木曜日, 3月 28, 2024
ホーム ブログ ページ 16

連休中にNEWSつくばの総会を開催 《吾妻カガミ》157

0
左は編集室がある筑波学院大の建物、右は1階入口に立て掛けてある案内版

【コラム・坂本栄】本サイトの会員総会を5月7日に開き、昨年度の運営実績と今年度の計画を報告しました。要点は、①アクセス数(ページビュー)は2017年秋のスタート以来毎年順調に伸びている、②しかし記事の配信本数は当初目標の1日平均3本に達していない―です。そこで、今年度は何とか1日3本台に乗せ、読者の地域情報ニーズに応えていくことを再確認しました。

記者18人、コラムニスト25人

実質初年度の2018年度に比べると、2022年度のアクセス数は4倍、ユーザー数は6倍に増えました。この間の配信数は1日平均2.4~2.7本ですから、地域の行政やイベントなどの記事1本1本、幅広い分野のコラム1本1本へのアクセス数が増えたことになります。

5年半前、本サイト設立の記者会見の際、1日何本ぐらいの記事・コラムをアップするのかと質問され、私は「朝昼晩各1本、1日3本を目標にしたい」と答えました。選挙で言えば公約ですが、まだ2本台で推移している理由は2つあります。1つは、コロナ禍でイベント類が軒並み中止され、取材対象が激減したこと。もう1つは、本サイトは商業ベースでなく非営利(NPO)ベースで運営されていることもあり、記者活動がどうしても自主的になることです。

現在登録されている記者は18人、コラムニストは25人です。今年度は記者1人1人の活動範囲を広げるとともに、引き続き記者を募る方針です。地域のネットメディアに関心がある方は声をかけてください。

地域文化に必要な過去の記録

先月、本サイトの「週間ランキング」(直近1週間のアクセス数ベスト5表示コーナー)を見ていて驚きました。数日~1週前の記事やコラムでなく、「土浦一高副校長で着任インド出身のプラニクさん」(2022年4月19日掲載)がベスト5入りしていたからです。「320人に入学許可 プラニク新校長の土浦一高・付属中」(4月7日掲載)に触発され、1年前の記事へのアクセスが増えたようです。

このように、サーバーに格納されている記事をすぐ引き出せるのはネットメディアの強みです。「記事データベースで過去記事を見る」あるいは「月別アーカイブ」コーナーを使い、過去記事にアクセスしてみてください。

アーカイブと言えば、「若手社会学者 清水亮さんが紐解く 阿見・土浦『軍都』とその時代」(3月22日掲載)で紹介された「『軍都』を生きる 霞ヶ浦の生活史 1919-1968」(岩波書店)を読んで驚きました。この本を書くに当たり、清水さんは本サイトの前身「常陽新聞」の記事を読み込んでいたからです。土浦市立図書館に保存されている常陽の記事を丹念にチェック、「軍都」のイメージを膨らませたようです。

私たちはNPOの事業目的として、「ウェブサイトでの地域ニュース発信」「イベントやプロジェクトの展開」「地域放送局などとの連携」のほか、「『常陽新聞』記事のデータベース化」も掲げています。紙の記事をデジタル化するには相当の資金が必要ですが、常陽と本サイトの連続性を実現するために、そろそろアーカイブ事業も視野に入れたいと思います。

イベントやプロジェクトも展開

「イベントやプロジェクトの展開」と言えば、私たちは昨年度末、つくばセンタービルを設計した著名建築家、磯崎新氏の追悼討論会を実行委員会の中核となって開催しました。その様子は「磯崎新さんの思考をめぐる…追悼シンポジウム」(3月20日掲載)をご覧ください。今年度は土浦市に関係するイベント(講演会?)を検討しており、準備が整いましたら告知します。(NEWSつくば理事長、経済ジャーナリスト)

写真のウソ・ホント 《写真だいすき》20

0
ウソりんご。最近は、こんな青いリンゴが人気になった、なんて簡単だ=撮影は筆者

【コラム・オダギ秀】写真という言葉がいけないよ。写真は、真実を写すものだと思ってしまう。でも、今ほど写真がウソをつけるようになったのは、いいことか悪いことか。

それほど昔ではないが、霞ケ浦の水が汚れていると騒いだ時代。自然保護活動をしていた叔母から、アオコにまみれた霞ケ浦の写真を撮ってほしい、と頼まれた。でも、グリーンを強調した写真もグリーンがない写真も簡単だよ、と説明して、そんなことやれるかよと断ったが、一般の人々は、写真は真実を写すものだと思っているのだな、と写真についての非常識を少し納得した。世間の人々は、写真は真実を写していると思っているのだ。

少し言うと、特定の色彩を強調したり弱めたりすることは、現在のデジタル画像万能の時代でない初期の時代であっても、それほど苦労せずに出来た。秋の雰囲気の木立が欲しければ、木立の葉を秋の色にする程度のことは、しばしばやっていた。仕事の範囲で、当然のように、こなしていた。

もっと以前のフィルム写真の時代には、苦労はした。それでも何とかこなすこともあった。だが、写真を変えるということは、なかなか難しいことだった。写真は真実を変えられないというのが、一般的な常識だった。

水ようかんを撮っていて、現像が済んだフィルムを見たら、皿の手前に、毛髪が1本落ちている。今なら、すぐに消せるのだが、そのころは、手作業で毛髪を消し、消した後は、畳だったが、消したのが分からないように埋めなければならなかった。大変な職人芸だし、時間もかかったのだ。

そんなことするより、撮り直しをした方が、よほど楽だった。撮り直しするにも2日ほどかかったが、そのほうが楽なのだった。髪の毛一本にも、大変な苦労があったのだ。今なら、毛髪がバサッと落ちていても消せるし、バサッと置くことも簡単にやれる。

過去の写真遺産を残そう

そんな髪の毛一本にも苦労しなければならなかった時代の写真は、歴史的に大切な意味があるものでも、残せるか残せないかの瀬戸際にあるのが、現在の状況だ。フィルムでシコシコと撮影していた人々は、多くは亡くなり、それらの人々が撮っていた写真作品は、じいちゃんのゴミとして捨てられたり、燃されてしまっている。フィルムで撮られた写真は滅びようとしているのだ。

その写真が重要か重要でないかの問題ではない。重要か否かは、後の世が決める。ウソを撮ったのかホントを撮ったのか、その時代の写真を確認できるのは今が最後なのだ。フィルムでは検証できても、デジタルの時代になった今では、写真の真偽を確かめるのは、極めて難しい時代に入った。

そこで、それらの過去の写真遺産を残そうと、ボクの所属している土浦写真家協会は、アーカイブ事業を始めた。フィルム写真は、ほとんど真実だ。その真実を写している写真を、今なら、まだ辛うじて残せる。それらを無くならないうちにきちんと残し、歴史遺産として、大切に保存しようとしている。

もう少し時代が進んだら、真実を撮ったものかフェイクなのか、見極めることが極めて難しくなる。真実を写した写真を残すのは、今、しかないのだ。

例えば、〇〇年ごろは、✕✕はこんなに賑(にぎ)わっていた、寂(さび)れていた―という写真は、フィルム写真では、どちらにも撮れたけれど、それは何故(なぜ)で真実は何か、ということをフィルム時代には検証できた。つまり、フェイクかリアルかをかなり確実に検証できた。そのように写真をホントかウソかと検証して残せるチャンスは、今しかない。

だからこそ、写真を真実か否か、として整理しアーカイブすることが、今、とても大切だと思っている。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

