土曜日, 4月 20, 2024
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お泊りは輪泊で 《ポタリング日記》11

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客室壁面には自転車のディプレイが可能

【コラム・入沢弘子】目が覚めたら、愛車BROMOTON(ブロンプトン)がこちらを向いている。窓をのぞくと、真下を通過する常磐線。そうでした、昨夜は、自転車と一緒の部屋で過ごせる、JR土浦駅の星野リゾートBEB5土浦に泊まったのでした。

2020年秋、「ハマる輪泊」をキャッチフレーズに開業した同ホテル。自転車を部屋に持ち込んで宿泊することが可能です。開業当初から興味があったのですが、近いだけに泊まる機会がありませんでした。今回は、全国旅行支援適用期間ということもあり、自転車でポタリングして宿泊することにしたのです。

つくば市の自宅からは7キロ。いつも使う慣れた道を通ること20分。土浦市立図書館で本を借り、自転車を押したまま、駅ビルのプレイアトレ土浦のカフェに行き、コーヒーを片手に数ページ読む、というところまでは日常的なこと。今日は、その後にホテルのロビーへ。非日常の始まりです。

チェックインカウンターでの手続き後は、自転車を押したまま部屋に入ります。早速、壁のサイクルラックに自転車をディスプレイ。間接照明だけを点灯し、暗闇に浮かび上がる愛車の姿を堪能します。

掛け時計はチェーンホイールを組み合わせたデザイン。棚に設置されている自転車関連の本や、つくば霞ケ浦りんりんロードのマップを参考のために眺めてみます。かすかに聞こえる列車の警報音。ロールスクリーンを上げると、ホームにいる人と目が合いビックリ。線路が近いことを感じない静かな部屋で、行き交う人や電車を眺めているうち、夜のとばりが降りてきました。

壁にディスプレイした自転車を眺める

空腹を感じロビーに向かいます。このホテルはルームサービスがありませんが、24時間、カウンターで飲み物とスナック類を販売しています。落ち着いた照明のロビーにはテーブルやこたつ、本棚に隠れるように配置されたソファなどがあり、ちょっとした隠れ家のよう。

パブリックスペースでくつろぐ

常陸野ネストビールと、土浦特産のレンコンを使用したスナックを注文。ワインを飲みながら、こたつでボードゲームに興じる女性グループ。ミキサー付き自転車をこいで、スムージーを作る家族連れ。この開放的でくつろいだ雰囲気は、グランピングのパブリックスペースに似ています。

部屋に戻り、今度はガラス張りの浴室でバスタブのお湯に浸りながら、壁にディスプレイした自転車を眺めます。明日はどこをポタリングしようか。この場所からは、つくば霞ケ浦りんりんロードで、霞ケ浦にも筑波山方面にも行くことが可能。常磐線で輪行した先を回るのもいいな。

でも、土浦市内の食べ歩きやお土産買い歩きも魅力的。あれこれ思いを巡らせ、ポタリング気分が盛り上がった一夜でした。(広報コンサルタント)

新年おめでとうございます 《吾妻カガミ》148

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【コラム・坂本栄】物騒な世の中になりました。戦争は政治の手段という古典的な考え方が大手を振って登場。また、軍事と経済が連動する時代になりました。戦後日本の政治・経済・軍事の常識は非常識になってしまったようです。/NPO法人「NEWSつくば」は昨年10月、発足から5年を迎えました。地域の有力法人の支援も得て、自らのサイトとニュース・プラットフォーム経由で地域情報を発信しています。

上のパラグラフは年賀ハガキからの転載です。スタートから6年目に入った本サイトを、今年もよろしくお願い申し上げます。以下、賀状を少し補足します。

政治の延長で戦争をする時代

戦争は政治の手段…は、ドイツの軍学者クラウゼヴィッツ(1780~1831)の名言「戦争とは異なる手段を持って継続される政治に他ならない」を言い換えたものです。ウクライナに対するプーチンさんの振る舞いを見て、彼の頭の中は19世紀の状態であることを痛感しました。私たちの戦争に対する否定的な考え方はナイーブに過ぎ、政治指導者は自分の都合で戦争を始めると考えておいた方がよいのかもしれません。

20世紀半ば以降、私たちは自由貿易の恩恵を受け、そのシステムを広げてきました。ところが、経済と軍事がセットになった強国を志向する習さんに、米欧日が敏感に反応、戦後の貿易システムは壊れつつあります。半導体など多くの商品が輸出入規制の対象になり、日本にとって好ましい国際経済のシステムは過去のものになりました。

この77年間、私たちの常識であったことが、崩れつつあるようです。私たちは20世紀前半に引き戻され、政治の延長上の戦争が常態化し、経済が窮屈な思いをする時代に突入したのでしょうか。

地域メディアの新モデル模索

NEWSつくばは、新しい地域メディアのモデルを模索してきました。税金で運営される自治体の監視、解決が求められる地域問題の提起、地域のイベントやそこで活躍する方々の紹介―などの記事は新聞と同じですが、既存メディアとの大きな違いは「ネットで発信する非営利法人」であるということです。

新聞・ラジオ・テレビなどのメディアは、購読(視聴)料や広告料などで運営されています。これに対しNEWSつくばは、個人や法人の小口支援、法人の大口支援によって運営されています。経費の多くは有力法人の支援でまかなわれており、現在、十数社の支援を得ています。地域メディアの必要性に理解がある、これら法人の識見に深く感謝しております。

昨年12月、紙メディア時代の終わりを示唆する事件がありました。県南で配布されてきた有力フリー・ペーパーが休刊になったことです。また、新聞やテレビは、紙や電波だけでなく、ネットを使った発信に経営資源を振り向けています。大観すると、メディアの主流はネットに移りつつあり、私たちの試みもその流れに沿ったものです。

冒頭、ニュース・プラットフォームに触れましたが、私たちは、Googleニュース、Yahoo!ニュースなどのプラットフォーム(大手発信サイト)に記事を提供しています。つくば・土浦地域のニュースを、できるだけ多くの方々に読んでもらいたいと思っているからです。伝達範囲に制約のある紙メディアに比べ、全国津々浦々に届くネットメディアは、この点、圧倒的に有利といえます。(経済ジャーナリスト、NEWSつくば理事長)

眼がいいということ 《写真だいすき》15

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忘れられたような古い虚空蔵堂に、小さな絵馬が貼ってある。いつ誰が、何を願って掲げたのか、思いを馳せると、写真はグッと面白くなる。撮影筆者

【コラム・オダギ秀】写真を見ていて、よく、いい眼(め)をしているなどと評することがあります。眼がいいということは、視力のことを言っているのではありません。被写体、つまりカメラを向ける事物を、どれだけ深く見ているか、ということなのです。

たとえば、枯れた木が生えているなら、木をそのまま見るなら、眼をこすったりメガネをかけたりすればいいのです。でも、写真を撮るには、枯れた木に何を見るか、が大切なのです。季節の移ろいを感じたり、移ろうことの楽しさやはかなさを感じたり、なぜその木が植えられているのかなど見抜けば、写真はさらに面白く、深みあるものになります。

