金曜日, 3月 29, 2024
ホーム ブログ ページ 26

かすむ? 安倍氏国葬《邑から日本を見る》120

0
谷津田で進む稲刈り

【コラム・先﨑千尋】去る19日、「ホンモノの国葬」をテレビで見た。イギリスのエリザベス女王の国葬だ。聖歌が響き渡る中、王室旗がかぶせられ、王冠を載せた女王の棺(ひつぎ)がゆっくりと教会の回廊を回る。壮大で厳粛な儀式だった。イギリスの王室制度をどう評価するかはさておき、世界史の中でのイギリスの栄光を見せつけられた思いだ。

翻ってこの日本。明日27日、7月8日に凶弾に倒れた安倍元首相の「国葬儀」が東京の日本武道館で行われる。こちらは賛否両論どころか、反対の声が日増しに強くなり、報道機関の世論調査ではダブルスコアで反対、評価しないという結果になっている。国会議員では、野党第一党の立憲民主党党首だけでなく、自民党からも村上誠一郎元行革相が欠席、と伝えられている。

強い反対の声を押し切っての国葬。当事者の安倍さん、遺族の昭恵さんや国葬を決めた岸田総理の心中は分からないが、おそらくこんなはずではなかった、と考えているのではないか。イギリスのすぐあとということもあって、二番煎じの感がする。

法的根拠がない

私は今度の安倍さんの国葬に反対だが、その理由は二つある。

一つは、法的根拠がないということだ。内閣法制局の見解では「国葬とは、国の意思により、国費をもって、国の事務として行う葬儀をいう」だ。では、国の意思とは何か。

国会、行政、司法の三権のうち、「国権の最高機関」であり「全国民を代表」するのが国会だ。意思決定過程に国会が関与することが求められるというのが、衆院法制局の見解。岸田さんは内閣府設置法をもとに、国葬は「その都度、政府が総合的に判断するのがあるべき姿だ」と言っているが、詭弁(きべん)でしかない。

国葬が「国の意思」によって行われるものだとすれば、内閣(行政府)の一存では決められない。現憲法下では、国民が主権者であり、内閣は主権者ではない。国会が決めたことを執行するのが内閣なので、国葬にすることを国会での議論を経ずに閣議で決めることはできない。

岸田さんは、民主主義のプロセスを無視してきた安倍首相のやり方を踏襲した、と考えているのだろうか。山崎拓・元自民党副総裁ですら「安倍元首相国葬決定はあまりに拙速すぎた。国会に諮るべきだった」と批判している(「NEWSポストセブン」8月29日)。

「業績」も?

反対するもう一つは、安倍さんの「業績」のことだ。私はこれまで、このコラムでかなりしつこく安倍政治を批判してきた。特定秘密保護法や集団的自衛権を認めた戦争法の制定や憲法解釈の変更、共謀罪の創設、東京電力福島第1原発の事故を忘れさせるための東京オリンピック誘致(安倍さんが亡くなった途端、膿が一気に噴き出してきた)、憲法改悪の準備―などなど。また、国会で平気で嘘をつき、ごまかした。

新基地反対の声を上げ続ける沖縄や安倍政治に抗議する人たちには居丈高になり、強大なアメリカに対しては卑屈になる。「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」と言いながら、北朝鮮の拉致問題は置き去りにし、プーチンと何十回も会ったと言いながら、北方領土問題は1ミリも動かなかった。

仮に国葬を認めるにしても、以上の理由で、安倍さんはその対象にはならない。内閣葬か、「お別れの会」なら仕方がないが。(元瓜連町長)

棗とナツメ《続・平熱日記》118

0

【コラム・斉藤裕之】今年も玄関脇の棗(なつめ)がたわわに実った。身の重さで稲穂のように枝が垂れ下がるほどだ。友人の植木屋さんによれば、うちの棗の実はかなり立派なのだそうである。参鶏湯(サムゲタン)などに使われるとか、漢方薬として体に良いとかいわれる棗だけれど、数年前に加工してビンに保存した実は一度も使ったことがない。

棗との出合いはかなり昔にさかのぼる。夏休みにまだ小さな子供たちと帰省した折、よく訪れていた公衆温泉浴場がある。海水浴に行った後などは、風呂に入れる手間がかからず安価で便利をした。

その浴場の駐車場に涼しげな木があった。それが棗だ。そのことを覚えていて植えてみた。しかし見た目にはわからなかったが、幹や枝にはかなり強烈なトゲを身にまとっていて、かなり厄介だということがわかった。特に若い枝は小さな鋭い棘がいっぱいで、不用意に触ると大変だ。なるほど、棘(とげ)という字と棗という字が似ているのは納得できる。

さて、ここに別のナツメが3つある。茶道で使うお茶の粉を入れるナツメだ。棗の実に似ているので、こう呼ばれるそうだ。これは亡き母のもので、母は茶道の先生の看板を持っていた(茶を入れたところは見たことがない。多分、日々の暮らしが忙しすぎてそれどころではなかったのだろう)。

数年前、実家を処分するときにわずかに持ち出したものの中に、このナツメがあった。恐らく、通販かなんかでシリーズものとして買ったのではないかと思われるのだが、1つは木製で黒と赤の漆が塗ってある。それから白い陶器のもの。これには梅のような花が描いてある。最後は錫(スズ)製のもので植物の蔓(つる)が彫られている。

あの3つのナツメがちょうどいい

さて、妻が亡くなって遺骨は収まるところが決まったが、本人の希望で仏壇はいらないから、小さな骨のかけらを2人の子供たちのところにしばらく置いてほしいと言われていた。なんとなくそのことは頭の隅にあって、どうしたものかと考えてはいたのだが、ある日ひらめいた。そうだ、あの3つのナツメがちょうどいい。

私は木の箱を作ることにした。薄い板は案外売ってないものだが、夏休みの工作用なのか杉の薄い一枚板を安く売っているのを見つけた。早速小さな箱を作って、以前妻が買った真田紐(さなだひも)で蓋(ふた)を括(くく)れるようにした。ひらがながいっぱい書いてある、母が残したお習字の手習い半紙でそっとかけらを包んで入れた。

ナツメを入れる袋は、妻が使っていたハンカチを使って友人に縫ってもらった。箱書きは字の達者な次女に任せた。こうして10センチ立法ほどのかわいらしい木の箱が3つできた。

棗の実を1つかじってみる。甘くて少しぱさぱさしたリンゴのよう。ふと、墓の近くでそよぐナツメの木も悪くないと思った。実をいくつか拾ってポケットに入れた。(画家)

古民家再生とクラウドファンディング 《宍塚の里山》93

0
百年亭外観

【コラム・佐々木哲美】認定NPO法人「宍塚の自然と歴史の会」は、築100年ほど経過した古民家を修復する「百年亭再生プロジェクト」に取り組んでいます。その資金集めのためにクラウドファンディングが始まっています。期間は9月5日~10月21日、第1期修復工事の目標額は300万円です。

9月21日現在、170万5000円(目標の56パーセント)と、多くの方々から寄付をいただいています。その後、第2期工事=約200万円、第3期工事=約300万円、合計約800万円の費用が掛かります。目標達成への道のりは長いですが、達成を目指して最後まで頑張っていきたいと思います!