「十五の春に泣く学園都市」つくば 《竹林亭日乗》4

0
田植え後の水田に映る筑波山=筆者撮影

【コラム・片岡英明】つくば学園都市の県立高校不足。このありえない問題を何とか解消したいと模索している。4月26日、茨城県の森作宜民教育長へ3回目の要望書を提出し、高校改革推進室と2時間ほど懇談した。つくば市選出の県議の皆さんも、この問題を議会で取り上げているが、教育長の答弁には揺れがある。

▽つくばエリアは生徒増だが、周辺エリアを含めると生徒減(2022年3月)

▽つくばエリアに土浦・牛久・下妻エリアを含めると、生徒増(2022年11月)

▽つくばエリアの生徒増より、周辺の生徒減が大(2023年3月)

データ公開と基準設定をスタートに生徒増を議論するのに、その範囲が変動しては議論が進まない。また、生徒増算定の基準年が毎年移動し、2030年までの生徒増数も変動する。

北海道が高校の4~8学級の適正規模の発想をやめた(茨城もやめた)と聞き、道教委HPの「公立高校配置計画」(2022年9月) を調べた。茨城県の「高校改革プラン」(2019年2月)には、生徒数などの基本データの記載がないが、北海道には2022年基準の生徒数、エリア生徒数、道立高の収容率などのデータがある。

北海道はアンケート調査結果も公開。その2問目で希望学科を問い、普通科希望が多いことを確認し、学級増減を計画している。茨城県もアンケート調査を実施したが、その結果はHP上にはなく、文書開示で調べると、希望学科の問いがない。

県は普通科増は困難と思っている?

生徒が急増しているつくば市で、なぜ定員割れのつくばサイエンス高が学級増なのか疑問だったが、少し謎が解けた。アンケートを取れば、当然、普通科の学級増希望となる。

しかし、つくば市は県立高が削減されて少なく、普通科で受験生が多いのは竹園高のみ。その竹園高は8学級。所狭しと校舎が建ち、2学級増となれば校地拡張と校舎新設が必要だ。普通科の牛久栄進高も8学級で、2学級増は困難と考え、つくば工科の学級を増やしたのではないか?

つくばエリアに県立高は10あるが、いずれも学級増は困難。並木中等の高校2学級増には、校地拡張と校舎建設に加え、教育課程の変更も必要になる。茎崎校は定時制であり、全日制を入れるのは困難だ。

森作教育長の「進学先を確保し、中学生の進路選択に影響がないよう計画を示す」との答弁(2022年11月)を受け、つくばエリアの不足学級数を算出してみた。すると、現時点で15学級不足、2030年までに25学級増が必要―と判明した。

どうするか? つくば市の県立高の現状をみると、学級増だけを求めるのは不誠実だ。そこで私たちは。学級増の一つの形態として、高校新設も含めた次の3案を県に提案した。①困難だが学級増だけ、②学級増+1校新設、③学級増+2校新設―だ。

県も、現在の中学生のために、データを共有化し、学級増計画を早急に示してほしい。「十五の春に泣く学園都市」の汚名返上がつくば市の緊急課題であり、この問題の解決が茨城の発展にもつながることを、多くの方に知ってほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会・代表)

➡片岡英明さんの過去のコラムはこちら

潮来の「あやめまつり」 《日本一の湖のほとりにある街の話》11

0
嫁入りの様子を再現した「嫁入舟」。イラストは筆者

【コラム・若田部哲】周囲を霞ケ浦の西浦・北浦、外浪逆浦(そとなさかうら)、利根川などの水に囲まれ、古くから水路が生活に根差していた水郷地帯、潮来市。同市の「水郷潮来あやめ園」では、季節になると色とりどりのアヤメが咲き誇ります。その数、何と500種100万株! 1952(昭和27)年より始まり、例年5月から6月中旬ごろまで行われる「あやめまつり」では、日本情緒あふれるその美しさを、様々な演出とともに楽しむことができます。

まず彩りを添えるのが、この地域でかつて生活手段として利用されていたサッパ舟の運行。かつて当地では、水路を道路代わりに移動経路として用いていました。その際に用いられたのが「サッパ舟」と呼ばれる小型の舟。家から田んぼへの往来や、近隣への移動など、様々な場面で日常的に用いられていたそうです。まつり期間中は、この舟が川を行き来し、水上観光を楽しむことができます。

さらに毎週日曜日には「潮来囃子(はやし)演奏」として、お囃子を演奏しながら運航する舟が行きかいます。水郷の情緒とお囃子の音の相性は抜群。古き良き日本の情緒を味わうことができるでしょう。

また2022(令和4)年度より、お隣の千葉は香取市の「水郷佐原あやめパーク」とも連携し、両園のあやめ祭りを結ぶシャトルバスの運行を行うなど、県を超えて地域の魅力を発信しています。

サッパ舟による嫁入りを再現

そして何と言っても最大の見どころは、100万株のアヤメが咲き誇る中行われる、サッパ舟による嫁入りの様子を再現した「嫁入舟」! 一時は途絶えたこの風習ですが、1985(昭和60)年のつくば万博の際にイベントとして行ったことがきっかけとなり、その後は地域を代表する行事へと発展しました。

舟に乗り込むのは、公募で選ばれた本物の花嫁さん。あやめ園から船頭さん、ご両親と共に嫁入り舟に乗り込み、多くの観光客の祝福を浴びながら水路を進みます。鮮やかな新緑ととりどりのアヤメが織り成す初夏の色彩の中、白無垢(むく)姿の花嫁さんが舟で水路を進むさまは、神々しいほどの美しさ! 太鼓橋の上から、沿道から、お愛想でなく本物の祝福が込められた喝采が上がります。

日本情緒と水郷ならではの美しさを存分に味わえるこのお祭りに、ぜひ足をお運びください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

娯楽は世につれ、世は娯楽につれ 《遊民通信》64

0

【コラム・田口哲郎】

前略

マカロニえんぴつというバンドの「なんでもないよ、」という曲を聞いて衝撃を受けました。ラブソングらしいのですが、歌詞の一部はこうです。「会いたいとかねそばに居たいとかね守りたいとか そんなんじゃなくてただ僕より先に死なないでほしい そんなんでもなくて ああやめときゃよかったな なんでもないよ なんでもないよ」とあります。

ラブソングですから、恋人に会いたいとかそばにいたい、守りたいと歌うのは当然ですが、そうじゃないというのです。俺より先に死ぬなというところは、さだまさしの「関白宣言」が思い出されます。関白宣言は新婚夫婦の夫の妻への思いを歌ったものですが、マカロニえんぴつはそんなんじゃない、とやはり言います。

いまテレビ神奈川で1971年放送の「たんとんとん」というドラマとBS11では1980年放送の「心」というドラマが再放送されています。

「たんとんとん」は森田健作主演、脚本山田太一、木下恵介プロ制作の青春ドラマ。「心」は宇津井健主演、橋田壽賀子脚本、石井ふく子プロデュースのホームドラマです。ふたつとも、庶民の日常を描いたほのぼのとしたドラマです。そこでは若者の成長や職業的な困難の克服など、いわゆる人生の悲喜こもごもが盛りだくさんです。しかし、そうしたいろいろな出来事をつらぬくテーマは男女の出会いと結婚です。

以前、小津安二郎監督の映画のことを書きました。小津映画の主なテーマは、妻に先立たれた男のひとり娘の結婚です。娘が年ごろになったので「どこかにやらなきゃならないよ」と父親役の笠智衆が言います。

