます。父母の実家は古くから里山にある家ですから、盆暮に親戚宅に行ったときは、その生活が垣間見えました。いわゆる田舎には、いまも古くからの共同体が残っています。超高齢社会ですから、衰退傾向にあるようですが、それでもまだまだ神社の氏子やお寺の檀家のつとめは行われているようです。

里山の共同体とは何だったのか?

田舎に移住するのがはやっていますが、都市生活者が田舎に住むと、田舎の生活の忙しさに驚くそうです。町内の寄合や入会地の草取り、寺社仏閣の行事や維持管理、消防団の訓練、地域の祭りの準備などなど。里山はつくり込まれた自然なので、維持管理が大変なのでしょう。住人の協力が必要です。

そうすると、人同士のつながりが生まれます。いままで日本は経済大国として突っ走ってきましたが、そうした人間同士の絆を古くさいものとして切り捨て、個人を尊重する個人主義がはびこりました。その結果、日本の共同体は崩壊しました。一見面倒くさく見えるつながりは、実はセーフティーネットの役割を果たしていましたので、それが無いところでは個人は孤独になります。そうすると不安になり、病んでしまう可能性も高くなります。

人間同士のつながりに大切なのは、利益になるとか、ためになるとか、お互いに成長できる関係ばかりではなく、お天気の話しかしないけれども、気楽につながっていられる気楽さが基本にあることではないでしょうか。

それは日本のどこにでもある里山のようにありふれた、地味なものかもしれません。珍しくもないからといって軽視すると、いつの間にかなくなってしまうものです。特に新興住宅地に住むような、共同体を持たない、さびしい人々をケアしてゆくには、今こそ、共同体が必要だと思います。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

「気韻生動」という写真集 《写真だいすき》10

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「気韻生動」から、雪の日の旧土浦中学本館

【コラム・オダギ秀】またまた昔の話で恐縮してしまうが、古い写真集の話をする。ボクにとっては貴重な写真集で、見ていると、つい涙してしまうのだ。

「気韻生動(きいんせいどう)」という写真集がある。(この意味は、気品がいきいきと感じられること=広辞苑)

旧土浦中学(現茨城県立土浦第一高校)の、まさに気韻生動なゴシック本館を、昭和30年前後に卒業した奥村好太郎氏と大久保滋氏が6年にわたって撮影し、設計をした駒杵勤治(こまぎね・きんじ)と建築を請けた石井権蔵(いしい・ごんぞう)とにささげた写真集である。小さな自費出版写真集なのでほとんど知られていない。だが、この写真集からあふれる熱い思いには、ボクはいつ見ても、涙するような気持ちになるのだ。

「気韻生動」と名付けられたこの写真集は、昭和63年以来撮影され、平成6年に刊行された。

旧土浦中学校本館は、明治37年、駒杵勤治氏によって設計され、石井権蔵氏によって建築された美しいゴシック様木造建築で、90年にわたり勉学の場となっていて、昭和51年、国の重要文化財に指定された。質実剛健の時代に、この建築の斬新さ、美しさはひときわ魅力的であったろう。

今なおきちんと保存されており、この地には、この校舎で学んだという者が少なくない。だから、奥村、大久保の両氏が、雪の日の1枚、夜の1枚、花の1枚、枯れ葉散る1枚に、光に影に、どれほどの熱意を込めて撮影されたのかと思う。この校舎で学び暮らした筆者(卒業生)も、ここにこそ自分の青春があったという思いに駆られ、つい涙してしまうのだ。

四季の移ろい、桜散る学び舎、樹木のやすらぎ、凛(りん)然とした教室の1枚1枚が、ここで学んだ日々を、鮮明に甦(よみがえ)らせる。

かけがえのない写真

この写真集は、昭和が終わり平成に替わった頃の撮影だから、奥村、大久保の両氏は、ひときわ時の流れを感じながらの制作であったのかも知れない。両氏の眼には、単なる校舎ではなく、自分たちの青春、いや人生の様々な場面そのものが見えていたに違いない。だから、限りない情熱を傾けて撮影されたのだろう。

写真集のなかには、雪景を撮った日の苦労話や、設計者・駒杵勤治には実子がなかったが、81歳の養女・駒杵幸子さんが広島から駆けつけられたことなどが記されている。

建築の技存分に発揮して本望ならん死したる父は 駒杵幸子(同集序から)

写真の評価は、基本的にその技術では決まらない。大切か、佳(よ)い写真か否かは、その写真を見る者、所有する者によって大きく左右されることが多い。他人には面白くも何でもない孫や子の写真が、その親や祖父母にとっては、かけがえのない大切な写真であることが少なくないのと同じだ。

土浦一高を卒業したボクらにとっては、この写真集は、自分の人生を懐かしむにとどまることなく、人生そのものを写した、大切な写真集となっている。

あなたにも、かけがえのない写真があると思う。写真は、時の証しであったり、人生の、いや人生そのものであったり、励ましであったりする。過ぎてしまった人生のシーンを甦らせてくれる人生の証しそのものなのだ。いつまでも、写真は大切にしてほしい。

「気韻生動」という写真集が存在してくれたことに、ボクはたまらなく感謝している。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

つくば市長の宿痾 総合運動公園問題 《吾妻カガミ》137

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】元研究者たちによる五十嵐つくば市長リコール署名運動(7月11日~8月10日)が進行中です。解任の理由は多岐にわたりますが、一番は「議会の議決を取らず公有地を売り払うような市長は辞めさせよ」ということです。このコラムでも何度か、総合運動公園用地売却の手順のおかしさを取り上げてきました。この際、改めて整理しておきます。

リコール運動は「変節」市長への怒り

135「運動公園用地売却…の不思議」(6月20日付)では、▽前市長がUR都市整備から用地を買ったとき、名義上の取得者は市土地開発公社だった ▽しかし、借金した用地代金の返済について、議会から「市が債務を保証する」旨の議決を得ている ▽借金の元利返済も、その予算について議会の承認を得ている ▽それなのに、売るときには議会の議決は要らないという理屈は何か変だ―と指摘しました。