スタッフ全員がクラウドファンディングに取り組むのは初めての経験です。将来、里山保全のための資金集めなども視野に入れ、この際、しっかりこの方法を学ぶことも意図しています。

クラウドファンディングは、インターネットの普及に伴い、米国で2000年代に始まり、日本でも2011年からサービスが提供され、急速に拡大しています。この資金調達の形式には、「寄付型」「購入型」「融資型」「株式型」「ファンド型」「ふるさと納税型」のタイプがあります。

選択できる購入型は、「All-or-Nothing(オール・オア・ナッシング)型」「All-In(オールイン)型」の2種類があります。「All-or-Nothing型」は、募集期間内に目標金額を達成した場合のみ、プロジェクトが成立する方式です。取り組みへの覚悟を示すために、こちらも考えました。しかし、今回のプロジェクトでは、資金が集まらないからと断念するわけにはいかないと、「All-In型」を選択しました。

多くの応援メッセージをもらいました

初動が大切と言われ、直前でしたが応援メッセージをお願いしたところ、多くの方が協力してくれました。

ラムサール湿地ネットわたらせ事務局長で栃木県小山市長の浅野正富氏、日本ナショナル・トラスト協会会長の池谷奉文氏、日本自然保護協会理事長の亀山章氏、NPO法人茨城県環境カウンセラー協会理事長の軽部達夫氏、茨城県生物多様性センター・センター長の山根爽一氏をはじめ、大阪府立大学名誉教授の石井実氏、明治大学農学部教員の倉本宣氏、筑波大学教授の田村憲司氏と吉田正人氏などから応援メッセージ寄せられました。

資金集めが始まってからも、霞ケ浦市民協会理事長の市村和男氏などからも激励のメッセージをいただきました。これらはここから覧になれます。

ホームページの作成も若者たちが中心になり、クラウドファンディング事業者のスタッフと何度も打ち合わせして仕上げました。なかなかの出来だったと自負しています。是非ご覧になって、ご支援をお願いします。(宍塚の自然と歴史の会 副理事長)

松本清張につまずきそうになる 《くずかごの唄》116

0
イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】今年7月の文藝春秋に「創刊100周年記念 文藝春秋が報じた事件事故の肉声」という企画があり、その一番初めに「下山事件」が載っている。国鉄総裁だった下山定則氏の轢断(れきだん)死体が発見され、他殺か、自殺かでもめた事件である。東京大学薬学部の秋谷七郎教授は他殺説。それを取材して報じたのが松本清張だった。

(私の夫)清の兄の奥井誠一は私の学生時代の先生。当時、私が通っていた東京薬科大学女子部は上野桜木町にあった。東大に近いので、講師の先生は東大の助教授が多かった。奥井誠一は秋谷教室の助教授だった。私たちは「裁判化学」を彼から教わった。

クラス委員だった私は、かなりずうずうしく講師先生の所に行っては、色々な交渉をした。クラスの中でも沖縄から来た人は、パスポートがないと自分の家に帰れない時代だった。1950年のある日、私は秋谷教室に行った。

当時の東大薬学部は古い建物で、廊下などは腐って穴が開いている。帰るときに奥井先生から「そこに人が寝ているから、つまずかないように」と注意された。穴の開いた廊下の隅に男の人が寝ていてびっくりした。

「取材に来て、分析が終わっていないので帰ってほしいと言ったけれど、帰ってくれないんだよ。困ったなあ」。後で聞いたのだが、私がつまずきそうになった人は松本清張だった。

変な兄さん、おかしな弟

「登美子さんは清さんとどこで知りあったの?」。友達に聞かれてびっくりした。そういえば本人から一度も口説かれたことがない。

昔はお節介(せっかい)なおばさんがうようよしていた。親戚のおばさんがある日、奥井清を私の家に連れてきたことがあった。私は当時、絵の修復の仕事がしたくて、山下新太郎先生の家に入り込んで、修復業を勉強している最中。「まだ結婚は早いので」と言って、お断りした。

私が奥井清に初めて会った次の日。誠一兄から「話をしたい」と呼ばれ、彼に合った。松本清張を踏みつけそこなって以来のことであった。「弟と結婚してやってくれ」。兄から熱心に口説かれてしまった。

「本人に口説かれなくて、兄に口説かれて結婚しちゃった」。「変なお兄さん、おかしな弟だね」。友達は大笑いしていた。(随筆家、薬剤師)

国葬から見えた英国の魅力 《遊民通信》49

0

【コラム・田口哲郎】
前略

エリザベス2世の国葬が行われましたね。19時から生中継があるから、見ようとテレビをつけたのですが、ふと思いました。他国の元首の葬儀を生中継。それを興味津々で視聴しようとしている自分。これが英国のスゴさなのだろうか…。

棺(ひつぎ)がウェストミンスター寺院に移送されるとき、スコットランド音楽が流れました。バグパイプの音が、英国という世界の中心的近代国家の民族性を浮かびあがらせました。

棺が寺院に入ると、寺院専属の聖歌隊によるおごそかな聖歌。イギリスの有名寺院や屈指の名門大学の付属チャペルの聖歌隊には、女性がいない場合が多いです。ソプラノパートは少年たちが担います。少年聖歌隊用に専属の学校があり、少年たちはそこで寮生活を送りながら日夜練習に励むのです。

これはキリスト教会の祭儀が男性中心に発展したなごりです。カトリック教会やアメリカの大学の付属チャペル聖歌隊では、よほどこだわってないかぎり少年聖歌隊はなく、女性がソプラノを歌っています。少年聖歌隊がこれほど残っているのは、イギリス国教会の特徴だと思います。これも英国の「伝統」がなせるワザでしょう。

葬儀式次第には女王のリクエストが盛り込まれていると事前に報道されていて、ビートルズの曲が流れるかも?とささやかれ、ダイアナ妃の葬儀でのエルトン・ジョン登場のようなサプライズを期待する声がありました。

しかし、フタを開けてみると、女王ゆかりの聖歌が歌われただけで、女王のリクエストというのはとてもオーソドックスなものであったことが判明しました。ああ、これがヨーロッパだなと、東京五輪閉会式で次のパリ大会の紹介動画の件を思い出しました。パリの街はポップ・ミュージックではなく、クラシック音楽にのせて紹介されていたからです。

伝統と平等のバランス
なんとなくですが、国葬中継で映し出された「英国」にはスキがなく、そして、この国はとてもバランス感覚がすぐれているのだなあと思わされました。

人間は法のもとでも神の前でもみな平等です。しかし、このたび世界の人々に悼まれた女王は「偉い人」であり、伝統を重んじる英国は王室の周りを貴族ががっちりと固めています。実際に英国を支え、動かしている労働者はあの光景のどこにいたのでしょうか? 葬列を見守り、けなげに泣く人々です。

主権は国民にあります。現代生活をかんがみるに、民族の違いは乗り越えられるべきですし、男女の間の差別をなくすべきです。区別や差別はこれからもっとなくなり、平等は広がると思います。

でも一方で、伝統があらわすような、まじめさ、つまり倫理は変わらず必要でしょう。あの国葬で、英国は伝統を大切にする平等な国家なのだと宣言したのだと、ひねくれ者の私は思います。このバランス感覚が英国の魅力なのでしょう。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

歴史資料はいかに生まれるか、いかに読むべきか 《文京町便り》8

0
土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】先日、本年2月に享年87歳で逝去された先輩教授を偲(しの)ぶ会がキャンパス内で開かれた。コロナ禍の時節柄、会場での式典・飲食は省略され、三々五々に参集し、交歓・談話後に適宜散会するスタイルだった。会場には、ご夫人やご家族・お孫さんも同席され、ほほえましい雰囲気だった。先輩教授の多数の著作・論文・政府審議会などでの活動記録のみならず、趣味だったジャズの楽譜(手書き)も展示してあり、まことに多方面な活躍が偲ばれた。