人びとの素直な気持ちが世を変える

日本にはいままで無数のラブソングや映画やテレビドラマがありましたし、いまもあります。そのなかで一番多いテーマは男女の恋愛と結婚なんじゃないでしょうか。バブル期にはやったトレンディー・ドラマもおしゃれな恋愛がテーマでしたが、結婚が前提でした。

こうした娯楽が男女の恋愛・結婚をテーマにしてきたということは、何を意味するのでしょうか? それはこの社会が結婚によって、家族が再生産され、世代を後世につないできて存続してきたということです。それほど社会の構成員が結婚して家族を増やすことが大切ですし、人間はそのために時間と労力を惜しまずにきたということでしょう。

でも、そのあたり前だったことが、あたり前でなくなっているのが今なのかもしれません。

男女の恋愛と結婚が当然の価値観に、そうではない価値観が加わる社会はどうなるのでしょうか? それは分かりません。人類が経験していないからです。でも、流行歌が歌うことは、いまの社会に生きる人たちが感じている素直なことなのは確かです。昔の歌や映画やドラマも人びとの素直な気持ちでした。素直な気持ちは社会を変えますね。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

日本の食料自給率の話 《ハチドリ暮らし》25

0
畑には、ホウレンソウ、ニンジン、長ネギ、ジャガイモが育っています

【コラム・山口京子】テレビをいつもつけっぱなしにしている母が、「最近のテレビは、食べ物のことばっかりでつまらないよ。それに、宣伝の時間が前と比べて長くなっているみたい」と。わたしは「きっと、食べ物の番組は安く作れるのではないかな。その割に視聴率が取れればいいものね。宣伝の時間が長くなったのは、スポンサーの意向かな」と答えました。

気になって広告がどうなっているのかを調べました。2022年の総広告費は7兆1000億円を超えたといいます。7兆円という額をどう評価するのか。買いたい気持ちを喚起させる映像が大手を振ることに違和感を抱きますが、コマーシャルのイメージとは裏腹に業界の厳しい競争があるのでしょうか。

私たちが購入する商品の価格に占める広告費の割合はどのくらいなのかしら…。何にいくらかかって、その値段になっているのか―が価格に書いてあったらと思いますが、それは企業秘密なのでしょう。庶民としては、ちゃんと作られた商品を適正な値段で購入したい。そう願うとき、ちゃんと作られた商品とはなにか、適正な値段とはなにかと…。

母が「こんなに食べ物の番組が多いってことは、日本は食べ物があふれているのかね」と独り言。わたしは「あふれているように見えるのは、外国から買っているからだよ。日本の食料の自給率は4割もないよ。家畜のエサもほとんど輸入だよ。だから、輸入が止まったら日本は大変だよ」と言うと、「日本は外国からたくさんの食料が買えてすごいんだ」とびっくりしていました。

食料や飼料作物の超輸入大国

正確には、カロリーベースの自給率は38%(1日1人当たり国産の918カロリー÷1日1人当たりの必要カロリー2426カロリー×100)、生産額ベースでは66%(年間国内生産額10.3兆円÷食料全体の年間供給金額15.7兆円×100)です。日本は食料や飼料作物の超輸入大国だと聞いたことがあります。できればカロリーベースでも生産額ベースでも、100%を目指してほしいと願います。

今までは世界的な農産物過剰があったようですが、そういう前提条件はなくなりつつあります。農産物過剰を支える工業的大規模生産の弊害が目立ち、水不足や土壌の劣化、農薬や化学肥料、化学物質などによる食品汚染の問題、環境汚染などが深刻と言われています。これからの日本は「買い負け」の時代に入るのではと心配する専門家もいます。

「食」を取り巻く事実を知って考えて、選択しなくてはと気づかされた母との会話でした。(消費生活アドバイザー)

私たちは何を食べさせられるのか 《邑から日本を見る》135

0
田植えでやはり楽しい小昼飯(こじゅうはん)

【コラム・先﨑千尋】「食べたものが私になる」。堤未果『ルポ 食が壊れる―私たちは何を食べさせられるのか』(文春新書)の終わりに出てくるこの表現を見て、「ああ、私の考えと同じだ」と思った。

「人間の身体は食べものと飲みものから成り立っている。その食べものが農薬、化学肥料漬け、不健全な土から生産されていたら、私たちの身体もおかしくなるではないか」。私は大学の講義や農協などの集まりで、農業や食べものの話をするとき、決まってこう語ってきた。

堤さんのこの本は、3月30日に東京で開かれた有機農業運動のトップリーダーだった埼玉の金子美登さんと鹿児島の大和田世志人さんを偲(しの)ぶ集まりで、堤さんの夫で薬害エイズ事件のリーダー・川田龍平さんからいただいた。

堤さんは国際ジャーナリスト。これまでに『貧困大国アメリカ』(岩波新書)、『政府は必ず嘘をつく』(角川新書)、『日本が売られる』(幻冬舎新書)などで、アメリカと日本の政治、経済、農政、エネルギー、公共政策などの分野で、現地取材に基づく鋭い視点で私たちに考える素材を提供してくれている。

本書は、「人工肉」は地球を救う?、フードテックの新潮流、土地を奪われる農民たち、<デジタル農業計画>の裏、世界はまだまだ養える、など6章から成る。本のカバーには「あなたの食べ物は知らぬ間に入れ替わっている。巨大資本が仕掛ける強欲マネーゲーム、<食の文明史的危機>を描き出す衝撃作」とある。

本書には、もう牛は殺さない「人工肉バーガー」、粉ミルクはもう古い、赤ちゃんは培養牛乳で、ふるさと納税にデビューしたゲノム編集魚、注射嫌いな子も「ワクチンレタス」でOK、<原子力ムラ>の次は<ゲノム編集ムラ>など、最新の食とその周辺の新潮流が、これでもか、これでもかと描写されている。

有機農業運動にのめり込んでいる私には遠い世界だが、知らないと言って済まされないほど、食の世界はカネと欲の世界に汚染されている現実を突きつけられ、恐ろしさを感じた。

生態系を乱せば私たちも傷を負う

京都府宮津市のふるさと納税には、2021年にゲノム編集技術で開発された「22世紀ふぐ」が加わっている。レタスにワクチンを移植して毎日そのサラダを食べれば、注射をしなくとも感染予防ができる。

ネットで検索したら、NHKの「クローズアップ現代」は2019年9月24日に「解禁!〝ゲノム編集食品〞-食卓への影響は?」を放映し、血圧を下げる成分が多いトマト、アレルギー物質が少ないタマゴ、食中毒を起こさないジャガイモ、身の量が多いマダイなどを紹介している。

では、救いはないのか。第6章「日本の食の未来を切り拓け」では、加速する有機給食革命、「食の予防原則」のトップランナーになった愛媛県今治市、アメリカに潰された国産小麦を取り戻せ、ゴミなんかない宝の山だ、など参考になる各地の事例が紹介されていて、やればできるという想いが浮かんでくる。

堤さんは最後に、「地球の生態系は土壌も人間の腸も本来完璧に調和が取れており、乱せばその一部である私たちも必ず傷を負う」と警鐘を鳴らしている。(元瓜連町長)

「平熱日記 in 千曲」後記その1《続・平熱日記》133

0
筆者が描いた絵

【コラム・斉藤裕之】さて、80余点の作品を無事にかけ終わり、「平熱日記 in 千曲」は小雨の中、初日を迎えた。ギャラリーと接する母屋のリビングにはいつの間にかお手伝いの方々が集まり始め、にぎやかに準備が進んでいく。今まで経験したことのない、こうなるともはやギャラリーのオープニングというより、親戚一同が集まった何かの慶事のようだ。