葉が枯れる季節なのに生き生きとしているから大切にされている木なのだろうとか、それなのに今はなぜ邪魔にされているのかとか、どんな思い出がある枝なのだろうとか、木を巡る様々なことが見えてきます。それが、いい眼で見るということなのです。問題はそれから。そのように見たことを、いかに写真で表現するか。そこが、写真の苦しいところであり、楽しいところなのです。だから写真の世界は、奥が深く、素晴らしい世界なのです。

被写体つまり世の中の事物には、眼に見えるものも多いのですが、それだけではありません。匂いや音や温度や、周りの空気や季節、時の流れ、その事物に向かっているあるいは向かっていた人の思い、気持ち、美意識、愛情、うれしさ、悲しさ、悔しさ、憎しみ、寂しさや後悔など、さまざまな眼に見えない背景や周辺も、一緒に存在し、漂っているのです。

それらは、たんに、「きれい」とか「いい」と、ひとくくりにはとても出来ません。面白い写真とか、いい写真とか、中身がある写真というのは、写真にそのようなふくらみがあるかどうかを云々していることが多いのです。もちろん、写真の善し悪しや価値は、それだけではないのですが、そのような価値観や尺度で写真を見ることもあるということなのです。

そこに、写真を撮る難しさや、むしろ楽しさ面白さがあると思います。写真でそれらを表現するということは、写真撮影の感性であったり技術であったり、それこそ眼であったり、なのです。美しいとかかわいとか、それだけでもいいのですが、それをどう表現したら、写真として魅力的になるかは、言葉では単純に言い表せません。

よく、こんな写真はどうやって撮るのですか、というような質問を受けます。その気持ちはわかるのですが、ジェット機の操縦の仕方を教えてください、と言われているようで、戸惑ってしまいます。一言では言い表すことが難しいことなのです。どう説明したらわかってもらえるでしょうか。

被写体の様々なものを感じ取る

たとえば花と向き合う。単純に、きれい、で片付けるのは簡単です。何がきれいなのか、色なのか形なのか、花びらの柔らかさなのか、みずみずしさなのか。ああこんな花が咲く季節になったのだ、といううれしさが、きれいという言葉に発露したのかもしれません。その感じたものを表現するテクニックは、単純なものではありません。

古い建物がある。いいなと思う。何がいいと思ったのか。今の時代にはないデザインの美しさなのか、昔の大工職人の仕事ぶりに感心したのか、その家に住んでいる人の気持ちに共感するのか、陽の光の浴び方が美しいと思ったのか、その家の歴史がしのばれるのか、くすんだ建物の色が美しいと思うのか、流れる風に涼しさを感じたのか、影が美しいと思ったのか、などなど。

人を撮る時、その人の何に感じてシャッターを切るのでしょうか。美しい人と思ったのか。なぜ美しいと感じたのか。肌がきれいか、姿が整っているのか、髪がみずみずしいか、声や話し方がすてきか、付けている香りがいいのか、セクシーだからか、年取った髪がきれいなのか、しわが美しく見えるのか、それならそれはなぜか、まなざしがやさしいからか、光線がいいのか、何かくれるからか、昔交際していた人に似ているのか、高価そうな衣服を着ているからか、近所に住む人だからか、などなど、シャッターを切る理由は様々なのです。

そのような被写体の持つ様々なものを、感じ取り、カメラの眼で見つめ、写真として魅力あるものに表現することが、写真を撮るという意味になることがよくあるのです。難しいから、写真は楽しい世界なのでしょうか。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

災害の少ない茨城にも暗雲? 《ひょうたんの眼》55

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垣根のサザンカ

【コラム・高橋恵一】茨城県は、自然災害の少ない、生活しやすい地域です。火山も無く、台風や異常な豪雨も少ない。県南部は地震多発地帯ですが、震源地が深くて、地表面では新幹線の車内程度の震度にしかなりません。

ところで、先のG7で岸田首相は、日本の防衛力を抜本的に強化すると宣言し、続いて安倍元首相が防衛費をGDPの2%にするよう指示しました。議論の積み上げもないまま、たった2人の発言で、日本の安全保障政策の大転換と赤字財政の超拡大が決められようとしているのです。理由は日本周辺に軍事上の危険が差し迫っているとして、日本の敵基地攻撃能力をはじめ、防衛能力を強化するためです。

敵基地攻撃能力とは、敵のミサイル攻撃を防ぐには、発射されてからでは遅いので、敵が発射に着手したら攻撃するというのです。西部劇映画のジョンウェインのように、相手が銃に手を掛けてから、早業で相手を撃ち殺すというのです。

実際には、日本が敵の発射着手を感知してから日本のミサイルを発射したとしても、敵基地の破壊には間に合わないのではないのでしょうか? 先制攻撃をしない限り、防げないことになります。しかも、「敵」にしてみれば、自分が発射しないうちに、日本が攻撃するわけですから、「敵」も敵基地攻撃能力を有し、使用する権利を行使できる理屈になります。

今回の、防衛力整備構想では、南西諸島の与那国、石垣、宮古の各島に自衛隊基地を整備し、反撃ミサイルを発射できるようになり、「敵」からの攻撃目標にもなります。自然災害の少ない茨城県にも、首都防衛の百里基地や、我が国最重要の防衛装備品(武器)の補給処があります。当然、有事に臨んで「敵」の攻撃目標になります。

5年後には第3位の軍事費大国に

ところで、国の公にする政策や予算において、特定国を「敵」と指名してよいのでしょうか? 賢い外交政策とは思えません。軍拡へのプロパガンダでしょう。

計画の実効性や経費の妥当性など、国民に、十分な説明も無いままに、5年間で43兆円とする計画を政府決定し、大幅な防衛費の増額を含む来年度予算114兆円余が閣議決定されました。財源の32%は国債です。今までの日本の政治では、政府の当初予算案が国会審議で変更になることは無いから、このまま議決されるでしょう。

5年後には、世界で第3位の「軍事費大国」が、実現することになります。OECDの最下位レベル、30位前後の生活水準の日本なのに。戦後の日本は、日本国憲法の下、平和国家としての外交で国際社会に臨み、防衛費を極力抑えながら経済成長をして、世界の信頼も獲得してきました。

500年ほど前、茨城県の鹿島に、塚原卜伝という最強の剣豪がいました。卜伝は、跡継ぎを選ぶとき、屋敷の出口に待ち伏せをさせて、防ぎ方を試し、戦って打ち負かした者ではなく、危険を避けて別の出口を通った者を選びました。当初から戦わなければ、負けることも、被害を受けることも無いということです。

日本は、本来の平和外交を駆使して、我が国だけでなく、世界の安定平和に全力を尽くすべきです。危機をあおる動きの背後に、内外の軍事産業の動きが大きくなっていることの危惧を感じつつ。(地図好きの土浦人)

室積とモンサンミッシェル 誘われる景色 《続・平熱日記》124

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【コラム・斉藤裕之】先日の授業中のできごと。「先生どこで育ったの?」って聞かれた。その子はモンサンミシェルの絵を描いていた。「山口。瀬戸内海で…」って答えた。すると、隣に座っていた子が「お父さん、山口県出身なんです」「へー、どこ?」「金魚の形をした島で…」「そりゃ周防大島でしょ」「そうそう…」。