ただ、そこで配布されていた資料の一つに、私はちょっと(偲ぶ会そのものに対してではなく)違和感を覚えた。その内容は、先輩教授を見送る(私と同年代の)後輩教授が書いたもので、2000年ころからの、大学院研究科の新展開(夜間)への先輩教授との連携・協働ぶりについても言及されていた。

確かに、先輩教授と彼の間では、このような情報のやり取りもあったかもしれない。しかし、この展開が、2人のやり取りで進められたかのような記述は、明らかに行き過ぎである。不肖・私もそれと同等の(前段階での取り組みや展開後の工夫も含めれば、私自身の自覚ではそれ以上に)コミットしていたはずだが、それについての言及は一切ない。

もちろん、先輩教授を偲ぶ彼の文章である以上、内容に立ち入る筋合いは私にはない。問題は、歴史資料はこうして形成されるかもしれない、という恐れである。

確かに、談論風発の彼(後輩教授)は、宴席などでしばしばこれに類する話を巧みな話術で繰り広げていた。その場に関係者が同席していれば、反論・補足もあり、彼の話題提供も無条件で一方的になることはなかった。しかし、こうして「偲ぶ会」の資料として配布されると、その後これは、一種の歴史記録、といって大げさならば一次資料として扱われる可能性がある、という懸念である。

『鎌倉殿の13人』の視聴法

今年のNHK大河ドラマ(日曜日・夜)は『鎌倉殿の13人』である。この脚本(作・三谷幸喜)のベースは『吾妻鏡』と、されている。しかし、これは鎌倉幕府・北条政権下での歴史記録なので、当然ながら、歪曲(わいきょく)された部分も少なくない、という批判もある(たとえば「謎多き武将・八田知家」『常陽藝文』2022年8月号)。

正確を期すならば、この『吾妻鏡』とは異なる観点の歴史書にも目を通すべきだし、さらには1次資料それ自体の真贋(しんがん)の精査を行うべきだ、という誠実さも求められるかもしれない。しかし、当代のエンターテインメントにそこまでの厳密さを求めていては埒(らち)が明かない、という現場の声も推測できる。だから私は、毎日曜の大河ドラマでは、適度の精確さと娯楽性そして意外性をもって拝視聴している。

とはいえ、私が身近に体験した「1次資料」には、事実を歪曲(わいきょく)する(本人にとっては無意識の)波及効果を感じ、私自身この種の歴史資料を前にした際は心してかかるべきだ、と自戒した次第である。(専修大学名誉教授)

茅葺き屋根の古い民家 《写真だいすき》12

0
茅葺きの古民家の屋根は、今となっては葺き替えも難しい。茅場もなくなったし、職人もいない。だが、茅葺き屋根は、知恵と感性の塊みたいなものだ(写真は筆者撮影)

【コラム・オダギ秀】敬愛する友人の写真家・味村敏(あじむら・びん)のことを話したい。ボクが彼から学んだことは少なくない。彼の奥さんは、200円しか持ってなくても、持たない人がいたら、その200円をあげてしまうような人だ。

味村が専門に撮っていたのは、最近はほとんど見られなくなった茅葺(かやぶ)き屋根の古い民家だ。全国を回り、茅葺き屋根の古民家を見つけると、その撮影に情熱を傾けていた。だが、茅葺き屋根の古民家の写真などでは、豊かな報酬を得られることはない。歴史資料としての価値や、古い情景を懐かしむ価値などしか認められないことが多い。だから、ある住宅メーカーが、毎年写真集を作ってくれたりするのが、報酬を得られる主な仕事であった。

それで彼は、ポンコツと呼ぶに相応(ふさわ)しいガタピシャ車に毛布など積み、車で寝泊まりしながら撮影を続けていた。ホテルや宿屋などに泊まるなど、とんでもない贅沢(ぜいたく)だった。

彼は、撮影に適した茅葺き古民家を見つけると、まずその家に、撮影許可を得る。その家では、訪ねられると、ホームレスのような人間を見て、何者が何をしに来たのかと訝(いぶか)る。彼は自分の素性やら実績を示し、何よりその熱意で撮影許可をもらう。それで「まあ、写真撮るくらいなら、いがっぺ」となる訳だ。

すると、撮影許可をもらった彼が、次にすることは、撮影ではない。まず彼が始めるのは、その家の周りの掃除だ。丁寧に庭を掃き、植木が傾いたり枯れていると手入れをする。黙々と作業をし、そして写真は撮らず、帰る。

「しゃあんめえ。気ぃつけてな」

翌日、あらわれた彼がすることは、縁側の雑巾(ぞうきん)かけ、破れた障子貼り、散らばった家財の整理。その他もろもろの家の手入れをして、また帰る。

次の日、味村は、この家を一番よく撮れるところは、庭の向こうの風呂場の屋根だから、あの屋根に上がらせてくれ、と言い出す。「ええっ、屋根なんかに昇られたら雨漏りしちゃうかも知んねえよ。とんでもねえ、ダメダメ」と言うのが当然の返事なのだが、これまでの、この家をいかにいいものに撮ろうかという味村の態度、行動を見ているから、当家は「しゃあんめえ。いいよ、いいよ。気ぃつけてな」となるのである。

茅葺きの古民家の撮影など、どの位置から撮ればいいか、少し写真に慣れた者ならすぐわかる。味村の写真はそんな写真なのだ。こんなの、その位置から撮れば誰だって撮れるぞ、と思わせる。オレだって、そこから撮れば、こんな写真撮れるさ、と、ちょっと写真を齧(かじ)っていると言うのである。だが、その位置に立てることが実力なのだ。その位置に立てれば誰でも撮れるが、ふつうはその位置に立てないのだ。

彼が撮影を終えて帰る時には、たとえばこんな言葉をかけられる。「この家が一番よく見えるのは、裏のコブシが咲いた時だよ。コブシが咲いたら知らせっから、また来な。そん時は、ウチに泊まるといいよ」(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

「これダメでしょ」 県と市の行政手順 《吾妻カガミ》141

0
つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】今、このサイトでアクセスが多くコメント欄がにぎわう話題は、茨城県営「洞峰公園」問題とつくば市有だった「運動公園用地」問題です。9月のつくば市長会見でも、記者団から多くの質問がありました。いずれも行政の手順に関することですが、県と市のやり方はとても変です。

県:都合よい結果が出るまで調査?

