火曜日, 4月 16, 2024
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「イモ博士」井上浩さんを偲ぶ《邑から日本を見る》144

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井上浩さんの著作など

【コラム・先﨑千尋】日本におけるサツマイモ文化史研究の第一人者であり、イモに関する「生き字引」だった埼玉県川越市の井上浩さんが去る7月に92歳で亡くなった。その死を惜しんで、9月13日に同市の「いも膳」で偲(しの)ぶ会が催され、関係者らが井上さんの思い出を語り合った。

井上さんは東京教育大(現筑波大)で農業経済史を学び、浦和高校や松山高校で社会科の教師を務め、地元の物産史を研究。その範囲は、埼玉県内の麦、養蚕、柿、川越イモ、入間ゴボウ、サトイモなどのほか、織物の川越唐桟の復活や民俗芸能にも及んだ。

井上さんは、1960年代から川越イモの歴史文化の研究を始め、川越市制60周年の時(1982)には「川越いもの歴史展」を、翌年には「第1回川越いも祭」を企画開催した。さらに84年には、市内の熱心な“いも仲間”を集め、「川越いも友の会」を発足させ、サツマイモ復権運動のさきがけとなった。

同時に、『川越いもの歴史』『昭和甘藷百珍』『さつまいもの話』などを次々に世に出した。公民館主催の「さつまいもトータル学」の講師も務めた。この時期にサツマイモ調査団を組織し、鹿児島や中国を訪問し、それぞれの産地を巡り、現地の研究者たちと交流し、情報を集めている。

82年に神山正久さんが開いた「いも膳」のいも懐石料理にもアドバイスをされ、神山さんは井上さんらの意を汲んで自費で民営の「サツマイモ資料館」を敷地内に開設。井上さんが定年退職したあと、16年間館長を務められた。

この資料館にはサツマイモに関する資料や加工品、文献などが集められ、いも煎餅などのいも菓子類が購入でき、ここに来ればサツマイモのことなら何でも分かるというものだった。この種の資料館、博物館は他にはなかったので、全国のサツマイモ産地から関係者が次々に訪れ、情報の交流の場、サツマイモ活動の拠点にもなった。

井上さんも全国各地を回り、網の目のようなネットワークを構築している。さつまいものことなら何でも分かる「生き字引」のゆえんだ。

人に会い、話を聞き、記録する

井上さんの研究スタイルは、人に会い、話を聞く。それをノートに記録する。また数多くの文献を集め、原典にさかのぼる。発表される文章は一般の人に分かりやすく、肩ひじの張らないものだった。同時に、井上さんがイモを語る時の柔和な顔とやさしい語り口が多くの人を魅了してきた。

サツマイモ資料館の初代館長で「川越いも友の会」事務局長の山田英次さんによれば、「井上さんのサツマイモに関する代表的な研究は、川越いもの歴史の解明、江戸・東京における焼き芋文化史、紅赤(サツマイモの品種の一つ)の発見と歴史、戦争中の代表的なサツマイモの沖縄百号の変遷史など」だ。

井上さんは日本いも類研究会の会長を長く務められ、いも類振興会が発行した『サツマイモ事典』『焼き芋事典』『干し芋事典』の企画、執筆に携わってきた。晩年には『川越地方のサツマイモ文化史』の執筆を続け、関係者の話では、原稿は九分通り完成しており、一周忌には発刊できるという。(元瓜連町長)

大池由来水草の域外保全の試み《宍塚の里山》105

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茨城県自然博物館に置かれた保全ポット

【コラム・嶺田拓也】2010年に農水省が選定した「ため池百選」に指定された宍塚大池では、かつて豊かな植生が見られました。とくに水草では、抽水植物であるハス、フトイ、カンガレイなど、浮葉植物ではヒシ、ハス、オニバス、ジュンサイなど、沈水植物ではクロモ、イヌタヌキモ、エビモ、シャジクモなど、多くの種類が生育していました。しかし、近年はヒシの葉が浮かぶ程度で、多くの水草が大池から姿を消してしまいました。

その原因としては、水質の変化やアメリカザリガニの影響などが考えられています。全国的にも各地で水草の衰退は著しく、その多くが絶滅危惧種に指定されるほどまで減少してしまいました。大池に見られた水草のうち、オニバス、イヌタヌキモ、シャジクモなどが全国的に絶滅の危機にあるとして、環境省から絶滅危惧指定を受けています。また、ジュンサイやクロモなどは茨城県のレッドデータリストで、県内では数少なくなった絶滅危惧種に扱われています。

私たち「宍塚の自然と歴史の会」では、大池で見られた希少な水草を絶やさないために、大池の底土を採取して、埋土種子として含まれている水草の系統保全を行っています。

大池の堤防から400メートルほど北側に位置する井戸のわきに、水草保全地として大きな水槽を並べて大池の底土を入れ埋土種子からの発芽を待ったところ、これまでオニバスやジュンサイ、クロモ、シャジクモなど多くの種類が再生し、系統が維持されてきました。しかし、この夏の猛暑で、給水用の井戸のポンプが故障してしまったことで、水槽に水がまかなえなくなり,大池由来の希少な水草が全滅してしまう危険性に見舞われました。

環境科学センターなどで見てね

そこで、系統保全していた水草のうち、大池産の水草としてシンボル的なオニバスとジュンサイについて、全滅のリスクを避けるため、これまで里山保全にご理解・ご協力いただいている茨城県霞ケ浦環境科学センター(土浦市沖宿)、茨城県自然博物館(坂東市大崎)、奥村組技術研究所(つくば市大砂)の3カ所に域外保全することにしました。

具体的には、干上がる前の保全水槽からオニバスとジュンサイを2~3株ほど採取して、別途用意した直径30センチ✕深さ28センチほどのポットに移植し、10日ほど涵養(かんよう)したポットを8月8日に各施設に運び入れました。域外保全地のうち、県自然博物館では園内野外施設の「自然発見工房」わきに置かせていただいています。

また、霞ケ浦環境科学センターの本館横にもあります。博物館や環境科学センターに行った際には、宍塚から「里子」に出しているオニバスとジュンサイをぜひ見ていってくださいね。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

喉によい桔梗湯《くずかごの唄》131

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】

「モシモシ奥井さん。お宅の薬局に桔梗湯(ききょうとう)ありますか?」

「あるわよ」

「よかった。処方箋を送るからよろしくね」

コロナ旋風で、メーカーの薬の品切れが多く、小さな薬局は薬の調達で忙しい。漢方薬までが品切れに入ってしまった。

電話の彼女は東京在住の薬史学会の友達で、外国に留学した人。薬剤師のくせに、フランス語もドイツ語も自由にしゃべれるすごい人。薬の植物成分についても詳しい。昔、彼女に仏パスツール研究所を案内してもらったこともある。

「喉が痛い時、私は桔梗湯しか効かないの。ないと困るのよ」

「声患い。声が出ない時でも効くかしら?」

「桔梗根のほかに甘草も入っているから、甘味があっておいしいわよ」

私は漢方薬を飲む時、必ずお湯に溶いて、味と匂いを確かめながら慎重に飲む。匂いや味がその時の身体の調子に合わない時は、効かないので絶対飲まない。

彼女に言われて、私も試しに飲んでみた。甘味が喉に染みわたっていくのが分かる。幼児の時から喉痛を恐れている私に合う薬なのかもしれない。

漢方薬のうわさは味見して確かめる

関東大震災の時、新富町(東京都中央区)の家が焼け、母は妊娠中のおなかを抱え、銀座通りを横切って皇居前広場に逃げたという。銀座を横切る時に火の玉が飛んできて、危うく命を落とすところだったらしい。芝公園の中にできた臨時の産院で兄を出産したので、兄の戸籍謄本には「出生地芝公園内」と書かれていた。