そうこうするうちに、アーティストトークの時間となった。見ての通り、特に何を説明する必要もない作品だと思うのだけれど、オーナーのかおりさんの提案で簡単な実演をすることになっていた。

持参した筆や絵具を使ってイリコを描く。光の具合や机の高さなど、いつもとは違う条件の上、周りを多くの人が囲んでいるのでやりにくかったけれども、漆喰(しっくい)に金網を塗る様子も見てもらって、イリコを描いてみた。それから、かおりさんの質問に答えながら作品にまつわる話などをした。

近隣の方々、東京から来てくれた姪(めい)夫婦、かつての教え子。ファンとおっしゃる方は富山から、なんと茨城からもいらしてくれた方もいて…。実に久しぶりに打ち上げなんていう経験もして、にぎやかな初日を終えた。

次の日、人のいないギャラリーに座る。壁に展示された絵はすでに私には何ともしがたいものとなってしまっていて、壁の絵に見られているような気になる。やがて扉を開けてお客さんが入ってきた。そして一つの絵を見つけて話を始める。

私は、その人が私の絵について全てお見通しのような気がするので、聞かれることに子供のように素直に答えることしかできない。ただ、多くの方から「とても小さな絵なのに大きな広がりを感じる」という感想をいただいてうれしかった。私としても小さな絵を描いているつもりはなくて、描いている絵が小さいだけなのだ。

運転と演歌のリズムは相性がいい

3日目、金髪の次女とネールアーティストの友人、チエピーがわざわざ新幹線でやってきてくれた。寒の戻りでダウンジャケットを着た外国人観光客が目立つ中、まずは善光寺にお参り。先日無事に戻られた「賓頭盧(びんずる)様」のお体も触ることができた。ちなみに、チエピーのカラフルな付け爪は鉛筆のキャップほどの長さがあって、先が鋭くとがっている。賓頭盧様もその爪にはさぞかし驚かれたはず。

せっかくなので、信州そばを食べてからギャラリーに向かう。子供のころから絵を習っていたチエピーはとても熱心に作品を見てくれた。

さて、暗くなる前に2人を乗せて高速で茨城まで帰らなければならない。チエピーは運転する私を気遣ってか、ブルートゥースで音楽を流してくれた。その選曲が「心の旅」、「神田川」から始まって、「帰ってきた酔っ払い」、山崎ハコの「織江の唄」、「木綿のハンカチーフ」…。

お父さんがよく聞いていたという、なんとも渋すぎる選曲だが、私には中学の修学旅行や上京したころなど、その当時の光景が懐かしく思い出されて、眠気をみじんも感じない快適なドライブとなった。

余談だが、長距離トラックの運ちゃんが八代亜紀やサブちゃんファンだという理由が何となく分かった。車の1人旅にはしゃれた音楽よりも演歌が合う。ハンドルと演歌のリズムは実に相性がいい。眠くもならないし長いトンネルも一曲唸(うな)ればあっという間だ。(画家)

➡斉藤裕之さんの過去のコラムはこちら

草刈りの休憩に草刈り《続・気軽にSOS》132

0

【コラム・浅井和幸】つまるところ疲労とは、作業、行為の継続です。重労働や難しいことを考えると疲れると捉えられがちですが、違います。ゴールデンウイーク中に車の運転を長時間すると、目も疲れますし、腰や膝が痛くなりますよね。これは、同じ距離を見続けるとか、同じ姿勢を取り続けることで疲れるのです。

寝過ぎても腰が痛くなったり、褥瘡(じょくそう)が出来たりします。なので、寝返りをうてない方の解除をヘルパーさんがする必要があります。これと同じように、嫌なことを考え続けても疲れます。

何もせずに横になっていようが、リラックスできる椅子に座っていようが、嫌な仕事を続けたり、嫌な人のことを考え続けると疲れがたまります。そんなときは、ゆっくり寝ているよりも、嫌な考えを無理やりなくそうとはせずに放っておきます。そして、凝った料理を作るとか、掃除をするとか、おしゃべりをするとか、おいしいスイーツを味わうとか、別のことをするとよいでしょう。

また、嫌なことを考え続けても、疲れて飽きたり眠くなったりして、止まりやすいですが、好きなことややりがいのある事は続けられてしまいます。これは、疲れを感じることに対する感度が鈍くなって、余計に疲れがたまってしまう「マスキング効果」といって、危険なことにつながることがあります。

好きなゲームをしていたら、食事やトイレも忘れていたという経験をしたことはないでしょうか。嫌な仕事や勉強を続けるとよくないことは理解しやすいですが、好きであったりやりがいがあったりして疲労がたまり、それに気づかず心の病に至ることもありますし、最悪のケースに至ることもある事実は見落とされがちです。

ヘンテコな踊り、結構おすすめ

じゃあ、疲れを取るには何をすればよいのかとなります。旅行に行けばよいのか?(実は旅行は疲れるので疲労回復には向かないという部分もあります)人生を一変するようなすべてを打ち込めるような素晴らしい趣味を持てばよいのか?(そんなことが出来るはずがないだろうと言われます)

いえいえ、気分転換、神経や筋肉の疲労回復は、今とは別のことをすれば何をしてもよいです。近くばかり見ているのであれば遠くを見て、一点を見ているのであれば周りを見回し、腕立て伏せで疲れたのであれば走ればよいのです。

私は小さな畑を借りているのですが、草刈りが結構大変なんです。柄のついた大きめの道具で草刈りをしていると、息が切れて腰が痛くなってきます。そこで、しゃがんで手で小さな雑草を抜きます。今度は膝が痛くなってくるので、また柄のついた道具を使って…。

そう、草刈りの休憩で草刈りをするのです。それで疲れたら、木陰で空を見上げて、ゆっくりと呼吸をします。

最近、深呼吸をしたり、空を見上げたりしていないであれば、してみてください。それだけで、ほんの少しの休息になります。あと、ヘンテコな踊りを踊ってもよいですよ。ヘンテコな踊り、結構おすすめです。(精神保健福祉士)

絶版書を翻訳する《ことばのおはなし》57

0
写真は筆者

【コラム・山口絹記】読書家にとって、「絶版」というのは目にしたくもない、恐ろしいことばだ。手放した本が後に絶版となり、電子化もされずにもう手に入らない、なんてことは決して珍しいことではない。だからこそ、一度手にした本を手放せない方も多いはず。私もそんなひとりだ。

手放せないのはもちろんだが、すでに絶版になってしまった海外文学を、自分のためだけに翻訳して楽しむ。というのが、私のひそかな楽しみでもある。

以前こんなことがあった。

母が小さい頃に読んだ児童書を翻訳してほしいと言うのだ。どういうことかというと、その児童書は海外文学を翻訳したものだったのだが、あとがきに『こみいって、わかりにくい部分をすこしはぶきました』という旨が書かれており、とても悔しい思いをした、ということらしい。もっともな感想だ。

しかし、実はこういったこと(翻訳者のさじ加減で作品の一部が翻訳されない)は珍しくない。半世紀ほど前に書かれた書籍で、今となっては原書も翻訳版も絶版。作者も挿絵も翻訳作家も、それなりに有名な方々なのだが、こういったこともまた、決して珍しくない。