洞峰公園問題は、県が同公園改修についてのアンケート調査を集計したものの、その調査を無作為抽出の形でやり直すことになったと、市長が紹介したことがキッカケでした。

アンケート回答者の9割がつくば市在住の人、7割が40歳以上の人だったので、県営施設についての調査としては地域と年齢が偏っている、というのが再調査の理由だそうです。県はそうは言っていませんが、県の改修計画に反対(公園は現状のままでよい)が多かったので、アンケート調査の結果をそのまま受け入れたくなかったのではないでしょうか。

再調査は、この問題に関心がある人だけが答える方式ではなく、全県域・全年齢を対象にする無作為抽出方式ということですから、「あまり関心ない」「どうでもよい」といった回答が多くなり、県が期待する結果(反対は少ない)が得られるではないでしょうか。洞峰公園から離れたところに住んでいる知り合いの筑波大生も、同じような意見でした。

この公園は市の施設でなく県の施設です。県民が利用すること想定し、再調査をする理由が分からないではありません。しかし、県に都合のよい結果が出ることを狙い、公園を日常的に利用しない人を調査対象にするのは何か変です。

市:当たり前の手順をすべて無視

運動公園用地問題の方は、8月末、市有地を民間に売却する契約が締結され、これについて感想を求められた市長は「非常にうれしく思っている」とコメントしました。

本欄では何度も売却手順の強引さに疑問を呈しました。例えば、137「…市長の宿痾…」(7月18日掲載)では、▽用地を買うときは議会の議決をもらっているのに、売るときには議決にかけないのはおかしい▽市民に募った意見(パブコメ)の結果は売却賛成がたった3%なのに、市民の理解を得られたと解釈するのはおかしい▽市民の声をきちんと把握するためには、無作為抽出調査をやるべきだ―と指摘しました。

運動公園用地売却は、こういった手順をすべて無視した末の行為ですから、つくば市のおかしさは茨城県よりも重症です。無作為抽出で再調査する県の方がずっと正直で、かわいげがあります。不発に終わったものの、市長解任運動が起きたのは当然でしょう。

市:敗訴したら土地は返してもらう

会見で、住民訴訟(運動公園用地売却は地方自治法に違反するとの訴え)で市が負けることを想定した条項を売買契約に盛り込んだのか聞いたところ、市側は「(そのときは)契約を解除できるようにしてある」と答えました。裁判での敗北も想定、売り払った用地を返してもらう事態も想定しているようです。

この解除条項については、五十嵐市長の売却手順を評価します。土地取引に弱く(市長選では運動公園用地返還を声高に公約したのに返還に失敗)、裁判沙汰にも弱い(元市議を名誉毀損で提訴したのに途中で取り下げ事実上敗北した)市長としては、上出来です。

これで、市が住民訴訟に負けた場合、売却済み用地を「返せ」(つくば市)、「返さない」(倉庫会社)と、争わなくて済みます。(経済ジャーナリスト)

土浦花火大会復活へのシナリオ《見上げてごらん!》6

0
土浦全国花火競技大会実行委員会提供

【コラム・小泉裕司】土浦の秋の風物詩、土浦全国花火競技大会(11月5日午後5時30分~8時)が戻ってくる。安藤真理子市長は5日の記者会見で、「今年の大会を開催する」と力強い声で発表し、大会は3年ぶりの開催に向け、ついにスタートラインに立つことができた。

11月5日まで2カ月。この時期の決定は、国内最高峰の内閣総理大臣賞を贈るにふさわしい安全な大会としての環境整備にめどが立ったということだろうし、参加業者にとっては、競技大会の「特別な作品」の製造に要する時間を考えると、リミットでもあったろう。

コロナ禍、相次いだ花火大会の中止で危機的な経営状況に陥り、事業の継続性や技術の継承の問題が顕在化していた煙火業界だが、18都道県から55業者が参加するとのことで、まずはほっとしている。今年1年の集大成となる土浦大会で、どんな感動と出会えるのか、期待に胸が膨らむ。

ところで、花火大会はお祭りだろうが競技大会だろうが、何よりも安全第一。観客にとっても、花火師にとっても、主催者にとっても安全でなければならない。花火関係者すべての合言葉であると同時に、今大会を開催に導くためのキーワードでもあった。

イベント報道では、今年前半から、決まり文句のように「3年ぶり」の見出しが急増しており、土浦の場合も同様だ。決して間違いではないのだが、どうも違和感がある。実は土浦大会だけが抱えている「安全」上の深刻な事情があるからだ。

2018年、2019年と、2年続いた花火事故による途中中止に加えて、コロナ禍による2年間の取り止めを加えると、競技大会としての成果は4年連続で残せていない。これは太平洋戦争中の5大会に次いで、史実に残る長期の空白となっている。先人が営々と築いてきた競技大会としての伝統を継承するべく、実行委員会には、安全な大会を再構築し、復活させるという、きわめて重い使命が課せられていたのである。

事故対策では、専門家をはじめ関係機関の協力・理解を得ながら安全対策に心血を注ぎ、再起のめどがついた頃、コロナ対策で出鼻をくじかれた。通常でも大会開催までの準備はほぼ1年を要する土浦市最大のイベントに、未経験の大きな課題が2つも加わっている。それでもこの高い壁を乗り越えなければ、土浦の花火の未来はないのだ。

<具体的な課題対策は、本サイトの記事「3年ぶり 11月5日開催決定 土浦全国花火競技大会」(9月5日掲載)をご覧ください>

ウィズコロナの花火鑑賞

さて今年、私が鑑賞した花火大会は、県内外合わせて2桁に到達したが、心がけているのはコロナ対策である。観覧席、道路や駅など人混みでの距離感が気になる空間では、「時差式発光花火」(4月17日掲載の本コラム)にあやかって、遅めの会場退出や電車予約など時間差で「密」回避策をとっている。

同様の行動パターンをされる方は、結構多いように感じている。一方で、観覧席に持ち込んだテーブルいっぱいに、弁当や酒類を広げて、声を張り上げ宴会を楽しむ観客も少なくない。

花火の楽しみ方は人それぞれでよいのだが、アルコールが進めば、その後訪れるトイレ行列。打ち上げ中にもかかわらず、千鳥足で観客の面前を横切り、花火師の魂の1発を背中で鑑賞する。今年に限り、こうしたお作法はいったん封印をいただき、土浦の夜空を見上げて、珠玉の「全89作品」を見尽くしてみませんか。

もしかすると、苦虫をかみつぶしたようなお顔のお客さんが、お隣でにらんでいるかも知れませんよ。本日はこの辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

解決をしてはいけない時期《続・気軽にSOS》117

0

【コラム・浅井和幸】周りや環境の悪口を言い続けたり、借金を返さなかったり、人や自分を傷つける言動を繰り返したり、乱暴な運転をしたり、嫌いな人のことばかりを考えたり、人と連絡を絶ち引きこもったりと、人はわざと不幸になりたいのかなと思うような行動をとり続けることがあります。

しかし、そのような行動をとる人たちでも、ほとんどは、よりよく生きたいと思っています。つらい状況にどうしようもなく追い込まれることもありますが、上記のような行動がより良い生活のために必要だと考えて、意識して行動し続けていることも多々あるのです。

よりよい状況にしたいので、そのための邪魔になる問題は早く解決したいと考えます。ですが、問題解決を焦ってしまうと、むしろよりよく生きることとは逆の方向に向かってしまうことがありますので、注意が必要です。

借金は早く返した方がよいと無理な返済計画を立てたら、最後まで返済できなくなるかもしれません。スピードを出して乱暴な運転をしたら、事故を起こす可能性が上がり、目的の場所にたどり着けなくなるかもしれません。宿題をやれと怒れば怒るほど、宿題をやらなくなるかもしれません。

短期的に、しかも狭い範囲で見れば得をする、問題解決すると思うことが、中長期的に見みると、むしろ問題をこじらせてしまうことも多々あるのです。短期的に見れば、お金を借りて返さない方が、お金を返すよりも手元に残って得かもしれません。ですが、長期的に見れば、借りたお金を返した方が信頼ができ、次にまたお金を借りることができるようになるかもしれません。