大震災で身心ともにくたくたになった母は10年間子供ができなかった。震災で焼け出された人達が新しい住まいを求めて移ったのが、荻窪や阿佐ケ谷だった。私の父母も荻窪に引っ越して、私はそこで生まれた。田河水泡というノラクロ漫画家のお隣で、兄はノラクロ小父さんに遊んでもらったこともあったらしい。

幼児の時、私は法定伝染病のジフテリアにかかってしまった。当時はジフテリアに対応できる医者が少なくて、死ぬ子供が多かった。父は「10年目にやっと生まれた子供を死なしてなるものか」と、ジフテリアでお世話になった淀橋病院勤務医の飯島先生の自宅のお隣に引っ越してしまった。

医療情報が公開され、どんな薬が効くか分かる時代になったが、コロナ病の後遺症は多すぎて、まだまだ分からないことの方が多いらしい。味が分からなくなったり、喉が痛くて声が出ない。そういう時に、桔梗湯が効くといううわさが流れている。漢方薬のうわさは味見して確かめるしかない。(随筆家、薬剤師)

久しぶりのインドネシアで《文京町便り》20

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】9月初旬、インドネシア大学を訪問した。専修大学の研究グループが日本学術振興会の助成を受けた若手研究者ワークショップに、アドバイザーとして参加するためである。参加国は、日本、インドネシア以外に、韓国、台湾、モンゴル、フィリピン、ベトナムなど7カ国に及んだ。

私にとっても、コロナ禍で学会出張(米カリフォルニア州)を直前で取りやめた2020年3月以来の海外である。実はこの間に、海外旅行に関わるいろいろな申請手続きが変わっていた。

海外旅行保険やビザも、電子申請が推奨されているだけでなく、(従来は機内で記入していた)入国時の免税申告も事前の電子登録が推奨されている。これらの変更は接触機会をできるだけ削減する効果もあるが、利用者にはこれらの申請に結構なストレスと時間がかかる。現時点では利用者の負担の方が大きい。

実際の現場でも、すべての利用者が一様には準備・対応できていないので、搭乗や入国の流れは必ずしもスムーズではない。

2015年(前回)以来のジャカルタの交通渋滞は、さらにひどくなっていた。ジャカルタ首都特別州の人口(2020年9月の国勢調査)は1056万人。近郊を含めると3000万人を超え、東京に匹敵しているが、増加は止まらない。その結果、ジャカルタの交通状態は“世界最悪”との評もあるが、基本都市基盤と人口増加が整合していないことがそもそもの原因ではないか、と感じた。具体例を三つ挙げてみよう。

首都移転は「打ち上げ花火」?

第1に、交通信号(赤・青<緑>・黄)が少ないと感じた。市内の主要交差点には設置されているが、なかなかそうした交差点には遭遇しない。推測だが、こうした交差点は元は(交通信号を必要としない)ランドアバウト(環状交差路)だったのではないか。しかし現在は、ランドアバウトの数はわずかだと聞いた。そうすると、電力事情の逼迫(ひっぱく)もあるのか。

第2に、オートバイによるオンラインタクシーがすさまじいまでに普及していて、路上を縦横無尽に駆け回っていた。Go-JekやGrabというマーク入りのグリーンのウィンドブレーカを羽織ったオートバイが、地下鉄駅やバス停近くにたむろしていて、客からのオファーを待っている。その客というのは比較的若い世代で、男女を問わない。

第3に、最も驚いたのは、交通信号が設置されていない交差点や車線変更地点には、パオガと呼ばれる交通整理人(警察ではない)が道路の真ん中で、車の通行を誘導している。パオガは、誘導した車が方向転換に成功した瞬間に、ウィンドーを開けたドライバーから硬貨500~1000ルピア(4~8円)を、ドライバーが外国人の場合は紙幣2000~5000ルピア(16~40円)を手品のように受け取る。

この危険な仕事に就いている人々に、労災はおろか、いかなる意味でも保険・手当などがつかないことは明らかである。

こうした交通渋滞を解消するべく、ジョコ大統領は2019年8月に、首都をジャカルタからカリマンタン(ボルネオ島)に移すことを発表し、完成目標は2045年としているが、その進捗(しんちょく)ははかばかしくない。先行の類似案と同様に、単なる打ち上げ花火なのだろうか。(専修大学名誉教授)

ラグビー・ワールドカップ 勝ちにこだわる戦士たち《遊民通信》73

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【コラム・田口哲郎】

前略

ラグビーワールドカップフランス大会で熱戦が繰り広げられていますね。日本男子代表チームの特番を見ていました。2015年9月19日、対南アフリカ戦で日本は勝利し、話題となりました。その模様を追ったドキュメンタリーです。日本チームは強豪相手にあらゆるトレーニングを積み、戦略を駆使して、勝利を目指していました。

こう書くと当たり前に見えるのですが、よく考えると、スポーツに対する姿勢が見えてきます。スポーツは心身の健康のために楽しんで行うものだ、という考え方があり、その中でうまかったり、強かったりする人たちが、国の代表やプロ選手として活躍するのだという意識があります。そこには勝つことへのこだわりはあまり感じられません。

オリンピックも、参加することに意義があると言われ、勝利へのこだわりは覆い隠されています。しかし、ラグビーの代表チームは勝利への執念というものがすごかったです。それはラグビーのみならず、最近のスポーツ、とくに代表チームに課せられる義務のようなものになっているのかもしれません。

スポーツは「戦い」

さて、南アフリカ戦に勝利した後、南アフリカ代表の人たちは、日本チームに対して、とてもやさしく、さっぱりと接したそうです。まさにノーサイド、敵味方はなくなり、たがいを尊重する精神です。そこに、逆に、スポーツの「戦い」としての厳しさがあるのではないかと感じました。スポーツとはいえあくまで「戦い」として、「勝利」にこだわり、そしてそのために力をつくす。これがすべてで、「戦い」が終われば、日常としての人間の平和な気持ちを取り戻す。

日本人は、何ごとも美しくつくり上げようとします。ラグビーでも何でも技を極め、整ったフォーメーションでトライを取りにゆくといったように。でも、「戦い」は「戦い」なので、勝てばよい。なぜなら、試合は「戦い」だからです。

簡単な考え方をすれば、なぜスポーツをするのか、国の代表として戦うのはなぜか、という意味もわかってきて、スポーツマンシップというもののさわやかさも見えてくる気がします。勝ちにこだわるけれども、人間的にすばらしいことは両立でき、それを人類は「戦士」と呼んできたのかもしれません。

何はともあれ、日本代表の勝利を祈りたいと思います。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

筑波山麓の彼岸花と燧ケ池《ご近所スケッチ》6

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イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】お墓の周りに咲いているイメージの彼岸花。私が大好きなお花です。たくさん咲いている場所を探し、見つけた所は「燧ケ池(ひうちがいけ、つくば市沼田)」。ナビを使ってもたどり着けず、地元の方に教えてもらいました。昔からの農業用「ため池」のようです。