奇遇というのか、同郷のご子息に出会うことがたまにある。話の流れから続けて、私は将来海のそばに住みたいという話をした。「室積(むろづみ)というところがあってさあ…」。山口県の東部、光市に「室積」という町がある。むろずみ、という響きも好きなのだが、ここは瀬戸内の潮流によって運ばれた砂で島が結ばれた陸繫砂洲(りくけいさす)といわれる地形で、美しい弓なりの砂浜がある。

すぐ近くの虹ケ浜という遠浅で大きな海水浴場は多くの人でにぎわっていたが、この室積はどちらかというとひっそりとしていて、私も幼い頃バスに乗って母と訪れた、室積海岸の断片的な景色をわずかに覚えている程度だ。

「その名前この前授業で習いました。むろずみ」。思いがけず生徒が繰り返した「むろずみ」という地名。「それ地理でしょ。陸繋砂嘴(さし)か砂洲で習ったんじゃない」「多分そうです…」「そういえばあなたが描いているモンサンミシェルも陸繋島だよ。島と陸が砂洲でつながって参道になっていて。むかし行ったことがあるんだ。ここは大きなオムレツが有名で…」

海のそばで暮らしてみたい

モンサンミシェルを建築設計図のように鉛筆で忠実に描いているその子は、初老の先生の話を嫌がらずに聞いてくれた。頭の中には、まだ小さかった長女を連れて訪れたモンサンミシェルのグレーの風景が流れていた。5月というのに寒かったノルマンディ。

「先生、何年かしたら室積に住むんですか?」「来年ぐらいかな!」「うそ、私たちが卒業するまではいてください…」「大丈夫、よくそういうこと言われるけど、そんなこと言って卒業までに一度だって美術室を訪ねてきた生徒はいないから。とりあえず、私のことはさっさと忘れていいから…」

昔から海のそばで暮らしてみたいという願望があった。朝、犬と一緒に砂浜を散歩する。窓から海の見える家。ところが現実はそれほどロマンチックではない。家はさびるし、洗濯物は塩っぽい。台風が来れば海は荒れるし、夏は暑い。買い物も大変だし…。それでも、故郷に帰るたびに海はいいと思う。

最近は暇なときにネットで検索する。「瀬戸内 住む 海沿い」。しかし、意外に思うような物件には出会わない。出会ったところで本気で移住するかと問われれば、いろいろと考えてしまう。今年生まれた男の子には「碧」「凪」「湊」という名前が多いという。人はいつか故郷に帰るということも聞く。「室積の海はきれいよ」という母の言葉を妙に思い出す。(画家)

「百姓作家」山下惣一さんとお別れ 《邑から日本を見る》126

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山下惣一さんを偲ぶ会

【コラム・先﨑千尋】去る12月18日、東京都千代田区の日本教育会館で「山下惣一さんを偲(しの)ぶ会」が開かれた。参加者は山下さんと関わりがある人たち約100人。私が山下さんに会ったのは30年も前のこと。本も10冊程度しか読んでいないが、影響を受けた1人として、彼と付き合ってきた人たちがどういうことを語るのかを楽しみに参加した。

山下さんは1935年に玄界灘に面した佐賀県唐津市に農家の長男として生まれた。「百姓の跡取りに学問は要らない」という父親の考えで、中学を卒業すると就農。2度の家出を経て農業技術の習得に励み、青年団活動などを通して仲間と村社会を変えていく活動を展開した。若い時は葉タバコやミカンが経営の中心だった。

山下惣一さんの著作

1967年に小説『嫁の一章』で佐賀県文学賞、70年に『海鳴り』で第13回農民文学賞を受賞。81年には小説『減反神社』『父の寧日』が直木賞候補になった。この時の受賞者は青島幸男さんだった。根っからの百姓が文章を書くのは変わり者と言われながら、書いた本は60冊を超える。すごいとしか言いようがない。

『くたばれ近代化農政』『それでも農民は生きる』『いま、村は大ゆれ』『土と日本人』『身土不二の探求』など、農や土、食べ物とは人間にとって何なのかを主に消費者に訴え続けてきた。

山下さんは、減反政策や、国が栽培を奨励したミカンの大暴落などを体験し、規模拡大など効率化だけを追求する農業の「近代化」に疑問を抱き、食料の生産を海外に委ねた日本の農政を鋭く批判。家族農業や小規模農業こそが持続可能で安定的な社会を築くという信念から、地産地消、消費者との交流などを唱え、実践した。

「田んぼや畑は先祖からの預かりもん」

この日の偲ぶ会では、生前の活動の映像が上映されたあと、山形県の佐藤藤三郎さん(元「やまびこ学校」卒業生)が特別発言。エピソードなどを紹介した。さらに、千葉県三里塚の石井恒司さんらが「山下さんの言葉は、頭で考えた言葉ではなく、土との対話から生まれたコトバ」など、山下さんとの関わりについて話した。

「田んぼや畑は先祖からの預かりもんであって、自分のもんじゃなか。未来永劫(えいごう)にリレーされるべきものなんだ」。「農業とは本来、常に未来のために汗を流す、夢を育てる仕事。だから明日を信じ、木を植える。父に限らず、一世代前まで日本の百姓の思想、生き方はそのようなものであった。その遺産の上に私たちは生きている」

山下さんが書いていることは皆当たり前のことだと私は考えている。しかし、戦後の農業や農政の動きはそういう考えを否定しようとしてきたのではないか。

さらに、私の周りにいる農家の人も多くの都会の人(消費者)も、彼のようには考えていない。「日本の農業のことは考えない。自分の暮らしを考えているんだ」という彼のセリフは強烈だ。「自らの頭で考えよ! 孤立を恐れるな。時代を変えるのは常に少数派だ」とも書いている。私への励ましの言葉だ。(元瓜連町長)

幼い頃の食べ物 《くずかごの唄》121

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】「いつ何があってもおかしくないです。無理をなさらないでくださいね」。大動脈が乖離(かいり)し、大出血。運よく命をとりとめ、退院する時に夫が医者から言われた言葉を、2人は噛(か)みしめながら生きてきた。

10年前、東京の本郷の画廊で「丸木位里さんを偲(しの)ぶ会」(7月3日付)の最後の日。製薬会社の昔の仲間たちがたくさん集まってくれた。「僕は大動脈の中膜(ちゅうまく)が乖離して、いつ死んでもおかしくない体だ。今日は生前の葬式だと思って、おおいに、笑って楽しく、飲んでください」

「葬式なのに、なぜ? 笑うんですか」

「生きていることがうれしいんだよ。丸木位里さんも俊さんも、原爆という人間の究極の悲劇を見た人だから、とても優しい人だった。私たちに命の楽しみ方を教えてくださった。君たちとの出会いもそうだよ」

私は食いしん坊なので、人との出会いが食べ物と結びついている。秋のある日、丸木先生の家にマツタケがたくさん送られてきて、「食べろ、食べろ、好きなだけ食べろ」と先生に言われ、マツタケをぜいたくに、おなかいっぱい食べた日のことを思い出していた。