周りや世界が変化するのを待つ

これらを踏まえたうえで、相談を受けるときにはどうでしょうか。例えば、お金を貸してくれと相談されても、無駄遣いをすることが明らかなときはお金を貸しても解決にはならないでしょう。それと同じように、学校にさえ行ければ、彼女さえできれば、何かきっかけさえあれば、うまくいくと決めつけた状態のときは、次に進むのは危険なことが多いのです。

また、これとこれをまず行ってみて、次にこれをすれば状況が変わってくると予測できても、当人がこちらの言葉に耳を傾けて実行できる段階でなければ、問題解決に進むのではなく、まずは話をじっくり聞いて共感をするなどし、味方になることが必要になります。

例えば、Aさんが周りの悪口を言い続けているような状況のときは、Aさん自身に考え方や行動の変化を促しても反発につながります。そのときは、その悪口に耳を傾けて、周りが変わったらもうけもんだというぐらいの感覚で、じっと何年も待つことが必要かもしれません。

働きかけず待つだけで、周りや世界が変化するのを待つのも一つの生き方なのでしょう。私は、自分のできる動きで目的に向かう方法を探ることをお勧めしますが、それができないときは、じっくりと伴走をして待つのも相談の一つなのでしょう。(精神保健福祉士)

日本政府の恥ずかしい認識《電動車いすから見た景色》34

0
2022年8月に国連ジュネーブ本部の前で介助者と

【コラム・川端舞】8月22~23日、障害者権利条約に対する日本の実施状況を審査する会合が国連ジュネーブ本部でおこなわれ、日本から障害者や家族、支援者など約100人が現地に向かった。審査自体は審査を担う国連の障害者権利委員会と日本政府との対話形式で進められるが、審査に先立ち、国連の委員と日本の障害者団体などが対話する時間が設けられたほか、審査の合い間に会場の外で、障害者たちが日本の現状を委員に直接訴えた。

私も、自分の子ども時代の普通学校での経験を書いたカードを委員に手渡し、障害児が日本の普通学校で学ぶ上で直面する困難を伝えた。私が差し出すカードを笑顔で受け取り、「インクルーシブ教育は日本にとって大きな課題だと思っている」と言ってくれた委員もいた。

実際の審査で「特別支援学校を廃止するために、予算措置を特別支援学校から通常の学校へ移行する予定はあるのか」「通常の学校が障害児を拒否することを禁止する法令を策定する予定があるのか」など、国連からの厳しい質問に、日本政府が回答した内容は、聞いているこちらが恥ずかしくなるようなものだった。

「特に知的障害児は中学・高校と学年が上がるにつれ、障害のない生徒と同じ内容を学ぶのが難しくなり、特別支援学校を選ぶことが多くなる。特別支援学校では知的障害のある生徒もリーダーシップを発揮できる」などの日本政府の回答を聞いていて、「特別支援学校を廃止する方略を聞かれているのに、特別支援学校の意義を主張してどうするのか」とツッコミを入れたくなった。

学習が苦手な生徒を支援する教員を1人多く教室に配置したり、生徒本人が「静かな部屋で集中して学習したい」「少し休憩したい」と思ったときだけ、他の教室で過ごしたり、知的障害のある生徒もどうやったら他の生徒とできるだけ一緒に学べるかを考える過程こそが、権利条約のいうインクルーシブ教育の過程なのに、日本政府の回答はその過程を放棄している。権利条約のいうインクルーシブ教育を全く理解していない。

「分離教育」中止を要請

8月の審査を受け、今月9日に国連が公表した報告書では、障害児を分離する現在の特別支援教育は止めるよう、日本政府に強く要請している。日本の障害者たちが自分と仲間の権利のためにジュネーブまで行った結果だ。現在、通常の学校に通っている障害のあるお子さんとご家族もジュネーブに行き、国連の委員に直接、日本の教育の現状を訴えたのも大きいだろう。

国連の要請にどう答えるのか。政府の反応に注目だ。(障害当事者)

科学都市つくばとねずみ男《映画探偵団》59

0

【コラム・冠木新市】今年はマンガ家、水木しげる生誕100年である。2007年にフランスのアングレーム国際漫画祭で「のんのんばあとオレ」が日本人初の最優秀作品賞を受賞。09年には「総員玉砕せよ!」が同漫画祭の遺産賞を受賞。10年には日本の文化功労者に選ばれた。

さらに15年に「コミック昭和史」がアイズナー賞最優秀アジア作品賞。2023年には映画「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」公開。またアニメ「悪魔くん」がNetflixで全世界に配信される。水木しげるの評価が自分のことのようにうれしいのは、歴史を共有してきたからだ。

水木しげる漫画の半妖怪

1960年、「墓場鬼太郎」を貸本屋で見つけ、妖気漂う画調に虜(とりこ)になった。その頃は、手塚治虫の明るい「鉄腕アトム」全盛時代である。どちらも好きだったが、一般受けしなかった「墓場鬼太郎」に肩入れした。東京オリンピックの翌年、1965年に「墓場の鬼太郎」が週刊少年マガジンに登場する。

このころ、東京世田谷区三軒茶屋の古本屋で、片腕のない壮年が助手の青年に次々に指示して本を選び、終わると風のように去って行く姿を目撃する。すぐ「アッ、水木しげるだ!」と気づいたが、声をかける勇気はなく呆然(あぜん)と見ていた。

2度目に出会うのは、俳優・丹波哲郎さんに何気なく「ねずみ男の冒険」の映像化を勧めたところ、大乗気になって、1997年、原作の許諾を得るため調布市にある水木プロダクションを訪ねたときだ。

「面談30分」との貼り紙のある応接間で、水木先生にお会いした。企画の話をすると、「丹波哲郎のねずみ男、イイですなあ!」と大喜びで、1時間近く話が続いた。「ボクが製作会社に話してあげましょうか」とまで言っていただいたが、こちらは時間超過が気になって、落ち着かなかった。

その後、コント55号の欽ちゃんに監督も決まったが、ある事情で映像化にはならなかった。申し訳ないと今でも思っている。

「ゲゲゲの鬼太郎」人気を支えるものは何だろうか。それは、ねずみ男の存在にある。人間でも妖怪でもなく、正義でも悪人でもなく、金と名誉と女性に極めて弱く、ときには仲間を裏切る、得体(えたい)のしれないキャラクターなのだ。しかも、水木マンガでは主役も張れば、準主役も張り、脇役、特別出演もやる。鬼太郎よりもねずみ男の方が、ファンが多いのではなかろうか。

110億で売れたら目が変化

科学都市つくばでは、妖怪ワ一ルドは受けないと思っていたが、2010年、NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が放送されると、女性たちの人気を呼び話題となった。昔、貸し本の「墓場鬼太郎」を気持ち悪そうに見ていた女性の成長した姿である。

あれから10年が過ぎた。ある土地が110億円で売れた途端に、一括売却反対だった人たちの、その場所を見る目が変化した。自分がもうかった気になっているようだ。もしかしたら、つくば市は半妖怪ねずみ男の故郷なのかもしれない。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

消費者トラブルに遭わないために《ハチドリ暮らし》17

0

【コラム・山口京子】今の社会は、商品やサービスを購入して、その商品やサービスを消費して暮らしを成り立たせています。そして、広告の誘引力はとても大きいものがあります。みなさんは、広告の文句にひかれて商品を購入したものの、実物とイメージの違いに落胆したことはありませんか。