田んぼばかりの所で、住所がはっきりしないのですね。群生している彼岸花はもちろんステキなのですが、そばの古樹が素晴らしい! 樹齢どのくらいなのか? 私が訪れた2018年には、下の絵のように、枝が横に伸びていたのですが、最近、枝がダメになり伐採されたようです。残念。

農道から池の方向を見ると、彼岸花→古樹→筑波山となり、絶景です。ウロウロして、たくさんの写真を撮りました。

上の絵は、反対側から見た筑波山。こちらの風景も、心穏やかになる景観です。稲刈りが9割方終わったころですね。こんなショットに出会うと、本当に筑波山に来てよかったと思います。

ストーリーがないと描けない

今回、ちょっと苦戦。彼岸花って、クローズアップして描くのが、かなり難しいですね。なかなか筆は進まず、眺めてばかり。でも、どうしても描きたかったモティーフ。90%くらいできたけど、もう一つしっくりしない。

そして気が付きました。私は、絵の中にストーリーがないと描けない。そこで畑で活躍するトラクターを入れました。お父ちゃんにお弁当を持ってきた奥さんと子供も小さく。あと一息。

気分転換に昼ご飯を食べに行きましたら、その道中、なんと!このトラクターに出会ったのです。それも目の前で。神様が、ちゃんと描いて!って、エールを送ってくれたのだと思いました。(イラストレーター)

『金色姫伝説旅行記』を準備中《映画探偵団》68

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】今から220年前の享和3年(1803)。常陸国の海岸で不思議な事件が起きた。球体の舟に乗った髪の長い異国の女性が漂着したからだ。舟には奇妙な記号が描かれており、女性は謎の玉手箱を手にしていた。この出来事は当時、瓦版となり「うつろ舟事件」として江戸中で話題になったという。

その後、この事件は、インドから流れて来て養蚕を伝えたという筑波・神郡の『金色姫伝説』と結びつき、現代ではUFO遭遇事件として知られている(コラム21=2021年7月14日掲載=参照)。

現在『金色姫伝説旅行記/つくばシルクロード2023』のア一トイベントを準備中である。不思議大好きな私は、15年程前から「金色姫伝説」と「うつろ舟事件」に興味を持ち、なぜ二つの出来事が一つに結びついたのだろうかと探ってきた。

すると「うつろ舟事件」を『兎園小説』で紹介した読本作家・滝沢馬琴の存在が浮かび上がり、馬琴作の『南総里見八犬伝』とも関連してくることが分かったのである。

実は「金色姫伝説」を知る以前、アヘン戦争時に日本人は何を考えていたかを立体紙芝居『北斗七星伝』として、葛飾北斎、滝沢馬琴、二宮尊徳などを取り上げたことがある。日本科学未来館や慶應大学や浅草のシアターなどで公演したが、そのときは「金色姫伝説」と結びついてくるとは予想だにしなかった。

ポランスキー監督の『チャイナタウン』

数年前、それを知ったとき、公開から50年近く経ち、古典として輝きを増しているロマン・ポランスキー監督『チャイナタウン』(1974)を思い出した。

時は1930年代後半。所は米カリフォルニア州ロサンゼルス。元警官で今は探偵事務所を経営するギティス(ジャック・ニコルソン)は、浮気調査を依頼される。調査を進めるうちに、水道局長が殺され事件に巻き込まれていく。ギティスは警官時代にチャイナタウンで過ごした。

劇中、度々チャイナタウンの話題が出てくる。けれども、画面上にチャイナタウンが出てくるのはラストシーンだけである。しかし 執事や庭師などに中国人の役者を配し、全篇にチャイナタウンの怪しい雰囲気が漂う。

さらに、街のダム建設話から、水利権をめぐる行政と警察と経営者との癒着問題が浮かび上がる。そして、殺人事件と水問題をめぐる複雑な人間関係の象徴がチャイナタウンであると徐々に分かってくる。

イベントなどで「金色姫伝説」と「うつろ舟」を同時に取り上げることは意外に少ない。民俗学的な伝説とSF的なUFOとを同じ舞台で語るのには、まだまだ抵抗があるのかもしれない。いや、そんなことよりも、「金色姫伝説」を探っていくと、映画『チャイナタウン』みたいな世界へとつながるのではと妄想してしまう。私の「金色姫伝説」の旅は続く。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

懸案に見る茨城県とつくば市の距離《吾妻カガミ》167

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茨城県庁(左)とつくば市役所

【コラム・坂本栄】コラム139「上り坂の市と下り坂の県」(2022年8月15日掲載)では、つくば市と茨城県の考え方の食い違いを克服するため、「市は県から『独立』したら?」と提案しました。記事「意見相次ぎ審査継続へ 洞峰公園問題で県議会特別委」(8月30日掲載)を読むと、改めて県と市が置かれている状況と方向性の違いを感じます。

下り坂の県と上り坂の市

洞峰公園問題と県立高校問題を取り上げた139で触れた「つくば独立」論を箇条書きにしておさらいすると、こういうことです。

<洞峰公園問題での対立>

・茨城県:県立公園の運営を民間に任せて利益を出し、維持管理費を捻出したい

・つくば市:今の都市公園の形を維持すべきで、レジャー施設などは造らせない

<県立高校問題での対立>

・つくば市:人口増に伴い中学生も増加している⇒市内に県立高を新設してほしい

・茨城県:新設は県全体の人口減少に逆行する⇒既存高の学級増などで対応したい

<洞峰公園問題の背景>

・茨城県:県立公園内に民営レジャー施設を設けて少しでも稼ぎたい「貧しい県」

・つくば市:学園都市のシンボル的な公園に余計なものは不要と考える「豊かな市」

<県立高校問題の背景>

・大きな流れとして「下り坂」の茨城県:県全体の人口減・少子化が進んでいる

・県全体とは逆に「上り坂」のつくば市:TX効果もあり沿線の人口が増えている

こういった分析を踏まえ、「県立高問題は、県を当てにせずに市立高をつくば市がつくり、自分で解決したらどうか… また、洞峰公園問題は公園を買い取って市営公園にし、現状のまま市民に供したらどうか… 県と市が置かれている状況と方向が違うのだから、市は県から『独立』したら?」と提案しました。

貧しい県と豊かな市のズレ

周知のように、洞峰公園については県が市に無償で譲渡するという合意=無償という餌で釣り維持管理を市に転嫁=ができていますが、県議会が「待った」をかけました。その理由は冒頭のリンク先記事に出ているように、貧しい県と豊かな市の対立そのものでした。古参県議の言い分は「68億円の財産(洞峰公園の資産価値)を不交付団体のつくば市に無償で譲渡するのは疑問だ」に集約されます。

言い換えると、70億弱の価値がある公園(周辺は高級住宅地)を、地方交付税交付金(財政が苦しい自治体に国が配る一種の補助金)をもらっていない自治体(県内の不交付市町村ほかに神栖市と東海村)にタダでやるのはおかしい、つくば市は運動公園用地売却でもうけているのだから土地代を払わせろ―ということです。

下り坂の県の議員が上り坂の市の懐具合を見て、知事と市長の基本合意に文句を付けている図といえます。公立高校を県立にするか市立にするかの議論(問題解決のために私はコラムで市立高設立を提案)の構造も同じことです。