ぬかみそ漬け、イワシの塩焼き

その頃から、私の頭の中は夫に何を食べさせようか、という課題でいっぱいだった。日仏薬学会の事務長だった夫は、ワインもフランス料理もくわしい。我が家はワイングラスがあふれていたのに、どうしたわけか、自分が幼い時に食べたものだけが食べ物で、ほかのものは食べなくなってしまっていた。

昭和初期の食べ物。ぬかみそ漬けの樽(たる)も大きくて、邪魔だけれど捨てるわけにいかない。かつお節をたくさん入れた千六本(せんろっぽん)ダイコンのみそ汁。ナスのぬかみそ漬け。味の濃い卵焼き。サンマやイワシの塩焼き。ダイコンおろし。しょうゆをたくさん入れた煮魚。

土浦はしょうゆの町。何にも、しょうゆを大量に使う。塩分は1日6.5グラムと医者に言われているのに、彼の言う通りにしていたら、15グラムは軽く超えてしまう。「今日は庭のギンナンをいれた茶碗蒸しが食べたいなあ。早く、早くしてくれよ」

食べたくなると、待つことができない。私は宇宙人につかえる魔法使いに変身するしかない。(随筆家、薬剤師)

手と耳と鼻で楽しむ里山《宍塚の里山》96

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【コラム・北村まさみ】風もなく、紅葉が美しい12月10日土曜日。目の不自由な方を含む『馬場村塾』の方たち7人が、宍塚に来てくれました。会員でもあり、2017年6月に実施した月例観察会「手と耳と鼻で楽しむ観察会」の講師、全盲の大川和彦さんが塾長を務める『馬場村塾』は、視覚障害関連の団体や施設が集まる高田馬場で、松下村塾のような、様々な人や情報との出会いの場、学び合う場として開かれています。

今回は里山歩き企画として訪れました。私たちの会からは6人が参加し、里山の案内と同行ガイドをしました。

大通りから宍塚の里山に入ると、コジュケイなど鳥の声がよく聞こえます。ふれあい農園のガッチャンポンプの井戸体験、脱穀作業で表に出ていた足踏み脱穀機と唐箕(とうみ)を、安全を確保しながら触っていただきました。クルミの木のごつごつした幹と枝先のかわいい冬芽、ふわふわのガガイモの種の綿毛、朽木に生える固いキノコ、むっちりしたカブトムシの幼虫など、冬の里山ならではのものを手で触れて観察。

また、草むらに埋もれて、目では見つけにくいクルミの実を足裏の感覚で探したり、モグラがごそっと持ち上げたモグラ塚、落ち葉のじゅうたんが敷かれた観察路など、足の感覚もフル稼働します。モグラの簡易はく製も用意し、ビロードのような毛並みとスコップのような手足も観察しました。

カモたちの鳴き声でにぎやかな大池を通り、こんもりしたゲンベー山を登り、中学生が竹の皆伐作業を進めた子パンダの森では、人が手入れをすることで保たれてきた里山を、一つのまとまり、生態系として保全することを目指していることなど、お伝えしました。

感覚をフルに使って感じる

大川さんからは「久しぶりに宍塚の自然に戻り、心身、元気になりました。私は宍塚から届いたお米をおいしく頂いています。昔ながらの機器にも触れさせていただき、一粒一粒のありがたさを感じます」と、感想をいただきました。

目の不自由な方に伝えたいと、目の前の物をいつもよりよく観察する、言語化することでよく認識する、感覚をフルに使って感じる…。ご一緒に歩くと、私たちが頂くものがたくさんあり、共有できた喜びも合わせて、とても楽しいです。

馬場村塾では、活動をyou tubeで発信しているそうで、私たちの会の活動について取材も受けました。You tubeの「馬場村塾」で検索してみてください。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

可処分時間でYouTubeを楽しむ 《遊民通信》55

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【コラム・田口哲郎】

前略

テレビの視聴習慣がなくなりつつあると言われ始めて、ずいぶんたちます。いまは個人が自由に使える時間を可処分時間というそうで、動画コンテンツのサブスクサービス、たとえばAmazonビデオとかネットフリックスがその可処分時間を獲得する激しい競争が起きているそうです。

むかしは可処分というと所得で、個人がお金をどう使うか、企業は市場調査に余念がなかったのですが、時間までも企業が虎視眈々(こしたんたん)と狙っているとなると、文明もゆくところまできたなという感があります。

さて、その可処分時間の話です。ローカルテレビ番組が好きで、テレビをつけているときはほぼテレビ神奈川かJ:COMチャンネルをつけている私のような者でも、動画サブスクを見るようになっています。私の場合はYouTubeです。

テレビ局もYouTube人気はしっかり把握していて、一部の番組はYouTube配信を行っています。でも、YouTubeのおもしろさはユーチューバーの番組でしょう。

私が見ているYouTube番組

私は鉄道が好きなので、鉄道系ユーチューバー、スーツさんの動画をよく見ます。かなり多くのコンテンツを紹介するスーツさんの才能はすごいと思います。そのスーツさんに影響を受けてユーチューバーになったという、ぼっち大学生のパーカーさんの番組も見ていて楽しいです。孤独な大学生の何気ない日常をありのままに見せる趣向が共感を呼ぶのでしょう。

こうしたユーチューバーの番組はついつい見てしまい、可処分時間を費やしてしまいます。新しいコンテンツが次々とあげられるので、視聴が習慣的になります。

さて、こうした人気ユーチューバーの番組もよいのですが、私がこのごろ見ているのは、「舞原学【アニメの美学】」です。東大文学部の美学芸術学専攻の学生さんが、趣味のアニメについて語るというシンプルなもの。アニメにまったく通じてない私は、語られているアニメ作品について予備知識なく動画を見ます。

でも、舞原さんの見方や切り口がとてもおもしろいので、アニメを見てみようという気持ちになります。少々哲学的なテーマでアニメを見る楽しさは、一般向けの番組とはひと味違ったものがあります。アニメはいまや日本文化の大きな柱です。紙の本を読むのも楽しいですが、アニメを精神の涵養(かんよう)のために見る時代が来ているのですね。

メディアは受け手の好奇心や探究心を刺激することで、生活を豊かにするものだと思います。その意味で、このごろのメディアの多様化はいろいろな問題がありつつも、人間社会にとって有益なのかもしれません。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

ゆきおんなの話 《短いおはなし》10

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【ノベル・伊東葎花】

あら、お客さん? 泊めて欲しいって?

こまったねえ。もう民宿はやってないのよ。

2年前に夫を亡くしてね、私ひとりじゃどうにもならなくてねえ。

ちょっと先にペンションがあるから、そちらに連絡してあげましょうか。

どうしてもここに泊まりたいって?

まあ、女性ひとりくらいなら何とかなるかね。

大したもてなしは出来ないけど、それでもよかったらどうぞ。

お客さん、寒くない?

こっちで火に当たりなさいよ。

「だいじょうぶ」

あらそう。

珍しいねえ。女の一人旅? しかもこんな雪山に。

顔色悪いけど、まさか自殺とか考えてないよね。

ダメだよ。生きたくても生きられない人だっているんだからね。

夕飯は? 食べないの? じゃあ、何かお話ししようか。

雪女の話とか、どう?