129「公有地売却…『逃げ』の…市長」(3月21日付)では、「市が行ったパブリックコメント(意見募集)では、(コメントを寄せた)77人のうち売却に賛成は2人、残りは反対か対案提示か分類不可でした。2択方式(賛成か反対)で分けると、賛成はたった3パーセントです」と書きました。

125「公有地売却…市の牽強付会」(1月31日付)では、「少ないサンプルで市民の声を計るのは正しくありません。そこで提案です。市民の声を聴くため、市長発意による住民投票(総合運動公園の是非で実施)か、サンプル数が多い無作為抽出調査(土浦市との合併の是非で実施)をやったらどうでしょうか?」と提案しました。

前市長が執行部主導であったことを批判、その否定の上に発足した五十嵐市政のセールスポイントは、議会にきちんと相談する、市民の声をきちんと把握する―でした。ところが、上記3つのパラグラフで引用したように、自ら定めた市政運営の基本を捨て去り、議会と市民の意見を聴かずに市政を進めるようになりました。リコール運動はこういった「変節」に対する怒りではないでしょうか。

議会や市民を軽視し、公有地を売却

五十嵐市長にとって、運動公園問題は「1丁目1番地」のテーマです。最初の選挙で掲げた目玉公約は「総合運動公園問題の完全解決」でした。具体的には、選挙前の住民運動で破棄に追い込んだ運動公園計画の用地をURに返還する、同計画にも入っていた陸上競技場を市内のどこかに整備する―この2つです。

しかし、用地返還は失敗に終わり、跡地をどう処分するかが市政の懸案になりました。そこで捻出されたのが、一部を防災用に借り上げる条件で一括売却する処分策です。なぜ防災施設なのか分かりませんが、一括売却色を薄めたかったのでしょう。市長としては、運動公園問題という宿痾(しゅくあ=長期間にわたって解決できない困難)から、何が何でも逃げたかったようです。

ところが処分を焦るあまり、(議会と市民の声が大事という)民主主義の基本中の基本を軽んじ、市政運営の「金看板」を自ら降ろすという過ちを犯しました。

五十嵐さんは最初の選挙で、運動公園用地売買契約書に「URは市の返還要求を拒める」旨の条項があるのに、目玉公約に「用地返還」を掲げました。つまり、返還が事実上無理であるのに、よく調べないで主要公約に仕立てました。この「フェイク(虚偽)公約」が災いとなり、この6年間、運動公園問題を抱えて迷走。今度はリコール運動を呼び込むに至りました。(経済ジャーナリスト)

花火を観るなら有料観覧席で 《見上げてごらん!》4

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【コラム・小泉裕司】今月26日(火)は、3年ぶりに開催される「ぎおん柏崎まつり海の大花火大会」(新潟県柏崎市)への初参戦を予定。今シーズンは、4月末の秋田県大仙市大曲での開幕2連戦(5月14日付コラム)を幕開けに、6月の宮城県亘理町(6月19日付コラム)に続き、アウェー4戦目となる。

新型コロナ感染対策で中止が相次いだ全国各地の花火大会が、「3年ぶり」を合言葉のように次々に開催日程を発表し、観覧席の販売を開始した。このまま夏の花火シーズンに突入すると思いきや、「第7波」がやってきた。喜びもほんのつかの間となってしまうのか、新規感染者数の推移が気にかかる。

さて、花火大会主催者は、花火会場のベストロケーションに有料観覧席を設置するが、人気のある大会の場合、この「チケット」を求めて花火ファンが門前に列をなす。「宿」や「交通手段」とともに「花火旅」の三種の神器だ。

その販売方法は、地元に配慮した現地販売に加えて、遠隔地からも購入可能なネット販売を併用するパターンが多いが、茨城県外の現地販売に並ぶのは現実的に難しい。おのずからネット申し込みとなるが、これも「長岡花火」のような抽選方式もあれば、「大曲花火」のような先着方式もある。

抽選方式には家族や友人名義での複数応募、先着方式の場合は長年培った「瞬札技」を駆使することになるが、それでもアクセスが集中しパソコン画面が停止することもしばしば。過去、購入することができず鑑賞を見送ったこともあるが、今シーズンは幸いにも高勝率に恵まれている。

「プラチナチケット」を眺めながら

一方、茨城県内の花火大会は原則、現地販売に行列することにしている。先日、「いなしき夏祭り花火大会」(稲敷市)の「さじき席券販売」に並んだところ、例年の3倍となる120人が訪れたとのことで準備した整理券がなくなり、事務局が「来年は募集方法を再考したい」というほどの人気。

今月3日の全国花火競技大会(大曲の花火)の場合は、隣県からも訪れた800人が行列したとのニュースを聞いて、ネット販売に回る残席数が気がかりだったが杞憂(きゆう)に終わり、希望の席をゲットすることができ安堵したところだ。

過去、土浦市役所に奉職していた頃は、桟敷席購入のための抽選券配付に早朝から霞ケ浦文化体育会館(土浦市大岩田)に並び、当日知り合った行列仲間とともに当落に一喜一憂したものだ。こうして手に入れた「プラチナチケット」をよなよな眺めながら、大会当日への気分を醸成していくのが私の花火鑑賞の王道であり、この信条は今も変わらない。

こうした花火大会に向けたルーティンがある限り、私の「慢性煙分依存症」の治癒は、ほど遠いようだ。

故三浦春馬さんも土浦花火ファン

明日7月18日、土浦市出身の俳優三浦春馬さん(享年30)の三回忌を迎える。今も全国各地から多くのファンが聖地「土浦」を訪れている。春馬さんの逝去3カ月前に発行した「日本製」(ワニブックス)は、各地のメード・イン・ジャパンを訪ねた雑誌連載を書籍化したものだが、文中、土浦の花火の魅力を語っている。子どもの頃から親しんできた花火を観るために、上京してからも都合のつく限り帰ってきたという。

それぐらい土浦の花火が好きだった春馬さんは、いつも見ていた高台ではなく初めて桜川の河川敷で見たときは心から感動したそうで、「まだ土浦全国花火競技大会を見たことのない方は絶対に足を運んでほしいですし、茨城の誇りを見に来てほしいです!!」とコラムを結んだ。

一度も会場を訪れたことのないあなた、春馬さんの言葉を信じて、今年こそ会場に足を運んで、花火を見上げてみませんか。本日はこの辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