県南に政令指定都市を創る

そろそろ「つくば独立」論に移ります。簡単に言うと、つくば市が核になって周辺自治体と合併し、政令指定都市(要件は人口50万人以上)を誕生させ、多くの行政権を県から市に委譲してもらい、県とは違う方向性を持つ行政単位を県南につくったらどうかという構想です。実現すれば、茨城県の「へそ」は水戸市から新つくば市に移ります。

前市長の市原さんが提起した土浦市との合併による中核市(当時の要件は人口30万人以上、現在は20万人以上)づくりは、政令指定都市に向けた準備のプロセスでした。「独立」構想を実現できる豪腕市長の誕生が待たれます。(経済ジャーナリスト)

どうする?花火旅《見上げてごらん!》18

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イラストは筆者

【コラム・小泉裕司】煙火業界は、あっちの大会、こっちの大会と大忙し。旅行会社の花火ツアーも好調で、各地の花火会場は赤や黄のツアー旗にワッペンを胸に付けた行列が続く。その人混みをかいくぐり、プラチナチケットを手に観覧席に向かう。今回は、コラム5「…越後3大花火」(2022年8月21日掲載)で書いた「海の大花火大会」(新潟県柏崎市)の会場に到着するまでの「どうする?」お話。

午前11時、JR土浦駅改札口に到着するや、「列車事故のため、土浦駅から取手駅間は運転を見合わせています。復旧の見込み時間は不明です」のアナウンス。この告知がトラウマの読者も少なくないはず。

駅員に確認したところ、「1時間以上の遅れ、取手駅から上野駅方面は通常運転」とのこと。本来、11時25分土浦駅発で上野駅へ向かい、12時46分発「とき321号」に乗車。いったん長岡駅で下車し、ホテルへ荷物を置いてから、柏崎市の花火会場に向かう予定。往復乗車券と新幹線特急券は「えきねっと」の「チケットレス」で、在来線特急は紙切符で予約済み。

遅延に慣れない筆者の心臓はバクバク。「さあ、どうする?」。思いついた選択肢は次のとおり。

① 予約を変更し、運転再開まで土浦駅で待機する。

② 土浦駅まで送ってくれた家族を呼び戻し、その車で取手駅に向かう。

➂ ②と同様、家族の車で上野駅に向かう。

④ 自宅に戻り、新潟県までひとり車で向かう。

⑤ 中止する。

苦手な長距離ドライブ、しかもひとり

選んだのは、④の往復635キロのドライブひとり旅。花火をあきらめる考えなど毛頭ない。最大の理由は「自己完結」であること。家族の車で自宅に戻り、ガソリンを満タンにして、3本の高速道路をノンストップ、長岡市内まで4時間。宿泊ホテルに駐車後、長岡駅から信越本線で柏崎駅に17時50分到着。会場入りは18時20分。打ち上げ開始19時30分まで1時間の余裕だ。「花火を見る」に限れば、正解だった。

選択肢①の場合は? 新幹線予約を変更しようと土浦駅の駅員にたずねたところ、「ネット予約は駅窓口では対応できない。上野駅に着いたら電話で変更してほしい」と、渡された小さな紙切れには「えきねっとサポートセンター」の連絡先がプリント。早速電話したが話し中。この状況は終日続いた。つながったのは翌朝。かの常磐線は1時間20分後に運転再開したとの後日談だが、これでは上野駅に着いたところで、つながらず路頭(駅構内)に迷っていたに違いない。

車で長岡市に到着後、間に合わなかった信越本線柏崎駅までの特急券を払い戻そうと、並んだ長岡駅の窓口では「到着駅で手続きしてほしい」との案内。「花火大会で混雑する柏崎駅にたらい回し?」と切り返すと、「次の方どうぞ」と完全無視。不快な思いを残し、後日、サポートセンターと土浦駅窓口で払い戻しの手続きを完了。交通費に限っての収支は1,000円ほどの黒字で、苦手な長距離ドライブは、やはり正解だったのだろう。

以来、新幹線の予約は、割安な「eチケット」ではなく、「紙切符」に限ることにした。利用日間際に届く発券の催促メールが、少々わずらわしいのだが…。本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

よいボールペンを探す《続・気軽にSOS》141

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【コラム・浅井和幸】何人かで集まって軽い相談が始まります。相談というほどではなく、軽い情報交換程度のもの。例えば、ボールペンをなくしてしまったので、どこで買えばよいかな?という投げかけがあったとします。その投げかけに、Aさんは「コンビニで売っているよ」と即答します。Bさんは「〇〇画材屋でたくさんの種類を売っているから、そこで選んで買いなよ」と、いろいろ考えた後に答えます。

でも私だと、いつ使うの?とか、何に使うの?と、もうちょっと条件を絞るための質問をしてしまいたくなる癖があって、AさんとBさんはある条件下では正解だけど、今その提案は早急すぎないかと、違和感を持ってしまうのです。

もちろん、ボールペン程度の簡単なおしゃべりであれば、事務所に試供品があるから適当に持っていけと答えてしまいますし、むしろ大まかな質問に対して具体的に答えるほうが一般的なのだと思います。

しかし、真剣に悩んでいる人に対しても、このような場面によくぶつかり、私の中に違和感が長年ありました。例えば、よい勉強法ない?に対して、何の勉強とか、目的が分からないまま回答。例えば、風邪とかうつ病の対処法で、実際にどのような症状があるかを聞く前に回答する。

これら的が絞られる前の疑問に対する、具体的な回答は「人生を成功させるたった3つの方法」「これだけやればだれでもダイエットができる」というような本のタイトルが好まれることでも、日常的なやり取りで好まれるのだろうなと理解します。

もう少し具体的な条件を増やす

これらは、質問と回答がピタリとはまれば最短の解決となるでしょう。しかし、条件が大ざっぱなままなので、無駄に試行錯誤、トライアンドエラーの行動を繰り返すことになりかねません。具体的にしようと、疑問に対して質問を重ねすぎるのは、単なるウザい、面倒な奴となりかねません。(浅井は、面倒な奴に他ならないのですが)

しかし、あまりにも回答がしっくりこないことが多い場合は、もう少し具体的な条件を増やすことが必要なのかもしれないと頭の片隅に入れておきましょう。所在地を「茨城県」→「茨城県つくば市」→「茨城県つくば市二の宮」と絞り込むように。(精神保健福祉士)

コインランドリーの女王《短いおはなし》19

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

彼女は赤いポルシェでやってくる。

胸元で揺れる長い髪、体形がそのまま出るようなミニのワンピース。

右手にピンクの大きなバッグ。左手に車のキーをじゃらりと鳴らし、ヒールの音を響かせる。

ここは、町はずれのコインランドリー。客は1人暮らしの男ばかり。

誰もが彼女のファンだ。

彼女がほほ笑むと、ハートの矢が刺さったようにメロメロになる。

コインを入れる仕草(しぐさ)にさえ誰もがときめく。

「どうぞ」

彼女のために椅子(いす)を空けると、優雅に足を組む。

ヘッドフォンで音楽を聴き、リズムに合わせて体をくねらせる。

ああ、なんてセクシー。

僕らは彼女を、クイーンと呼んだ。

クイーンが来るのは月・水・金の午後8時。いつも時間ピッタリだ。

そしてそれは、金曜の夜だった。

いつものようにクイーンが来て、僕らを翻弄(ほんろう)させて出て行った。

僕はその日、興味本位でポルシェを追った。

こっちは原付バイクだし、追いつくはずもないと思ったが、ポルシェは意外とゆっくり走った。

そして古いアパートの前で停まった。

ここがクイーンの家? まさか、こんなボロアパートに住んでいるはずがない。

そう思ったとき、ポルシェのドアが開いて女が出てきた。

「え?」

それは、まったくの別人だった。

よれよれのスエット上下、無造作に束ねたぼさぼさの髪、サンダル履き。

クイーンはどこに行ったんだ?