結局、私がヨーロッパから原書を取り寄せ、すべて翻訳し、母にプレゼントした。半世紀ぶりの謎が解けたようで、喜んでもらえた。翻訳しながら、私自身が内容に心を動かされたこともあり、当時6歳の娘に読み聞かせたところ、娘もとても気に入った様子だった。

とりあえず簡単に印刷したものを自宅に放置していたのだが、いかんせん大人用に翻訳したものなので、今では小学生になった娘でも読むのが難しい。

児童文学の文章経験はゼロだった

そこで考えたのだ。児童文学なのだから、児童文学風の文章に書きかえたらどうだろうと。なんとなく、簡単なことに思えたのだ。着手するまでは。

とんでもなかった。まったくもって歯が立たない。こうなってみて初めて、私は意識して児童文学のような文章を書いたこともなければ、そういった意識で児童文学を読んでこなかったことに気がついたのだ。

今までどれだけの児童書を読み、どれだけの文章を書いてきたかわからないが、つまるところ、意識して書かなければ何も身につかない。私の児童文学的文章に関する経験値はゼロだったのである。

無知を嘆いても仕方がない。時間の無駄である。ということで、自分の中で名作と思う児童文学をピックアップし、文章の作り方を真似(まね)しながら書き直し始めた。

次回の連載までに制作が完了するかわからないが、現在進行形で苦しんでいる翻訳、というものについて、次回は書いてみようと思う。(言語研究者)

「チャットGPT」の登場と新聞業界 《雑記録》47

0
ツツジ 筆者撮影

【コラム・瀧田薫】新聞報道によると、囲碁7大タイトルの1つ「本因坊戦」が、主催する毎日新聞によって大幅縮小される(朝日新聞4月17日付)。本因坊への挑戦権を争う8人総当たりリーグ戦が廃止され、タイトル料はこれまでの3分の1以下に大幅減額となるという。

毎日は「伝統ある本因坊戦をなんとか維持するための苦渋の選択だ」としているが、確かにそう言わしめるだけの事情はある。レジャー白書によれば、日本の囲碁人口は1980年代には約1000万人だったが、2021年には150万人まで落ち込んでいる。

また、日本の新聞の総発行部数も2000年に5300万部あったものが、2022年には3084万部(日本新聞協会公表)まで減少している。新聞社の経営陣にしてみれば、囲碁人口数も発行部数も背筋が寒くなるようなデータであり、これでは「背に腹は…」の心境にもなるだろう。

ところで、新聞業界は今、さらなる試練に直面している。対話型AI(人工知能)「チャットGPT」(以下GP)の出現である。GPは高度な言語処理能力を持つ「大規模言語モデル(LLM)」に大量のデータを学習させ、人間と見分けがつかないぐらいスムーズな文章を作る。

すでに、紙媒体としての新聞は、ネット環境の爆発的発展によって追い込まれ、さらに膨大なフェイクニュースに追い討ちをかけられている。その上、得体(えたい)の知れないGPの登場である。これへの対応をあやまると、新聞社の存続自体が危うくなる。それどころか、人類の生存さえ危ぶむAI専門家まで出てきている。ただ事ではない。

言語活動や創作活動の一部を補完

東京大学副学長の太田邦文氏が、GPに向き合う方法について、東大のウェブサイト「ユーテレコン」に見解を載せている。以下、その要点(抜粋・筆者)をまとめてみた。

「GPは検索ではなく、相談するためのシステムである。書かれている内容の信憑(しんぴょう)性には警戒が必要であり、個人情報などをGPに送るのは危険だ。将来、著作権や文書を用いた試験・評価に問題が発生する可能性がある。社会に対する悪い影響もあり得る。東大の学生や教職員に対して、今後、GPについて逐次情報を伝え、かつ議論の場を設ける。学内外の対話を通じて、GPを有効な道具としつつ、より良い世界の構築に貢献していこう」

太田氏の見解の肝心な点は「GPを平和的かつ上手に制御して利用すれば、人類の言語活動や知的創作活動の一部を補完し、私たちのwell-being(ウェルビーイング)向上に大きく寄与するだろう」と述べていて、GPに対して警戒しながらも、基本的には楽観していることだ。

この認識が正しいかどうか、現時点ではなんとも言えない。幸い、すでに多種多様な領域の専門家がGPについて検証を開始している。筆者が望むのは、新聞業界が一丸となってこの検証の先頭に立ち、まとめ役を果たすことだ。それが出来るか出来ないか、まさに「新聞の存在意義」が問われるプロジェクトとなるだろう。(茨城キリスト教大学名誉教授)

大乗仏教の空と相対性理論の空の関係 《吾妻カガミ》156

0
ツツジの生け垣

【コラム・坂本栄】旧友に京都のお寺の住職さんがいます。皇室ゆかりの門跡(もんぜき)寺の住職ですから正しくは門主(もんしゅ)さんです。先日彼と食事する機会があり、人工知能が問いに答えてくれる「Chat(チャット)GPT」のことで盛り上がりました。いま話題沸騰中のツールです。

好奇心旺盛な彼は、これに「大乗仏教の般若心経が説く空とアインシュタインの相対性理論の空との関係は如何(いかん)」と質問してみたそうです。その回答に「なかなか」と感心していました。そこで私も同趣旨の質問をしたところ、以下のような回答がありました。

ChatGPTの理路整然とした回答

「仏教の般若心経における『空』と、アインシュタインの相対性理論における『空』とは、それぞれ異なる構文や概念で用いられていますが、一定の共通点もあります」

「仏教における『空』とは、一般的に『全てが無である状態』と解釈されます。つまり、万物が独立した実態を持たないことを意味します。…の中に形がある、空は形でない、といった表現がされます。この考え方は、物事が相互依存して存在するという中観思想に基づいています」

「一方、アインシュタインの相対性理論における『空』とは、真空と呼ばれる物理的空間のことを指します。また、相対性理論では、質量やエネルギーが空間と時間を歪め、重力を生み出すとされています」

「これらの『空』には共通性があります。仏教の『空』は、万物が相互依存して存在することを意味し、アインシュタインの相対性理論における『空』も、物質やエネルギーの存在によって歪んだまま、どちらの『空』も、実体としての存在を否定するという点で共通しています」

簡単な質問は苦手? 検索の方が上

それらしい答えですが、大乗仏教や相対性理論に疎い私には、正誤を判定する資格はありません。門主さん、逆に簡単なことを調べようと、「〇〇(自分の名前)はどんな人か」と入力してみたそうです。それなりの回答を期待していたら、学歴の間違いもあって「いまいちだった」そうです。

私も自分のことを質問したところ、「坂本栄さんとは、日本のつくば市(茨城県にある都市)を中心に活動している人物のうちの一人の可能性があります。… 正確な情報を入手するために信頼性のある情報源を参照するか、直接関係者にお問い合わせいただきますことをお勧めします」との回答でした。

Googleで検索すると、ネット百科ウィキペディアの「坂本栄」(誰かが作成)や早大政経学部・土屋礼子ゼミの「経済ジャーナリストインタビュー2015」(学生が作成)が出て来ます。ChatGPTはネット上に格納された情報を超速で探し出し、それらを取捨選択・整理整頓し、文法的に正しい回答を作文しているはずですが、まだまだ学習途上のようです。

でも1年後には相当の水準になると思います。学生が頭を使わずに小論文を書けるので大学側は頭を抱えているようです。行政や企業の業務では必須のツールになるでしょう。どう付き合うべきかメディアには悩ましい問題です。今回のコラムはChatGPTから大分引用しましたが…。(経済ジャーナリスト)