前提条件の大切さ 《続・気軽にSOS》113

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【コラム・浅井和幸】若いころに車で人を迎えに行くことがありました。今、〇〇ビルの右側にいるとのことです。ビルの右と言っても、ビルに向かって右なのか、ビルを背にして右なのかが分からないと、車をどこに停めて行けばよいのか分かりません。

しつこくビルに向かってなのか、背を向けてなのかを聞いたら、右側だと言ったら右側だと怒られてしまい、そのまま電話でケンカになった覚えがあります。私も若く、今よりももっと短気でした。恥ずかしい思い出です。

今でも相談を受けるとき、大切なポイントだと思うところは同じ質問を繰り返すことがあります。例えば、「不眠症なので、眠れるようになりたいんです」と眠れない悩みの相談を受けたときは、どのように眠れないのか、それは精神科病院などでの診断名なのかをお聞きします。

寝付けないのか、途中覚醒するのか、朝方目が覚めてしまうのか、どのように寝にくいのか、昼間に強い眠気が出るとか、それが生活にどのような支障が出ているのか―などをお聞きします。

こういった質問をするのは、前提条件として、今の立ち位置が分からないと、「眠れるようになる」という目標に向かうための方法が見つけにくいからです。

場合によっては、人は8時間以上の睡眠を取らなければいけないという思い込みから、8時間眠り続けられない日があるから、不眠症なのだと思い込んでいる人もいます。こういった人は、今のままでも問題はありません。

また、不登校で困っているという相談では、どれぐらいの不登校なのかを聞きます。布団からも出られず、ほとんど家族とも話をしないのか、保健室登校なのか―などです。

酒飲み話なのか、改善したい悩みなのか

前提条件、現在の立ち位置といってもよいと思いますが、それを正確に把握した方が、具体的な対処がしやすくなります。不登校とか不眠症とかのざっくりとした表現では、どこにいるかが分からないのです。

朝早く起きたいというのは何時に起きたいのか、力が強くなりたいというのはどれぐらいの重さを持ち上げたくて、今はどれぐらいの重さを持ち上げられるのか、自由に生きられないというのはどのような状態なのか、普通に生きたいとはどのような生き方なのか―などなど。

お茶会や飲み会での雑談であれば、むしろ、前提条件がずれていた方が盛り上がるかもしれません。恋とは何だ、愛とは何だ、ひいきの野球チームが負けた原因は何か―など、前提条件がブレブレの方が、「あーでもない、こーでもない」と楽しい話ができるでしょう。

さて、あなたが今取り上げたい悩みは、酒飲み話なのか、真剣に取り組み改善したい悩みなのか、もう一度自分に問いかけてみてください。(精神保健福祉士)

ジュネーブに行ってきます 《電動車いすから見た景色》32

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【コラム・川端舞】障害者権利条約は、障害者が社会のあらゆる場面で他の人と平等に生活する権利を規定している。日本が障害者権利条約を守っているか、国連の障害者権利委員会が審査する会合が8月、国連ジュネーブ本部で開催される。その会合を傍聴するために、スイスのジュネーブに行けることになった。

日本を審査する国連障害者権利委員会の委員は、ほとんどが世界中から選ばれた多様な障害者だ。日本からも多くの障害者がジュネーブに向かい、国内の障害者の権利について現状を障害者権利委員会の委員に伝える。

障害者権利条約は、「私たちのことを私たち抜きで決めないで(Nothing about us without us)」を合言葉に、世界中の障害当事者が参加して作成され、2006年に国連で採択された。そんな当事者主体の条約に基づき、世界と日本の障害者リーダーが自分たちの権利を話し合う場に、私も参加できるのだ。

国連審査傍聴に向けて、権利条約や審査の流れを改めて勉強し直しているため、国連審査の詳細は8月のコラムで説明したい。そのコラムが掲載されるときには、私はジュネーブにいるはずだ。

経験値を増やす絶好のチャンス

国連審査を傍聴するまでの旅路は初めてのことだらけだ。まず人生で初めて、航空券を自分で予約した。自分と介助者の航空券を間違えないように、緊張しながら予約する。今回は他の車いすユーザーも一緒に行くこともあり、旅行代理店の方も慣れているようで、私が車いすを利用していることを伝えると、すぐにどの書類を提出すればいいか教えてくれた。

私は介助者と一緒に飛行機に乗ったり、10日間も介助者と旅をするのも初めてで、楽しみ半分、不安半分なのだが、自分以外にも多くの障害当事者が同じような日程でジュネーブに行くと思うと、少し安心する。

障害があると「失敗するとかわいそう」「大変だから無理にやらなくていいよ」と言われることも多く、いろんなことに挑戦する機会が少なくなってしまいがちだ。しかし、新しく挑戦したことが思っていた以上に面白く、自分の世界が広がることもある。新しい挑戦を応援し、見守ってくれる人たちがいるおかげで、私の世界は広がり、好きなことがどんどん増えていく。

これから私も障害当事者として多くの経験を積んで、他の当事者が新しいことに挑戦するのを不安がっているときに、「こうすれば大丈夫だよ」とアドバイスできる存在になりたい。そのために経験値をどんどん増やす絶好のチャンスが、この夏やってくる。(障害当事者)

トナリエ・スクエアの「ベリーベリーカフェ」 《ご飯は世界を救う》49

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【コラム・川浪せつ子】TXつくば駅そば、トナリエつくばスクエアのフードコートに、「ベリーベリーカフェ」さんはあります。以前、図書館の帰りに同じ階のパン屋さんに寄り、駐車券をもらいお茶していました。コロナ下、お客さんが減ってしまったのか、そのパン屋さん(2020年9月17日掲載)は閉鎖。困ったなぁ~と、フードコートで初めてお茶してみました。それが、結構よかった!

それ以来、「ベリーベリーカフェ」さんのファンに。はやりは少し陰りましたけど、タピオカ入りのミルクティーを注文。とてもおいしいのですが、ちょっと難点が。タピオカを太いストローで吸い込むとき、細かく砕けた氷を一緒に吸い込んでしまう…。コレ、とっても残念な感触。タピオカのクニュクニュだけを、味わいたいんだけどなぁ~。

ほかのお気に入りは、コーヒーフロート。アイスコーヒーの上に、アイスクリームが浮いています。このお店のアイスは、丸いアイススプーンでアイスを載せたもの。ほかのお店では、ソフトクリームを載せるバーションもありますね。どちらもスキです。

イラスト、食欲をそそりますか?