ぼさぼさ女は、クイーンが持っていたのと同じピンクのバッグを持って、アパートの階段を上がっていく。

次の瞬間、赤いポルシェが消えて、古ぼけた軽自動車に変わった。

まるでかぼちゃの馬車みたいだ。魔法が解けたのか?

僕は首をひねりながら帰った。

月曜日、クイーンはいつものようにコインランドリーにやってきた。

僕は、金曜日のことを確かめたくて、ポルシェの鍵を隠した。

クイーンが音楽を聴いているときに、こっそり自分のポケットに入れた。

帰ろうとしたクイーンは、焦って鍵を探した。

「鍵がないわ。誰か知らない?」

時間がどんどん過ぎていく。

5分後、魔法が解けた。

ぼさぼさの髪、毛玉だらけのスエット、ノーメイクの平凡な顔。

取り巻きだった男たちは、あまりの変貌(へんぼう)ぶりにうろたえた。

僕がポケットから鍵を出すと、彼女は泣きそうな顔で出て行った。

ポルシェは、もちろん軽自動車に変わっている。

「何だ、アレ?」「普通の女だ」

男たちは、事態が飲み込めないまま帰って行った。

僕は罪悪感と、何とも言えない喪失感を拭いきれなかった。

水曜の夜、僕の原付バイクが、突然赤いポルシェに変わった。

鏡を見たら、上質なスーツと整ったさわやかなルックス。

理想の男になっている。

今度は僕の番なのか?

おそらく魔法は1時間余りで切れるのだろう。

さてどうしよう。

僕はとりあえずコインランドリーに向かった。

いつもは男ばかりのコインランドリーが、女子大生のたまり場になっていた。

彼女たちは、目をハートにして僕を迎えた。

(作家)

敵対関係から、ともに闘う仲間へ《電動車いすから見た景色》46

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】今、女性団体と障害者団体の共闘の歴史を調べている。1972年、母体保護法の前身である優生保護法において、重度障害がある胎児の中絶を認める改正案が国会に上程された。だが、女性団体と障害者団体が反対し、法改正は阻止された。

女性の社会運動であるフェミニズムの歴史を解説した荻野美穂の「女のからだ―フェミニズム以降」(岩波新書)によると、当時の改正案には経済的理由による中絶の禁止も含まれ、当初、フェミニズムの運動に関わる女性たちは、「産む・産まないは女が決める」という「中絶の権利」を主張し、中絶の禁止に反対した。これに対し、障害者たちは「胎児に障害があれば、中絶するのか」と厳しく問うた。

昨年出版されたフェミニズム入門書「シモーヌVOL.7」(現代書館編集)では、当時、障害者団体側であった横田弘と、女性団体側であった志岐寿美栄が書いた文章を掘り起こし、女性と障害者が互いに葛藤を抱えながらも、共闘関係になっていく過程を特集している。

「胎児の障害の有無により、中絶するかを決めるのは、今生きている障害者をも否定する」「障害児を産んだだけで、女性は社会から冷たい目を向けられ、我が子を殺してしまうまで追い詰められる」という血を吐くような両者の葛藤の末、実は互いを苦しめているのは今の社会構造だと思い至り、社会を変えるべく共闘していった。その結果、優生保護法の改正は阻止されたのだった。

マイノリティを苦しめる正体

現在、母体保護法では、胎児の障害を直接的な理由とする中絶は認められていないが、出生前診断で障害があると判定された胎児の多くは、「身体的理由又は経済的理由により母体の健康を著しく害する恐れがある」として中絶されている。

障害児として生まれた私は、どうしても障害のある胎児に感情移入し、中絶する女性に敵意を向けてしまいたくなる。しかし、障害児者はいないことを前提に多くの建物や制度が作られ、健常児の育児さえ、女性だけに負担を強いる社会を考えると、苦悩の末に障害のある胎児を中絶する女性だけを責めることはできない。

「障害児の誕生は避けるべき」「育児は女性がやるべき」という圧力で、女性の社会進出や障害者の生きる価値を否定し続ける社会を変えていきたい。この社会は多数派が都合のよいように作られている。現在もマイノリティ集団同士が敵対してしまっている現象が至る所で起きているが、彼らに生きづらさを押しつけているのは誰なのか、冷静に考えたい。(障害当事者)

65歳になって考えていること《ハチドリ暮らし》29

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家の庭のミカンが青々としています

【コラム・山口京子】一生に1年だけの65歳…。それぞれの年齢が1年の期間なのは当たり前ですが、この1年でしっかり考えるべきことは何なのかが気になっています。無事にここまで生きることができたという安堵(あんど)の思いと、自分が65歳になったことの不思議な感覚…。ここにきて、人生の主なイベントは峠を越えたのでしょう。

30年前の自分が思っていたこと。一つ、2人の子どもをちゃんと育てて、できれば大学まで行かせたい。二つ、家を買うことで生じた住宅ローンは、なるべく繰上げ返済をして定年まで持ち越さない。三つ、夫が定年まで勤めあげてくれれば、老後は年金でどうにかなるだろう。

思っていたことでかなったこと、かなわなかったこと。

一つ目、子どもをちゃんと育てるというのはどういうことなのかを自問すると、自分がイメージする「ちゃんと」を、子どもに一方的に押し付けてきたのではないか。子どもの気持ちや考えを察するとか聞きとるという配慮ができていませんでした。

また、大学に行かせたいのは、それが当たり前の風潮になっていたこと。また、子ども自身が大学を希望したこと。上の子は大学で学びたいというよりは、高校3年生の段階で具体的に働くという選択ができなかったこともあるでしょう。ちょうど就職氷河期にあたっていて、担任の先生は進学より就職の方が難しいと言っていたのを覚えています。下の子は語学が学びたいから大学に行きたいと意思を表示していました。

70歳までのローンで返せますか?