「帰るコール」 《短いおはなし》14

0
イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】
本当に几帳面(きちょうめん)な人でした。
帰る前には必ず電話をくれました。「今から帰る」という電話です。
30年以上前のことですから携帯電話などありません。きっと同僚たちに冷やかされながら会社の電話を使っていたのでしょう。

会社から家までは1時間ほどです。
夫が帰宅したらすぐに夕飯になるように、逆算して料理を作りました。
子供たちはまだ小学生で、それは賑(にぎ)やかな食卓でした。

月日が流れ、子供たちは大人になり家を出ました。
夫は…いません。
ある日突然、失踪(しっそう)してしまったのです。
残業の時も必ず電話をくれたのに、その日電話は鳴りませんでした。
8時を過ぎて会社に電話をすると「とっくに帰りました」と言われました。
その日から、夫は行方不明になったのです。

数日後、知らない町から手紙が届きました。
『他の人生を歩んでみたい。捜さないでくれ』
たった1行の手紙です。わけがわかりませんでした。

泣いてばかりもいられないので必死に働きました。
そして夫の帰りを待ちました。
家の電話が鳴るたびに期待し、そして失望しました。
長い年月が過ぎ、そんな暮らしにすっかり慣れていたのです。


その電話が鳴ったのは、午後6時ちょうどでした。
「もしもし…、僕だけど、今から帰るよ」
耳を疑いました。紛れもなく、夫の声でした。
「あなた…今、どこにいるの」
「会社に決まってるだろう。今から帰るよ」

頭が混乱しました。混乱しながらも、私はキッチンに立ちました。
気づけば、震える手で夕飯の支度をしていました。
午後7時に夫が帰ってきました。
ずいぶん年を取っていましたが、まるで昔と変わらず、靴をきちんと揃(そろ)えて「ただいま」と言いました。

こんなとき、普通はどうするのでしょう。
「やっと帰って来てくれた」と胸にすがって泣くでしょうか。
それとも頬を叩(たた)いて追い返すでしょうか。
私は、どちらもしませんでした。
黙って料理を並べました。夫はそれをゆっくり食べて、昔と同じように「おいしい」と笑いました。

夫が遺体で発見されたと連絡が来たのは、その直後のことでした。
震える手で受話器を握りながら振り向くと、そこに夫はいませんでした。
少し冷えた料理が残っているだけでした。

「ずっとホームレス生活をしていたようです。公園で倒れているところを発見されました」
遠く離れた町の警察官が、気の毒そうな顔で話してくれました。

「バカな人」 私は、吐き捨てるように言いました。
夫が、私と子供たちを捨ててまで求めたものは何だったのでしょう。
それで彼が幸せだったのか、今となってはわかりません。
ただひとつわかるのは、「帰るコール」の電話は、二度と鳴らないということです。
もう待たなくていいと思ったら、体中の力が抜けました。(作家)

場所を選んだ太陽光発電促進を望む《宍塚の里山》100

0
工事着手後に設置された太陽光発電看板

【コラム・佐々木哲美】思い起こせば、認定NPO法人「宍塚の自然と歴史の会」の里山保全活動は太陽光発電設備業者に好きなようにやられてきました。たった一つの成功例は、2年前、約2.7ヘクタールの事業が計画されている情報をいち早くつかみ、止めさせた事例です。その土地は5名の方が所有し、1名は断固として応じなかったのですが、2名は承諾し、揺れ動く2名を会が説得したことにより、開発業者は諦めて撤退しました。

ところが、今年1月中旬、突然、森林の伐採が始まりました。数日後に看板が立てられ、太陽光発電設備と判明しました。今回の開発計画は、先に計画された1画で5004平方メートルです。登記簿を調べてみたら、つくば市に住む所有者から太陽光発電業者に転売されていました。しかも、千葉銀行から1億4500万円の抵当権が設定され、融資されています。

土浦市に確認したところ、「土浦市太陽光発電設備の適正な設置に関する条例」に基づく設置届が事業者から出されたということでした。

市は詳細を明らかにしませんでしたが、いくつか条例違反があることは明らかです。条例によると、看板は太陽光発電設備事業に着手する60日前に設置するとなっていますが、着手後に設置されました。また、近隣関係者に対する説明報告書を提出すると定められていますが、隣接地主は説明を受けていませんでした。明らかに条例違反ですが、中止させることはできないという見解です。

巨大な里山環境破壊システム

そこで、千葉銀に「太陽光発電施設への融資に関する質問状」と題して、これまでの経緯と宍塚里山の重要性の説明、下記の3つの質問事項を送りました。

①貴行の融資決定基準で「生物多様性の保全に積極的に取り組むこと」は具体的にどのように位置づけられているのか?

②生物多様性に富む森林を伐採し太陽光発電所を建設する事業に対し融資をすることについて、どのような見解を有しているか?

③融資した事業が条例を順守しない場合、どのように対処されるのか?

千葉銀からは回答拒否の連絡がありました。千葉銀は、「環境保全」をマテリアリティ(重要課題)と位置づけ、「自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)フォーラムへの参画」を2023年2月21日に表明し、生物多様性の保全に積極的に取り組むことを宣言しています。図らずも、言行不一致を露呈しました。

里山を組織的に破壊するシステムが動いていきます。▽土地を持て余している地主▽小遣い銭欲しさの情報を集める係▽資金がなくても開発できる業者▽評価額が数十万円の土地に数億円を融資する銀行▽建設に大した許認可や技術も要らない業者▽発電した電力を確実に購入してくれる国の政策―です。加えて、▽役に立たない条例▽無関心な市民の存在―もあります。

残念ながら、今のところ我々にできることは限られていますが、里山を組織的に破壊するシステムのどこかを分断することが必要です。(宍塚の自然と歴史の会 顧問)

「宗教」とはなにか? 《遊民通信》63

0

【コラム・田口哲郎】

前略

宗教とはなにか? この問いは人類の歴史の始まりからあるようで、そういうわけでもないのです。もちろん、太古の昔から宗教はありました。古代ギリシアの叙事詩『イーリアス』は壮大な神話ですが、それゆえに人びとの信仰の書でもあります。ヘブライ語聖書のなかの『雅歌』は男女の恋愛詩ですが、それが神と人間のあいだの愛として読まれて、ユダヤ教、キリスト教の聖典に組み込まれました。

こうして人間はその始まりから宗教をつくり、信じてきました。そして、むかしからの宗教は身のまわりの共同体で育まれて、そこで生まれた人は祖父伝来の宗教を信じるというのが当たり前の時代が長く続きました。ヨーロッパのキリスト教とは事情は違いますが、日本も江戸時代までは、家に氏神があり、村に神社と寺があり、小さな共同体での宗教がありました。

実は新しい「宗教」という考え方

でも、近代になると状況が変わります。社会が変化して、いわゆる国民国家が成立すると、共同体をたばねていた宗教がわきに追いやられ、全国区の「宗教」が打ち立てられます。空気みたいに当たり前だった宗教を人びとははじめて、客観的にとらえるようになります。

そのときに「宗教」という言葉が新しい意味を持ち、国民に広く普及するようになりました。ですから、宗教とはなにか?という問いも実は、何千年の人類の歴史のなかでは、せいぜい200年程度のものですから、新しいものといえるでしょう。

さらに現代はむかしと違って、信教の自由がありますから、人びとは意識的に「宗教」に自由に入ったり出たりできるはずです。そうは言っても、信仰の問題となると、トレーニングジムに入って出るという具合に簡単にはいかないものです。それは信仰が人間の本質にかかわるものであり、じつは政治・経済よりも重要だからでしょう。