そして今回は、「ハンバーグ・オムライスセット」というダブルでおいしいというものを、注文してみました。ちょうど、私が属しているグループの展覧会がつくば美術館であり、午後のお当番の前に。そして、絵が映えるように、シュワシュワのメロンソーダー、スープとセットです。

描き始めたのはよかったのですが、色塗りの段階で苦戦。卵の上には、デミグラソース。茶色のもので、こういう分散型のソースって難しいのです。ハンバーグはやめておいて、ただのオムライス(これは赤いケチャップだった!)のほうが、映えたのではないか? でも、もうこれでやるしかない、と頑張りました。

このイラスト、食欲をそそりますでしょうか? スケッチを見て、「うまそう!」「食べたい!」と思っていただけ、それだけで幸せな気分になれる絵を描きたい。そう思っている毎日です。

このお店には、ワッフル―甘いのと食事タイプ―もあります。品数も多いので、これから、楽しみ、楽しみ ♪(イラストレーター)

スイカの苗から変なものが… 《ハチドリ暮らし》15

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スイカだったはずなのに…

【コラム・山口京子】思わぬ出来事がありました。今春、畑に、ジャガイモ、ナス、きゅうり、ピーマン、ネギ、玉ネギ、枝豆、インゲン、トウモロコシ、スイカの苗を植えたところ、なんと、スイカの苗についた実は、ウリというか、冬瓜(とうがん)というか、ひょうたんというか、よくわからないものだったのです。

確か、店で買ったときは、苗ポットにはスイカの写真が付いていました。昨年もこの店でスイカの苗を買い、スイカを食べることができたのに…。今年は、どこでどう間違ったのでしょう。苗がスイカではなかったと考えるしかありません。それとも突然変異なんてことがあるのでしょうか。このわけのわからない実がどこまで大きくなるのか、様子見の状態です。

目的のものと実際のものが違っている場合は、目的のものをくださいと言う権利が消費者にはあります。けれども、お店と交渉するにしても、買ったときのレシートもポットに付いていた写真もありません。すでに数カ月も時間が経過しています。こんなことが起きるなんて思ってもみなかったので、証拠となるものは何も取っておきませんでした。

知らないために不利益を被ったら

今回は小さな出来事でしたが、大きな契約では諦め切れないことも出てくるでしょう。それれで、以前聞いた話を思い出しました。

ある方の家に保険会社の営業員が訪問してきて、「いい保険ができたので、今持っている保険を下取りして、新しい保険に入り直しませんか」と勧めたそうです。新しい保険のいいところの説明がありました。それならと、新しい保険に加入しました。古い保険を新しい保険に移す、転換というやり方です。そのときはなんの疑問も抱かなかったそうです。

数年後、保険について勉強するセミナーに参加し、予定利率の高かった保険を解約し、予定利率の低い保険にされていたことに気づいたそうです。予定利率のことや転換の仕組みを知っていたら、転換はしなかったと言っていました。

知らないために不利益を被ってしまうことがあります。保険会社と個人では、情報の質や量に大きな差があります。民法は対等な個人(私人間)を想定していますが、保険会社と個人の関係では、個人が弱い立場に置かれることが少なくありません。

その格差を是正し、個人(消費者)の権利を守るための法律があります。消費者法といわれるものです。消費者トラブルで困った場合は、行政の消費生活センターに相談することをお勧めします。(消費生活アドバイザー)

人間は作る生き物「ホモファーベル」 《続・平熱日記》113

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【コラム・斉藤裕之】美術大学の学生にとって美大受験の予備校の先生はいいアルバイトになる。私も随分長い間しばらく住んでいた埼玉の予備校にお世話になった。日曜日のコースには栃木や群馬から高校生がやってきた。当時は彼らの北関東訛(なま)りが新鮮だった。

その中の1人の女の子の話。出会ったのは彼女が高校生の時。さすがに現役とはいかなかったが、才能と努力で後に芸大に見事合格した。最後に会ったのは我が家を建てた直後に引っ越しを手伝いに来てくれた時だから、ちょうど20年前になる。それからしばらくして、実家のある那須に生活の拠点を移したこと、数年前から牛舎を改築してなにやら始めたところまではSNSで知っていた。

その牛舎が見事なカフェに生まれ変わって、その様子がテレビで紹介されるという。私はそれまでその番組を知らなかったのだけれど、古い建物をリフォームしてカフェを営んでいる方々を取り上げている番組らしい。古い建物やリフォームは私の大好物である。牛舎としては珍しい入母屋(いりもや)のつくりや、かわいらしい建具なども興味深く拝見させていただいた。

番組の中で、彼女は旦那さんと共にこのカフェに生きがいを感じているのがよく分かった。いつか大きなタケノコを送ってくださった、ご両親のお顔も拝見できた。そして東日本大震災を機に彼女が故郷に帰り、その魅力に気づいたことを知った。故郷を愛し故郷に生きる彼女の姿を見て、応援したいと思った。

1日ひとつでもいいから何か作る

少し迷ったが、放送後にSNSに簡単なコメントを送った。すると「先生が『人間は作る生き物』と言われたことを今でも覚えていて…」という返信があった。これはホモサピエンスという人間の学名に対して、「人間は本質的に物を作ることにおいて人間である」という概念で人間を定義したもので、「ホモファーベル(つくるひと)」という言葉に由縁している。

それを恐らく何かの時に口にしたのだと思うのだが、彼女がこの言葉を大事にしてくれていたということに感慨深くもあったが、実はこの言葉を聞いて意表を突かれたのは私自身だった。

この4月、日雇い先生をする学校で生徒に向けた自己紹介文を書くように言われたので、急いでパソコンに打ち込んだ。「1日ひとつでもいいから何か作ろうと思っています。文章でもご飯でも、友達でも」。何とも腑(ふ)抜けた自己紹介だが、つまり私自身無意識に「ホモファーベル」であり続けたいと思っていたということだ。