消費者としてトラブルに遭わないための知識を得ようと、消費者講座に参加しました。2022年の消費者白書によると、21年の消費生活相談件数は85万件にもなっていました。これは相談があった件数なので、諦めてしまった人たちがいることを踏まえると、かなりのトラブルがあるのではないかと推測されます。

泣き寝入りしないためには、きちんと契約について知ること。契約に際しての規約や約款を確認すること。そもそも、その契約が自分に必要な契約なのか、じっくり考えること。こういったチェックが必要です。どの広告も「今すぐに」と呼び掛けますが、そういう宣伝こそ要注意だと思います。

私たちの暮らしのルールは民法が基本になっています。民法は対等な私人間の関係を前堤にした体系です。しかし、売る側の人たちと私たち消費者の間には、情報の質・量、交渉力などで大きな差があります。その差を前提に、売買の是正を考えたルールを作らないと、公正な取引はできないでしょう。

消費者契約法と特定商取引法を学ぶ

その格差を是正するためのルールが、消費者関連法といわれる法律です。講座では特に、消費者契約法と特定商取引法を学びました。消費者契約も契約ですから、民法の契約を基本にしています。その上で、消費者契約の特殊性から、これら2つの法律ができたということです。

消費者契約法には3つの柱があります。1つは、契約の勧誘段階の規制で誤認類型と困惑類型をあげ、該当すれば取り消しができます。2つ目は、不当な契約条項を無効とするもので、実際にどういうことが無効になるのかを定義しています。3つ目は、消費者被害に遭ったときなどに、被害者である消費者に代わって消費者団体に訴訟する権利を認めたもので、消費者団体訴訟制度と呼ばれます。

特定商取引法は取引形態を7つに類型化し、それぞれの特徴に応じた規制や民事ルールを整理しています。みなさんは「クーリングオフ制度」という言葉を聞かれたことがあるでしょうか。頭を冷やしてじっくり考える期間を保障し、その結果いらないと判断したら、無条件に契約を撤回、解除できる制度です。

特定商取引法では、通信販売を除く6つの取引に適用があります。また通信販売では、返品特約の明記が義務づけられています。県内でも様々な消費者講座があると思います。みなさんもぜひ参加してほしいです。(消費生活アドバイザー)

開店40年、二の宮の「エレガンス」 《ご飯は世界を救う》51

0

【コラム・川浪せつ子】今回は、今年で40周年のイタリアンダイニング「エレガンス」(つくば市二の宮)さんです。私が、つくば市(そのころは谷田部町)に来たときと同じ。ずいぶん昔々ですが、今なおステキなお店。コーディネートされたお花が、室内にたくさん飾られています。建物も素晴らしい洋館風。

私の建築関係の仕事仲間は、こちらでウエディングパーティーを開きました。また建築士会の女性部会主催のコンサートも。そんな催事もできてしまう広さとインテリアです。

エレガンスの外観

コロナになったばかりのとき、外食を控えていました。そんなとき、エレガンスさんのテイクアウトをして、斜め前の公園で食しました。お弁当は良かったのですが、なんだかとてもわびしく、寂しい思いをしました。

お料理というのは、お味も大切ですが、どこで食べるか、そして居心地の良い場所なのか―というのが、重要なことだと感じました。

今回、思ったこと。以前はもっと混んでいたなぁ~、と。やはりコロナのせいですね。それと、最近感じることは、研究学園駅方面に新しいお店が増えて、時代の流れと、人の動向にも影響していること。これからも、末永く頑張ってほしいお店です。

秋の日の入り口付近

最後に。気が付いたら、このコラム、前回ちょうど50回目でした。そんなに食べたの?わたし!でした。おいしくて、楽しくて、お絵かきもして…。このコラムを見て「行きました!」というお話もお聞きして、ニコニコ、ハッピーです。ありがとうございます。コメント、お待ちしております。(イラストレーター)

新しい資本主義には新しい原発が必要? 《邑から日本を見る》119

0
水戸で開かれた東海第2原発の再稼働を止める集会

【コラム・先﨑千尋】先月28日、ロシアが占拠しているウクライナのザポリジエ原発で、原子炉から約100メートルにある建屋が被弾した。原子炉本体が攻撃され、制御不能になれば、チェルノブイリ原発事故以上の被害が出ると言われており、間一髪という感じがする。ウクライナの原発だけでなく、わが国の原発だって、武力攻撃のリスクが高まっているという判断は今や常識だ。

それなのに、岸田総理は突然、次世代原発の開発を含む原発の新増設や原則40年の運転期間の延長、東海第2原発や柏崎刈羽原発の再稼働促進などの方針を示した。東京電力福島第1原発の事故後、歴代首相は国民感情を意識し、原発の新増設には触れないできたのに、国会や閣議などで検討することもなく、突然の方針転換。先の参院選でも争点にせず、故郷を奪われた被災者や原発の安全性に不安を抱く多くの国民の理解を得ていない。私は「岸田さん。あんた、マジか?」と言いたい。

この政府の方針転換に、県内の首長は戸惑いを見せる。大井川知事は「現場で抱えている課題を考えると、突然、来年の春とか夏とかいう話はちょっと難しい」、東海村の山田村長は「国の動向に左右されず地元として丁寧に対応していく」、水戸市の高橋市長は「実効性ある避難計画ができなければ再稼働は認めない」(いずれも8月26日の東京新聞)。

新聞の社説は、「足元の『危機克服』を理由に、長期的な国策を拙速に転換すれば、必ず禍根を残す。考えなおすべきだ」(朝日新聞)、「2011年に起きた東京電力福島第1原発事故の反省を、政府は忘れてしまったのか」(毎日新聞)、「これ以上、原発依存を続けることに国民の不安は大きく、持続可能な社会や脱炭素にも本当につながるとは思えない」(京都新聞)などと、政府の方針に疑問を投げかけている。

水戸では東海第2再稼働反対集会

たまたまだが、先月27日に東海第2原発の再稼働を止めようという集会が水戸市で開かれ、県内外から450人が参加した。鎌田慧さん(とめよう!東海第2原発首都圏連絡会)や海渡雄一さん(東海第2原発運転差止訴訟弁護団)、藤井学昭さん(東海村願船寺住職)などの挨拶、訴えなどがあり、「岸田首相は原発推進政策の『短絡的な号令』を撤回せよ」という抗議文を採択した。

この集会には、福島県新地町の漁師小野春雄さんも参加し、汚染水を海洋放出するという政府と東京電力の方針を厳しく糾弾した。「海は人間の命であり、宝物だ。また我々の仕事場であり、我々が海を守っている。そこをなぜ汚すのか。日本は法治国家のはずだ。東電は我々の承諾がなければ、汚染水を海に流さないと文書で約束しているのに、一方的に反故(ほご)にしようとしている。勝手に決めないでくれ。ハラワタが煮えくり返っている」と訴えた。

今回の集会には、五十嵐立青つくば市長や中島栄美浦村長らの多くの賛同人があったが、私は飯島清光水戸農協組合長や秋山豊常陸農協組合長ら農業関係者が賛同人に入っていることに注目した。福島の事故でも、第1次産業と言われている農林漁業が取り返しのつかない被害を受けている。茨城でも、東海第2原発が再稼働になり事故が起きれば、多くの人が避難しなければならなくなり、農林漁業関係者のダメージは計り知れないことが予測される。(元瓜連町長)