キリスト教のイエスは「人はパンだけで生きるのではない」と言いました。つづく部分は「神の口から出るひとつひとつの言葉で生きる」です。これは、信仰さえあればお金なんていらないという話ではありません。人間にはパンがどうしても必要だけれども、それだけではなく信仰も必要だということです。

なぜ信仰が必要なのか? それは信仰とは身も心も神にゆだねることで、明日のパンを心配する必要はない、必要なものは与えられるよ、という安心感を与えるためです。「宗教」は人間がしあわせになるためにあるべきですし、それは不安を少しでもやわらげることでもあるでしょう。

人間が長い年月をかけてつくってきた「宗教」が時代とともに変わるべきところは変わり、変わるべきではないところは変えずに、より多くの人びとをしあわせにできることを神(あるいは超越者)は望んでいるに違いありません。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

尽きない77歳のチャレンジ 《菜園の輪》12

0
小島さんの畑と宝篋山

【コラム・古家晴美】昨年10月、つくば市在住の小島幹男(77)さんの畑を訪ねたときには、筑波連山の宝篋山(ほうきょうさん)を背景に、畑の入り口にマリーゴールドや菊などが植え付けられ、青空に鮮やかに映えていた。今の時期は、種から育てたネモフィラが小島さんの畑を飾る。

夏野菜の苗の植え付けは、4月半ばに8割方終えたとのこと。「苗はほとんど購入しますよ」と、控えめな答えが返ってきた。が、話を聞くと、自分で種から仕立てた苗が多い。カボチャ、赤パプリカ、ズッキーニ、トウモロコシなど、なじみのある野菜が多い。「苗を仕立てることは楽しい」と言う。

このほか、この時期に植えたのは、ナス、トマト、スイカ、ズッキーニ、ハグラウリ、ピーマン、トウガラシなどだ。ナスは、昨年3種類植えたが、今年は白ナスの苗も購入した。知人から白ナスをもらい、自宅で食べたのを思い出し、苗を買ってみたくなった。

その知人も、別の知り合いから白ナスをもらったというから、まさに《菜園の輪》だ。ナスとトマト類の苗には、手作りの風よけ兼寒さよけを立てた。苗の周囲に4本の枝を立て、それをすっぽり囲むような形で、底を抜いたビニールの肥料袋をかぶせてある。家庭菜園ならではの光景だ。

土を介してお孫さんと交流

今年3月上旬には、昨年の5種類のほか、もう1種類のジャガイモを植えてみた。小島さんはこの機会をとても楽しみにしている。お孫さんと一緒に畑仕事をするからだ。「多少のお小遣いをやるんですがね」と、照れながら話されてはいたが、言外に伝わるものがあった。

作業の後、共通の話題で盛り上がり、共に食事を取る。日々忙しい現代っ子との、土を介した貴重な交流の場に違いないだろう。畑や自然に少しでも興味を抱いてほしいという願いもある。

しばらく経てば、サツマイモ、豆類、ゴボウ、ゴマをまく予定だ。小島さんの1年は忙しい。

小島さんが指さす先には、宝篋山の藤の花が見事に咲き誇っていた。少し前は「山笑う」というくらい、コブシの花やヤマザクラなどが咲き乱れ、見事だったと言う。夏は畑仕事の合間に、栗の木陰で、宝篋山を見ながらお茶を飲むのが日常だ。

小島さんの次なる目標は、スイカを自分でカボチャに接ぎ木して育てること。現在は接ぎ木の苗を購入しているが、以前から、今までやったことがないことを試してみたいと思っていた。77歳の大人のチャレンジは尽きない。(筑波学院大学教授)

津和野の清流に沿って《続・平熱日記》132

0
筆者が描いた絵

【コラム・斉藤裕之】春らしいすっきりしない空だけど、伐採の仕事に行く弟を横目に、義妹のユキちゃんと津和野方面に出かけることにした。まずは錦川という川が見えてくる。清流として知られ、「錦川清流線」という鉄道が流れに沿って走り、下流には有名な錦帯橋が架かっている。東京では桜が満開というのに、ここ山口の瀬戸内側ではやっと開花をしたばかり。

しかし、山に入って行けば行くほど不思議なことに桜の花が目立つ。広瀬という街に至ってはほぼ満開だ。その広瀬の道の駅で見つけたのが、「鶏卵せんべい」。この数日、出かけるたびに探していたが出会えなかった。名産というわけでもなく、とてもシンプルなお菓子なのだが、卵の利いた優しい味わいと庶民的な価格が魅力。

迷わず、数袋を手にレジに向かった(その後お土産に渡したほとんどの人から鶏卵せんべいを絶賛された)。

すれ違う車も少なく島根に入る。すると桜の花は消えた。六日町という山間の町で次の道の駅に。そこでは「麦ころがし」という和菓子?を買ってみた。ユキちゃんはガニメというワサビの新芽を買った。今度は高津川という清流に沿って走る。「ゴギの里」と書いたのぼりが立っている。後で弟に聞いたら、この辺りの川にしかいないイワナの一種でゴギというのがいるそうだ。次の道の駅では、次女に白あんのお菓子を買った。

「モクズガニラーメン」というのも見つけた。実は別の日に、別の道の駅で網に入ったモクズガニを買って食べてみたところだった。食べたことがないのでわからないが、上海ガニに似ているという。味はとてもよく泥臭さもなかった。

ガニメのしょうゆ漬け

それから、日原という天文台のある街を通って津和野へ。2年前訪れたときと同じように、周りの山々は深い霧に包まれていたが、満開の桜が車窓を彩る。

ユキちゃんのお勧めで、今回は街から少し離れた「旧畑迫病院」を訪ねてみることにした。大正時代に実業家によって建てられたという、木造の立派な病院が復元されていて、少し生々しい器具や調度品、診察室や手術室を見ることができる。併設のレトロな雰囲気のカフェで、ランチも楽しめる。

お昼は津和野の道の駅で。ここでユキちゃんは「ザラ茶」を買う。カワラケツメイという植物が原料で、独特の風味があって病みつきになる。私もお土産に1袋買った。

夕餉(ゆうげ)時、ユキちゃんがガニメのしょうゆ漬けを作ってくれた。辛みがとばないように、70度くらいのお湯で軽くゆでるのがコツだそうだ。食後には麦ころがしを食べてみた。甘さのちょうどいい餡(あん)が入った素朴な味わいで、一同及第点を付けた。

清流に沿って桜の花を追うような、追われるような春の1日。そして、のどかに見える風景は、時代に追われているのか、時代と共にあるのか…。少し前に、弟が伐採された山桜の枝を軽トラの荷台にいっぱい積んで帰ってきた。ユキちゃんがその枝を生けた甕(かめ)が桜の花で春色になった。(画家)

瓜連小で再びゲストティーチャーに《邑から日本を見る》134

0
教壇に立つ筆者

【コラム・先﨑千尋】3月下旬のある日、私は地元の瓜連小学校で再び教壇に立った。相手は5年生全員だ(といっても60人弱)。テーマは「倭文織に魅せられて―しづ織とは何か」。

私が住んでいるすぐ近くに常陸二ノ宮静(しず)神社がある。近頃は、神社に隣接する静峰(しずみね)公園の2000本の八重桜の方が知られているが、「桜田門外の変」で井伊大老を討った一人、斎藤監物(さいとう・けんもつ)の墓もあり、歴史に関心のある人はそちらに引き付けられる。