二つ目、わが家が組んだ住宅ローンの完済時期は夫が70歳。年金生活になって、月に10万円以上のローンの返済は現実的ではありません。当時、銀行の方に「70歳までのローンで返せますか、大丈夫ですか」と聞いたとき、担当者は、「みなさん、そういうローンを組んでいますよ」という返答。

そのときはうなずいてしまいましたが、数年してから怖くなり、繰上げ返済をするようになりました。夫が50歳ごろにローンが終わったときは、本当にほっとしました。

三つ目、定年まで勤めると思っていましたが、早期退職勧奨に手をあげて退職し、厳しい再就職の経験をしました。現役時代の収入に応じた保険料の支払い額は、年金の額にも影響します。年金制度の仕組みや改正で、年金の額は実質減少傾向にあります。65歳以上で働く人は900万人を超えたそうです。

これからの社会がどうなるかは不確実ですが、自分が願う暮らし方や働き方ができますように。(消費生活アドバイザー)

海のものと山の人《続・平熱日記》141

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写真は筆者

【コラム・斉藤裕之】夏のバカンスイン山口。楽しみの一つは弟の舟で釣りに出かけること。狙いはアジとメバル、カワハギなどの瀬戸内の小魚。ところが港を出てしばらくすると、ナブラ(イワシなどの小魚が大きな魚に追われてできる)が湧いているのを発見。餌のイワシを追って海面をバシャバシャ泳いでいるのは、この辺りでヤズと呼ばれているブリの子供。急いで疑似餌を投げてみるが、うまくヒットしない。

どうやらヤズが回遊してきたという情報が回ったとみえて、次に舟を出したときにはヤズ狙いの釣り舟は随分と増えていた。遠目に立派なヤズを釣り上げている姿も見かけるようになった。我々もナブラにキャストを繰り返してはみたものの、ヤズの気を引くことはできず、本来の餌釣りに専念することにした。

結果、刺身と煮つけにちょうどいいサイズのアジとアラカブが釣れた。その日の夕方、近くの果樹園で働く義妹のユキちゃんが帰宅。「これもらったの」と、なんと大きなヤズを抱えているではないか。ご友人が日本海で釣ってきたものだそうだ。こういう状況を言い表す、うまいことわざなり故事成語なりがありそうな…。

とにかく、願ってもない御馳走(ごちそう)には違いないが、初老の我々3人にはちょっと持て余す大きさで、メインディッシュの予定だったアジは塩をされて干物に回された。

ユキちゃんと休日に市街へ出かけた

ユキちゃんは不安定な暮らしをしていた弟を支えて、2人の娘を立派に育てた。今は午前中に地元の加工場でパンを焼いて、午後は果樹園で働く。毎朝みそ汁と魚を焼いてくれて、弟の弁当と私の昼のおにぎりも用意してくれる。夕飯もちゃちゃっと作る。その間に、薪(まき)で風呂も焚(た)く。いつも少し駆け足気味にスタスタと歩き、とにかくよく動く。

そのユキちゃんと休みの日に市街へ出かけた。目的の一つは昔からあるラーメン屋さん。この店に初めて訪れたのは小学生の頃。隣のみっちゃんと映画を見た後、「ライスちゅうメニューが50円であるんよ」と誘われて入った。多分相当貧乏に見えたのか、意気揚々と「ライス」を2つ注文した子供に、ご主人はおかずをつけてくれた。

当時すでに評判だったこの店は、今も行列ができるほど繁盛していた。コショウを一振り。数十年ぶりに食べるラーメン(中華そば?)は記憶の通りの味だった。ユキちゃんに「高校の食堂のラーメンを思い出したよ」と、私。実はユキちゃんは同じ高校の1年先輩。

アジを狙ってヒラメが食いついた

山口で過ごす最後の日。クマゼミの鳴き声で覆われた粭島(すくもじま)の港を出航。小アジの群れにぶつかって辟易(へきえき)していたら、何と、弟の竿(さお)に引っ掛かった小アジを狙って大きなヒラメが食いついた。というわけで、最後の晩餐は豪華ヒラメの刺身。夕方帰宅したユキちゃんは手際よくさばいて、その手には大きなヒラメの頭と骨が。

「これは山の人にあげよう」と言って、裏の捨て場に放り投げた。「何の動物(彼女が山の人と呼ぶ)か知らんけど、次の日にはきれいに無くなるんよ」

バカンスって、もしかしてベイカント(からっぽ)のこと? 夕方、パク(犬)と散歩していているときに、頭の中で言葉が結びついた。あ、くずの花が咲いている。勢いのある緑色だった田んぼも、いつの間にか秋色に変わりつつあった。(画家)

東海第2原発、避難できるか?《邑から日本を見る》143

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那珂市で講演する桜井勝延元南相馬市長(中央奥)

【コラム・先﨑千尋】漁業関係者との文書での約束を一方的に破り、多くの漁民が反対している中で、先月24日に始まった東京電力福島第1原発の汚染水海洋放出。これに対して中国が日本産水産物の輸入を全面的に停止した。野村哲郎農水大臣はこの事態を想定外と発言、さらにアルプス処理水を汚染水と記者団に言ったため、政府は打ち消すのに躍起になった。この問題が今後どうなるかは現時点では分からないが、岸田文雄首相には頭の痛いことだけは確かだ。

こうした中、先月27日、那珂市の「ふれあいセンターごだい」で、「東海村にある日本原電東海第2発電所で事故が起きたら避難できるのか」をテーマとした講演会(同実行委員会主催)が開かれた。主催者の話では170人を超える入場者がいたというから、同原発に対して周辺住民の関心が高いことが分かる。

講演会では、福島県元南相馬市長の桜井勝延さんと美浦村長の中島栄さんが講演した。桜井さんの住む南相馬市は一部が避難区域に指定された。

桜井さんは当時の状況を「避難区域になることを最初に知ったのはテレビ。国、県からは何の連絡もなかった。食料やガソリンなどの生活物資が入らなくなった。市内は原発から20キロの線で分断され、住民の間に亀裂が入った。強制的に避難させられた区域の惨状は口では言い表せない。原発さえなければ、と今でも考える」と怒りを込めながら語り、「東海第2の最良の避難計画は原発の再稼働を止めること。そうすれば避難計画を作らなくていいから」と結んだ。

「美浦村は原発の再稼働に反対だ」

美浦村は、東海第2原発が事故を起こせば、ひたちなか市から2007人(当初は3000人以上)の避難民を受け入れることになっている(県の計画)。しかし、本当にそれだけの人が避難できるのか。中島さんは、それは無理だと言う。

その理由を「ひたちなか市から美浦村までの間に那珂川、恋瀬川、桜川などがあり、避難者がわれ先にと移動すれば、スムーズな避難はできない。避難できたとしても、入院患者、透析患者、要介護者など支援が必要な人にどう対応するか。犬猫などのペットを飼っている人もいる。それらの人たちがどれくらいいるのかを知らされなければ対応できないので、まだ何も決まっていない」などと説明し、「福島の事例でも分かるように、10年以上経っても避難生活を続けている人がかなりの人数になる。住民の負担を減らし、安全な生活を守るために、避難しなくともよい方法を考えるべきだ」と提言した。

中島さんは最後に「美浦村は原発の再稼働に反対だ。原発に頼らなくてすむように、2015年に霞ケ浦湖畔に太陽光発電所を立て、現在は年間で1億円以上の収入を得ている。人間が作った技術で制御できないものは人間社会に不必要であり、地球上につくるべきではない」と結んだ。

那珂市での集会前日には、水戸市で東海第2原発の再稼働を止める大集会が開かれ、県内や首都圏から約600人が参加し、水戸市内をデモ行進した。(元瓜連町長)

美浦村の鹿島海軍航空隊跡地《日本一の湖のほとりにある街の話》15

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大山湖畔公園(イラストは筆者)

【コラム・若田部哲】うだるような日差し、頭上にはどこまでも高く澄んだ空と湧き上がる入道雲。「終戦の日も、こんな天気だったのだろうか」。8月半ば、そんなことを考えながら愛車のハンドルを握り、霞ケ浦の水面と稲穂が続く風景を横目に、取材先へと向かいました。

目的地は、この7月より「大山湖畔公園」として一般公開が始まった、美浦村の鹿島海軍航空隊跡地。今回は、同村企画財政課の大竹さんと、園の指定管理を受託している「プロジェクト茨城」の篠田さんに、お話を伺いました。