言葉が消えていくものでよかったと思う。良くも悪くも。言葉ひとつで仲良くなったり険悪になったり。でも何かの折に心に引っ掛かった言葉が何十年も生き続けることもある。那須には大学の研修所があったので、何度か出かけた思い出の地だ。しばらくぶりに尋ねてみようか。北関東訛りにも少しは免疫ができたことだし。(画家)

最高裁の裁判官は結局国の番人? 《邑から日本を見る》115

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除草が終わった田んぼ

【コラム・先﨑千尋】東京電力福島第1原発事故で避難した住民らが、国に損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第2小法廷は先月17日に「津波対策が講じられていても、事故が発生した可能性が相当ある」とし、国の賠償責任はないとする判断を示した。

この判決をテレビのニュースで聞き、新聞を読み、原告らの怒りと落胆、涙する姿を見て、最高裁の裁判官は国民の側に立つのではなく、国の番人なのではないか、と考え込んだ。

今回の判決は、福島、群馬、千葉、愛媛の各県で起こされ、福島、千葉、愛媛では高裁が国の責任を認め、群馬だけが国の責任を認めず、司法判断は割れていた。このため、最高裁が今回統一判断を示したもの。法務省によれば、今回の訴訟を含めて、国に対して賠償を求めたのは約30件あるという。

原発が立地する福島県からの避難者はピーク時には16万人を超え、この4月時点でも約3万人が避難生活を続けている。

判決の骨子は、「国が東電への規制権限を行使していれば、事故が起きなかったとは認められない。国が2002年に公表した地震予測の『長期評価』を前提とした津波対策を東電に命じても、津波の到来による大量の浸水は避けられなかった」など。今後の判決は、今回示された判例に沿って出されることになろう。

原発は典型的な「国策民営」の事業だ。国が方針を決め、民間企業の東電や関西電力などが発電所を持ち、運営する。福島の事故後に当時の東電の清水社長は「福島第1原発は、国に許可していただいている原発だ」と発言している。先日、北海道知床沖で観光船沈没事故を起こした知床観光の桂田社長も「許可していた国も悪い」と発言していた。それと同根か。

判決は、津波対策を講じていても事故は防げなかったとしている。そういう論理なら、東電にも責任がないということになるのではないか。一体、誰の責任だというのか。

国に忖度してこのような判決?

3・11の時、東海村にある日本原電東海第2発電所は、1週間前にポンプ周りの擁壁のかさ上げが終わり、重大事故にはならず、辛うじて助かった。防潮堤があっても津波の高さは想定を超え、事故は防げなかったという判断ではなく、東海第2でもわかるように、事故が発生しないような対策を講じることはできたはずだ。

私たち国民の生命や財産を守るために国は責任を果たしたと言えるのだろうか。判決は、どのような対策を講じれば事故を防げたのか何も示していない。

原発推進政策は、これまでも、そしてこれからも、国のエネルギー基本政策に位置づけられている。最高裁が原発国賠訴訟(福島原子力発電所事故に伴う国家賠償請求訴訟)で国の法的責任を認めれば、原発推進政策の見直しが求められる。今回の裁判官は、下級審の事実認定を踏まえず、先に結論ありきとした。

最高裁の人事は内閣が決める。今回の判決は、国策の誤りを認めず、被害を受けた住民の救済を考えず、国に忖度(そんたく)してこのような判決を下したとしか思えない。救いは、4人の裁判官のうちの1人の三浦守裁判官が、判決文で30ページに及ぶ反対意見を述べていることだ。(元瓜連町長)

基本を繰り返す 《つくば法律日記》22

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堀越さんの事務所があるつくばセンタービル

【コラム・堀越智也】中学1年生の頃から、ボクシングが好きで、当時は日本で放送された試合は全てビデオに撮り、ボクシング雑誌を隅から隅まで読んでいた。当時世界チャンピオンだった、大橋秀行さんが会長を務めるジムの井上尚弥選手の先日の試合も当然見た。1カ月たった今でも余韻が残っている。

どうしてあんなに強いんだろうと考えながら過ごしている。挙げれば数えきれないだろうけど、その中でビジネスマンとして何か吸収できないかと考えた時に思い浮かぶのが、基本を大切にしているところだ。

ガードを高く構え、パンチを打ったら、すぐにガードの位置に戻す。日ごろの練習でも基本を何度も繰り返す。基本となるステップは、子どもの頃から欠かさずに続けているらしい。

そういえば、司法試験も新しい理論や判例の勉強よりも、基本を何度も繰り返した人が合格する。いろいろな本を読むよりも、同じ本をボロボロになるまで繰り返した方が実力がつく。

社会人になって、何か新しいことを勉強する時も、基本となる本を飽きるほど何度も何度も読むと、だんだん初めて触れた時と全然違う感覚になっていき、昔から知っていたことみたいになってくる。

コラム締め切り厳守も基本

基本が大事であることは、子どもの頃から言われ続けているのに、なぜ人は基本を繰り返すことを忘れてしまうのだろう。たぶんそれは、基本は淡泊でつまらない、同じことを繰り返すと飽きてくる、優秀な人を見ると基本以外の派手なところが目立ち、基本が重要と感じなくなる―などなど。

一流のプロの世界でも、基本を大事にしているかどうかで結果が変わると思われるのだから、自分もたくさん基本を怠っているだろうと思い、見直せることがないか、考えてみた。

まず、日々の仕事や勉強で、本を繰り返し読んでいないことがある。人の悪口を言わないかと言えば、多分たまに言っている。元気に明るく挨拶をしているかと言えば、そうでないこともある。ビジネスマンとして反省すべきは、時間を守らないことがあることだ。このコラムの締め切りも、十分反省すべきだ。

ただ、基本を守れていないのは、自分だけではない。暴力がいけないことも、民主主義が守られなければならないことも、子どものころから基本であることとして教わってきた。それでも、人間はそんな大事な基本を忘れてしまう生き物らしい。憎しみは何も生み出さないことも基本だと思うから、「罪を憎んで人を憎まず」―元首相の銃撃事件について頭を整理したい。(弁護士)