パクちゃん 山口へ行く《続・平熱日記》117

0

【コラム・斉藤裕之】お盆に思い切って故郷山口に帰ってみることにした。鉢植えの水やりは「百均」のペットボトルを再利用したものでなんとか凌げそうだが、問題は犬のパク(ハクは随分前から「パク」という呼び名に代わってしまっている)をどうするか。預かってくれそうな先もいくつか思い当たったのだけれど、ここは一緒に車で帰ろうと決めた。

片道千キロ。しかも車嫌いのパクにとっては辛い旅になることはわかっていた。しかし、この先も車で2人?旅をするにあたっては、いずれ通らねばならない試練。思い立ったが吉日。渋滞を避けたつもりで出発してみたものの、すでに人々の移動は始まっていた。首都高通過に予想以上の時間がかかった上に、景色優先で選んだ中央道では名古屋の手前でホワイトアウト級の土砂降りに遭う。

やれやれ何とかたどり着いた。弟の家は山の中にあるほぼぽつんと一軒家だ。と、ちょっと目を離した隙にパクが山の中へと消えてしまった。「パクー!パクー!」と呼べども反応がない。「そのうち帰って来るよ」と弟夫妻。辺りはだんだん薄暗くなって、ヒグラシが寂しく鳴き始める。

山中にはイノシシの罠(わな)もかけてあるというし、かれこれ3時間が経つ。諦め半分の気持ちでふと外の縁側を覗くと、そこにパクが座っている。「パクー!」。顔と足が汚れていて、どうやら山の中の散策を楽しんだらしい。我が家に来て1年半。元はノラ公だったので、初めはなつくのか心配だったけれども、ちゃんと戻ってきてくれたぞ。

コーヒーの木は、なじみのカフェに

翌日。さして目的もないが、まずは粭島(すくもじま)に行き、弟の船で出航。アジ、タイ、カワハギの大漁。それから、件(くだん)のホーランエー食堂で冷たいそばをいただく。別の日には、瀬戸内海、日本海の道の駅を探訪。ビニール袋いっぱいの小ぶりのサザエが千円。

透き通るようにきれいな海に戸惑うパク。帰りの山道では、「何か落ちてる?」と思って車で近づいてみると、なんとウリ坊。死んでいるのかと思って、車で近づくと足をバタバタさせて、昼寝?

それから、ずっと疑問に思っていたこと。小さい頃、裏の山に一家で出かけると、母が摘んでいた丸い葉っぱ。確かその葉っぱで、柏餅(かしわもち)を作っていたと思うのだけれど…。道の駅で買った柏餅。なんと、その葉っぱに包まれている。弟の奥さん、ユキちゃんによると、「この辺りでは柏の葉の代わりに、サルトリイバラを使うんよ」。

帰りは渋滞もなく、ほぼ予定通りの時間に自宅に着くことができた。着いてまずは2階に上がる。枯れはしないかと心配だったコーヒーの木。元気そうな姿に一安心。実は留守をしていた間に一考して、この木はなじみのカフェに寄贈することを決めた。

オーナーもこの申し出を喜んでくれたし、家で私1人が見ているよりも、多くの人に触れ合うことができて、その方が木もうれしいに違いない。私も会いに行くのが楽しみだ。いつか花を咲かせてくれるなんてことを思うのは、ちょっと虫が良すぎるかな。

長旅を終えたパクも、安堵(あんど)した様子で階段下の定位置に寝転んでいる。旅から帰ったときのお決まりの文句でも言いたそうだ。「やっぱり我が家が一番。住めば都ねー!」(画家)

銀座通りの火の玉 《くずかごの唄》115

0
イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】9月1日は防災の日。私は防災用品の点検をする日にしている。関東大震災を知っている人はいなくなってしまったが、子守歌代わりに震災の恐ろしさを聞いて育った私にとって、忘れられない日なのだ。

父は子供が大好きで、慶應義塾の学生時代、近所の子供たちを集めて、水泳を教えたり、絵本を読んだり、藤友会という「こども文庫」みたいなものをやっていた。母は、弟たちを藤友会に連れて来て、父と親しくなり結婚したらしい。

大正12年(1923)9月1日。20歳の母は妊娠8か月。東京中央区新富町に住んでいた。お昼時。食事をしようとしたら激震。周りは木造の家屋。竈(かまど)で薪(まき)をくべて煮炊きする時代だったから、地震でつぶれた家屋から発火し、引火して、町のほうぼうが火事。逃げるしかない。父と相談し、目の悪い姑(しゅうと)の手を引いて、3人で皇居前広場を目指して避難することになった。

火事の火を避けて歩いていたけれど、銀座通りを横切る時。すごい風が火の玉となってぶつかってきて、危うく死にそうになったという。

皇居前広場のあたりは、昔、三菱ヶ原と呼んでいた。父が子供の頃、トンボ取りをした原っぱがあったという。新富町あたりの子供たちは、4キロくらい離れた皇居前まで遊びに行っていたらしい。皇居前広場はたくさんの人が避難していて、喉が渇いて水が飲みたかったが、某国人が井戸に毒を入れたから井戸水は飲むなという「オフレ」が出て、つらかったという。

父は足を棒にして友達の家を探し回り、慶應同級生の亀山さんの目黒の家が焼けずに残っていたので、その家に転がりこんで、お世話になった。母は芝公園の中の仮設産院で兄を出産した。着るものがないので、亀山さんの妹の跡見女学校の制服を着ていったという。兄の加藤尚文(故人、経済評論家)の戸籍謄本には、出生地芝公園内2号地と書かれていた。

母から聞かされた震災の恐怖

母は震災後の精神的後遺症なのだろうか、10年間子供がつくれなかった。10年目に私が生まれて、物心ついた時。私を相手に、震災で避難の時の恐ろしさを、繰り返し、繰り返し、語っていた。

10年目に生まれた娘にその怖さを語ることで、精神的なゆとりを取り戻していったのだろう。幼い時、母から何百回も聞かされた震災の恐怖。母のPTSD(心的外傷後ストレス障害)を忘れないように、私はその日を、今でも防災用品点検日にしている。(随筆家、薬剤師)

秋が近づくこの時期のノスタルジー 《遊民通信》48

0

【コラム・田口哲郎】
前略

蒸し暑いながら、どことなく秋めいてきました。空気が冷たくなり、道には落ち葉が落ち始めています。空の雲も夏の入道雲からうろこ雲みたいになっています。セミが盛んに鳴く夏が去りゆき、草むらで鈴虫が鳴く秋が近づくと、なんとなくさびしい気分になります。

さびしいときに思うのは、過去のことです。今年になって戦争や元総理襲撃、豪雨災害が起こり、世界はいよいよ混迷を深め、激動の時代が来る予感がしています。先の読めない時代にあって、過去は過ぎ去って確定した世界です。変えられないからこそ変わらない世界に、なぜかノスタルジーを感じるのは人情というものかもしれません。

私の世代、40代前半は、青春時代にはすでにバブル景気は終わり、学生が終わるころは就職氷河期でした。自己責任が叫ばれた社会で、かつての終身雇用制のような安定を求めることもできず、非正規雇用で辛酸をなめる人も多かったです。

そして、心を病んでしまう人もいて、ミドルエイジ・クライシスが問題化しました。さんざんな印象の時代ですが、それなりに思い出はあります。

カフェ・ブームとクラブ・ブーム

バブル崩壊でつかのまの栄華が終わり、空洞化していた東京の雑居ビルに、小さなカフェが次々と開店し、カフェ・ブームが起きました。今ではめずらしくないですが、小さいながら、モダンなインテリア空間で、健康志向のカフェ飯をいただくというスタイルが確立されました。