「ゆきおんな」

そう、雪女。夫がね、雪山で会ったのよ。

怖かったらしいよ~。

つり上がった眼をして、氷みたいに冷たい息を吐いて、人間を凍らせるんだって。

だけどね、夫のことは殺さずに助けてくれたんだ。

どうしてだろうね。夫が色男だったからかね。ふふふ。

もう40年も前の話だけどね。

「よんじゅうねんも、まえ」

そうだよ。

夫はね、普段は無口だったけど、酔うとおしゃべりになってね、民宿の客によく雪女の話をしていたよ。

その話は雪女伝説なんて言われて、すっかり評判になってね、晩年はよく語り部なんかもしていたよ。

夫が話す雪女の話は、本当に怖かったよ。

何しろ自分の体験だからね、雪女の恐ろしさが手に取るようにわかったよ。

真っ白な顔に、目は血が滲(にじ)んだような赤、長い黒髪をたらりと夫の首にからませて、地の底を這うような低い声で言ったそうだよ。

「わたしのことを、だれかにはなしたら、ころす」

そうそう。お客さん、よく知ってるね。夫の話を聞いたことあるの?

うまいねえ。本物みたいだ。夫の後を継いで、語り部やる?

夏の夜なんか、怪談話でひっぱりだこだよ。

「なつは、むり」

あはは、お客さん、暑さに弱いのかい?

さては北国生まれだね。

あれ、お客さんどうしたの? 泣いてるの?

「あのひと、しんだのか」

あの人? 夫のこと? お客さん、夫を知っているの?

「わたしが、ころしたかった」

(作家)

ふるさと納税の顛末記 ② 《文京町便り》11

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】ふるさと納税制度は2008年5月からスタートしたが、当初それほど浸透しなかった。確かに、菅義偉前首相が総務大臣当時(2006年9月~07年9月)に創設を表明した制度だが、そもそもこの制度の普及・情報公開には総務省もそれほど熱心でなく、全国的な情報集約は(言い出しっぺの西川一誠・福井県知事=2003年~19年=のこだわりを反映して)福井県HPから閲覧する状況が、数年間続いた。

ふるさと納税の利用は、初年度(2008)の寄附受入5.4万件、受入額81.4億円で、09年度の住民税控除額は18.9億円、控除適用者は3.3万人に過ぎない。2011年3月の東日本大震災の際、この制度を利用して被災地への支援を行いたいという(当初の想定を超えた)動きが生まれたため、2012年度の住民税控除額は210.2億円、控除適用者は74.2万人に急増した。しかし翌年度には減少し、こうした支援意欲もなかなか持続しないと噛(か)みしめた。

寄附控除での自己負担分が(2011年以降)5000円から2000円に引き下げられたが、利用は漸増だった。それが、あるタイミングで変化した。2014年度の受入191.3万件、受入額388億5000万円、2015年度の住民税控除額184.2億円、控除適用者は43.6万人に急増。これには、トラストバンク(社長・須永珠代、2012年4月創設)が開設したポータルサイト「ふるさとチョイス」(2012年9月)が貢献している。これ以降、ふるさと納税はネット通販と化した。

さらに「ふるさと納税ワンストップ特例制度」(2015年4月)で利便性が高まり、2015年度の受入726万件、受入額1652.9億円、16年度の住民税控除額は1001.9億円、控除適用者は129.9万人に急増。直近の2021年度は、受入4447.3万件、受入額8302.4億円、22年度の住民税控除額5672.4億円、控除適用者740.8万人に達している。

返礼品をめぐるトラブル

こうして大化けしたふるさと納税だが、いくつかの問題がある。たとえば、返礼品をめぐるトラブルあるいは騒動である。

この制度利用者の大半が(とはいえ、利用者は全納税義務者中の約12%)、実は返礼品目当てである。こうした過熱ぶりに総務省は、2019年5月、制度の趣旨を逸脱した返礼品で過度の寄附を集めたとして、大阪府泉佐野市を含む4市町を、この制度から除外すると決めた。泉佐野市はこの決定を不服として、国地方係争処理委員会に審査を申し立てた。

その後、この争いは高裁、最高裁まで及び、結局は国(総務省)が敗訴し、総務省は2020年7月に、泉佐野市などの本制度への復帰を認めた。しかしその後も、泉佐野市と国(総務省)との間では、特別交付税の減額をめぐって訴訟が続いている。

私見では、多額の返礼品に制限をかける総務省のスタンス(現在は寄附額の3割が上限)は、その通知をどのタイミングで発したかという手続き上の疑問・瑕疵(かし)はあるにせよ、基本的には妥当と考える。(専修大学名誉教授)

➡ふるさと納税の顛末記 ①(11月27日付)はこちら

TX茨城県内延伸 実現へのシナリオ 《吾妻カガミ》147

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つくばエクスプレス

【コラム・坂本栄】つくば市が終点始発になっているTXの延伸に関心が集まっています。茨城県が今年度中に延伸先を絞り込む作業を進めていることもあり、延伸先4候補(茨城空港、水戸市、土浦市、筑波山)の関係地域では、つくば市を除き、誘致活動が活発になっています。今年最後の本欄はTX延伸問題のあれこれです。

県内延伸と東京駅延伸はセットで

なぜ県は年度内に延伸先を決めたいのでしょうか? 県政通によると、来年度か再来年度、国土交通省の関係審議会で、TXの東京駅延伸が決まるそうです。県は、東京駅延伸とセットで県内延伸を決めてもらう作戦を立て、それには今年度中に延伸先を絞っておく必要があると考えたわけです。

なぜセット決定を狙っているのでしょうか? 現TX(秋葉原つくば)計画が策定された際、当時の竹内知事(故人)は、つくばより先に延ばす場合、その費用は茨城県が負担すると、東京都、埼玉県、千葉県に約束しています。単独負担を避けるため、東京駅延伸と県内延伸をセットで決めてもらい、県内延伸費用を他自治体にも分担してもらう、それには延伸先を国の審議会前に決めておく必要がある―これが絞り込みを急ぐ理由のようです。

つまり、県の絞り込み作業は、国の鉄道建設手順を踏まえ、工事費負担の分散・軽減を図るという、知事の深慮遠謀によるものだそうです。ということは、県内延伸先現TX区間東京駅がパッケージで決定されないと、県内延伸は難しくなるでしょう。この両方向延長に、都が策定中の臨海地下鉄(東京駅東京湾岸)がリンクすれば、壮大な計画になります。

国際空港と学園都市を結ぶ鉄道?