琵琶湖一周「ビワイチ」を走ってきた 《夢実行人》10

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右は竹生島・宝厳寺の御札

【コラム・秋元昭臣】5月下旬、ビワイチ(琵琶湖一周サイクリング)走って、改めて自然のままの「カスイチ」(霞ケ浦一周サイクリング)に良さを感じました。「ビワイチ」は一般道であり、自動車に追われながら走りますが、「カスイチ」は全走路のほぼ半分が専用道路になっていて、車を気にしないで走れるからです。

また、「ビワイチ」は一般道路との交差点が多く、徐行しないで走る車が結構あり、とても危険を感じました。京都市内では、歩道の中に幅の広い自転車レーンがあり、ビックリしたものです。

車道脇にブルーラインがあるのは「ビワイチ」も「カスイチ」も同じですが、大きな矢羽根印が「ビワイチ」にはありませんでした。交差点では誘導ラインが切れてしまうので、曲がる場合、表示を見落としてしまうと、戻って出直すことに。これは「カスイチ」も同じですが…。

「ビワイチ」では、スマホのガイドは使わず、路面標識だけで走りました。案内地図には到着時間など記入もでき、休憩時に走行作戦を立てました。宿泊は、長浜と京都の2ケ所で、バイク野郎の宿「ライダーハウス」を利用。利用者は若者が多く、1畳1人で雑魚寝。宿泊料が安いのにはビックリ。

琵琶湖いろいろ:霞ヶ浦との比較

▽古代湖(世界に20しかない大昔の湖)で深い。海跡湖の霞ケ浦は浅い。水面は霞ケ浦の3倍の670平方キロ。平均の深さは霞ケ浦と同じ4メートルだが、北湖には最大深さ104メートルのところも。近年はヘドロ堆積が見られるそう。

▽「ビワイチ」の長さは200キロ。「カスイチ」+「つくばりんりんロード」=180キロ。「りんりん」も足せば、いい勝負。

▽透明度は悪くても2~8メートル。昔は霞ケ浦も10メートルぐらいあったが、今は0.6~2.5メートル。COD(水の汚れの指標、小さい方がきれい)は2.4mg/L。これは泳げたころの霞ケ浦の3分の1。琵琶湖にはかなわない。

▽京都・大阪・兵庫の水がめになっており、貯留量は270億立方メートルと、霞ケ浦の30倍。流入河川数は450本(霞ケ浦は56本)。鈴鹿、伊吹、野坂、比良山地からきれいな水が流れ込む。港の数は、大型港4、その他港65。霞ケ浦は150以上あるが、大型港は2つだけ。

▽観光船運航会社は、「大津汽船」をトップに4社。霞ケ浦は「ラクスマリーナ」「常陽観光」の2社。こちらも琵琶湖が上。

▽湖岸には砂浜が多く、水泳場やキャンプ場が多い。湖内の2島=竹生島(神様の島で人は住めない)と沖島へは、定期船が運航されている。(元ラクスマリーナ専務)

サイクリストの宿 《日本一の湖のほとりにある街の話》1

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【コラム・若田部哲】このコラムは、日本一の湖・霞ケ浦にまつわる様々なコトやモノを紹介する欄です。「日本一は琵琶湖でしょ」と思ったそこのアナタ。もちろん正解ですが、それは面積の話。一般に「霞ケ浦」と呼ばれているのは霞ケ浦の一部(西浦)で、北浦や外浪逆浦(そとなさかうら)といった水域を合わせると、「周長」日本一は霞ケ浦なのです。

この霞ケ浦周囲と、隣接する筑波山とを巡るサイクリングコースが「つくば霞ケ浦りんりんロード」として、2019年、全国で3カ所しかない「ナショナルサイクルルート」に選定されました。

霞ケ浦の水際線の変化

今回は、このサイクルルートの起点となる駅ビル「プレイアトレ土浦」内に、2020年、オープンした「星野リゾート BEB5(ベブファイブ)土浦」をご紹介。総支配人の大庭祐太さんにお話を伺いました。

合言葉は「ハマる輪泊」

BEB5土浦は、高級リゾート「星のや」をはじめ、様々なブランドを展開する星野リゾート初の、自転車を楽しむホテルです。

合言葉は「ハマる輪泊」。本格的サイクリストから、普段自転車に乗らない人、ビジネスマンまで、幅広い人それぞれが気軽に楽しめるホテルになっています。

気軽さ・手軽さに重点を置いており、フロントで予約のQRコードを読み取らせれば、チェックインは完了。小径車とクロスバイク2タイプの電動自転車を貸し出しているため、手ぶらで来て、気軽にサイクリングが楽しめます。

その一方、本格的なサイクリスト向けの自転車用メンテナンススペース、自転車関連サニタリーなどにも抜かりがありません。 また、館内に自転車を持ち込めるため、盗難の心配は皆無です。

「BEB5土浦」のサイクルルーム

客室は性格が異なる3タイプ。1つ目の「サイクルルーム」は、本格的サイクリスト向きの部屋。部屋内の壁にサイクルスタンドが設置されており、向かい側のガラス張りの浴室から、お湯に浸かりながら愛車を眺めるなんてことも可能です!

2つ目が「ヤグラルーム」。畳敷きの部屋の中央に、上がロフトベッドになっている櫓(やぐら)が組まれ、その下は大きなソファとなっている、皆でワイワイと楽しむのに最適な空間です。

3つめの「ダブルルーム」は、ビジネスにも使用しやすい、シンプルで居心地の良いスペース。いずれのタイプにも、さりげなく自転車的モチーフが散りばめられている演出が心憎いところです。

カジュアルな素材を用いつつも、細部まで計算されたプロポーションや、要所に配された名作什器(じゅうき)により、館内のどこを切り取ってもSNS映えする空間となっているのも、さすが星野リゾート。

居心地の良いスタイリッシュな空間だけでなく、季節を通して様々なアクティビティが用意され、何度も来たくなる、まさに「ハマる輪泊」が用意されています。

地域文化こそ最大の資源

自転車を楽しむホテルだけに、スタッフはみな相当なサイクリストぞろいかと思いきや、必ずしもそうでもないとのこと。逆に、そうしたスタッフの意見から生まれたアクティビティもあるそうです。

例えば、今夏開催の「朝活ブルーベリーサイクリング」では、電動アシスト付き自転車で、ホテルから片道10キロほどのブルーベリー農園に向かい、農薬無使用・有機農法のブルーベリー狩りを楽しみます。その後、収穫した果実をホテルのミキサー付自転車でスムージーにして味わう、というもの。