そして、クラブ・ブームも起こりました。六本木のマハラジャや湾岸のジュリアナで有名な大型ディスコではなく、やはり雑居ビルの一室で、D Jが流す、電子音楽に満ちたこぢんまりとした空間でゆるく踊るのが流行しました。カフェやクラブは渋谷の裏通りや恵比寿、西麻布あたりにあり、いわゆるメジャーな街にはありませんでした。右肩上がりの時代が終わり、なんとなく暗い気分の若者の感性に合っていたのでしょう。

庶民は不景気に苦しんでいましたが、一方で世界のだぶついたマネーが日本に流れ込みました。その資金によって、大手デベロッパーによる再開発が進み、東京中の裏通りがきれいな複合施設に生まれ変わる直前の風景です。

過去のノスタルジー効果なのでしょうか。幸福感もなく、次々と起こる社会変化を控えていた当時のほうが、今よりも幸福だったような気がします。これは思い出の美化で、妄想なのでしょう。こうした追憶から目が覚めたら、変わり続けている社会に適応していかねばなりません。「今」というのはおそらく過去の価値観が通用しないものです。

時流に乗る苦労に対するささやかななぐさめがノスタルジーなのであれば、これからはもっとノスタルジーにひたることが増えそうです。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

石岡のおまつり 《日本一の湖のほとりにある街のお話》3

0
イラストは筆者

【コラム・若田部哲】「正月やお盆には帰省しなくても、おまつりには帰る」といわれるほど、市民に根付いている「常陸國總社宮(ひたちのくにそうしゃぐう)例大祭」。通称は「石岡のおまつり」。川越氷川祭(埼玉)、佐原の大祭(千葉)とともに、関東3大祭りの一つとして知られ、毎年9月15日と敬老の日を最終日とする3日間に行われます。

このお祭り独特の幌獅子(ほろじし)は、獅子頭から延びる胴体に獅子小屋と台が付いており、その周りを幌が覆うというもので、お囃子(はやし)とともに、獅子が進むさまは圧巻。町内ごとに色や表情が違い、何度訪れてもその都度違う表情が味わえます。

令和元年(2019)には、期間中、約50万人超の見物客が訪れ、町中が熱気に包まれたこのお祭りについて、常陸國總社宮禰宜(ねぎ)の石﨑さんにお話を伺いました。

「祭り」とは、祈りのより動的な形であり、「人知を超えたものを神として可視化し、感謝する」という行為を、意識せずに行ってきたものだと石﨑さん言います。そして、「神を祀(まつ)る者、神に祈る者の背中が美しいからこそ、その祭りは美しく、皆で共有すべき『宝』としての価値を持つ」と話されました。

私見ですが、祀(まつ)る神を持たず、ただ、よそのお祭りの表層の姿を寄せ集めた近年の観光イベントとしてのお祭りは、心引かれるものがありません。一方で、古来より続く、神を祀る祭りの光景が胸を打つのはそのためだったかと、合点がいくお言葉でした。

お祭り=神事

しかしながら、この歴史あるお祭りも、新型コロナの影響を避けることはできず、令和2、3年度は9月15日の例祭のみが行われ、「神賑行事(しんしんぎょうじ)」については延期となりました。

「逆にそのことで、祭りの意義を根本から問う機会になるなど、プラスの面もあったのでしょうか?」と伺うと、若い世代を中心に「祭り=神事」であることを再確認する機会になったのも確かだが、連綿と続いてきた祭りが2年間途切れたマイナス面の方が大きかったとのこと。

古来よりの祭りが連綿と今も続いているのは、その時代ごとの神職や氏子・崇敬者が、続ける努力を怠らなかった結果であり、その時代ごとに要不要を見極め、新陳代謝を繰り返しながら、祈りを「続けていくこと」こそ、祭りの意義であると石﨑さんは言われます。

例えば、現在ではこのお祭りの代名詞でもある巨大な「幌獅子」。これは当初からあったものではなく、江戸時代後期に市内土橋町の照光寺に逗留(とうりゅう)していた大工さんが、お世話になった印に、寺の襖(ふすま)に描かれた獅子を彫って奉納したのがその始まりであり、それが次第に他の町内にも波及し、現在のような姿になっていったのだそうです。

令和3年(2021)10月、「常陸國總社宮祭礼の獅子・山車・ささら行事」の神賑行事が、石岡市の無形民俗文化財に指定されましたが、これは「石岡のお祭り」が観光イベントではなく、そのように少しずつ形を変えながら連綿と続く祈りの形であったからこその賜物(たまもの)でしょう。

コロナ禍を超え、これからこの神事がどのように新陳代謝をしていくのか。その祈りの形を、これからも見続けたいと思います。(土浦市職員)

 

ナマズを桜川の名物料理にして駆除しよう 《夢実行人》12

0
ナマズの解体

【コラム・秋元昭臣】「移入され肉食害魚(緊急対策外来種)となったアメリカナマズを地元の名物料理に変え駆除する」。ナマズの害を被っている桜川漁業協同組合の鈴木清次会長のアイデアです。そこで今夏、土浦で料理教室を開いている吉田礼子先生、霞ケ浦湖畔でモーターボート販売会社を経営している伊藤一樹社長らと一緒に、同漁協事務所(つくば市松塚)を訪れ、ナマズ料理を味わってきました。

まずアメリカナマズを解体。吉田先生が骨に付いた肉をこそぎ落とし、タンカイ(淡水域にすむ中型の貝)の甘辛煮、ごり(淡水産のハゼ類)のつくだ煮、川えびの揚げ物と一緒に、「揚げボール」「唐揚げ」「かば焼き」などにしていただきました。揚げたては「サクサク」「ほっこり」で、桜の木陰で川風に吹かれながらの昼食会になりました。

ナマズは海外ではよく食べられますが、日本では一般的ではありません。家庭でさばくのが難しく、お店にもあまり並んでおりません。天然物は入手するのが難しく、霞ケ浦周辺で売っているのは、山野水産(かすみがうら市)、観光物産店「こいこい」(行方市)、なまず屋(行方市)ぐらいでしょうか。

確かに外見はグロテスクです。しかし、ビタミンB1、Eなどが豊富で、疲労回復、免疫向上、動脈硬化予防、老化防止によいそうですから、もったいない話です。それに、広く流通するようになれば、漁業者が迷惑している害魚=ナマズを減らすことにつながり、漁協にはプラスです。普及させるため、吉田先生は調理方法を考えるそうです。

川に大切さを知る「川の日」を!

ナマズ料理を試食しながら、桜川漁連の鈴木会長は、延長60キロの桜川のことについても話してくれました。

以前は、水かさが増したときなど、7カ所の堰(せき)を人力で徐々に開放していたそうです。ところが今は、自動で一気に開放され、急激な水位上昇により、護岸が崩落したり、泥が堆積(たいせき)したり、浮遊物が大量発生したり、いろいろ問題が起きています。また漁協は、魚道設置などを関係部署に要望しているそうです。

桜川流域の人に治水・利水に関心を持ってもらうため、川の大切さをアピールする「川の日」を設けるよう鈴木会長は提案しています。また、伊藤社長は「川を守るには釣り人のマナーが大切だ」と発言、河川保護の話でも盛り上がりました。

試食中、桜川での川遊びを終えた幼児から声を掛けられ、子供を連れて遊びに来られる川を残すのも我々の責務と感じた次第です。(元ラクスマリーナ専務)