県内延伸先はどこになるのでしょうか? 私は茨城空港と予想しています。136「TX延伸論議…つくば市の狭い視野」(7月4日掲載)で指摘したように、関係地域(水戸市、土浦市、石岡市、小美玉市など)は、自分の市を経由して(水戸は空港から自市まで延伸してもらおうと)空港まで延ばせと主張しているからです。県内延伸=つくば駅茨城空港の政治的な包囲網が出来上がっています。

TX沿線市(守谷、つくばみらい、つくば)の人たちは、このプロジェクトにあまり関心がありません。延伸=東京駅延伸であり、県内延伸はピンと来ないようです。これら地域は東京通勤圏(茨城都民)ですから、県内延伸に想像力が働かないのは仕方ありません。

茨城空港まで延ばす必要性は何でしょうか? 先のコラム136では、▽10~20年先、首都圏の羽田空港と成田空港が満杯になり、茨城空港を第3国際空港として使わざるを得ない、▽それには、空港にアクセスできる鉄道が必須になる、▽つくばを世界レベルの研究学園都市に育てるには、茨城国際空港と学園都市を鉄道で結ぶ必要がある―と述べました。県内延伸は、学園都市の広域化を実現するテコにもなります。

高度な分担比率政治工作が必要

県内延伸にはいくらかかるのでしょうか? 1兆円に近い数千億円は必要でしょう。知事が県内延伸と東京駅延伸(東京湾岸延伸?)をセット決定に持ち込もうとしているのは、茨城単独ではこの額は無理と思っているからでしょう。

先に、首都圏第3空港化に触れたのは、そうすれば延伸費用を国から引き出せると考えるからです。単なる茨城空港延伸でなく、第3国際空港延伸とし、国=3分の1、茨城=3分の1、東京・埼玉・千葉=各9分の1といった分担比率ができれば、延伸は現実性を持ちます。こういった理屈付けと分担比率決定には高度な政治工作が必要です。(経済ジャーナリスト)

ブラボーな花火2022から新しい景色が見えた《見上げてごらん!》9

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第91回全国花火競技大会ワイドスターマイン「土浦花火づくし」(土浦市提供)

【コラム・小泉裕司】「花火サーフィン」にうつつを抜かしていたら、2022年もいつの間にか、あと2週間。居間の「花火カレンダー」は、最後の1枚が間もなく役目を終える。

今シーズンの「花火初め」は、1、2月に開催された「土浦の花火~後世に伝える匠の技」。毎週末に花火が上がるという、これまで経験したことのないワクワク感いっぱいの花火企画に始まった。その後は、コロナ禍で悪化した慢性煙分依存症の欲求のおもむくまま、GWに秋田県大仙市で開催された「SPRING FESTA大曲の花火」(5月14日掲載)、長岡や大曲、片貝などのリピート観戦、柏崎や亘理町、新常総花火などの初見参を含めて、県内外22の大会を鑑賞。

12月3日、山﨑煙火製造所が担当した「牛久沼花火大会」を間近で堪能し、今年の「花火納め」とした。

結果、1月から12月まで、毎月、花火を鑑賞することができ、画期的でブラボーな1年となった。同時に、夏の風物詩と言われてきた花火大会だが、四季折々の季節感が醸し出す花火の魅力にもまた趣があることを知った。花火大会のオールシーズン化など、新しい時代のあり方を垣間見ることができたのかも知れない。

いずれにしても、進化した高品質な「日本の花火」をあらためて確認し、格別の余韻で年が暮れていく。ちなみに、花火好きが集まるSNS上の「花火観覧数アンケート」によると、50回以上の猛者を「依存症」と言うらしい。9回以下が「一般人」、筆者の22回は「花火マニア」に該当するとのこと。病状は比較的軽症のようで、家族も一安心だろう。

花火鑑賞講座=アルカス土浦4階

花火鑑賞士in土浦の新たな花火企画

ある全国紙記者が、土浦支局から大仙市の大曲支局に転勤したのを機に、当地で花火鑑賞士の資格を取得した。17年に大曲で再会した際、鑑賞士仲間として、「土浦の花火」をさらに盛り上げるための3つの提案を授かった。

その一つが、花火への「市民の誇り」の醸成だ。彼は両市での取材を通して、市民の花火に対する思い、熱量の違いを目の当たりにしたようだ。この点は、筆者も「土浦の花火」は、市民の誇りにつながる土浦の宝であるとの思いから、かねてより新聞・ラジオ、ネットテレビ局、本コラムなど、様々なメディアへの露出機会をいただきながら、情報発信への取り組みを進めてきた。

特に今年は、3年ぶりの大会開催を機に、長年したためてきた市民参加の企画として、「花火鑑賞講座/土浦の花火の魅力を知ろう!」を実行委員会に提案し、日本花火鑑賞士会や土浦市職員有志のサポートのもと、実現することができた。

講座の幕開けは、石原之壽氏による紙芝居「土浦花火物語」。続いて、土浦市立博物館の野田学芸員による土浦花火の歴史、実行委員会OBである湯原氏の体験談、花火愛好家の穗戸田氏、花火鑑賞士の市川氏と筆者による花火の見方など。盛りだくさんの内容で予定時間をオーバーしたにもかかわらず、ほとんどの参加者から次回開催への希望が届くなど、高評価を頂戴した。今後については、あまり間隔を置かず開催できるよう準備を進めている。

新年まで10日あまり。大掃除やら年賀状書きやら、年末の恒例行事は山積みだが、まずは居間に掛ける花火カレンダーの後任を決めることが、最優先なのだ。本日はこの辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

親友にアドバイスするつもりで 《続・気軽にSOS》123

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【コラム・浅井和幸】物事を怠けてしまったり、感情的になってしまったりと、うまく物事が前に進まないことがありますよね。分かってはいるけれど実行できないということもありますが、その場になると分かってもいない状況になります。なんでできないのだろう、自分はダメな人間だとネガティブになって、さらに前に進めないという悪循環になることもあるでしょう。 そのようなとき、冷静に自分を客観視することがなかなかできないないものです。自分が望む次の一歩を踏み出すために、いくつかの方法をお伝えします。真剣になればなるほど前に進めないときは、自分自身をちゃかしてしまうのも一つの方法です。 「はい、浅井選手、全く原稿を書く気になれません。たまっている仕事が気になったり、こたつの上のミカンが気になっております。おっと、手がキーボードに乗った~。いよいよ仕事に取りかかるかと思ったら、SNSからのYouTubeを見始めた~。浅井選手、いったい何を言い訳に原稿から逃げるでしょうか。それとも、無理やりでも手につけるか~~?」 なんて、自分で自分の実況中継をすると、ペースを変えたり、客観視したりすることができて、前に進むことができるかもしれません。自分の今の評価をリフレーミング(違う枠組みで見る)やリアプレイザル(物事の見方を変える)するとよいでしょう。 今は仕事が手につかないけれど、1時間前は頑張れていた。できるときはできる自分がいる。緊張しているのは、やる気が出てきたからだ。今仕事をしたくないのは、疲労がたまっているからだ。なので、休憩を取ろう。などなど、ダメだダメだと繰り返すのではなく、別の見方をするということです。

前に進めないときは少しだけ休憩をとる

別の見方をするときに、一つの枠組みとして使う価値があるのが、「自分の好きな人が今の自分と同じ状況になったら、どのような声掛けをするか?」という疑問に回答することです。例えば、部屋の掃除になかなか取りかかれず、自分はものぐさなダメな人間だと落ち込んでいたとします。そのような考え方に家族や親友が陥っていたら、どのような声掛けをするでしょうか。 できるだけ具体的な人を思い浮かべて考えるとよいでしょう。嫌いな人ではなく、好きな人や尊敬している人がよいです。 自分に対してだと、「なんてダメな奴なんだ」と考えてしまうけれど、自分が好きな人が同じ状況だったら、「掃除ができないぐらい疲れているのだから、休んだ方がよい」とか、「できるところだけ掃除をすればよいよ」とか、「今掃除をしないことだけで、あなたの評価が最悪になることは無いよ」などの優しい言葉が出てきやすいものです。 前に進めないときは、少しだけ休憩をとること。そして、他の人にかけられる優しい言葉を自分にもかけてみてください。厳しさと同じぐらい、自分に対する優しさも大切なものなのです。(精神保健福祉士)