朝活ブルーベリーサイクリング

サイクリストなら、「えっ」と思うかもしれません。ある程度自転車に乗る人間にとって、10キロはほんの散歩程度の距離。ですが、普段自転車になじみのない人にとって、10キロは一つの壁であり、達成感も得られる絶妙な距離設定です。

生粋のサイクリストだけだったら逆に生まれにくいアイデアも、柔軟に取り入れていく。そこには星野リゾートの社風である、アイデアを自由に出し合えるフラットな組織文化があるとのこと。自転車を楽しみつつ、プラスアルファとして「この地域ならではの地域文化を楽しんでいただく」ことを念頭に、常に皆でアイデアを出し合っているのだそうです。

「自転車リゾートはまねできるが、地域文化はまねできない。茨城の豊富な地域文化こそが、このホテルの強みです」と大庭さんは語ります。 農業大国・茨城の様々な地域文化・資源と自転車の組み合わせで、これからどのようにこのホテルが成熟していくのか、とても楽しみです。(土浦市職員)

若田部哲さん

【わかたべ・てつ】筑波大学大学院修士課程芸術研究科デザイン専攻修了後、建築設計事務所など経て、2009年、土浦市役所入庁。地元出身が多い職場にあって、県外出身として地域への理解を深めるため、霞ケ浦周辺を歩き回り、様々な対象をイラスト化。WEBサイト「日本一の湖のほとりにある街の話」などで地域の魅力を配信。1976年生まれ。

「日本一の湖のほとりにある街の話」の公式ホームページはこちら

この空をご先祖さまも見ていた 古今東西の空模様《遊民通信》44

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【コラム・田口哲郎】

前略

梅雨が明けて、空模様が変わりましたね。晴れると、遠くに入道雲のようなものが見える、夏の空になりました。

空を見ていてふと思ったのですが、わたしが空を眺めているとき、当然、見たままの空が認識されているわけですが、その空は写真のような空です。でも、たとえばその空を絵のように記憶しようとしたとしたら、おそらく写実的な水彩や油彩の絵、つまり西洋画に描かれている空です。光と影がある、リアルな空が広がるのです。

日本古来の空感覚

でも、日本は西洋画が本格的に入ってきた明治期以前から存続している国であり、日本人は昔からこの日本列島に住んできました。すると、当然ご先祖さまたちもわたしが普段何気なく眺めている空を眺めていたはずです。

現代のわたしたちは、青空に雲があって、穏やかな雰囲気ならば、天使が降りてきそうだなとか、まるでシスティーナ礼拝堂にあるような壁画を思い浮かべるわけですが、ご先祖さまたちはどうだったのでしょうか?

気になって浮世絵の空についてインターネットで検索してみましら、浮世絵のコレクションで有名な太田記念美術館の公式サイトブログに気になる記事を見つけました。

浮世絵の夕空についての記事ですが、「浮世絵には『夕涼み』『夕立』『夕景』『夕照』といった、夕方であることを示す言葉を含んだタイトルの作品がかなりあります。しかしながら、日が沈み、徐々に薄暗くなっていく夕暮れ空の美しさを捉えた作品はそれほど多い訳ではありません」とのこと(2021年8月11日の記事)。

おそらく、空模様を詳細に描いたのはルネサンス以降の西洋画で、日本画の空描写は淡白であったと思われます。空はひとつ、洋の東西でつながっているのに、所違えば空感覚も違うというのはおもしろいです。それほどに、わたしたちは西洋化しているのですね。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

10億円の交差点 自動車研究所にADAS試験場《土着通信部》52

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ADAS試験場で行われたテープカット=4日、城里テストセンター

【コラム・相澤冬樹】かつて谷田部の高速試験場、のちに自研、いまやJARIと呼ぶのか、つくば時代を知るものには長い付き合いとなる日本自動車研究所(坂本秀行理事長)が4日、城里町の城里テストセンターに完成させたADAS試験場の完成披露を行った。

ADASは「Advanced driver-assistance systems」の略で、読み方は「エーダス」が一般的。日本語では「先進運転支援システム」となる。カメラやセンサーで運転環境を認知して、ドライバーの判断を助け、車両制御をアシストする。こうした機能を車両に実装し、事故が起きる確率を減らしたり、運転の負荷を軽減したりする技術開発が業界挙げて盛んになっている。

その研究開発で、JARI-ADASは国内初の専用試験場となる。つくばエクスプレス(TX)建設に合わせ、JARIがつくばに研究所を残し、高速テストコースを城里に移転したのが2005年。以来17年、ようやく訪れる機会を得て、完成記念のメディア向け公開に駆けつけた。

全周5.5キロの高速周回路で知られる城里テストセンターだが、楕円コースの内径部北側にあった悪路試験場を改修してADAS試験場を新設した。総工費10億円をかけ、直進方向500メートル、横断方向300メートルの道路が、扇形走路の北に寄った部分で直行する。全舗装面積は約3万平方メートル、路面は極度に平坦にならした3層舗装を施している。

2014年度建設の第2総合試験路(全長520メートル)では実施の難しい、走路幅の大きい試験路整備を目指した。特に交差点を想定した走行評価を行う。

城里テストセンターの鎌田実所長によれば、2011~20年の交通事故を調べると、四輪車対歩行者の死傷件数は信号交差点の事故が約7割を占める。なかでも四輪車の右折中の割合が高く、対策が望まれるという。今回の試験路ではAEBS(先進緊急ブレーキシステム)などを搭載した車両を走らせ、交差点での横断方向の車両を認識する試験などに使う。

お披露目ではテープカットの後、デモ試験を実施した。ロボットが運転操作する試験車両が右左折する際、自動ブレーキが適切に作動して対向するダミー車や歩行者を模したダミー人形と衝突せずに停止する試験走行を披露した。車両は直進方向で時速80キロ、横断方向で同60キロまで加速できるという。

7月から稼働開始し、すでに複数社から引き合いが来ている。国内の主要メーカーはそれぞれ独自にADAS試験場を設ける構えを見せているが、部品メーカーなどからの受注にも応え、1日8時間年間365日稼働の条件で稼働率80%を目標としている。城里テストセンター自体は夜間利用も拡大しており、年間稼働率は100%を超えているということだ。