静神社の祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)。織物の神様だそうだ。古代、神社の周辺には倭文部(しどりべ)という職業集団がいた。倭文(しどり、しづおり)とは「楮(コウゾ)や麻、からむしなどを素材として、その緯(い)を青、赤などに染め、文(あや)に織った布」と言われている。『万葉集』には、防人(さきもり)に行った倭文部可良麻呂(しどりべのからまろ)の長歌が収められている。

この織物は『常陸国風土記』や『延喜式』など多くの文献に出てくるが、現物が発見されていないので、こういうものだと断定はできないが、調べる価値のある織物だ。

地元にこのような貴重な歴史遺産がある瓜連町では、約30年前に楮や木綿などを使ってしづ織の復活を試み、小学校にも「しづ織クラブ」が誕生した。今の子どもたちは第2世代になる。私もこのクラブの誕生に関わっており、小学校から「しづ織とは何かを話してほしい」と頼まれたのだ。

楽しみながら学ぶ、楽しいことを学ぶ

私は当然、しづ織の素材や用途などについて基本的なことを話したが、その前に、歴史とは何か、どうして歴史を学ぶのかについて、私が日ごろ考えていることを伝えた。学校で教わる歴史とは、年表を覚えることと有名な人や事件などを知ること。だから面白くない。私はその壁を破りたかった。

長い長い人類の歩みの中で、数え切れない人々の暮らしや生活があり、事件や事故、自然災害なども起きた。その中から何をつかみ取るのか。自分が生きている今と違う世界がある。そこを旅するのが歴史だ。過去に学ぶことは、これからの自分や地域、国の将来を考えることだ。そう前置きし、次のようなことを話した。

しづ織を織っていた倭文部の人たちは、どんな暮らしをしていたのだろうか。何を食べていたんだろうか。他の人たちとの交流はどうしていたんだろうか。静神社の近くに前方後円墳があるが、しづ織と関係あるのだろうか。一つのことに興味を持てば、調べたいことが次々に浮かんでくる。それを調べるのが歴史の旅なのだ。

この地域には、奈良・平安時代には「倭文郷(しどりごう)」という大きなムラがあり、最近墨書(ぼくしょ)土器も見つかった。鎌倉・室町時代は、東西南北の交通の要所で、東海村辺りから栃木那須方面への塩の道が通っていた。

私は当日、わが家の田んぼで見つけた旧石器時代の小さな石斧(おの)を持参した。皆それを手に取り、目をキラキラ輝かせていた。楽しみながら学ぶ、楽しいことを学ぶ、それが子どもの教育に大事なことなのではないか。そう考えた。(元瓜連町長)

四半世紀前のモンゴル訪問で思ったこと 《文京町便り》15

0
土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】1996年10月末~11月初め、モンゴル国を初めて訪れた。外務省の対モンゴル知的支援プログラムで、同国の税制調査を依頼されたからである。そもそもは、同国が日本との租税条約(二重課税の調整)を求めていたことにある。日本としては、その要請の課題を専門家に調査してもらい、その報告に基づいて判断したいという趣旨だった。

現地では、政治体制が変わり市場経済が導入されたばかりで、基本的な社会インフラは旧体制(社会主義)のままだった。

訪問先の官庁街やウランバートルホテルは市の中央広場に面する中層ビル群で、建物内には羊肉の匂いも感じられたが、建物それ自体は風格もありしっかりした造りだった。実はこれらのビル群は、日本人捕虜により1945年から2年間の抑留生活で多くの犠牲を出しながら建設されたもので、ソ連の指導で建設した建築物よりきちんとした出来だ、と現地の人も口々に語っていた。

そんな中での現地での税制調査だが、基本的な情報収集にはかなり難渋した。そもそも、紙が貴重品なのである。したがって、現地担当者は数字を挙げて説明するのだが、その資料(紙)の余部は無い、コピーはできない(そもそもコピー機が無い)、と言う。

したがって、当方は先方の説明を書き留めるしかしない。この時の報告書は、同行した大田弘子さん(当時:埼玉大学助教授、経済財政担当大臣2006年~08年などを経て、2022年9月以降は政策研究大学院大学学長)が、帰りの機中でパソコン相手に手際よく整理してくれたおかげで、何とか記憶と印象が消え去る前にまとめることができた。

携帯電話がすでに日本以上に普及

結論は、日本とモンゴルの間の彼我の差も大きく、経済交流が不十分な中での租税条約は時期尚早、だった。

その後、国際協力機構(JICA)が1998年から20年余にわたって近代的な徴税システムの基盤づくりに協力し、その結果、フレルスフ・モンゴル大統領が来日時(2022年11月)に、岸田首相との間で取り交わした「戦略的パートナーシップのための共同声明」Ⅱ(経済・経済協力)2(投資・ビジネス環境の整備)に、1項目「両国の租税条約締結に向けた意見交換の実施」が入っている。四半世紀前の調査事項がなお継続していることに、ある種の感慨を覚えた。

当時の私にとって印象的だったウランバートル市街の風景は、携帯電話がその時点ですでに(日本以上に)普及していることだった。固定電話は設置されていたが、公衆電話はほとんどなかった。当時の私の印象では、日本では公衆電話網・ボックスが全国に設置されていて、テレホンカードで電話をかけることができた。そうした観点からは、携帯電話の必然性は相対的に低かった。

翻って、公衆電話網が普及していないモンゴルなどでは、携帯電話の利便性は高いし、普及に弾みがついていると想像できた。ちょうど、銀行口座の無い低開発国の一般庶民にとって、携帯電話(スマホ)による決済システム(キャッシュレス決済など)への親和性が高いのと同じである。他方、銀行による決済システムが定着している日本ではデジタル通貨などへのチャレンジが今なお停滞気味であるのと、対照的である。

社会インフラの整備状況、テクノロジーの可能性と普及の交錯・逆転を実感した次第である。(専修大学名誉教授)

老人医療の先駆者、牧野富太郎先生 《くずかごの唄》126

0
イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】90歳の牧野富太郎先生。お会いしてみて、お見かけは60歳くらいに見えたが、話が植物独特の形のことに触れてしまったら、トタンに20歳の青年のようになってしまう。

「カタクリの花。見ていてもあきない、独特の、いい形ですね…」
「葉もいいですよ、紫色がかった緑色。しかし、あの色は、標本に作るのが難しい。あの色はですね…」
興奮すると、話はどんどん植物標本の作り方に飛んで行ってしまう。よほど標本の製作に関心があるらしい。

植物標本作りは全くの根気仕事である。古雑誌・古本をたくさん集めてきて、標本にしたい植物の形を整えて挟む。それを積み上げて、上から重石(おもし)をのせ、植物の水分を抜く。毎日1回、形を整えながら、古紙を取り替える。

植物の種類によって違うが、4~5日、紙を取り替えて、きれいに乾いてきたら、最後に白い和紙や障子紙に挟んで、色の変化、葉の形、種のこぼれ具合などを、丁寧に確かめる。根気と、検体への愛情のいる作業なのである。

生涯に作った植物標本は40万点

先生の家の畳が腐って、根太(ねだ)が折れてしまったのも、標本作りの重石と古本を家の中に置き過ぎたせいだという。

先生が生涯に作った植物標本は、40万点もあったと言われている。東大は牧野先生の植物標本が欲しくて、職員に採用したという噂(うわさ)も流れていた。

<参考>前回コラムも牧野富太郎先生を取り上げました。