人権はすべての人の問題 《電動車いすから見た景色》37

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【コラム・川端舞】12月は「人権月間」と呼ばれている。法務省のホームページには、「『誰か』のことじゃない」をテーマに、セクシュアルハラスメントやいじめ、感染症に起因する差別などを描いた短編動画が公開されている。「人権問題」というと、障害者や外国籍の人、LGBTQ当事者など特定の人たちの問題として扱われることも多いが、法務省の動画では、すべての人に関わる問題として描かれている。

「人権」は、この社会に生きるすべての人が平等に持っている、人が人らしく生きるためのものだ。「自分には人権がある」と分かってこそ、ハラスメントなど人権侵害を受けたとき、自分から周りに助けを求められ、自分で自分を守ることができる。

人権の主体になる

今年9月、障害者権利条約の対日審査の結果、国連から日本に「すべての障害者を他の者と同等に人権の主体と認める」ように、法律や政策を見直すことという勧告が出された。

国連は、日本ではいまだに父権主義的な考えが強いことを指摘している。父権主義とは、本人の意思に関係なく、本人の利益のためだとして、本人に代わって意思決定をすることだ。障害者を人権の主体と認める障害者権利条約とは相反する。

また、日本は、19年に「子どもの権利条約」の審査においても、国連から「子どもに関わるすべての事柄について自由に意見を表明する権利を保障し、子どもの意見が正当に重視されることを確保するよう」促されている。

日本は、障害者や子ども本人の意思を聞き、「人権の主体」として位置づけることが苦手なようだ。

「自分には他の人と同じように人らしく生活する権利があり、その権利が侵害された時は『おかしい』と主張していいのだ」と思えるのが「人権の主体」になることではないか。日本では自分の権利を主張すると、「わがままだ」と思われがちだが、自分の権利を侵害されていることに気づけない人が、他の人の権利を大切にできるはずがない。

障害者や子どもだけでなく、すべての人が「人権の主体」になれるように促すことが「人権啓発」なのかもしれない。(障害当事者)

マライカBAZAARつくば店《ご飯は世界を救う》53

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【コラム・川浪せつ子】西大通りを筑波山に向かう途中、筑波大学病院の反対側にある「マライカBAZAAR(バザール)つくば店」(つくば市春日3丁目)。巨大な木でできた「ゾウさん」のオブジェがあります。かなり前は、ファミレスでした。数年前に出現した、ちょっと不思議なお店。「怪しい感じ~」と避けていましたが、気になって仕方ない。ネットで調べたら、なんと!私の好きなエスニックのお店だとわかりました。

店内には、アジア、アフリカ、南北アメリカと、世界各地の手仕事や天然素材のものが、小物から、洋服、バック、宝石まで。民族衣装は、見ているだけで、テンションが上がります。でも、ちょっと値が張るし、どこで着たらいいのかわからない。

でも何か買いたくて、小さなポシェットや帽子を購入。持っているだけで元気になります。どんな場所で、どんな方が作ったのかなぁ、どうやって日本まで、たどり着いたのかなぁ…。作った方々、品物を日本に輸出することで、少しは潤うことができたかしら。

ホンワカした甘さのワッフル

ここには、私の大好きなワッフルがあるのです。他のお店では、ほぼスイーツなのですが、こちらは食事でも提供。ワッフルのホンワカした甘さと、ベーコンの塩加減が絶妙です。付け合せのニンジンも、エスニックなお味。時々、食べたくなります。テーブル席は、温室がお勧めです。

ぷちエスニック旅行気分と、熱帯モードの空間を、どうぞお楽しみくださいね。(イラストレーター)

この1年を振り返る時期に 《ハチドリ暮らし》20

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野菜の収穫がありました

【コラム・山口京子】1年を振り返る時期となりました。みなさんにとって、この1年はどのような年でしたでしょうか。自分としては、体力の低下を実感する年でした。

今まで普通に持てていた物を重いと感じ、今まで普通に歩けていた所までが遠くに感じられるのです。以前と変わらない音量の音が小さく聞こえ、以前と変わらない硬さの食品を硬いと感じるのは、しっかり老化が進んでいるということでしょう。

「体力の低下」を実感した1年。体力はどこに消えてしまったのか…。元気なときは、体のことなど頓着していませんでした。これからは気にしなければと思いますが、自分の体なのに体の内部はブラックボックスで、本当に不思議です。

終活やエンディングのセミナーでは、いつも3つの寿命の話をします。平均寿命、健康寿命、平均余命です。日本人の65歳がこれからあと何年生きるかを予想すると、男性で約20年、女性で約25年です。75歳であれば、男性で約13年、女性で約16年ですので、長生きするほど、平均寿命の年齢を超えていきます。

ですが、一寸先は闇ですので、来年どうなるのかは誰もわかりません。理想は、来年逝くことになっても、百歳を迎えることになっても、それをよしとできる覚悟を持つことだと…。

働く・学ぶ・遊ぶ・関わりあう・介護する

時間は無限に続くとしても、私の時間は有限で、その時間で何をするのかを考えるには、今の年齢がちょうどいいのかもしれないと思うようになりました。そして、私の時間は大きな歴史の時間のなかのどこに生まれて、育っていったのかをわかりたい。改めて、この半世紀の社会がどういう社会だったのかを学び直したいと感じています。

物心ついたときに、目にしたものが何であったのか。どんなものに触れ、どのような感覚を抱いたのか。耳にした話がどんな話だったのか科学技術の輝かしい未来を素直に信じられた時代には、生産力が発展し、人が働かなくてもよい時代が来るかもしれないという話がありました。

現在は、大量生産、大量消費、大量廃棄のシステムが、地球の持続可能性を脅かして、そのシステム変更が待ったなしという話になっています。

それぞれの専門家が、様々なことを書いたり、話したりしています。それらの説明に耳を傾け、本に学びながら、自分なりに考えてみる作業が、これからの楽しみになりそうです。「働く・学ぶ・遊ぶ・関わりあう・介護する」の5つがつながりあい、バランスが取れたらいいなと願います。(消費生活アドバイザー)

止血のためのアドレナリン 《くずかごの唄》120

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】半分宇宙人に近くなってしまった夫は、自分の好きなものを見ると、我慢ができない。秋は栗。茨城は栗も名産地である。自分で作って、採りたての見事な栗を届けてくださる人がいる。生の栗を見ると、彼はうずうずしてくるらしい。

夫の学生時代、京都大学薬学教授の井上博之先生は植物生薬の権威。山や野原から木の実、草の実などを採集してきて、その成分分析をなさる。井上先生はドイツやオランダの生薬にもくわしいので、卒業後も先生のお供で、何回もドイツやオランダに連れて行っていだいた。