鹿島海軍航空隊は1938年に発足し、阿見町の予科練とともに第2次世界大戦時の重要拠点としての役割を果たした場所です。終戦後、跡地の一部は東京医科歯科大霞ケ浦分院として使用され、1997年に閉院。その後は草に覆われた状態となり、フィルムコミッションなどで多数利用されつつも、心霊スポットとして不法侵入が絶えない、荒れた状態となっていました。

村は長らく放置されていたこの場所を2016年に国から取得し、当初は敷地内に残存する旧軍事施設を取り壊し公園として整備する予定でした。公園として整備が進まない中、笠間市の筑波海軍航空隊の指定管理も手掛ける「プロジェクト茨城」から村への投げかけにより、保存による利活用の方向性が上がってきたそうです。

保存への舵(かじ)が切られたポイントとしては、この施設が一まとまりの戦争遺跡群として、国内でも最大級のものである点。現在、敷地内には「旧本部庁舎」「汽缶(ボイラー)場」「自力発電所」「自動車車庫」の4つの遺構が残っており、整備された順路に従い各施設を見学させて頂きました。

現在の平和に思いを馳せる拠点

各施設とも、朽ちつつも往時が偲(しの)ばれる造りが印象的です。天井が高く、各所に細かい装飾が施された本部庁舎。堅牢な構造により、外壁は剥がれ落ちつつも、どこか美しさを漂わせる、鉄骨トラス造の汽缶場や発電室。また、巨大なレンガのボイラーは、取材に先立ち画像を見ていたものの、実物は予想を超えた迫力あるたたずまいでした。

最も印象的だったのは、特別に上がらせていただいた本部棟屋上からの眺めです。広大な敷地は草に覆われ、各施設や既に基礎だけになった遺構がその中に点在する光景に、戦争への言いようのない虚無感を禁じえませんでした。

今後の活用については、2024年3月までに村の文化財に登録する予定であり、予科練記念館(阿見町)や筑波海軍航空隊などと広域の連携を図りつつ、遠方からの来客も、地元の方も活用できる方策を探っていきたいとのこと。

老朽化した戦争遺構を、その意義を踏まえ意匠性を維持しつつ、保存・活用することは様々な困難を生じることと思われますが、観光のみならず、現在の平和に思いを馳(は)せる拠点として、ぜひ多くの方にご覧頂きたいスポットです。(土浦市職員)

大山湖畔公園(鹿島海軍航空隊跡地)
▽公開日:土日のみ、午前9時~午後5時(最終入園は午後3時)
▽詳細は【公式】鹿島海軍航空隊跡(大山湖畔公園)をご確認ください。

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

デジタル社会今昔《遊民通信》72

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【コラム・田口哲郎】

前略

デジタルネイティブという言葉はずいぶん定着しました。生まれたときにはすでにIT革命が起こっており、インターネットやパソコンが当たり前にある環境で育った世代を指します。私はデジタルネイティブではありません。インターネットやパソコンが普及して、日常生活で使いはじめたのは、大学生のときです。

大学で課されるレポートはワープロソフトで作成し、プリントアウトして提出していました。インターネットがめずらしく、ネットサーフィンといういろいろなホームページを閲覧する遊びがはやっていて、テレホーダイを利用して何時間もつぶしていました。

いま思うと、なぜあんなに夢中になれたのか不思議です。電子メールにもいちいち感動して、新しいコミュニケーションツールを楽しんで使っていました。そう考えると、情報収集の方法も変わりました。昔はホームページや掲示板(BBS)などでしたが、いまは旧ツイッターなどSNSが主流です。

ITツールが生活を変えた

ふとインターネット、パソコン、携帯電話がなかった時代に思いをはせました。よく引き合いに出されるのは、待ち合わせ方法の変化です。携帯電話がないころは、待ち合わせ場所は細かく決めなければいけませんでした。たとえば、新宿駅東口改札出て、右に何番目の柱のところ、などと。いまはだいたいの場所を決めて、そこに着いたら電話なりメッセージ送信すれば会えます。

ITツールは便利なのですが、便利ゆえに使いこなし方が問われることになります。そうなると、より効率的にとかはやくとか、目的をすばやく的確にこなすことが求められるようになっている気がします。

自分をかえりみても、たとえば出かけるにしても、ただぶらぶらするのではなく、目的を設定して、順路を調べて、よりはやく、より安く移動しようとしてしまいます。こうなりますと、散歩好きを自称する身としてはよくありません。なにもITツールが悪いのではないのです。

要は使い方です。そして使い方を考えるとややこしいので、いっそ使わないことが大切なのかもしれません。このごろ、わけもなく、デジタル社会になる前の世の中にノスタルジーを感じます。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

竹園・牛久栄進・土浦一・土浦二を10学級体制に《竹林亭日乗》8

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稲刈り直前の田んぼ(筆者撮影)

【コラム・片岡英明】前回のコラム(8月10日付)で、来年度は牛久栄進高の1学級増でも、土浦一高の高校生募集が6→4の2学級減では、高校入試は逆に厳しくなる―と書いた。今回はこの解消策を考えたい。

つくばの市立中学卒業生2183人(今年)のうち、市内の竹園高には200人入っているが、牛久栄進高129人、土浦二高113人、土浦一高88人と、市外の県立高へ流出している。一方、土浦の卒業生1095人の入学先は、土浦湖北高120人、土浦三高97人、土浦二高86人、土浦工業高81人、石岡一高50人、土浦一高37人、石岡二高36人である。

土浦一高は6学級に対して、土浦37人(15.4%)、つくば88人(36.7%)。土浦二高は8学級に対して、土浦86人(26.9%)、つくば113人(35.3%)。つくばから土浦の伝統校への流入が増え、土浦の生徒の地元伝統高への入学が抑えられ、石岡地区に流れているようだ。

こういった状態で、2024年土浦一高の高校募集を2学級減らしてよいのだろうか? 土浦一高の学級減の影響は、多くの受験生と学校に波及する。このままでは、つくばと土浦の受験生の悩みはさらに深くなるのではないか。

募集数は1987年比65%減

町村合併でつくば市が誕生した1987年、市内には全日制県立高が6校41学級(募集1927人)あった。その後、1989年をピークに第2次ベビーブーム世代が去り、子ども減が起きたが、つくば市の場合は2005年(TX開通年)を底に中学3年生は増加に転じた。

ところが2008年以降、県は市内の全日制高を減らし、現在は3校17学級(募集680人)。募集削減率は65%にもなる。つくば市内の県立高校不足問題の構造的原因はここにある。つくば市の現在の小学1年生は1989年の中学3年生のピーク2574人を越え、2686人(2023年)で、早急な対策が必要だ。

つくばエリアの人口・子ども増は県の発展にもプラスである。この地域の小中学生のために、県の平均的水準まで全日制県立高の入学枠を増やしてほしい。そのためには、現時点で15学級増、2030年までにさらに10学級増が必要と考える。

10学級体制へのシナリオ

学級増の具体策については、以下のような年次シナリオを提案したい。

▼2024年:牛久栄進高1学級増に加え、土浦一高の2学級削減を止めて、6学級維持。

▼2025年:牛久栄進高を9学級→10学級に。竹園高を8学級→10学級に。

▼2026年:土浦二高を8学級→10学級に。土浦一高を付属中からの2学級に加え、高校入学を6学級→8学級に戻す。

つまり、4県立高校を10学級体制にし、高校入学枠を計8学級増やしてはどうか。並行して、県とつくば市が共同で2030年までのエリアの生徒数を正確に推計し、現時点の必要学級数と今後の必要学級数を算出する。