参議院議員選挙 憲法改正どうなる? 《雑記録》37

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【コラム・瀧田薫】参院選(7月10日投開票)の争点を一つだけ取り上げれば、まず「憲法改正」が焦点であろう。よく憲法改正に前向きな勢力(自民、公明、日本維新の会、国民民主)が議席数の3分の2に届くか否かが話題になるが、それがクリアされれば改正がすぐできるというものではない。4党の憲法改正に対する姿勢、特に憲法9条の扱いに主張のばらつきが大きく、改正の発議に向けて4党間の意見調整ができるかどうか、見通しは立っていない。

もっとも、与党が思惑どおりの安定多数を確保すれば、岸田首相が衆院を解散しない限り、衆参議員の任期満了を迎える2025年まで、国政選挙の予定がない「黄金の3年間」がやってくる。与党内には、国論を二分するような大きな政治課題に腰を据えて取り組めるとの期待があり、発議に至るまで熟議を尽くす時間的余裕に恵まれていることも確かだ。

ところで、現時点で、憲法9条の改正を掲げているのは、厳密に言えば、自民、維新の2党のみである。自民は憲法9条に自衛隊を明記する方針であり、維新は9条に明確に規定すると主張している。公明は9条の1項と2項を堅持する方針であり、別の条項での自衛隊明記についても引き続き検討するとし、党の公約に「自衛隊を憲法上明記すべしとの意見があるが、多くの国民は(自衛隊を)違憲とみていない」との説明をわざわざ付け加えている。

国民民主は、公約で「9条は自衛権の行使の範囲、自衛隊の保持・統制に関するルール、2項との関係の3つの論点から具体的な議論を進める」として含みを残している。他方、立憲民主党は自民党改憲案に反対し早期の憲法改正は不必要としつつ、「国民の権利の拡大についての議論」に限っては積極的な姿勢を見せている。

共産、社民両党はこれまでどおり護憲の立場を貫く。れいわ新選組は、現行憲法の実践のために必要な制度と法の整備を目指すとし、NHK党は改正に関する議論を積極的に促すとしている。

安全保障をめぐる議論が活発化

新聞各社その他の間では、今回の参院選で改憲勢力が3分の2の議席をギリギリ確保するとの見方が有力だが、そうなると、選挙後の参院は少数議席しか持たない政党でもキャスティングボートを握りやすい環境となる。すでに改憲勢力が4分の3を占めている衆院と比較して、参院における意見調整のハードルはそれなりに高くなるだろう。

ところで、選挙とウクライナ戦争が重なったこともあり、憲法改正と表裏の関係にある安全保障をめぐる議論が最近活発だ。ただし、防衛費の増額など数字だけが先行する前のめりの議論はいただけない。専門家の間では、いわゆるハイブリッド戦(情報戦、サイバーなど)への備えを想定し、日本の防衛政策を根本から考え直す時とする指摘がある。

各党とも結論ありきではなく、国家安全保障戦略など、いわゆる3文書の今後の改定にどう対応するか、党内外で調査・研究の機会をつくり、専門部会を立ち上げるなどすべきだろう。(茨城キリスト教大学名誉教授)

TX延伸論議に見る つくば市の狭い視野 《吾妻カガミ》136

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つくばエクスプレス

【コラム・坂本栄】茨城県がTX県内延伸の4方向案(茨城空港、水戸市、土浦市、筑波山)を示したことで、その線上・目標に位置する自治体が自分たちの所へと誘致に乗り出し、地元の政治家も加わって騒々しくなっています。しかし筑波山を抱えるつくば市は、TXの終始点であることに満足しているのか、特に動いておりません。

ポイントはどこで常磐線にクロスさせるか

茨城空港、水戸、土浦の各方向誘致については、「TX石岡延伸推進協議会」、「TX水戸・茨城空港延伸促進協議会」、「TX土浦延伸を実現する会」が立ち上がりました。土浦の様子は記事「TX土浦延伸へ決起集会 市民参加で競合2団体に対抗」(6月12日掲載)をご覧ください。

茨城空港、水戸、土浦への延伸ラインはもちろん別々です。しかし、石岡、水戸、土浦の主張は「空港まで延ばせ」と言っている点では共通しています。水戸の場合、まず空港まで延ばし、さらに空港→水戸を要求していますが、石岡と土浦は「うちの市内で常磐線と交差させ、空港まで延ばせ」と言っているからです。

水戸が、空港→水戸は後回しにし、常磐線で交差する駅→水戸駅(TXの一部JR乗り入れ、残りは茨城空港直通)を受け入れれば、ポイントは「どこでJR常磐線にクロスさせるか(つくば駅と空港を直線で結ぶと高浜駅のちょっと北=石岡市内=で交差)」になります。

TX県内延伸=研究学園と茨城空港の連結

こういったことを考えると、メデイアでよく使われる「TX県内延伸」という言い方は「学園都市と茨城空港の連結」と言い換えるべきです。

10~20年先を展望すると、首都圏の2国際空港(羽田と成田)だけではビジネス・トラベル客をさばけなくなります。ロシアと中国の特異な行動によって、当分、国際ビジネス客の移動は抑制されるでしょうが、いずれ正常化します。訪日外国人旅行客は、コロナ前の何倍にもなるでしょう。そうなると、首都圏に国際空港がもう1つ必要になります。

第3空港として米軍横田基地の転用が検討されているものの、同基地は対中戦略の前線センターでもあり、民間空港化は難しいでしょう。そこで、①拡張が比較的容易な茨城空港の第3空港化、②空港へのアクセス鉄道としてTXの茨城空港延伸―をセットにして、国に実現を働きかけたらどうでしょうか。国家プロジェクトになれば、地元の負担は少なくて済みます。

TXが常磐線と交差して「茨城国際空港」につながると、つくば市は米国のボストン市に並ぶ学園都市になります。水戸、石岡、土浦の3市と組み、茨城空港延伸キャンペーンに参加すべきなのに、つくば市は「つくば止まり」で満足しているようです。TXを東京へのアクセス手段とだけ考えているようでは、視野が狭すぎます。(経済ジャーナリスト)