植物成分の分析というのは、全くの根気仕事だ。小さな種を何千粒も集め、皮と薄皮と実に分けて、検体をつくる。栗のような大きな実の厚皮と薄皮をはがす作業は 彼にとって、学生時代を思い出しながらの、実に楽しい作業なのだ。

彼は栗を見ると包丁を研ぎにかかる。我が家の名物「栗の渋皮煮」は、全自動栗剥(む)き機(私が彼につけたあだ名)がいてくれても、出来上がるのに1週間近くかかる。しかし、しかしである。彼が包丁を研ぎ始めると、私は、出血を止めるためのアドレナリンの0.1%液を用意しなければならない。

高峰譲吉氏が発見した外用薬

彼はワーファリン系の血液凝固を阻止する薬を飲んでいる。そういう種類の薬は血を固まりにくくする作用が強いので、出血したときの手当てが大変なのだ。特に、心臓から上の位置の出血は圧力があるから怖い。

夫が風邪を引いて鼻から出血したときも、洗面器を探している間に5~60ml.の血が飛び散って、居間が血だらけになってしまった。そういうときに、アドレナリン液を綿球に含ませて鼻に入れると、すぐに出血が止まる。こんなありがたい外用薬はないのである。

1900年、アドレナリンの発見者は高峰譲吉氏。高峰譲吉氏のめいの明子さんには、小学生のときにかわいがっていただいた。私が疎開して食べる物もないとき、明子さんが「小公女」など、少女向きの本を10冊も送ってくださったので、これらの本を読んで気を紛らわすことができた。明子さんにも「ありがとう」と言いたい気持ちである。(随筆家、薬剤師)

田中正造の研究会、50年で幕 《邑から日本を見る》125

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【コラム・先﨑千尋】今月3日、群馬県館林市の文化会館で「渡良瀬川研究会閉会記念鉱害シンポジウム」が開かれ、50年の活動にピリオドを打った。このシンポには約100人が参加し、50年の活動を振り返り、同研究会顧問の赤上剛さんの「田中正造はどのような人物か。今の時代に何を訴えているのか」と題する基調講演などがあった。

同研究会は、1973年に群馬県教組邑楽支部が主催した渡良瀬川鉱害シンポジウムが起源。渡良瀬川研究会として正造と鉱毒事件を研究し、正造の思想や運動を継承し、後世に伝えようと発足した。館林市を中心に、これまでに50回のシンポジウムと30回のフィールドワークを行い、会報や会誌を発行してきた。これまでに、宇井純さんや東海林吉郎さんら研究者や被害地の地元関係者などが、公害先進国日本をどうするか、学校での公害教育をどう進めるかについて議論、学習するなど、わが国の正造研究をけん引してきた。

しかし、会員や運営に当たる幹事の高齢化や後継者の不足、さらにコロナによる活動の停滞により、今回のシンポで幕を閉じることにした。36年の歴史を持つ栃木県佐野市の田中正造大学も先月閉学している。

私が田中正造に関心を持つようになったきっかけは、旧水海道市立図書館長の谷貝忍さんから「村で仕事をするなら、田中正造のことを勉強しろ」と言われたことだった。それから田中関係の本を読み、佐野市の生家や谷中村、松木村、足尾銅山の構内などを歩き、正造のような生き方をしたいと思ったこともあった。北海道の雪印乳業の創始者黒沢酉蔵は、すぐ近くの常陸太田市の出身だが、北海道に渡る前に、正造の手足となって谷中村などで活動したこともあとで知った。

目前の事件に真正面から向き合う

ここでは、同研究会の歩みとこの日のシンポの全体については書けないので、私がこの日に学んだことを記す。

「足尾鉱毒事件とは何か。煙害+毒水害であり、最上流の松木村と最下流の谷中村が廃村になった。この事件は近代日本で起きた最大の公害事件であり、この教訓が今まで生かされてこなかった。チッソ水俣病、三井金属鉱業イタイイタイ事件、東京電力福島第一原発事故などすべてで足尾銅山鉱毒事件の総括をせずに、問題を先送りしていることが原因だ」

「政府は国策の加害企業を一貫して擁護してきた。誰一人責任を取らない。謝罪しない。国は被害地域全体の健康・病理調査をせず、被害を隠蔽し、事件はなかったことにしようとしている。マスコミ、労組、司法も含めて、政・官・学・業が癒着・一体化している。生命よりも利益、経済優先の社会が続いている。被害者が立ち上がらない限り救済はされない」

「一般的な正造像は、近代日本の公害を告発した先駆者、命を賭けて天皇に直訴した偉い人、義人というもの。しかし、祭壇に祭られた偉人正造ではなく、欠点や失敗もあった普通の人正造が、目前の事件に真正面から向き合い、そこで学び、血肉化して死ぬまで成長し続け、民を裏切らなかった。その過程を学ぶことが大事」(元瓜連町長)

地方大学の改革が求められるわけ 《地方創生を考える》26

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ダイヤモンド筑波(筑西市)

【コラム・中尾隆友】日本の大学の卒業生は、米国と比べて決して劣っていないと思う。決してお世辞ではない。それでは、なぜ日本の企業は米国の企業に比べて成長性や生産性が著しく低いのか。それは、日本の大学がリーダークラスの学生を育てることができていないからだ。優秀な経営者が企業を変革し、社会全体を変えていくのだが、日本ではそれが起こりにくいのだ。

大学に決定的に足りないもの

日本の大学に決定的に欠けているのは、日本を引っ張るリーダーを育てるという役割だ。当然のことながら、それは地方の大学にも求められる。茨城の大学にも、地方のリーダーになることができる人材、すなわち、グローバルな視点を持って地方にイノベーションを起こすことができる人材を育成するようなコースがあってよいと思う。

地方が発展するためには、地方からイノベーションを起こすことができる社会にしなければならない。そのために、知の拠点となる大学と地方の経済発展というのは、これまでとは比べものにならないほど密接に関わっていくことになるだろう。

地方大学改革の必要最低条件

日本の少子化が加速していくなかで、多くの大学が淘汰(とうた)される厳しい状況下にある。とはいえ、地方自治体は有為な若者を地元にとどまらせるために、地方大学の改革を通して、その魅力度を底上げできるように懸命に努力しなければならない。

そこで、地方大学を改革するために必要最低条件となるのは、卒業要件を非常に厳しくするということだ。大学が卒業生に対して、リーダーとしてふさわしい知識やスキル、柔軟な思考力を担保できなければ、地方経済の発展に貢献することなどできるはずがないからだ。

首長のリーダーシップにかかる

そういった意味で、私は、地方が少子化をできるかぎり抑え、地方創生を成し遂げるためには、地方自治体の首長のリーダーシップによって地方大学を変革することが欠かせないと確信している。

知事にしても市長にしても、首長が先見性を持った思考力と本質を見抜く才覚を持っていることはもちろん、地域の住民に何が何でも明るい未来を見せたいという情熱を持たなければ、地方の大学の改革、ひいては、地方の明るい未来は期待できないだろう。

できるだけ多くの首長に、地方大学の改革を地方の成長に結び付けるような取り組みを始めてもらいたい。そう願っている。(経営アドバイザー)