その上で、算出した必要学級数が既存の全日制県立高の学級増で賄えるのか、それとも学級増の一つの形態としての高校新設も必要なのか―を見極めてはどうか。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

<ご参考>8月30日、電子書籍「若手教師の勘ドコロ―基礎力を磨く授業づくり・HRづくり、教えます」(22世紀アート社)を出版しました。アマゾンkindle版をご覧ください。

中国経済の変調:経済の日本化《雑記録》51

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マリーゴールド(筆者撮影)

【コラム・瀧田薫】中国経済の様子がおかしい。中国不動産大手「恒大集団」がニューヨークで破産を申請し、不動産最大手「碧桂園」の資金繰り難も表面化した。中国国家統計局によると、4~6月の国内総生産の伸びは前期比わずか0.8%増と急減速した。米英日の経済各紙は、中国経済の変調は「一過性のものではなく、構造的要因によるもの」とする見方で一致している。

2008年のリーマン・ショック後、「欧米経済の日本化」が指摘され、野村総合研究所のリチャード・クー氏と彼の「バランスシート不況」理論が脚光を浴びた。そして今回、「中国経済の日本化」が指摘され、クー氏と彼の理論が再び注目されている。

クー氏は、日本経済停滞の原因を、借り手企業が過剰債務解消に固執したことにあるとし、この状況を「バランスシート不況」と呼んだ。その後、企業の過剰債務は解消されていったが、投資意欲は低迷したままだった。中央銀行が異次元金融緩和を実施したが、借り入れ需要は高まらず、労働者の実質賃金は減少し、物価も上昇しなかった。

この状況下、クー氏はさらなる日本経済診断に挑戦し、その成果を『追われる国の経済学』(東洋経済新報社、2018~19年)において示した。それによれば、新興国における資本収益率が日本国内のそれを上回り、当時の日本国内には魅力ある投資先が見当たらなくなっていた。このこともあって、企業が選択したのは新製品の開発でも国内の設備投資でもなく、既存のビジネススタイルの海外移転であった。

そして残念ながら、日本政府はこれを傍観し、構造改革を率先遂行すべきところ、既得権益に対する支援策・保護策(積極財政)を優先した。狙いは選挙に勝利して政権を維持すること、つまり政府・与党にも既得権益への固執があったのである。

最大リスクは「聞く耳もたぬ」姿勢

クー氏の理論は、中国経済を「日本化」というフレーズに絡めて読み解く上で有効だ。中国経済は当初こそ低コストの労働力を梃子(てこ)として急速な工業化に成功したが、資本効率の低下、人口の高齢化と減少により成長は鈍化し、若年労働者の失業率が急激に上昇(20%)している。不動産市場の不調は巨大債務となり、デフォルトの可能性は特に地方政府において深刻である。

社会面では、出生率が下げ止まらない。過去の「一人っ子政策」の影響は、50年、100年単位で国力の阻害要因となるだろう。近未来の経済成長を担うと期待されるハイテク分野も米中摩擦の壁にぶつかっている。

もちろん、中国にも構造改革、投資偏重経済の是正、さらに若者が希望を持てる社会の形成、それぞれの大切さを認識している層もいるだろう。しかし、自国の経済成長を独自の「中国モデル」によるものとし、体制の優位性を自画自賛する習近平氏は、経済成長や「共同富裕」スローガンよりも国家安全保障や国家・国民の政治的統制を優先する。進行しつつある中国経済の変調は、この傾向に拍車をかけることになろう。

日本や欧米の側から見て、中国における最大のリスクは、中国指導層の「聞く耳もたぬ」政治姿勢にあるのではなかろうか。(茨城キリスト教大学名誉教授)

高齢研究者と車いす生徒に冷たい土浦市《吾妻カガミ》166

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教育委員会が入る「ウララ2」ビル(左)と市役所が入る「ウララ」ビル

【コラム・坂本栄】本欄では土浦市立博物館の郷土史「論争拒否」を何度か取り上げてきましたが、今度は、元中学生の保護者が在学中のいじめについて再調査を求めたのに土浦市教育委員会が断ったという、いじめ「調査拒否」が明らかになりました。市役所のこういった門前払い対応、いずれも文化教育行政を所管する教育委員会が担当する案件です。

「調査を行う予定はありません」

いじめ問題については、記事「いじめをなぜ止められなかったのか 保護者が再調査求める 土浦の中学校」(9月3日掲載)をご覧ください。

中学在学中に車いすの息子さんが何度もいじめを受け、その都度、保護者が教育委に対応を求めたにもかかわらず、いじめが止むことなく続いたというケースです。そして、何度も相談に来る保護者を教育委は「クレーマー」(文句を言う人)と思ったのか、市長名で調査打ち切りを通告してきたそうです。

そこには「〇〇様からいただいているご意見につきましては、既に、教育委員会からメール、電話、対面等で、ご回答及びご説明をさせていただいておりますので、改めて回答する事項はありません。また、ご要望いただきました、いじめ防止対策推進法第30条2項の地方公共団体の長による調査については、検討の結果、同調査を行う予定はありません」(2022年6月15日付)と書かれています。

現在、息子さんは障害者対応が整った私立高校に通っているそうです。従って、教育委の再調査拒否は現在進行中の問題ではありませんが、中学在学中の教育委の対応をうかがうと、今でも同様なことが続いているのではないかと気になります。また市長回答を読むと、163「土浦博物館の論争拒絶 市民研究者が猛反発」(7月31日掲載)で取り上げた事例と似ているのが気になります。

「博物館は一切回答致しません」

博物館に論争を挑む郷土史研究者(元市職員の高齢者)に論争拒否を通告した文書には「… 以上の内容をもちまして、博物館としての最終的な回答とさせていただきます。本件に関して、これ以上のご質問はご容赦ください。本件につきまして、今後は口頭・文書などのいかなる形式においても、博物館は一切回答致しませんので予めご承知おきください」(2023年1月30日付)と書かれています。

博物館の歴史解釈に疑問を持ち文書での回答を求める研究者を門前払いにする、教育委の生徒いじめ対応に疑問を抱いて再調査を求める保護者を門前払いする、単なる偶然なのか市役所の体質なのか分かりませんが、教育委の冷たい対応には類似性を感じます。いずれも専属弁護士の助言に基づいているようですから、市政=守勢といえます。

郷土史研究者は8月30日、市民の相談を受け付ける窓口(広報広聴課)に、博物館の歴史解釈の間違いを指摘する文書を提出するとともに、市民研究者を「クレーマー」扱いする博物館の対応を改めさせるよう申し入れたそうです。

教育委のチェックは市議会の仕事

博物館と教育委の対応を見ていると、行政部門に問題の解決を期待するのは無理かもしれません。議会の文教厚生委員会(委員長=矢口勝雄、副委員長=田中義法、委員=吉田千鶴子、鈴木一彦、勝田達也、福田勝夫、平岡房子、根本法子の各氏)の出番ではないでしょうか。議会が議会の仕事(市政のチェック)を怠れば、市議は市民のチェックを受けるでしょう。(経済ジャーナリスト)